最終話 欺く者への追悼を (3)



 その頃レアルは数々の魔法を駆使しながら、全力で森を抜けていた。ただ走っているわけではない。彼女と何を話そうか、警戒されているだろうか、でもどうしても伝えたいことがある……、と複雑な思いを整理していた。


 その雑多な想いの中でも、ただ一つ絶対に言わなければならないものというのもあった。



「大嫌い、でも愛してた」

「ありがとう」

「僕は君の前から消えるね」

「バイバイ」



 その四つのセリフを思いついた時、泣きそうになっていた。言いたいことがあるはずなのに、口の奥が痛くなって言葉が上手く吐き出せないあの感覚にも似ていた。


 それを言ったら、なあなあの関係も終わりになる。本当のお別れになる。自分勝手なお別れになる。


 散々な人生だった。今だって散々だ。でもこれが永遠だ。


 せめて、この恋だけは綺麗な思い出のままにしておきたい。大嫌いも綺麗な色になるように、うつくしく。


「うつくしく、か」


 虚しかった。ただ、海水を飲んでいるようだった。


 ◆





 太陽の光で目覚めた、そんな錯覚に陥っていた。

 実際には死ぬほど喉が渇いた夢を見て、苦しみながら目覚めたのだ。よくよく考えたら口は無いし、水分なんて必要ないのだけれど。人間の頃の感覚だろうか。


 シルリィはまだ寝ている。


 客室から梯子を使って下に降りる。そこにはクォーツェがいた。


「おはよう」


「おはよう、影の子。外に一人少年が座っている。ちょっと様子を見てきてくれ」


「少年?」


「あれは騙された子供だ。可哀想に」


「……?」


「狂人に人生を歪まされた子だ。そうだな……言えることは、その少年は欺く娘のかつてを知っている」


「……」


「ん? こう言えば興味を持つと思ったんだが」


「レアルかもな、と」


「ああ、レアル。聞いたことがある。哀れな少年だ」


「それで、どうしろと?」


「欺く娘に会うなんてあまりに危険だから、護ってくれそうな影の子に頼みたいだけだ」


 レアル。


 自分の中のイメージは最悪だ。シルリィを悪く言った、最低野郎。そして自分を侮辱し、シルリィに喰われたはずの男。


 色々聞いてみたいこともあった。同時に会いたくない感情もあった。


 でも、シルリィと真正面から向かい合うには必然だと考えた。


「行ってきます」


「ああ、ゲートを裏に開けよう」


 自分たちが入ってきた方向とは逆の方向に歪みを作る。そこから自分は外に出て、ぐるっと一周塔を回ろうとした。


 半周したあたりで、レアルを見つけた。






「ああ、やっぱり、ここに」



「変な喋り方はどうした?」


「僕、不老不死でさ、再生するときにそれごと治したみたい」


 不老不死か。まず一つ目の不思議を聞かずとも知ることができた。足だけ残されていたあの状況から、どう脱したのか気になっていたのだ。


「それで、ここには何の用で?」


「のろ……、いや、フェナクに会いたくて」


「フェナク?」


「……シルリィの本当の名前。彼女の前では言わないで」


 クォーツェがシルリィを「欺く娘」と呼ぶのも、この本名からきているのだろうか。それにしても、関連性が見当たらない。


「残念ながらシルリィには会えない」


「……まぁ、いいよ。わかってたし。でも、伝言だけは言ってくれない? もう会うのも、追いかけるのも最後にするからさ」


「伝言くらいなら」


「うん、ありがと」


 レアルは深く深呼吸してから、フードを外してこう言った。





「歪んだ心で愛してた。ごめんね、バイバイ」




「……って、ガラじゃないけど。よろしく」


 呆気にとられていた。


 何を考えようにも、その言葉の重みが自分のそれと比べ物にならない。不完全燃焼の愛である。


 大嫌いとか、不幸になれとか。自分の心の奥にある本当の感情の反対を伝える。歪んだ愛を永遠に燃やし続けて、燃やし尽くせなかった愛だ。


「それじゃあね、デュレイ。フェナクをよろしく」


 とても小さい声で何かを呟いたかと思えば、その場から消えた。

 彼の感情は計り知れない。


「……全部聞いていたぞ、入れ」


 クォーツェがゲートの内側から手招きをする。

 自分はそのまま入る、不完全燃焼の疑問を抱きながら。










「フェナクというのは」


「……少年の言っていた通り、欺く娘の本当の名前であり、私が欺く娘と呼ぶ理由でもある」


 何らかの由来が必ずあるとは思っていた。それが彼女の本名と関係していたなんて、想像したくもなかったが。


「……」


「欺く娘の親は一体どんな思いでフェナクと名付けたんだろうな、それだけが今も理解できない」


「そんなひどい名前なんですか」


「酷い名前ではない、だがフェナクというのは、とある石の名前だ。別名をフェナカイトという」


「はぁ……」


 石、鉱石だろうか?


「フェナカイトという鉱石名自体、遠い言語で『騙す者』や『欺く者』などという意味がある。どうしてそうなったかというと……まぁ別の鉱石に似ているからというだけの理由だ」


「シルリィの親は鉱石に詳しかったんだろうか……」


「いや、あんな村だ。恐らく何も知らずに付けたんだろう。そもそもフェナカイトという石自体、そこまで知名度が高いわけでは無い」


「……不服だったことが分かってよかったです」


「ああ、欺く娘と呼ぶことが気に喰わなかったのか?」


「そりゃあそうですよ」


「へっへっへ。若いなぁ」


 自分たちの話声に気付いたのか、シルリィが梯子から降りてくる。


「おはようございます。お二人とも」


「ああ、おはようシルリィ」


「おはよう、欺く娘。さぁて、朝食の準備でも……」





「少し待ってください」





「……⁉」


 聞かれていたか、これは聞かれていい内容なのか、どうなのか。自分には判断がつかなくて確実に焦っていた。


「フェナクというのは、昔の私の名前なんですね?」


「聞いていたのか。でもな欺く娘、それは……」


「私にとっては知っても何も変わりませんよ? ただ……知っていたのなら早く知りたかった……いや、知らなくて良かったのかもしれません」


「え?」


 自分の名前を知りたいというのは当たり前の感情だ。それが知らなくてよかったなんて、どうして——。


「だって、知らなかったからこそ『シルリィ』がここにいるんですよ?」


「っぱ。あっはっはっはっは。へっへっへ」


 笑いをこらえきれなくなったクォーツェが大声で笑い出す。


 こっちは笑い出すどころか、嬉しくて恥ずかしいというのに!


「笑いすぎです、クォーツェ様」


「だって、笑う以外に何がある! こんな風に若人の惚気を見せつけられるとは、へっへっへ! ああ、面白い!」


「クォーツェ様は放っておきましょう。この人は一度ツボにハマると中々笑いが止まらないんですよね」






 シルリィがこちらに近づいてくると同時に、自分の胸の中に飛び込んできた。


「フェナクのことは忘れてください」


「で、でも君の本当の名前なんだよ?」


「人間だった頃の名前がフェナクだっただけで、人喰いの私の名前はシルリィです。今の私はシルリィです。フェナクはもう、死んじゃいました」


 明るく「死んじゃいました」というシルリィに動揺を隠せずにいると、彼女は言葉を続ける。


「そんなに気に喰わないなら、死んじゃったフェナクを追悼すればいいじゃないですか。ああ死んじゃった、お祈りしてあげよう。みたいな感じで」


 この短期間で、彼女は単調な人間から冗談まで言える「人間らしさ」を習得していることに驚いた。


「追悼、か。名案だ」








 ——反対の愛と、欺く者。ここに眠る。










                      お終い

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追悼フェナカイト 星部かふぇ @oruka_O-154

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