第4話 転

 剣はミノリの胸をまっすぐ地面に縫い留めた。

 びくん、と彼女の身体が大きく跳ね、そのまま弛緩して地面に横たわる。ずっと続いていた痙攣も止まった。

 こちらを向いた顔の中、うつろだった目が、ゆっくり動いて、こちらを見た。何かを訴えるように揺れ――光を失う。

 死――不可逆の、静態。

 反射的に手を伸ばそうとしたものの、もう何もかも遅い、と思えば力が入らない。

 どうして、なんで、これがミノリのあるべき姿だというのか。

 こんなの、あんまりだ。

 少年が剣を抜くと同時に、ミノリの身体はどろりと黒い塊になって溶け、地面に焼き付いた影のように染みをつくった。まるで、最初から彼女なんていなかったかのように、彼女のすべては消えてしまった。

 先ほどまで大気を震わせていた彼女の叫び声が消え失せ、あたりは痛いくらいの静寂に包まれる。剣を手にしたままほほえんでたたずむ少年、緊張感をみなぎらせて少年を警戒する鬼薬師、青い顔で硬直する幸路、尻もちをついたまま呆然としている守家――誰も物音ひとつ立てない。すべてが夢の中の出来事のように遠い。

 そんな中、たぷん、と水面が揺れるような音が唐突に響いた。音の出どころを探って視線を巡らせた暦は、それを見つけてよろめく。

 ミノリの身体が作った黒い染み。地面に広がるそこからにょっきりと白い腕が天に向かって伸びあがっている。続いて肩が、その一本の腕が水面から身体を引き上げるように地面に腕をつく。

「ぷはっ」

 潜水から上がった人がするように、現れた頭がおおきく息をする。もう片方の腕、豊かな胸、なだらかな腹、くびれた腰、どちらかといえば大きなお尻、ちいさな膝頭に向かって美しい曲線を描く太もも、ほっそりとした下腿――順繰りに現れる裸体は白く輝き、神々しくすらある。あえて言うならば、生まれたての――新しい力に満ちていた。

 完全に全身を地上にあげた彼女は、地面につくほどに長い黒髪をふわりと揺らした。それだけで先ほどまでミノリが着ていたのと同じ装束が彼女の全身を包み、黒髪は結い上げられる。

 顔は、ミノリとは似ていない。先ほどまでのミノリよりずっと美しく、庇護欲をそそるような無垢さを持つ――それなのに、どこか妖艶な姿。

 これが、新しい「ミノリ」。

 ふわり、と華やかな笑みが彼女の顔に浮かぶ。

「叶えなくっちゃ」

 開口一番、うれしそうに「ミノリ」はそう言った。

「わたしはそういうものだものね」

 歌うように、彼女は続ける。

「大切なあの人が不幸になりますように、みんなが病気になりますように、努力がすべて無駄になりますように、どうかこの子が無事に生まれて来ませんように――みぃんな、みぃんな叶えてあげなくっちゃ! だって、祈られたんだもの。願われたんだもの。わたしは、そう望まれたんだもの!」

 くるり、と踊るような足取りで身体ごとこちらを振り返り、にっこりと笑う。

「わたし、行くわね。じゃあね、暦、薬師」

 名前を呼ばれ、びくりと身体がおののく。確かに彼女の中には暦との記憶がある、という事実に打ちのめされた気がした。継続した記憶が同一存在の証明だとするなら、彼女は確かにミノリなのに、目の前の存在はどうしようもなく「ミノリ」であってミノリではない。

 落ち着いたらまた会いましょう、と言い残して、弾むように一歩踏み出した彼女の姿はどぼん、と水に落ちたように地面に吸い込まれて消えた。

 わたしは、そういうものだものね。

 彼女の言葉が暦の頭の中をガンガンめぐる。

 違う。彼女は「誠のある言葉を好み、寿ぐ言霊の神」だ。

「ミノリに、何をしたの……?」

 潰れたみたいに重く感じる喉をこじ開け、現状のすべてを唯一理解していそうな相手に訊ねる。

 水干姿の子どもは暦がしゃべったことにわずかに驚いたように目を見開き、すぐに張り付けたようなほほえみを顔に浮かべた。

「そうですね、彼女にしたのはすこしばかり記憶をいじって、わたしを自分の侍童なのだと錯覚させたことくらいです」

「……ミノリ以外には?」

 彼女にしたのは、という言い方にひっかかりを覚えて問いを重ねる。

「耳ざとい方ですね」

 ふふ、とわざとらしい笑みを浮かべた相手をにらみつける。

「でも、たいしたことはしていませんよ。ヒトの子に噂を流し、少しだけ彼らの願いを叶えてあげたことくらいで」

 十二年前の神祭が終わった時点で、この集落にミノリの正しい由緒や祭りの作法を知る者はほとんどいなかった。わずかな知識を継いでいた老人たちも数年のうちにこの世を去った。だから、この社に祭られている神さまの俗称は「サカゴトさま」なのだと、祈るときには本当の望みと逆のことを口にするのだと、噂を流した。噂に従って祈った人間の願いをいくつか叶えてやった。

 それだけで、数年も経たずにここは「サカゴトさま」の社になった。

「彼女が産み落とす新しい彼女は当代の彼女に捧げられた言霊によって存在を定められるんです」

 そこに秘められていた本当の望みではなく、言霊によって、だ。

 十二年前に生まれたミノリは、「サカゴトさま」と呼ばれて以来ずっと呪いのような言葉を捧げられてきた。そうして生まれてきたのが、先ほどの「ミノリ」。

 これまでの「ミノリ」が誠のある言葉を好み、寿いできたのは、人々が彼女に誠ある言葉を捧げてきたから。

 彼女の在り方は「捧げられた言霊に応える」、単純にそういうことだったのだ。

「あなたたち定命のものは、目先の利益ばかり求めて、簡単に忘れてはならない多くの事柄を忘れてしまう」

 どこか嘲るように彼の唇がゆがんだ。

「ササラでなくとも言霊の力だけは誰もが宿している、という当たり前のことですら」

 自分たちがずっと祭ってきた神の本当の姿を忘れ去った。

 呪いの言葉を吐き続けて、ミノリを苦しめた。

 新たな「ミノリ」を呪いの化身として産み落とした。

「彼女は、次の自分がどうなるか知っていました。だから、いじましくも代替わりをなるべく引き延ばそうとしていたんですよ」

 ヒトが忘れ去っても、ミノリは忘れていなかった。

 ヒトが無邪気に彼女を虐げても、彼女はヒトを守ろうとした。

 彼女が、そういうものだったから。

 それは、なんて――。

「むごい」

 つぶやいた暦に少年の姿をしたものは嗤う。

「それは、何に対しての感想ですか?」

 ミノリの在り方についてか。

 ずっと自分たちを見守ってきた彼女を忘れた人間についてか。

 それとも、忘却せずにはいられない人間と、決して在り方を変えることのできない特異存在との間に生じるすれ違いについてか。

 もちろん、そのすべて――ままならぬ自分たちや世界に思うところがないわけではないし――。

「あなたは、どうしてそんなことをしたの」

 震えそうになる両手を握り込み、目の前の「何か」を見据える。

「あなたは、どうなるか知っていた。知っていて、そうしたのでしょう?」

 集落の人々の行動を誘導し、実在しない「サカゴトさま」を生み出した。ミノリの最期と、新しい「ミノリ」の誕生に干渉した。

「おや、自分たちの責任をわたしに転嫁しますか?」

 薄ら笑いを浮かべた彼に暦はおおきく首を横に振る。

「違う。確かにわたしたちが忘れなければ、『ミノリ』は人に寄り添う神でいられた。〝彼女〟も、きっとそれを望んでた」

 彼女と人間の蜜月の終わり、その決定打は人間が打った。その責任は、確かに人間の側にある。

 でも――。

「でも、あなたに、なんの責任もないと?」

 遠くない未来、いずれ人間に存在を忘れ去られ、祈りの言葉も捧げられず、「ミノリ」はそもそもの淵に澱みまどろむだけの存在に戻ったかもしれない。

 それと、「サカゴトさま」として集落の人々の信仰を集める彼女と、どちらが彼女の幸せだったかなど知ったことではない。

 ただ、どんな未来が「ミノリ」に降りかかるのだとしても、それは「ミノリ」と彼女に祈りを捧げる人間の選択の上に導かれるはずだった。

 こんな、どこの何とも知れぬものの干渉によるものではなく。

「わたしの責任、ですか?」

 彼はわざとらしく目を見開き、はははっと声を上げて笑った。

「おもしろいことをおっしゃる」

「冗談を言ったつもりはないんだけど?」

 自分の言葉がすこしも彼に響いていないのを感じる。

 目の前の存在はきっと、鬼薬師よりもずっとずっと強い。もしかすると、玉兎よりもずっと。恐ろしくないはずがない。膝は震えそうだし、指先は冷たくこわばっている。彼に向かってひとことひねり出すだけで全身から気力がごっそり削られていく。それでも、こちらのことを歯牙にもかけぬ彼の態度が腹立たしくて、憎たらしくて、暦は腹に力を込めると前に立っていた鬼薬師の脇をすり抜け、ぐっと彼に向かって一歩踏み出した。

「なんの権利があって、こんなこと――」

 いらだちのままに相手の胸元をつかもうと右手を伸ばして――。

「やめろっ」

「思い上がるなよ。定命の、我らの似姿でしかない泡沫が」

 鬼薬師の制止の声と、目の前の存在から放たれる気配の変化に背筋が粟立つ。

 化けの皮がはがれるように――もしくは 何かが新たに彼を塗りかえたように。

 とっさに腕を引こうとしたのだが、間に合わなかった。

「え」

 ごっ、と強くにぶい衝撃を受けた、と感じた瞬間、伸ばしていたはずの自分の腕が宙を舞うのが目に映る。一拍遅れて熱が、続いて筆舌に尽くしがたい痛みが腕のあった場所から全身に走る。

「――――――かはっ」

 噴き出すように流れ出る赤が足元に広がっていく。目がかすみ、耳の奥でどくどくと心臓の音がうるさく脈打ち、全身から力が抜ける。そのくせ痙攣が繰り返し起こり、そのまま血だまりへ倒れ込みそうになったところをあわてて駆け寄って腕を差し出してくれた鬼薬師に抱きとめられた。彼が身にまとった作務衣に、血がべったりとついて広がっていく。

 鉄くさい匂いも、腕から流れ落ちる生温かくぬめぬめとした液体の感触も、全身の末端から冷え切っていく感覚も、ひどく不快だ。

「コヨ!」

「吠える相手は選べ、馬鹿者が!」

 幸路の悲鳴も、鬼薬師の罵倒も、耳鳴りのせいでよく聞こえない。そのくせ、少年姿のそれの声だけは通って聞こえた。

「この世をどうにかする権利を持つのは、わたしたちだけだ」

 暦の腕を斬り飛ばした剣を振って血を払うと、少年姿のそれは淡々と告げる。

 激高しているわけでもなく、逆にひどく醒めきった声音で。

「それすらも地上のものは忘れ去ったのか」

 手を伸ばし、地面に落ちた暦の腕を持ち上げ、ちいさくため息をこぼす。

「脆弱な魂ゆえに肉をまとわせ安定させたというのに、肉をまとわせたがゆえに忘却と死にとらわれるとは」

 嘆きの言葉とともに、彼の手の中にあった暦の腕はさらさらと白銀の砂になって宙に舞い散った。

 返り血の一滴すら浴びない清らかな姿のまま、目を細めて白銀の砂のさらわれていく先を遠い目で見つめる。

 きれいだな、と浅い息を繰り返しながら暦はそれをぼんやり視界にとらえる。

「どうにも救いがたい」

 ぽつりとそうつぶやいた彼の横顔も、美しかった。どこか、ひりつくような悲しみをたたえていて、それがどうしてだか、きっと自分には理解できないことがやはり腹立たしかった。

 だから、暦は――。

「救ってくれなくたってかまわない。わたしたちは勝手に生きていくもの」

 ぐっと奥歯を噛み締め、憎まれ口をたたく。

だって、わたしたちのことなんてどうでもいいくせに」

 鬼薬師のあきれたような視線に「なにか?」と同じく視線で言い返し、自分の作った血だまりに手をついてまだうまく力の入らない身体を起こした。

 斬られた右腕のあたりがじんじん痛むが、そこにはもう。身体の痙攣も収まったし、目のかすみも耳鳴りももう消えた。冷え切った身体も、もう少しすればもとに戻るだろう。

 暦は変若水を飲んだ、不老不死。

 どんな致命傷も理を無視して治癒――否、元の状態へと戻っていく。

 痛みは痛みとして存在するが、腕を切り落とされるのだって。さすがにここまでの大怪我になると、瞬きの間に回復する、というわけにはいかないのだが。

「まだそんな口が利けるとは、ずいぶんと頑丈な――」

 少年の視線が暦の顔から腕へと移動して、また顔に戻ってくる。ぽかりと口を開け、目を見開き、純粋な驚愕をあらわにする姿は見た目相応に幼く見えた。

 別に暦の手柄ではないのだが、彼にそんな顔をさせたことに得意げな気分が湧かないでもない。

「おまえは純粋なヒトの子のようだが、その身に宿っているのは変若の力か」

 目をぱちくりと瞬かせ、自問自答するようにゆっくりとつぶやいているが、口にしたのは問いではなくただの自分の中での確認作業のようだ。

 定命のヒトには過分なものだとでも言いだすだろうか、と身構えた暦だったが、彼の反応は予想もしないものだった。

「変若水を、与えられたのか――当然、あの子に」

 何かを噛み締めるようにつぶやいた表情に、隠しきれない喜色がじわじわとにじむ。

「なるほど。なるほどなるほど。はははは、そういうことか!」

 張り付けたものではない笑みを浮かべ、興奮した調子でうなずいているが、何がそれほど彼を喜ばせたのか暦にはわからない。

「あの子」と彼が呼ぶのは、おそらく玉兎のことなのだろうが――どれほど玉兎の情報が欲しかろうと彼に玉兎のことを訊ねるのは何かまずいと本能が告げている。

 こんな危険な感じの知人がいるなんて聞いていない。またひとつ、玉兎に再会したら問いただしたいことができてしまった。

 ほんとにあの養父は。かんべんしてほしい。

「やっと理解した」

 まだ頬は興奮の名残に上気したままだったが、少年の表情は先ほどまでの張り付けた笑みに戻っていく。

「最初からおまえを押さえておくべきであったのか」

 ずいぶんと遠回りをしてしまった、とため息をこぼし――。

「あの子は、おまえがいるからわたしの元へ戻ってこない。逆を言えば、おまえがわたしの手中にあれば、いやでもわたしの元へやって来る」

「ちょっと意味わからないこと勝手に言わないで――」

 不穏な空気を感じて、暦はじりじりと彼から距離をとったのだが――。

「変若水を飲ませてあるのなら、少しぐらい乱暴に扱っても壊れないだろうな」

 彼の手に握られたままだった剣が重さを感じさせない動きで迫ってくる。先ほどの払う動きではなく、こちらの胴を刺し貫く動きだ。

 連続であれだけの痛みを受けるなんて冗談ではないのだが、不老不死であること以外、暦はいたってふつうの人間だ。あんな早い上に的確な動きで迫られては避けられそうにない。

 ぎゅっと全身をこわばらせて痛みの衝撃に耐えようとしたのだが、横から伸びてきた腕に腰を引き寄せられたことで剣先から逃れる。そのまま腕の主――鬼薬師に抱き寄せられ、腕の中にかばわれた。

「触れるな」

 獣が威嚇に用いるうなり声のような、低い声で鬼薬師は告げた。

「これは先約済みだ」

 空振りした剣を引き、少年はちいさく首をかしげた。

「きれいに半分に割いたら、ふたつにわかれて再生したりせぬのか?」

 ずいぶんとこわいことを言ってくれる。

 ぞっとして顔をゆがめた暦を見て、「冗談だ」と彼は肩をすくめた。

 冗談を言っている雰囲気じゃなかったくせに。

「あの子のお気に入りを殺すつもりはないのだが、ゆずる気がないのならば仕方ない」

 首をかしげ、ひゅおっひゅおっ、と剣を数回素振りして構え直す。

「忠告は先に済ませてあるゆえ、遠慮なくゆくぞ」

 邪魔をしなければ、何もしない。

 それは裏返せば、邪魔をするのならば安全は保障しない、ということだ。

「……鬼薬師」

 つい、無意識のうちに自分の血の染みた鬼薬師の作務衣の胸元を握りしめてしまった。それに気づいて、あわてて手を放す。

 本当なら、鬼薬師が暦のために危険を冒す必要などない。賭けをしている、とはいえ、互いの命が失われれば賭けだって成立しないのだ。そしてこの場合、死ぬのは鬼薬師だけ。

 暦に、彼にすがる権利はない。

 それなのに――ちらりとこちらを見下ろした鬼薬師は、安心させるように暦の腰を抱く腕に力を込めた。当然のように、こちらの身体を痛めつけないように気をつけつつ。

 この場をもっとも穏便におさめるには、暦が目の前の少年の形をした存在に従えばいい。もちろん、暦自身、こんな得体のしれない相手に身をゆだねたいとは思わないけれど、そうすれば誰も傷つくことはないだろう。

 鬼薬師だって、それはわかっている。それでも、彼は暦がそうすることを認めないだろう。

 暦の安全が確信できないのならば、彼は絶対に引かない。

 腹立たしいくらいにやさしく、お節介であるがゆえに。

 彼は強いけれど、たぶん、目の前の存在には勝てないのに。それを、彼自身確信しているはずなのに。

 では、どうすればいい。

 このままでは彼を殺すことになってしまう。

「……愚か者どもめ」

 つぶやいた少年がこちらに向かって踏み込んでくる。剣先の軌跡が傾き始めた陽の光を反射してきらきらと輝く。

 恐ろしいけれど美しい。でも、見惚れているわけにはいかない。

 脳をこれでもかと言わんばかりに稼働させ、活路を探す。

 不老不死になって、すこしだけできることが増えようと自分はやはり無力で、状況を一変させる力など持っていない。でも、あの頃――雪の中、家に帰りたくなくてたたずむばかりだった頃――には気づけなかったことを、自分はいくつか知っている。

 無力を嘆くより先に、やるべきことはいくらでもあること。

 自分が動くことで、何かが変わることもある、ということ。

 そして、自分がひとりではないこと。

 ひらめいた考えに間髪入れず飛びつく。

「ゆきっ」

「幸路!」

 同時に鬼薬師も彼を呼んだ。

「開いて!」「道だ!」

 とっさのことに彼が反応してくれるかがいちばんの賭けだったが、さすがに暦より現場経験が長いだけのことはあった。

「わかってる!」

 その返事に、とっくに準備は整っていたのだと気づく。あとは最適なタイミングを計っていただけで。

 がぱり、と地面が口を開き、暦たちを呑み込む。

 ハザマ道。

 先ほどこの場から消えた「ミノリ」が使ったのはハザマ道だったはずだ。彼女は自力で時空間を捻じ曲げられるほど強力な特異存在ではない。

 一度中に入ってしまえば、そこは時間も空間も縦横無尽に交錯する異空間。同時に入らなければ、追尾は不可能に等しい。

 目の前の圧倒的強者からの、唯一の逃げ道。

「まぁ、よい」

 閉じていく地面の口の向こう――狭まっていく視界の中、少年がつぶやくと、握られていた剣はふわりと空間ににじむようにして消え去る。

「いずれ、またまみえるだろうからな」

 確信した口調で言って、うっすらと笑う。

「そのときは自ら名を名乗るがいい、命の定めを外れた――されど脆弱な魂」

 美しいけれどもおそろしい笑みが目に焼き付いたところで、道の口は完全に閉ざされた。

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