訳あり物件、家賃564円

春海水亭

恐い間取り

◆◆◆


「家賃が極限まで安い物件……出来れば千円未満の奴を探しているんですが」

「ありますよ、564円の奴が」

「あるんだぁ」

 ドア・イン・ザ・フェイスという心理学的なテクニックが存在する。

 まず大きな条件を突きつけ、相手に断ってもらった後に小さな条件を突きつけることで相手に条件を承諾してもらいやすくなるというものである。

 新しい住居を探す家内いえないはその手法に乗っ取って、不動産屋に対して交渉の起点として絶対に無理な条件を突きつけたつもりであった。家賃が千円未満の物件、そんなもの存在するはずがない。しかし――目の前のふくよかな不動産屋はニコニコと笑いながらあると言っている。


「千円未満の奴を希望って言ってもアレですよ、建築基準法に基づいている奴で、公共施設の一部を占拠する形でもなく、電気ガス水道も使えて、風呂トイレ別の奴ですよ、俺が探してるのは。ルームシェアだってしませんからね」

「ご安心ください、それらのすべてを満たして5LDKで一戸建ての家賃564円です……ただ」

「ただ」

「事故物件なのですなぁ」

 事故物件――要するに、以前の住居者がその中で死んだ物件のことである。

 人間なぞ家に限らずどこででも死ぬものであるが、それでも自身の居住スペースに見知らぬ死体が転がっていたと思うと、気分が悪い。それで家賃を安くしてでも人を入れようというわけだが――それにしたって、564円は安すぎる。


「しかし564円というのは中々極端ですねぇ」

「まぁ、死んでますからね……その数九十九人」

「九十九人!?」

「記念すべき百人目の犠牲者ということで、せっかくなので極限まで家賃を下げてみようかな、と思いまして」

「もはや隠すこと無く犠牲者なんですねぇ」

「まぁ、最初に二人、三人、死んだ時は絶望しましたが、二桁超えると逆に面白くなっちゃいますからねぇ、もう次の入居者は何日生き残れるんだろうって賭けの対象にもなってますよ」

「捨てるを通り越して、倫理観をアスファルトに叩きつけちゃったんですねぇ」

「で、どうします?とりあえず見学だけでも」

 常識的に考えれば行くわけがないのだ。

 多少の事故物件ならば、へらへら笑って過ごせるだろう。

 だが、99コンボの心理的瑕疵が発生した事故物件は――もう事故というか、事件の匂いしか感じない。

 それでも、あまりにも安すぎる。

 そして、人間には自分だけは大丈夫であると――そう思ってしまう愚かな部分がある。


「ちなみに西日暮里駅から徒歩五分ですが」

「じゃあ、とりあえず見学だけでもお願いします」

 山手線圏内なら、九十九人死んでても行くだろう。

 かくして家内は不動産屋と共に、事故物件の見学に向かったのである。


◆◆◆


 西日暮里の生ぬるい風に皮膚を撫ぜられながら、徒歩五分。

 築三十年――年に三人と少しのペースで死んでいる事故物件はそこにあった。

 外観におかしい様子はない、近年では多少珍しい瓦屋根の木造住宅であるというぐらいである。ちょっとした庭もついていて、洗濯物を干すにも不自由はしない。しかし、死臭は隠せていない――否、隠す気もないだろう。

 漂わせる血と腐臭は近づくだけで健康被害が発生しそうである。


「どうです、日当たりも良いでしょう」

「正直日当たりとかどうでも良いですよ。よくも九十九人も住みましたね」

 口元を抑える家内に対し、不動産屋は平然としている。

 臭いを気にしていないのか、あるいは嗅覚が破壊されているのか。

 わかっていたことだが、尋常の不動産屋ではない。


「グェェェェーッッ!!!!!」

 窓ガラスが割れる音、それと同時に響き渡る悲鳴。

 事故物件の窓を突き破って、何かが家内達の足元に転がってきたのである。

 全身にガラスの破片が突き刺さったソレは――よく見ると人間であった。

 何があったのか衰弱しきっており、とても自身で窓を割ったようには思えない。

 内側の誰かが――否、何かというべきか、それがこの哀れな犠牲者を放り出したのである。


「……なっ!こっ、コレは!?」

 慌てる家内に対し、不動産屋は目を細めて冷静に言った。

「これは九十九人目の入居者の方……とっくに死んだものだと思っていましたが、生きていたんですね……」

「とっ、とにかく救急車を……!」

 言いたいことは山ほどあったが、それは後回しである。

 家内はスマートフォンを取り出し、救急に通報しようとしたが――瞬間、スマートフォンが爆発した。

 

「うわああああああああああああああ!!!!」

「どうやら事故物件の妖気にスマートフォンが耐えきれなかったようですね。こりゃ電化製品使えるかわかりませんな」

「そんなこと言っている場合ですか!!とにかく、この人を……!!」

 以前の入居者は担ぎ上げ、直接病院に運ぼうとする家内。

 しかし、以前の入居者は手でそれを制し、首を横に振る。


「オ、オレはもうダメだ……家賃一万円につられてこんな事故物件に住もうだなんて……間違いだったんだ……」

(……値下げの思い切りが良すぎる!)

 家賃一万円の言葉に、家内は不動産屋を見ながら心の中で思った。


「ア、アンタ……頼む!新しい入居者となって、この事故物件の呪いを……グェェェェーッッ!!!!!!」

 言葉を最後まで紡ぐことは出来なかった。

 以前の入居者の身体は爆発し、事故物件の心理的瑕疵の一つと化したのである。

 散らばる血と肉が男の敷金が帰ってこないことを何よりも雄弁に物語っていた。

 想像以上の事故物件である。


「……見学は十分のようですな」

 不動産屋が諦めたように言った。


「流石に目の前で人が死んでは、この家に住む気にもならんでしょう。他の物件をご案内させていただきます……まぁ、お客様の望む家賃で提供できるかは微妙なところですが」

「いえ、この家に住みましょう」

「なんですと!?」

「以前の入居者の方は呪いと言ったんですね……なら、この事故物件の事故事由を断ち切り、正常化した家で家賃564円で住むことが出来るということになります。そして、それが今まで死んでいった九十九人に対する何よりの供養になるはずです」

「……ほほう」

 何故、急にそのような心変わりを行ったのか。

 それほどまでに以前の入居者の最期の言葉が心に刺さったのか、あるいはもう事故物件にその心を呪われたのか、いずれにせよ契約を拒否する理由は不動産屋にない。


 その場で契約書にサインし、家内は事故物件の扉を開く。

 瞬間、棍棒を持った子供のような体躯の二足歩行の何かが家内に飛びかかった。

 皮膚は緑色であり、その頭部には小さな角がある。

 口元からとめどなく涎をダラダラ垂れ流すその様は――フィクションでよく見る小鬼ゴブリンに酷似している。


「うわああああああああああああああ!!!!!」

 家内は咄嗟に扉を閉めた。勢いよく閉められた扉に二つの何かが叩きつけられた音。物理的な怪現象が起こるとはわかっていたことだが、ここまで物理的であるとは。家内は深呼吸を繰り返し、扉を再び開いた。


 玄関に小鬼ゴブリンの姿はなかった。

 否、それだけではない――先程ちらりと見ただけであったが、玄関の様子自体が変わっているようにみえる。

 ある考えが脳裏をよぎり、家内は事故物件を出て、再び玄関の扉を開いた。

 足元に先程まではなかった剣が落ちている。

 そして、やはり玄関の様子が変わっている。

 先程までは玄関を出て左手にトイレがあったが、今は右手にトイレがある。

 そして細々とした物の位置が変わっている。


 入居アタックの度に構造を繰り返す事故物件ダンジョンらしい。

 業界においてはランダムダンジョンと呼ばれる事故物件である。


 家内は足元に落ちている剣を装備した、以前の入居者のものだろうか。

 装備しても呪われる感覚はない――先程のような小鬼ゴブリンぐらいならば、この剣で斬り捨てることが出来るだろう。


 侵入する度に構造を変化させる5LDKの事故物件を攻略し、家内はこの物件の呪いを解くことが出来るのか。

 家内の新居生活は始まったばかりである。

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訳あり物件、家賃564円 春海水亭 @teasugar3g

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