赤龍王の旅立ち

◯三題噺

【赤色】【最高の剣】【矛盾】



「おう、りゅうんとこの、季じゃねえか!」

 馴れ馴れしく幼名を大声で呼ばれれば、ふだんは礼儀などあまり気にするつもりもない劉邦りゅうほうでもつい顔をしかめてしまうものだ。赤色の布地に劉の字が踊った旗、それから自分の後ろを意気揚々と付き従うはいの村の男どもを一瞥してから、目の前にやってきた小汚い男に向き直る。いつもと変わらないズタボロの衣服、あえて違いを指摘するなら、やけに大事そうにひと振りの剣を抱えていることか。

「おう、てい。俺らと一緒に決起しようってのか? にしちゃずいぶん身軽だが」

「おいおい、知ってんだろが。オラぁ足悪くしちまってるからついてけねえよ。たぁ言え、黙ってもいらんねえからな」

 わざとらしく足を引きずりながら、丁が劉邦のそばに歩み寄り、剣を差し出す。

「せめて、武器のひとつでもって思ってよ」

「おお、悪りぃな」

 どこでくすねてきやがったんだこいつ、などとはおくびにも出さない。どんな質の代物であれ、一本でも武器を抱えられるなら、それに越したこともない。そう思いながら手を伸ばすと、しかし丁は素早く剣を引っ込める。

「あ? 何だてめえ」

「誰がタダっつったよ、こいつあそんじょそこいらのなまくらじゃねえんだぞ」

 言うなり丁はさやを払うと、剣を真上に突き上げた。やや重い曇天の下、お世辞にも輝きを発する気配もない。目に見えて刃こぼれも認められる。確かに、そんじょそこいらのなまくらも驚くほどのぼんくらのようだ。

「知らざぁ見ろ、音にも聞け! この剣こそ干将かんしょうが鍛え、流れ流れて項燕こうえんさまの手元に収まり、しんのクソどもをバッタバッタとなで払った神剣よ! めぐり合わせ悪く項燕様は亡くなられたが、かのお方のたぎる思いは今でもこいつに宿ってる! わかるか季、本来ならおめえなんぞがお目にかかんのすら畏れ多い、最高の剣なんだぞ」

 片手で剣を掲げ、もう片手は劉邦の前に手のひらを突き出し、銭をせびる。見るからに入念な仕込みの上でやってきたことがわかる。

 劉邦は内心でため息をつく。とっとと斬り捨ててしまうのはたやすい。とはいえ、あまり軽々にひとを斬ったら、手下どもにも同じふるまいを取りかねない、とも思われるだろう。さて、どう追っ払ってくれたものか。

沛公はいこうどの」

 後ろからの声に振り返れば、荒くれどもの中にひとり、折り目正しく朝服を着込むものがいた。その後ろには、炊き出し用の大釜が数人がかりで担がれていた。あれは確か炊き出しの途中でヒビが入って使い物にならなくなり、どこかで銭に替えるより他ない、と話したような気がしたが。

 劉邦のいぶかりを察したか、男はちらりと大釜を見たのち、丁の掲げる剣を経て、劉邦に目配せをした。

「――! 手間ぁ取らせたな、蕭何しょうか!」

 役人、蕭何が頭を垂れるのを見るが早いか、大釜については劉邦と丁の間に運ばせた。変に乱暴に置いてしまってはひびが入っていることを悟られてしまう。ゆっくりと、丁寧に、地面に置かせる。口を下向きにし、その底面を上にして。

 突然のことに丁はやや身じろぎしたが、後退りについてはなんとか我慢できたようだ。

「お、おい季、何だこりゃあ」

「いやな、奇遇なもんだ。出かけしな、竈神かまどがみさんが俺の夢枕に立ってよ」

 できうる限り、にこやかに、朗らかに言ってやる。

「神さんがよ、こう言ってきたんだ。秦を倒すために出向くお前に、得難い味方が現れましょう。その者は宝剣を携え現れます、かの剣の鋭きこと、青銅なぞ綿毛のごとく断ち切ってしまうのです、ってな」

 軽く釜をなでた上、丁の掲げる剣に目を向ける。

「俺もまさかたぁ思ったんだよ。けどこんなに早く出会っちまえばよ。こりゃあ神さんが本気でお導きなのにちげぇねえ。そんな宝剣なら、こっちだって銭なんか惜しまねえよ。だからよ、丁。ちょっくら試し斬りさせてくんねえか?」

「は!?」

 劉邦が、ずいと一歩を踏み出す。

 笑顔は、よりわざとらしく。こちらからも手を差し出して。これまではなんとかこらえようとしていた丁だったが、ついには劉邦からの圧に負け、一歩を退いてしまった。

「ば、ばばば莫迦バカ言うんじゃねえ、銭が先だ」

「別に、大して変わんねえだろよ。なんならあとのが気持ちよく払えようってもんだ」

 もう一歩を迫ろうとしたところで、あえて歩みを止める。そうとも気づかず丁の後退は二歩、三歩。その顔はいつの間にやら脂汗にまみれていた。

 そして、四歩目を踏み出したところで。

「――っと、こここ困ったな! そそそそうやって聞いたら、とととたんに惜しくなっちまった!」

 丁はいそいそと剣を鞘に収めると、宝物を守るかのように抱え込む。

「わ、わわわりいな、季! おおお前らに頑張って欲しくねえわけじゃねえが、うちの守り神手放すのも、ち、ちちげぇよな!」

 五歩、六歩ともなるとだいぶ大胆な歩幅となった。そして回れ右をし、一目散に駆け出す。

 なんと、劉邦と話している間に、悪くしていたはずの足もすっかり治ったようである。良かった、良かった。

 丁が逃げ去ったそばから、劉邦の周りで爆笑と喝采が起こる。「お見事でした」と蕭何が呼びかければ、劉邦は思わず、唸る。

「ま、助かったぜ蕭何。追っ払うだけなら、そりゃ訳なかったがよ」

「それはようございました。こちらとしても矛盾むじゅんの逸話を持ち出されるかなと思っていたところに斜め上の説話を伺え、改めて口車の沛公のお手並みを堪能させていただきました」

 うやうやしくお辞儀をしてみせる蕭何に、しかし、どうにも劉邦としては合点がいかない。

「口車の、って。お前、まるで俺がそれしか能がねえみてえじゃねえか」

「はて、あながち間違ってもおりますまい?」

「なっ!」

 蕭何の返しに、辺りの爆笑が更にその度を高めた。

「蕭何てめえ、言うに事欠いて!」

 捕まえ、殴りつけてやろうとするも、服装に反し、蕭何は身軽に劉邦を避けてみせる。もっとやれ、いやむしろぶん殴られちまえ。周辺からは無責任なやじが飛ぶ。

 巧みに劉邦を躱しながら、蕭何は言う。

「勘違いなさるな、沛公。おまえさんのその口車こそが天下を狙える、そう思っちまってるから、みんなおまえさんについてきてるんですよ」

 そしていたずらっぽい笑みを劉邦に向けるのだった。



※三題補足

赤色:劉邦のシンボルカラー、転じて漢の色とも。

干将、項燕:すごい鍛冶師とすごい武将。そういう由来の剣だから当然すごい。それが本当なら。

矛盾:元ネタである『韓非子かんぴし』の逸話を引こうと思ったらストーリーに「あの逸話だと弱いですけど大丈夫ですか?」と言われてしまったため急遽差し替え。三題噺として弱くなってしまったけどまぁいいや。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る