命令

高黄森哉

反骨精神

 私は、ムキー、としていた。いまにも、憎しみのむき身が踊りだしそうだし。露出した憎悪は運転にも表れていた。アクセルペダルに力が滲む。まったく、なんなのよアイツ。

 

 アイツとは、勿論、会社の上司のことである。上司は、何かと私に命令した。それだけといえばそれだけだ。命令されたこと以外をすると怒られるため、必然的に命令されることが仕事の始まりになる。これが、どうも気に入らない。なぜ、命令されなければ、ならないのか。


 第一、あの禿頭が無駄に綺麗でムカつく。あんなところを磨いて何になるというのだ。眼鏡も、無駄にお洒落である。しかし、顔はというと、豚と大仏の合いの子のようだ。くそ、背中を押せば砕け散るに違いない。ハンプティダンプティだ。


 命令。命令は世に溢れている。マニュアルは命令文で書かれている。読むと途端に従う気が失せる。私は、どうしても迂回したくなるのだ。昨日なんか、左端を、ホッチキスの針で留めなければならない所を、わざと右端で留めてやった。


 びりっという音が会議中に響いた。右端から捲ろうとしたからだ。失礼な音を出した罪で、禿頭がビンタされる。それを見ていた若い青年は驚いて、びりっと資料を破いてしまう。禿頭の鬱憤は、青年のビンタに消化される。それを隣で見ていた重役がびりっと破いてしまう。重役は、青年のビンタをくらう。重役は、部屋の端っこまで吹っ飛んだ。それを見ていた少女は、びりっとする。ビリビリくるような光景だ。


 負の連鎖は、全員のほっぺたが落ちるまで終わらなかった。扉の隙間から見ていた私は、心のなかで、ざまを見ろとほくそ笑んだ。私に命令をするんじゃない。世の命令が気に入らない。いたわりが足りないじゃないか。人間を感じないし、まるで機械的だ。私に命令をしたもんは、ただじゃ置かないから。


 

 そんな精神状態の私の目に飛び込んできたのは、止まれの標識だった。止まれだと、私に命令するな。床まで踏み抜くアクセル。一段、車が沈み込んで急発進を見せる。私は止まらない。なにくそ、止まれだと。嗚呼、もうすぐ道の終わりだ。


 私が咄嗟に、ぶつかれ。と念じる。ぶつかれ、ぶつかれ、ぶつかれ、ぶつかれ。それは仕事の疲れからかもしれない。ふと死にたくなった。タナトス。さよなら現世、また来て地獄。


 信じられないことに崖は、たちまち二つに割れた。まるでモーゼになった気分だった。これはたまげた。私は、私すら、私に、命令出来ないようなのである。モーゼと言えば、そうだった、ここを越えたら、海だ。

 

 願わずにいられない、思考が狭まるから。もはや、それの他に何も思考できない。ただ願う、こういう風にだ。嗚呼、私、止まれ、止まれ、止まれ、止まれ、止まれ、止まれ、止まれ、止まれ、止まれ、止まれ。止まれが埋め尽くす。いや、止まれ以外にからっぽと化す。


わあああああああああああああああ!


 おお、わあ、わああ、わあ。


  わお、わあ。おおわ。

 

   わああわ、あわわ


    あわあわあわ


     泡、泡


      泡

      。

       。

      。

       。

       。

        。

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命令 高黄森哉 @kamikawa2001

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