小噺集
春秋戦国
泉下の再会
丘の教えは隣人に仁徳を施し、己が身に
丘は幾度となく言葉を変え、過ぎたるは猶及ばざるが如し、を伝え続けてきた。なれど子弟らはなまじ弁が立ち、知に優れるがため、よもや丘の言葉が、そのひとことめにのみとどまるべきものである、とは、思いもよらぬようであった。
丘は嘆じ、回に洩らしたものである。或いはこの身が国公に取り立てられ、大臣として名を馳せてさえおれば、彼らに虚飾への渇望を与えずに済んだのであろうか、と。
回は答えず、ただ穏やかな笑みを浮かべるのみであった。
その回が、ふいに死んだ。
流行病、とのことであった。
もともと身体がそう強くないにも関わらず、清貧の暮らしを貫いていた。衣食住のいずれをも満足に揃わぬような暮らしを、しかし回は楽しんでいたふうでもあった。
とは言え、師に先んじ、力尽きてしまうとは。
倦むことなく学びを楽しみ、歩み続けた回である。その行き着く先は、いかなるものであったことであろうか。
だのに、よもや病なぞに、その歩みを
丘は深く慟哭した。しばらくは子弟にものを教えられなくなるほどであった。
丘の身動きが取れぬうちは、教えることに長けたものが代理をなした。
とはいえ、いつまでも代わりを務めきれるものでもない。高弟のひとり、
回ぁ弟みてえなもんでした、あっしも悲しい。けど
由の言葉が、丘の胸に染み渡った。
顔を上げれば、そのひげむくじゃらの顔には、やはり涙の跡がある。とは言え丘と目を合わせれば、に、と笑う。丘も笑みを返すよう試みたが、うまく形作れたか、どうか。
聞けば由は、他の高弟らが丘のもとに押しかけようとしていたのを食い止めていたのだと言う。今ではない、時ではない、と。
では、由の言う、時とは何か。
これには丘も、大いに笑うより他なかった。
由は決してできの良い弟子ではない。
しかし、よく人を見、人の心のひだを見抜く。
弁が立つわけではないが、まっすぐに人の心を打つ言葉を放つ。
なるほど、これもまた仁の形なのだ。丘は心地よき嘆息をする。またひとつ、
学びとは、すなわちひととひととの交わりである。あらためて由の振る舞いを見、丘は得心を深める。ひとを改めようと試みるのであれば、そのひとが改めたい、と思わねばならぬ。自らの説き方では、それがやや頑なであったのやもしれぬ。
由の
予断は的中した。いや、的中しすぎた、と言ってよい。
魯の隣国、
栄達を果たした、と言えよう。同学らは、あるいは由を称え、あるいは由を妬みもした。やむなきことである、仁徳を基とした
好事魔多しとは、よくも言ったものである。
由の任用は、過去に類なきことであった。それもその筈、当時の衛公が、良くも悪くも先例に価値を覚えず、自らの耳目にのみ基づき、由を取り立てたがゆえである。
ならば、由の
丘が成し遂げきれなかった大願を、由が叶えた。
丘はそう喜んだ――喜ぼうと、した。
丘にもたらされたのは、散々に痛めつけられた、由の生首であった。
年少の先達を喪い、後事を託すに値するとさえ思え始めたともがらをも喪った。
丘の絶望たるや、筆舌に尽くし難きものであった。
丘のもとに集った、人士。
一言のもとに語らば、多士済々である。
特に語られるべきは、
抜きん出た知識と、当意即妙の機転は、卓抜、と称してよい。丘の暮らし向きが常に窮することもなかったのは、賜の尽力によるところが大きい。しかし丘は思う、賜のやり方には、その場しのぎの小手先芸が多すぎる。ならば、どこまで後事を預け切れようか。
別に語られるべきは、
思いを他者に伝えるには、おおよそ言葉を伴わねばならぬ。商の言葉を自在に操ること、丘をして舌を巻かしむほどである。しかし丘は思う、故にこそ商は言葉に溺れがちである。そこに振る舞いをも伴わねばならぬと気づけぬうちは。
息子の
やがて丘は病に倒れた。多くの弟子らが丘の寝床を囲み、涙にくれる。ひとりひとりの顔を眺め、嬉しくこそ思うものの、知らずと彼らの中に回の顔を、由の顔を探し求めてしまう。
ああ、吾亡きのち、吾が思いはいかなる伝わり方をしてしまうのか。吾が言葉は、後世の子弟らに何ほどのことを伝えようか。
一人ひとりに声を掛けながらも、彼らへの期待、彼らへの願いが、どこまで伝わりきったことであろうか。
彼方にて待つ両名は、いまわの際にまで迷い、悩み続ける吾を見て呆れるであろうか、苦笑するのであろうか。答えは、間もなくわかる。ならば、その再会をこそ楽しみとしよう。
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