#11 宇宙からのメッセージ(2)
寮の最上階にあたる八階と一つ下の七階が、すみかがわざわざ自分から志願した担当場所だった。すみかの手の中には屋上のカードキーが握られている。L字型の廊下を曲がり、無人の廊下に放置された上着や教科書、ボートのオールやチカチカ光る工事用の黄色いコーン(誰がこんなところまで持って来たんだろう?)の写真を撮って、共有メモにアップする。
ラウンドは滞りなく進んだ。最初こそバレるんじゃないかと内心びくびくしていたすみかだったが、考えてみれば、すみかの顔も星野杏南の顔も誰もたいして知らないのだ。不安がる必要なんてなかった。
七階、八階と回り、最後の廊下の突き当り、屋上へと続く階段の前まで来たところで、物陰に何かが落ちているのが見えた。
近づいてみると、それは体内用のマイクロチップだった。CALで検査を受けるのにも使うし、図書室もこれがないと借りられない本がある。指を切った拍子に落としてしまったのだろうか。失くすとそれなりに不便なものだ。
落とし物センターに届ければいいよね、
相方の男子生徒に向かって、喉まで出かかった言葉をすみかは寸前のところで飲み込んだ。
……星野杏南は、本当にそう言うだろうか。
すみかはゴールデンウイークの初日、隣の市にある高齢者入居ホームで、庭に咲いたつつじを見ていた。写真とちがい、金髪になっていた仏頂面の星野杏南と、車椅子に座る杏南の祖母と一緒に。
どんな姿勢で、どんなまなざしで、どんな動きで振る舞い、どんな声でしゃべるのか、写真からでは何もわからない。星野杏南を探したが、彼女は瑠以の言う通り、まったく学校に来ていなかった。だから、直接訪ねたのだ。
杏南はすみかがつたなく話す入れ替わり作戦のことを終始訝し気な表情で聞いていた。たしかにいきなり知らない人が訪ねてきて、自分のふりをさせてくれと言われたら、すみかだって気味が悪い。
その日は特にいいとも悪いとも言われなかったので、断られたかと思いきや、夜遅くすみかに連絡があり、住所と時間だけが書かれた簡潔なメッセージが送られてきた。その場所が高齢者入居ホームだったというわけだ。
杏南の祖母は、突然やってきた孫の友人(ということにした)を温かく迎えてくれた。杏南は口をへの字に曲げ、無言でAI操縦の車椅子の後をついていくだけだったので、すみかはくだらない世間話をワンマンライブのように二時間弱も話す羽目になった。たぶん、後半の方はすみかもしゃべっていなかった。だが、祖母はずっとニコニコと微笑んでいた。杏南が買ってきたグレープフルーツを、先がギザギザのスプーンでみんなで食べた。
トイレに行った帰りに施設のスタッフに声をかけられ、すみかは本当に杏南の友達なのか何度も聞かれた。めちゃくちゃ疑われている。
杏南はよく面会に来るのか訊ねると、スタッフは即答した。
「月に二、三回かな。結構多い方よ。クールに見えるけど、おばあちゃん子で優しいのよね」
たいして知っているわけではなかったが、すみかも同意見だった。できるだけ段差の少ない道を選び、坂道では揺れないように自動操縦のグリップをぐっと力を入れて持つ。何気なく散歩をしているように見えても、細かな気遣いが見てとれた。
すみかは拾ったマイクロチップを、スマートパッチでスキャンした。持ち主が三階に住む二年生だとわかる。
「直接届けてくるよ。手元にないと不安だろうし」
ここで解散ってことで、と男子生徒に置いて踵を返した。ラウンドチェック、十分足らずで終了。
マイクロチップを持ち主に返したあと、すみかはエレベーターに乗ってふたたび八階に向かった。瑠以のいる屋上へ行くためだ。
すると、屋上の階段の前に先客がいた。A組とB組の安全チームの一年生、そしてなぜか相棒のD組の男子生徒の姿もまだそこにあった。
自分たちの持ち場が終わったあと、こちらの様子を見に来てくれたのかと思いきや、どうやら屋上の幽霊の噂を聞きつけ、肝試しに来たらしい。
さて、なんと言って追い返そうか。やっぱり、密会現場だと言うしかないだろうか。
そのとき、急にバチッと音を立てて、頭上の緑の非常灯が消えた。女子生徒たちは、キャッキャと黄色い声をあげながらしていた怪談話をピタリとやめた。訪れる静寂。現れる暗闇。ナイス演出、とすみかは心の中で指を鳴らした。ただの中の蛍光灯の寿命だろうが、この場から人をいなくならせるには効果は抜群だった。二人は脇目も振らず、エレベーターで降りていってしまった。
すみかは振り返って男子生徒を見た。
「君も、部屋に戻らないの?」
内心では、とにかく早く帰ってほしいと思っている。
そのイライラを若干顔に出しながら聞くも、男子生徒はすみかの願いなんてちっとも気づいてくれなかった。
もー、こっちは空気読めない系か。
すると男子生徒はちらりとすみかの手の中にあるカードキーを見て、
「……煙草でも吸いに行くのかなって」
と首を斜めに傾けた。
「なに、吸ってたらチクんの?」
「なんで? 一緒に吸おうよ、いつもみたいに」
え、待って待って待って。
すみかは心臓がバクバクと音を立てて加速していくのを感じた。背中にだらだらと冷や汗が走る。
すみかは改めて目の前の男子生徒を見た。
彼は星野杏南の友人なんだろうか?
でも星野杏南はほとんど学校に行っていないはずだ。それなのに、高等部から学園にやってきた第三寮の生徒と知り合うものだろうか。
それにすみかが言うのも失礼だが、こんな地味な見た目の子にそんなことを言われるなんて思いもしなかった。マジか、最近の子って見かけによらない。
「はァ?」
すみかは不機嫌そうに鼻を鳴らす演技をした。迫力に欠けるのはわかっているが、下手なことを言って墓穴を掘るわけにもいかないし、ここはもう不機嫌で押し通すしかない。
「……最近は何吸ってんの」
まだ続ける気? もう良くない? だいたい煙草の銘柄なんて知らないし。
だからアドリブは苦手なのだ。どうしよう。真っ白になった頭の中に、ふと込山の顔が浮かんだ。
困りきったすみかは、わけがわからなくなり、追いつめられてVサインを出した。
「あ……そう」
だがなぜか、男子生徒は納得したように頷いた。意味がわからず自分で出した人差し指と中指を見る。これに何の意味があるの? 二?
「あ……」
すみかは帰ろうとしていた男子生徒を呼び止めた。
「二光年って、光の速さで二年かかる距離ってことだよね?」
突然の話題の転換に、男子生徒は少し眉をひそめたが、嫌がらずに答えてくれた。
「ああ。二光年先の恒星の光が見えているとしたら、その光は二年前に恒星から放たれたものと言える」
「光と電波って、似たようなもの?」
「まあ、同じ電磁波だから、そう言えなくはないけど」
葬儀の日付は二年前だった。つまり、瑠以は今日から二年前に脱出シャトルから送信された無線を受け取るために、今夜、屋上で待っているんじゃないだろうか。
すみかはいてもたってもいられず、屋上へ続く階段を駆け上がった。
「瑠以っ、どう!?」
すみかが走っていくと、貯水タンクの陰で無線機をいじっていた瑠以は肩をすくめ、首を横にふった。
「……でも、まだ時間あるよ」
スマートパッチのお助けAIが二十二時三十七分四十二秒をお知らせしてくれる。あと三分残っている。
「こっちから……送ってみようかな」
「で、できるの……?」
「理論上はね。まあ、なんて送ればいいかわかんないけど」
そう笑って、目を伏せる瑠以をすみかは複雑な気持ちで見つめた。送ったとしても、それを受け取る人はもういないのだ。
すみかは貯水タンクから顔を出し、南南西の空を見つめた。空のてっぺんとかすかに見える山際とのちょうど真ん中くらいに、光る点が見えた。じっと見ていると、じわじわと動いているのでそれが惑星でも恒星でもないことがわかる。光は強くなったり弱くなったりするが、点滅する動きの速い飛行機の灯りともちがっていて、どこかの国の人工衛星だろう。
あの光のように、何AUと離れた、肉眼では見ることのできない小さな点のどれかに、その人の肉体は今もあるのだろう。広大な宇宙をひとり漂っている彼女は、かつては瑠以とゼロミリメートルの距離にいたこともあるはずだ。
離れていても繋がれる。そんな何かの商品のキャッチコピーにありそうな言葉も、今はからきし力を持たないように思えた。
時間は残すところあと一分を切った。五十秒、四十秒、心の中で無意識にカウントダウンをする。だが、無線機が音を立てる気配はなかった。
あと三十秒。
そのとき、瑠以がテントの中に入ってきて、無線機の前で座ると、高速でモールス信号を打った。その指の動きに、すみかは見覚えがあった。
「今、なんて送ったの?」
「こちらはコールサインJA1CJB。もしお聞きでしたら、QSO願います、どうぞ……」
「そのあとは?」
「I love you……Mom」
瑠以は何度も、何度も電鍵を叩いた。
だが、結局一度も応答はなく、さっきの人工衛星も南南西の空に消えようとしていた。
「時間だね」
瑠以はため息をつき、テントの中でごろりと横になった。だが、その顔は意外にも、やり切ったようなすっきりとした表情だった。
「ごめんね、すみかにも一芝居打ってもらったのに」
「一芝居打ったのは、瑠以の方でしょ」
「もしかして……知ってたか」
瑠以のとなりにしゃがみこみ、すみかがこくりと頷いてみせると、瑠以は「そっかそっかぁ」と笑った。
「母さんは離婚したあとカナダに戻って、夢だった宇宙飛行士になるために、民間宇宙探査会社の調査員の試験を受けたんだ。私が初めて宇宙からの電波を受信したのは九歳の誕生日だった。それは火星に向かう軌道からだった。次の十歳の誕生日は火星基地から。そのあと宇宙船の事故がわかって、しばらくは毎日泣いて暮らした。十二歳の誕生日、もしかしてと思って、脱出ポッドの推定位置を計算して、電波を待った。そしたら、メッセージが来た。十四歳の誕生日にもね。でもその年の秋、カナダの宇宙航空省から、母さんが死んだことを伝えられた」
二年前のバンクーバーの新聞記事を思い出す。やっぱり、あの黒いスーツの少女は瑠以だったのだ。
「母さんの死を疑ってたんじゃないよ。もちろん、幽霊を信じてるわけでもない。脱出ポッドは遠すぎて物理的にも金銭的にも回収できないと言われたけど、科学的にも医学的にも、どう考えても、もう生きていないことは明らかだったし。二年前からそれはちゃんとわかってた。でも、けじめが欲しかったんだ。今年、メッセージが来なかったら、母さんは本当にもうこの世にいないって、証明される」
「今日、瑠以のお誕生日だったんだね」
瑠以は目を閉じて、しばらく眠ったように動かなかった。きっと、お別れを言っているんだろうとすみかは思った。
そろそろ部屋に戻ろうと瑠以がようやく立ち上がったときも、瑠以の横顔は少し切なく笑っていた。なんと声をかけていいかわからずにいたら、急に無線機からノイズが走り、何かの信号をキャッチした。
瑠以は飛びつくようにヘッドフォンを装着し、無線機のつまみを何度も微妙に調整した。初めは手間取っているようだったが、やがて安定し、ノートに相手のコールサイン、居場所や電波の様子などがアルファベットでサラサラと書かれていく。瑠以は無線を聞きながら、何度かおかしそうに笑っていた。
「お母さんからだった!?」
一通りやり取りが終わり、ペンを置いた瑠以に話しかけると、瑠以はまだクスクス笑っていて、吹き出しながら、首を横にふった。
「長野の基地局の、マツダさんって人」
「知り合いの人……?」
「まさか。たまたま四年前も二年前も聞いてたんだって、母さんからのメッセージ。びっくりしたからずっと覚えてたって。今日、コールサインですぐ私だってわかったって」
思い出したように瑠以はまた吹き出した。
「あと私に、ハッピーバースデーだってさ」
瑠以はすっきりした顔をしていた。ハッピーバースデーが相当ツボにハマったのか、まだ思い返しては肩を震わせている。
「すみか、ありがとね。いい楽しい誕生日だったよ」
「どういたしまして」
翌日、瑠以は叔母夫婦から動画を見せてくれた。弟からのつたない誕生日メッセージに、瑠以は何度も聞いたことのない奇声をあげていた。
「何なの、天才なの、大丈夫かな、こんなにかわいかったら、かわいい罪で捕まっちゃわない!?」
姉バカぶりを発揮しながら、すみかがコンビニで買ってきたショートケーキをほおばっていた。その顔は、いつか見せてもらったパンケーキをほおばる小さな男の子の顔にも似ていたし、いつか見せてもらったブルーのフライトスーツを着た女性にもよく似ていた。
ゴールデンウイーク明け、最初の授業は苦手な化学で、すみかは朝から憂鬱だった。
机の上に教科書を出し、学食で食べ終わらなかった朝食のおかかおにぎりを口に押し込んでいると、クラスメイトに声をかけられた。
「おはよう、佐藤さん」
すみかは顔を上げ、その男子生徒を見て、固まった。
まさか、同じクラスだったなんて。
「それとも、星野さんって呼んだ方がいい?」
唖然とするすみかに、男子生徒はそう言った。メガネの奥の瞳を光らせ、ほのかに笑ったような気がする。どちらかといえば意地の悪い、馬鹿にしたような笑みだ。
彼は、すみかが星野杏南に変装した安全チームのメンバー、Ⅾ組の生徒とまったく同じ顔をしていた。
「な、何のことやらさっぱりぽんで……」
「君に、僕のミューズになってほしい」
「は……?」
それがすみかと彼、百瀬圭史朗の出会いだった。
キャラバンの感覚器官 @1000yarn
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