第5話 結

 ハザマ道、といってもあからさまに異常な空間が広がっているわけではない。

 山道だったりアスファルト舗装の車道だったり砂利道だったり――表面上は表の道をなぞらえている。唯一はっきりと違うのは、空が常にうすぼんやりとした靄に覆われ、光を内にはらんで拡散しているように仄明るいことだろう。太陽や月、星といったものが出ているのを見たことはない。そして道の両脇には木立や畑、ビルといった「それらしい」風景が広がるが、目を凝らすととたんにぼやけて自分が何を見ているのかわからなくなる。

 一行のいちばん前を鬼薬師が歩き、続いて幸路と暦、最後を守家が歩いていく。

「コヨ、だいじょうぶ?」

 心配して顔をのぞき込んでくる幸路にいつも通り「平気だよ」と言おうとして口をつぐむ。

 今日はさすがにいろいろありすぎた。身体はいつも通り傷ひとつないけれど、全身がぐったり鉛のように重く感じる。

 こんな状態で強がったところで、誰も騙されてくれないだろう。

「……曲淵は、どうなるの」

 かわりに、心がかりを吐き出す。珍しい暦の態度にわずかに目を見開き、それでも特に何を言うこともなく、幸路は肩をすくめた。

「これから、捧げた言霊の分の報いを受けることになるんだろうねー」

 個人に返るのか、地域に返るのか、それで対策は変わるけど、との分析に「そうだね」とうなずく。

 今回の件は室長への報告次第、地災としての申請がなされるだろう。

 おそらく地災規模は「C+:ある程度の注意を必要とする小規模相当」。曲淵集落は人口が少なく、面積も狭い。加えて、地災の原因となる「ミノリ」はそれほど強い力を持つ特異存在ではない。

 まずは住民を曲淵集落から移して集落を封鎖、その後経過観察を行い住民個人に言霊の報い――「ミノリ」の干渉が現れるならば、個人個人に小規模な結界を張り、それでもだめならば――。

 最悪の可能性を認めたくなくて、暦はふるりと頭を振った。

「……次の神祭まで正しい言葉を捧げ続けたら、次の『ミノリ』は、元に、戻るかな」

「どうかな。むずかしい、かも」

 彼女は今回のことでだいぶ変わってしまったから、と幸路はぼやく。

 ミコトミノリノヤドリヒメ――美言実乃宿比売。美しい、善き言葉を実りとして己に宿す女神。

 真名ではないものの、かつての彼女の在り方はかなりの部分をその名に依っていた。それが変質したのだ。

 記憶を引き継いでいても、新しい「ミノリ」は、暦の知るミノリとも、それ以前のこれまでの「ミノリ」とも違う。かといって「サカゴトさま」としてこれからも生きていけるかと言えば、これも簡単な話ではない。

 彼女を「サカゴトさま」と呼ぶ曲淵集落は、これから彼女が「願いを叶える」ことで間違いなく衰退する。そして、祀る者なき神は、神としての力を失う。

「帰ったら室長に報告してー、たぶんそのまま対策ミーティングだなー……」

 ちっとも休めなかった、と恨めし気にこちらを見下ろしてくる相棒に「……ごめん」と謝る。今回はだいぶ余計なことをした自覚があるので強く出られない。

「まあ、室長からの厳重注意は覚悟しておきなよー?」

 くしゃりと髪の毛を荒っぽくなでられ、唇をとがらせつつもうなずく。

「……………ありがと」

 来てくれて、とぼそぼそつぶやくと、幸路が大きく目を見開いた。くすり、と笑うと、肩をすくめる。

「どういたしましてー。まあ、を拾ったのはおれだから」

 付き合うよー、と笑いながら、彼はちらりと前を進む後姿を視線で示す。もとは鼠色だった彼の作務衣は暦の血を吸ったせいで赤黒く変色している。

「鬼薬師にもお礼言いなよねー」

 彼こそ何の義理もないのに来てくれたんだから、と念を押され、「ん」とうなずく。礼を言ったところで彼は「おまえは自分自身が賭け金であることを自覚しろ」とかなんとかかわいげのないことを言うのだろうけれど、だからといって感謝の言葉を惜しむべきではない。

 彼がいなければ、暦はもう一度あの剣に刺し貫かれていたのだから。

 守家のことも、思った以上の面倒ごとに巻き込んでしまった。

 ずっと黙りっぱなしなのは怒涛の展開に疲れ果てているからか。初回の現場(非公式)がこんなではトラウマになったりしていないだろうか。

 心配になってちらりと背後を振り返る。

 暦と目が合った守家はにかっと笑って「どうかしました?」と首をかしげた。思ったより元気そうで安心する。

「ところで」

 幸路が何かを思い出したような調子で切り出し、暦と同じように背後を振り返った、と思えば――。

「君だぁれ?」

 こてん、と首をかしげて妙なことを言い始めた。

「誰って、守家は、うちの――」

「実はさ、公用車の使用申請、確認してみたら文字化けみたいな変な字が並んでるだけだったしー、コヨといっしょに出たのどんな子だった? って守衛さんに聞いてみてもすごく記憶があいまいになってて何も思い出せなくなってるしー、今年の新人の写真全員分見せてみたけどその誰でもないって言うしー、防犯カメラはなんでだか該当箇所だけ砂嵐だしー」

 幸路の重ねる言葉に、くらりと頭が揺れた感覚がする。

 でも、暦は以前にも守家に会ったことがある。研修中の新人一行に会ったときに――と思い返してみて、自分の勘違いに気づく。あの時、確かに新人たちに会った。しかし、それは短時間のことで、暦は顔も名前も覚えることができなかった。唯一覚えていたのは、全員が自分の見た目年齢より年上に見えるな、ということだけ。

 書庫で会ったときにも、守家は最初暦のことを「ちっちゃい先輩」と呼んだのだ。きちんと先輩の名を呼ぶべきだ、と姓を伝えたのは自分から。

 どうして、こんな勘違いをしたのだろう。

 自分は、本当に今日以前に彼と出会っていたのだろうか。

「実際に会ってみて確信したけど、そもそもその人、人間じゃないよー、コヨ」

「は」

 幸路の言葉にまじまじと守家を見つめる。

 明るい緋色の髪、猫っぽいつり目――これといって変わったところのない、今風の若者にしか見えない。ばっと先を行く鬼薬師に視線を送ると、こちらの様子をいちおううかがっていたらしい彼は面倒くさそうにうなずいた。

 まじか。

「あーあ、ばれちゃった」

 けろっと笑ってから、守家は自分をじっと睨みつけている鬼薬師に頬をふくらませてみせた。

「こわい顔しないでくださいよぅ。ちょっと遊びたかっただけなんですから」

「……確かに悪い気は感じない」

 鬼薬師のぼやきに、幸路もうなずく。

「悪い感じがしてたら、あの場に残してきてたしねー」

「え、やだ、こわいっす。やめてくださいよ、あんなところにひとりとかぞっとしない!」

 本気であわてふためいている彼を見ながら、暦はあることに気がついた。ざっと血の気が引く。

「ちょ、守家、君―――運転免許持ってるの!?」

 すっとんきょうな声を上げた暦に幸路は目を丸くして、鬼薬師はため息をこぼした。当の守家はぶふっとふき出す。

「気にするの、そこなんですか、姫先輩」

 けらけらと腹を抱えて笑う彼に詰め寄る。そこもどこもない。

「どうなの……? 持ってるの? 持ってないの?」

「おれ、運転できるとは言いましたけど、免許あるとは言いませんでした!」

 堂々と胸を張った相手を前に思い切り突っ込む。

「無免許運転じゃん!」

 しかも公用車を、だ。絶対室長からいろいろ言われる。

 はー……と顔を覆った暦に、守家は無邪気に問いかけてきた。

「えー、でも安全運転だったでしょ?」

 確かに助手席に座っていて何の不安も感じなかったが――。

「そういう問題じゃないんだよ……」

 こちらのぼやきに不思議そうに首をかしげてから、彼は「ま、いいじゃないですか」と流そうとした。

 よくない。

 ぎっと睨みつけた暦に「じゃあ、おれでも免許取れるか調べてみます」と肩をすくめる。

「実は頼まれただけで最初は乗り気じゃなかったんですけど、今日一日、後輩ごっこ、たのしかったです。最後に怒られちゃいましたけど、初めての現場に付き合ってくれて、ありがとうございました!」

 へへへ、と無邪気な笑みを浮かべてから、彼はすこしだけさびしそうに眉を下げた。

「もっと遊んでたかったけど――」

 ばいばい姫先輩、と言うと、彼の姿は煙のように消え失せた。ハザマ道から自力で出ていったのだろう。

 それができるだけの力を持った特異存在だった、ということだ。

「今日はいったい何だったんだ……」

 身から出た錆だとか、自分で蒔いた種だとか、いろいろと思うところはあるが、とにかく疲れた。これから後始末が山ほどあるかと思うと疲労感も倍増だ。

 結局、ミノリに玉兎のことを訊くどころではなかった。

 だが、収穫がなかったわけではない。

 あの水干姿の少年。彼が見た目通りの存在でないことは確かだ。

 暦が今まで出会った特異存在の誰よりも古く、強い。

 そして、あの台詞。

『あなたでは、いえ、地上に生まれ落ちた存在ではわたしには勝てない』

『この世をどうにかする権利を持つのは、わたしたちだけだ』

 あんなことを言う高慢な存在など、天つ神だと相場が決まっている。

「――――玉兎、あなた、いったい何者なの」

 ぽつり、とつぶやく。

 多くのものを従える、力ある特異存在。ひたすらに愛して、多くを与えてくれた養父。

 暦の知っていた玉兎の姿に、新たな一面が加わる。

 いまやほとんど地上に干渉しない天つ神。そんな存在と同じ色彩を身に宿し、「あの子」と呼ばれ、探されている玉兎。

「何をして――何を隠してるの」

 そして、それは鬼薬師も。

 ちらり、と視線をやっても、彼は静かに見返してくるだけだ。でも、彼はきっと玉兎の正体を知っている。もしかしたら、どうして彼が暦を放り出したのかも。

 それを教えてくれるつもりはない、というだけで。

 おそらく、知らないほうが安全だから。

 だが、今まで暦の知らないところで渦巻いていた――玉兎や鬼薬師が暦から必死に遠ざけていたそれは、偶然にも――もしくは必然として――暦の前に現れた。

『またまみえるだろうからな――命の定めを外れた――されど脆弱な魂』

 あんなおそろしい存在、もう二度と会いたくない。が、彼がそう言うのならば自分たちはいずれ再会するのだろう。

 その時には、けっして今日のような無様な姿は見せまい。

 どんなにおそろしくても、逃げ出したくても、だ。

 脆弱な魂には脆弱な魂なりの矜持というやつがある。

「ぜんぶ思い通りになるなんて思うなよ」

 天つ神も、玉兎も、鬼薬師も、だ。

 ふんっ、と気合を入れ直した暦を見て、隣の幸路が目を丸くした。

「え、コヨ、元気だねぇー」

「ちょっと闘争本能に火がついただけ」

 そう言い放つと、暦は鬼薬師に駆け寄って軽く胸にパンチを入れた。

 怪訝そうに眉をひそめた彼に、言い放つ。

「今日はありがと」

 皮肉げに唇をつり上げた彼が何か言うより早く「でも」と改めて宣戦布告する。

「賭けはぜったいわたしが勝つから」

 天つ神からは逃げ切ってやるし、玉兎のことは必ず捕まえてやるし、鬼薬師との賭けには勝つ。

「それは、たのしみだな?」

 思ってもいないのだろう返事に、いーっと歯を見せる。

 蟻の穴から堤も崩れ、雨だれだって岩をうがつ。

 今のうちに余裕ぶっておくといい。

 暦はぜったいにあきらめない。

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