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「ねぇ、貴方名前はなんて言うの?」

「名前? 僕の?」

「……他に誰が居るのよ」

「いやぁ、まぁ。そうだけど、周りに沢山人居るし」

 と、少年は言った。

 それは煙の多い町を、ほんの一瞬。

 日が差す時間帯。

 正午より一時間ほど過ぎた頃のことだった。

「……意地悪ね。私、外に出るのは久しぶりなのよ?」

 少年の言葉に、少女は頬を膨らませながら応える。

 歩きながら、彼の手を、とりながら。

 少女は歩いていた。

 長らく出なかった施設の外で。

 コンクリートで創られた道を。

 靴底を鳴らしながら、道すがら開かれている露店を見ながら。

 少女は初めて目を輝かせながら歩いていた。

 呼称二号である義足は彼らの目論み通り彼女を歩かせることが出来た。とは言え、ゆっくり。生まれたての小鹿のようにしか、歩くことは叶わなかったが、それでも目的が達成された。そして今彼女が履いているのは五号目の義足で。

 彼女は全身を白に染めたまま。

 長い黒髪を揺らして。

 義足を布で覆い隠したまま。

 町に出向いている。

「名前教えなきゃいけない?」

「不要か必要で言われたらどちらでもないわ。でも、貴方としか呼べないのはいざと言うときに不便なものでしょう?」

 露店に売られている真っ赤な林檎の香りを嗅ぎながら、少女は言う。

 彼女の脚は義足だった。とても強靭で、真っ黒で。細く、華奢な脚。重く、鈍い光沢を放つ造られた偽りの脚。

 少女は新たに付けられたばかりの義足を履いて、外の世界を五年ぶりに歩いていた。

「んー……」

 その付き添い人として隣を歩く少年は義足の製作者。技術者だった。

 真っ黒な服で全身を着飾った少年。

 歳は一四歳。天才と呼ばれる子供・・

 ドールの問いに彼は悩んだ末に答えた。

「んー、施設の人からは『マスター』って呼ばれるね」

「マスター?」

「そう、義足を造るから『マイスター』、巨匠や名工。そんなあだ名から転じて『マスター』なんだってさ」

 少女が顔を近付けた林檎を手に取って、マスターと自らを称した少年は商人に硬貨を渡す。

「……本名は?」

「…………教えなきゃ駄目?」

「やなの?」

「いや、別に嫌なわけでもないんだけどさ」

 と、少年は林檎をドールに渡す。

「ん、ありがとう」

「ところで、林檎好きなの?」

 話を反らすように、少年は続ける。

「覚えてないわ。ただ、香りが良いな。って思っただけよ。食べ方も、正直わからないわ」

 少女はそれが彼の策略だとも気付かぬまま、応えてしまって。会話が切り替わってしまう。

「え? 本当に?」

 その言葉に、マスターは驚いた。

 一〇歳になる少女。あまり笑顔を見せないことから、ドールと呼ばれている義足を履いた少女。そのドールが林檎を知らないと言うものだから、マスターは驚いて彼女を見た。

 以前と違ってよく表情を見せるようになったドールは、不思議そうにマスターの手から渡された林檎を見る。

「マスター。私、五年も施設に居たのよ? 貴方が思ってる以上に知らないことの方が多いわ」

 と、ドールは自分の無知さを恥じることなく。

 目を丸くさせ、町中の物を見渡す。

「それも知らないし、あれも知らない。この、林檎って物も、何かわからない。でも、隣に並んでいる葉は食べたことがあると思うの。だから、食べ物なんだろうって予想はできるわ」

「……ほんと、君は頭が良いね」

 同年代に比べて達観している面と幼い面を併せ持つドール。

 彼女にとってこの町にあるものは、目に写るもの全てが知らないものだった。

 両脚を失ってからの五年間。

 ずっと施設に閉じ込められていたから、無知なまま言葉だけを知って。

 文字も知らぬまま成長したドール。

 昼下がりの町を、一歩踏みしめるように歩く少女。

「あれから文字もだいぶ覚えたから、今ならお店の看板とか読めるでしょ」

 と、マスターが指差すモノを見てドールは目を細めた。

 書かれているのは『宝石』と言う文字。

 ドールは熟考した後に、それを口にした。

「……たから。いし。…………むぅ」

「ははは、一語ずつしか読み方はまだわからないか」

「大きな進歩よ。たぶん聞いたことのある言葉なのはわかる。でも、私にはまだ読めないみたいね、答えは?」

「『ほうせき』、君の義足にも実は使われてるよ」

 と、マスターは得意気に答える。

 相変わらずの仏頂面で、声の抑揚と目の輝きだけを跳ねらせて宝石屋にある一つの石を手に取る。

「これ。僕も宝石には詳しくないけど、どうやらこの石が一番神経の伝達を伝えるのが良いみたいでさ。なんでも、性質的に電気を通すらしい」

 表面を黒で覆われた紫色の石。

 それが自分の義足に使われていると聞いて、少女は自らの脚を見る。

 他人に見られるとまずいからと、布で覆い隠した義足に目をやる。

「大部分を占めてる黒じゃなくて、義足中を走るラインのところだね」

 義足を履くようになって。

 彼が、少女専属の支えになってから受けた話。

 この名前のない義足は血鉄けってつと言う特殊な金属を用いて造られていた。

 色は黒だが、血のように粘りけのある流体の鉄。無数に集まった砂鉄と言うわけでもなく、かといって形ある金属でもない構成が謎に包まれた流鉄。その強度は異常に高く、衝撃に強い。世界のどの金属よりも強靭な金属。

 それを熱し、打ち硬め、成形したものがこの義足だった。

 ドールはその説明を受け、全てを理解した訳ではなかったが、技術者である彼が造る義足だからと技術も、物も疑わず履いていた。

「……この色、どうにかならないの? 私、青の方が好きなのだけれど」

「あるのかなぁ。……宝石屋、この石ってさぁ」

 と、マスターが店主と話し始めたところでドールは少し離れた。

 そして町を見た。

 賑わい、栄えた町を。

 華のある、町を。

 子供が元気に走り、それを大人が叱る様子。

 少女はそんな光景を目に写しながら、少しばかり歩いた。

 特に目的もなく、屋台や八百屋。花屋なんかを見て、ドールは足を止める。

「……あの花。もしかして」

 少し前、マスターがくれた花。

 アマリリスと言った香りのない花。

 それがあるのではないかと、無意識に足が向いて近付いてしまう。

 すると、

「いらっしゃい! あれ? 見ない顔だね、旅人かい?」

 そう明るく元気な少女の声が聞こえてくる。

 珍しい赤毛の少女だった。

 腰くらいまで伸ばした、ドールより背の高い少女。

「え、あ。いや、その……」

 ドールは答えに戸惑う。

 施設から外出許可を貰った時に言われた「施設に五年居ることを言ってはならない」と言う言葉を思い出したから。

 ドールは考える。

 「たびびと」とは何を意味する言葉なのか。

「んー? 珍しい格好だね、全身白い服で脚まで覆っちゃって。まるで患者さんみたい」

 考える。思考する。

 立て続けに問いかけられる言葉に戸惑いながら、脳を働かせながら。

「えぇっと……」

 しかし、施設の人以外。それも主に義足を造った少年と以外言葉を交わしたことのないドールは、どんなに思考を巡らせても。瞬きしても答えは出てこない。

「……お嬢ちゃん? ええっと、林檎を抱えたまま固まってるけど大丈夫?」

 戸惑いが感染し始める。

 花屋の少女が固まっているドールを見て、慌て始めたところで見知った声がドールの鼓膜を刺激する。

「おーい、青色の石あったよ! 今度これで造り直……ん?」

「マスター……」

「どうしたんだ? こんなところで固まってさ、花屋で何か――」

 と、慌てた様子の少年が近付いてきたところで。

「……ローワン?」

 赤毛の少女が。

 彼の名を呟いた。

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義足の少女は夢を見る 川端 誄歌 @KRuika

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