夢森さんにはかなわない

四条藍

第1話

 容赦なく照り付ける日差し。木々の隙間から溢れる蝉の声が、今が真夏であることを強く実感させた。

 乾いた喉を潤すために、水滴が結露したラムネ瓶を勢いよく傾ける。転がるビー玉を避けながら、透明な炭酸を一気に飲み込んだ。


「あれ? 明智あけちくん?」


 店先から聞こえてきた透き通るような声へと意識を向ける。そこには見覚えのある少女がぽつんと立っていた。肩までかかる濡羽色ぬればいろの長髪と鳶色とびいろの小さな瞳に目が吸い込まれそうになる。雪のように淡い薄手のワンピースと水玉模様の小さな日傘が色白の肌に妙に似合う。身長はクラスの女子の中でもトップで、楚々とした振る舞いは同じ中学二年生とは思えないほどだ。

 都会から遠く離れたこんな田舎では滅多に見ないお嬢様のような風貌。

 名前は、たしか──


「えっと、転校生の……」

「うん、夢森純恋ゆめもりすみれ。よろしくね」

「珍しいね。こんなところに来るなんて」

「こんなところなんて言っちゃだめだよ。素敵な場所じゃない」


 相変わらず、不思議な子だ。

 容姿端麗でどこかミステリアスな雰囲気をまとう夢森さんに、クラス中のみんなが興味を持って話しかけたのが今から数ヶ月前。そんな彼女は、穏やかな返事をしながらも特有の誰かと仲良くしようとはしなかった。次第に話しかけられる数は減っていき、今では高嶺の花として孤高を貫き通しているように見える。

 夢森さんの言い方を真似るとしたら、なんでこんなところに転校してきたんだろうか。


「もしかして、明智くんのお店なの?」

「いや、おばあちゃんがやってる駄菓子屋をたまに手伝ってるだけ」

「そっか。いいなー」


 歌うように淡々とした感想を述べる。

 両手を後ろで組んでクルリと一回転しながら、店の奥の方まで覗き込んでいく。


「いいことないよ。店番は退屈だし」

「でも、お店の商品を自由に食べれるんでしょ?」

「さっきのラムネのこと? これはおばあちゃんからもらったんだよ。店番のお駄賃」

「なーんだ。残念」


 少しも残念そうじゃない涼しげな声色。じめじめした暑さの中で、彼女の周りだけが熱気を失っているかのように錯覚する。


「まあいいや、これちょうだい」

「はい。十円ね」


 すらりとした指先が掴んだのは小さな飴玉。素朴なサイダーの味で、包装されている袋の裏側に当たりの文字があればもう一つもらえるという嬉しいオマケ付きだ。


「ありがとね。そうだ、お礼に明智くんにだけ、いいこと教えてあげる」

「いいことって……?」


 袋から出した飴玉を口に含んだ夢森さんが、秘密を共有するように小さな声でささやいた。


「実は私、エスパーなんだ。だから、どれに当たりが入っているか分かるの」


 そう言って手にした袋を裏返す。そこにはこう記されていた。


『当たり』


「ね?」


 可愛らしく頬を緩ませながら、有言実行を果たした夢森さんが悪戯に微笑む。


「いや、偶然でしょ?」

「まあ明智くんがそう思うならそれでいいかもね」


 含みのある意味深長な言葉。オマケとしてもう一つを差し出すと夢森さんは幼い子供みたいに嬉しそうに破顔はがんした。


「何で分かったのか。気になって仕方がないって顔してるね」

「別に、そんなんじゃ……」

「じゃあさ、勝負しようよ」

「勝負?」

「うん。また買いに来るからさ。私が当たりを見分けられる理由を、明智くんが名探偵みたいにズバッと見破れたら、君の勝ち。そのときはそこのアイスを奢ってあげるよ」


 夢森さんは挑発的な瞳で僕をじっと見つめた。そこまで余裕綽々に言われると、こちらとしてもそのまま見過ごすわけにはいかなかった。


「その勝負、受けて立つよ」

「いいね、さすがは明智くん、探偵向けの名前だね」

「探偵? なにそれ?」

「有名な小説、知らないの? まあいいや。それじゃ、またね」


 店番の退屈しのぎにはちょうどいい。かくして、決戦の火蓋は切られたのであった。


 §


 夏の暑さは止まることを知らない。

 それから毎週、夢森さんは駄菓子屋に顔を出すようになった。

 買うのはたった一つ。当たり付きの飴玉だけだ。


「はい、十円だよね」

「今日こそは負けないから」

「はいはい。それじゃあ、一個もらうね。んー、これ!」


 夢森さんが透明な箱の中に手を伸ばす。いくつかのパッケージを吟味しながら、小さな飴玉を手に取った。

 現在の連続当たり記録は十回。さすがにここまで当てられると運がいいだけではないのは確かだ。

 買い終えるとそのまま店内の椅子に座って飴玉をコロコロと舐める。

 舐め終わってから当たりを提示するまでの時間にして約五分。その間に僕たちはお互いのことを知るために交流を深めていた。


「夢森さんって、東京から来たんだっけ」

「うん、そうだよ。お父さんの仕事の都合でね」

「……東京ってさ、どんなところ?」

「気になる?」

「僕、大人になったら、ここを離れて東京に行きたいと思ってるんだ」


 扇風機で涼んでいた夢森さんが、真剣な眼差しで僕を見つめた。彼女にしては意外なその表情に思わずドキッとさせられる。


「なんで?」

「だってこの辺、得に何もないしさ。退屈だし、つまんない」


 物心ついた時から、テレビに映る煌びやかな都会の街並みに憧れを抱いていた。

 ここはコンビニも隣町に一つあるだけで、娯楽施設と呼べるものはほとんどない。映画を観るために大きなショッピングモールに遊びに行こうとしても車で一時間はかかる。

 こんな愚痴は誰にも言ったことはなかった。でも都会から来た夢森さんなら、きっと同意してくれると思った。


 「つまらないのは、本当に周りの環境のせいなのかな?」


 機械から発せられたような感情の起伏のない言葉。否定しようにも、心臓が早鐘を打って声が上手く出てこない。


 「それは理由とは言えないね。東京に行くことが目的じゃなくて、東京で何をしたいか、じゃないかな。いつか見つかるといいね。明智くんがやりたいこと」


 夢森さんはそう言い残すと、飴玉を一つポケットに入れて店を出た。去り際にカウンターに置かれた当たりの袋が、生温い風に吹かれて僕の心のようにふらふらと揺れていた。


 §


 店番をしながら家の本棚にあったとある小説を読んでいると、視界の隅に夢森さんの姿が見えた。


「あ、江戸川乱歩じゃん。どう? おもしろい?」

「まだ半分も読めてないけど、好きかも」


 栞を挟んでぱたんと閉じる。客が来たからには真面目にやらないと、後でおばあちゃんに怒られてしまう。


「本はいいよね。どこにいても、誰が読んでも同じものを追体験できるんだから」

「夢森さんは、本好きなの?」

「好きというか、私一人っ子だから、家の中で本を読んだりゲームすることが多いかなぁ」


 学校で会話を交わすことはないけれど、ここでは友達みたいに話ができる。

 夢森さんと話すのは楽しい。

 夢森さんのことを知れて嬉しい。

 勝負に負けても飴玉が渡るだけで僕に損はないし、負けているうちは夢森さんとお喋りができる。

 だったら別に、勝たなくてもよくない? って、そう思ってしまった。

 そんな僕の思考を見透かすかのように、夢森さんは寂し気な声で話し始めた。


「まだ誰にも言ってないんだけどさ、お父さんの仕事が落ち着いたから、来月には東京に帰ることになったの」

「……それ、もう決まってることなの?」

「うん。だからさ、それがタイムリミット。もし君がこの謎を解決できずに敗北したら、これから飴玉を見る度にずっとモヤモヤしたまま私のことを思い出すの。明智探偵は、本当にそれでもいいのかな?」


 相変わらず、余裕のある笑みで僕に訊ねる。でも今日だけはその表情が、彼女なりの期待の裏返しに見えた。


 §


 勝ちたい、とこれほどまでに強く願ったのは、初めてのことだった。

 推理小説を読み終えた僕は、さながら自分が探偵であるかのように思考をまとめていった。

 灰色の脳細胞など持ち合わせてはいない。それでも、夢森さんが探偵役として見込んでくれたのなら、その期待に応えたい。

 まず一つ目の可能性は、外側から見分けられる何かがあるかもしれないということだ。角度次第で透けて見えるとか、袋の小さな色合いの違いで判別ができるかもしれないとか。真っ先に考えられることで、色々と試してみたけれど結果はどれも同じだった。

 二つ目は夢森さんがイカサマをしている可能性だ。例えば、別のお店から持ってきた当たりを、ここで当たったかのように見せているとか。とはいえ、この飴はかなり古い商品でこの辺りではもうここでしか売っていないらしい。

 こうなってくると、もう僕が考えられる選択肢はほとんど残っていない。

 夢森さんは本物のエスパーで透視能力がある?

 こんな回答では、きっと彼女はがっかりするだろう。

 かくなる上は──


「おばあちゃん、駄菓子の当たりってどのくらいの確率で出るの?」


 餅は餅屋なら、駄菓子は駄菓子屋に聞くのが一番だ。


「小さいガムとか飴なら十個に一つってところかねぇ。百円のアイスになると百個に一つとかじゃないかい?」


 アイスに比べると決して低い確率とは言えないが、やはり偶然で片付けられるほどではない。

 運だけではない。夢森さんは確実に何かを見ている。僕がまだ気づいていない何かを──


「夢森さんは、一体何を見ているんだ……?」

「おや? 夢森さんって、あのお嬢さんかい?」


 考え込みながら思わず漏れた声に、おばあちゃんが予想外の反応を見せた。


「知ってるの?」

「この辺りじゃ有名だよ。お人形みたいにべっぴんさんで、東京から来たんだってねぇ」


 良くも悪くも田舎は情報網がとにかく早い。そういうところが僕はあんまり好きではないけれど、今はとにかくどんな情報でもほしかった。


「いい子だよねぇ。優しくて、妹想いでさぁ」


 そうだろうか。少なくとも僕はからかわれてばかりだった気がする。言い返そうとしても、結局かなわなくて。でもそんな関係も嫌いではなかった。

 だからこそ、その違和感に気付くのに少しだけ遅れてしまった。


「妹想い……?」

「偉いよねぇ。本当にいいお姉ちゃんだよ」


 何かがおかしい。夢森さんは以前に言っていた。本やゲームが好きな理由は確か──


「おばあちゃん、その話詳しく聞かせて!」


 そのとき、遠く離れた点と点が、一本の線で結び付いた。


 §


 蝉の鳴き声は次第にコオロギへと変わっていく。

 永遠に感じられた夏が終わろうとしている。

 だから、その前に決着を付けてやるんだ。


「いつになく真剣だね。そんなに見つめても、何も変なことはしてないよ」

「今日こそは、犯行を暴かないといけないからね」

「ふーん、何か掴んだって顔だね」


 飴玉を舌先で転がす夢森さんから目を離さずに、そのときを待つ。


「残念。ほら、今日も当たりだよ。それで、何か分かったのかな?」

「うん。夢森さんは、エスパーでも何でもないってことがね」


 僕の強気な言葉に、夢森さんは小さく口角を上げた。まるで待ってましたと言わんばかりに。


「ポケットの中身、見せてくれるかな?」

「……」


 ポケットに手を入れた夢森さんが、見せつけるように両手を開く。

 左手には当たりの袋が、右手には外れの袋が乗っていた。


「おめでとう、君の勝ちだよ」


 喜色満面な笑みを浮かべる夢森さんが、初めて十円玉以外の硬貨を僕に手渡した。


「アイス二つちょうだい。一緒に食べようよ」


 §


「どれにしようかな。んー、これ!」


 店先のベンチに二人で並んで座る。もらったアイスに噛り付くと、柑橘系の酸味が口の中に広がった。


「それで、何で分かったのかな?」

「正直に言っちゃうとさ、お手上げだったんだよ。それで、おばあちゃんに聞いてみたんだ。駄菓子のことは駄菓子屋に聞くのが一番だと思ってね」

「なるほどね。それで、何か教えてくれたの?」

「当たりの見分け方はおばあちゃんも知らなかった。でも、代わりに夢森さんについて教えてくれたんだ」


 夢森さんは自分の名前が出たことに首を傾げる。そのまま僕の続きの言葉を待っていた。


「おばあちゃんがね、夢森さんのことを妹想いの優しい子って言ってたんだ。おかしいよね? 夢森さん、前に自分は一人っ子って言ってたのに」

「……」


 そう、その食い違いが、僕にヒントをくれたんだ。


「聞いたよ。夢森さんがおばあちゃんの前でいっぱいの飴を買って帰ることも。そして、そのとき誰かにあげるのかと聞かれて咄嗟に『妹にあげるんです』と言ったこともね」

「あっ……」


 夢森さんが小さく声を漏らす。自分が犯したミスに気が付いたのだろう。


「それで分かったんだ。夢森さんは当たりが分かるんじゃない。沢山の飴を買って、その中の当たり付きの袋をさも僕の前で当たったかのようにすり替えていたんだ」

「……さすが、明智探偵だね」


 謎を解かれた夢森さんは、満足気な表情を浮かべて秋空を見上げた。

 でもまだ僕には分かっていないことがある。なぜそんな手の込んだことをしたのだろうか。


「何でこんなことを?」

「最初はさ、通りすがりの駄菓子屋で買った飴が当たっていることに気が付いたから、また後日に交換しようと思ってたの。そしたら君がいて、ついからかいたくなっちゃったんだよね。君のことは前から気になっていたからさ」


 気になっていたと言われても、僕と夢森さんは学校で喋ったことはなかったはずだ。


「君だけなんだよ。転校してきた私に、話しかけてこなかったのは」

「それは……夢森さんが、困ってそうだったから」

「やっぱり、分かってたんだ」


 皆に囲まれる夢森さんは笑顔を振りまいていた。それはどこか寂しそうで、表面上だけ繕っているように感じてしまったのだ。


「せっかく仲良くなっても、私はまた東京に帰ってしまう。だから、誰も悲しませたくなかったの。それでも、何か一つくらい記憶に残る思い出が欲しかった。君に勝負を挑んだのは、そんな理由だよ」


 緩やかに吹いた涼風が黒髪をなびかせる。そうだ、勝負は終わってしまったのだ。


「ありがとね。君にとっては子供の遊びかもしれないけれど、忘れられない思い出ができたよ」


 その声は不安になるくらい儚げで、目を離した瞬間にいなくなってしまうような気がした。


「……僕も連れてってよ」

「それはできないかな。だから、今度は明智くんが迎えに来てよ。大人になって、本当の探偵になってさ」

「探偵って、ならないよ」

「なんで?」

「別に、もう解きたい謎があるわけでもないしさ」

「ふふっ。じゃあさ、君の推理は外れてるかもって言ったらどうする?」

「……え?」


 夢森さんは食べ終えたアイスの棒を、ゆっくりと裏返す。

 そこに書かれていた文字は、散々僕を苦しめたものだった。


『当たり』


 おばあちゃんは言っていた。アイスが当たるのは百個に一つくらいだって。


「これは偶然? それとも私がエスパーだから? ねぇ、君はどっちだと思う?」


 背筋が凍るような魔性の笑み。そのとき、雲間から注ぎ込む光が夢森さんを照らした。


「答えは東京で聞かせてもらうよ。それまで、楽しみに待ってるから。ね? 明智探偵くん?」


 その横顔の眩しさに、僕はどうしようもないくらい惹かれていて。

 やっぱり僕は、まだ夢森さんにはかないそうもなかった。

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