未来のボクへ続く物語
夜摘
未来のボクへ続く物語
同級生のナオちゃんはちょっと変な子だった。
他の女子たちとはちょっと違う雰囲気の女の子。
普段はあまり喋らないような大人しい子なのに、
時々わーわー騒いでいる同級生の子たちを、
何となく馬鹿にしたような冷めた目で見ている。
それに気がついた時、ボクはナオちゃんをちょっと怖いなぁと思ったし、
なんだか嫌な子だなぁって思ってしまった。
だから夏休み明け後の席替えでナオちゃんの後ろの席になってしまったとき、
正直なところ「ゲッ」と思ってしまった。
ナオちゃんの顔を見るたびに、あの冷たい目を思い出してしまって、
すっかり彼女が苦手になってしまっていたのだ。
とは言え、ナオちゃんは、普通に接している分には別に怖い子ではなかった。
プリントを回す時には丁寧に「はい」って渡してくれるし、
掃除の時も他の女子みたいに、早く机を運べなんて怒鳴りつけてきたりもしない。
運動が得意じゃないボクが、体育の時に失敗してみんなの笑いものにされた時も
ナオちゃんだけは笑っていなかったように見えた。
そんなことが一つ、二つ積み重なって行くごとに、
ボクはあんなに嫌だったナオちゃんのことが、気がつけば
別にそんなに嫌ではなくなっていた。
あまり喋らないところも、同級生にたまに向けている冷めた目も、
"冷たい嫌な奴"と言う訳ではなくて、"大人っぽい"と感じるようになっていた。
そんなある日、ボクたちの教室で一つの事件が起こってしまった。
教室に置かれた共有図書の本のページが破れていたのが見つかったのだ。
先生は、誰かが本を破いたこと、それを隠していたことに酷く憤慨し、
自分から名乗り出て謝罪をしに来なさい!と教室から出て行ってしまった。
犯人が謝りに来るまで、誰も帰っちゃいけないと言いつけて。
残されたボクたちは、見たこともなかった先生の剣幕にとても驚いたし、
恐ろしく思ってしまった。
このままではいつまで経っても家に帰れない というのも困りものだった。
だからこそ、誰が言い出したか、
先生に取り残されてしまったクラスメイトたちによって、
共有図書の本を破いた犯人探しが始まった。
「最後にあの本を借りたのは誰?その人じゃないの?」
女子の一人が、そんな風に言い出した。
確かに本を借りるときには、貸し出しノートに名前を書くことになっている。
それを調べればいつ誰がその本を借りたのか、確認出来るはずだ。
「じゃあ、貸し出しノートを見てみよう」
ボクと同じことに思い至ったらしい男子生徒が、
ロッカーの上に置かれている貸し出しノートへと手を伸ばし、そのページを捲った。
「誰、誰?」
「そいつが破ったんだろ」
もう皆帰りたいという気持ちと、こんな面倒ごとに巻き込まれてしまった苛立ちで、
さっさと犯人を見つけて―…いや、誰でもいいから犯人を作って、先生に謝りに行かせたいという気持ちだったのかも知れない。
「ナオちゃん」
「最後に借りたのナオちゃんだよ。ナオちゃんが破いたんだ!」
「先生に謝りにいきなよ。なんで黙ってたの?」
「ナオちゃんだったんだ。最低!」
「怒られるのが嫌で黙ってたんだ!」
男子が意気揚々とナオちゃんを指差して宣言すると、
クラスメイト達は口々にナオちゃんに向けて、
責めたてる言葉と、悪態と、悪口を吐き始める。
大人っぽいナオちゃんは、普段あまり表情を変えることがなかったのだけど、
この時は珍しくびっくりした顔をして、丸い瞳をぱちぱちと何度も瞬きさせてた。
「私が借りた時には敗れてなんかなかったし、私は破ってないよ」
首をぶんぶんと横に振って、慌てた様子で弁解したけれど、
誰も聞いていないみたいだった。
ナオちゃんは、仲のいい友達がいないから、誰も彼女の言葉を聞いてあげようとしないし、助けようとしてくれる人も居ない。
ボクはそんな教室の光景を、おろおろしながら見ていることしか出来なかった。
ナオちゃんが本のページを破くなんてことをする子だなんて信じられないし、
共有図書は、みんな家に持ち帰るときには持ち出しノートに名前と日付を書くけれど、教室で読むときにはみんな面倒くさがってノートに記入するのをサボる子も沢山いた。だから、最後に本を借りたのはナオちゃんだとしても、きっとその後、あの本に触ったクラスメイトは他にも何人も居て、その仲の誰かがきっと本を破いてしまったんだと思う。
きっとボク以外にもこのことに気がついていたクラスメイトも何人かは居たと思うのに、それを誰も指摘しないのは、彼らにきっとナオちゃんを犯人にしてしまえ という気持ちがあるからなんだと思う。
本を破いた"誰か"はナオちゃんにこのまま罪を押し付けてしまおうと思っているのだろうし、他の人は誰でもいいからさっさと謝ってこさせて、帰れればいいくらいに思っているんだろう。
クラスの男子からも女子からも口々に責め立てられて、
困ったように眉を下げ、口をきゅっと一文字に結んだナオちゃんは、
今までみたことないような、困ったような、泣き出しそうな顔に見えた。
ボクは、怖くて 怖くて仕方がなかったけれど、
ナオちゃんのそんな顔を見ていられなくって
自分の拳をぎゅっと握り締め、必死に声を絞り出した。
「……ナオちゃんじゃないよ」
でも、その声は教室の喧騒に飲み込まれて消えてしまって、
誰の耳にも届いていないようだった。
「ナオちゃんじゃないよ!」
ボクはもう一度、精一杯の大きな声で叫んだ。
「!!?」
「なんだよ、お前」
教室中の皆と、ナオちゃんがばっと顔を向けてボクを見る。
握り締めた拳は酷く汗ばんで、口の中はカラカラに感じた。
皆に見つめられると、身体は強張ってしまうし、うまく言葉が出てこない。
けど、一度叫んでしまった言葉はもう引っ込められないし、
引っ込めようとも思わなかった。
「ナ、ナオちゃんはきっと破いてないよ。
それなのに、犯人にしようとしたらダメだよ」
震える声でおずおずと言葉を口にすると、
クラスメイト達はざわざわとざわつきだした。
折角決まりかけていた犯人を庇おうとしたボクを、
普段は弄られるばかりで口答えなんかできもしないボクが反抗したことを、
きっと彼らは面白くなかいと思ったのだろう。
その場に流れる雰囲気は、間違いなくボクに対しての不満とか、
敵意みたいなものが込められたものだった。
ボクは、それに萎縮してしまう。
けれど、負けられないと自分を奮い立たせて必死に言葉を続けた。
「だ、だって…みんな共有図書の本、ノートに名前を書かないで教室で読んでる!」
「ナオちゃんが借りた日より後に、誰かが教室で読んでなかったか… きっと見た人がいると思う。その人が教えてくれたら本当の犯人が見つかると思うよ。」
「それに、破いちゃった人はちゃんと自分で謝らないとダメだよ」
ボクがそこまで言った瞬間、ボクの身体は強い衝撃に吹っ飛ばされた。
どうやら男子の一人に突き飛ばされてしまったらしい。
気がつくと床に転んでしまっていて、打ち付けられた身体が痛い。
お母さんに買って貰った眼鏡がどこかに行ってしまった。
大事なものだから、誰かが間違って踏んでしまったらどうしよう…なんて考えに一瞬寒気を感じたりもした。
「お前生意気なんだよ!」
「ごちゃごちゃうるせー奴!」
そんな風な言葉を投げかけられながら、
ボクの身体はさらに二回、三回と蹴り飛ばされた。
女子たちの「キャー!!!!」なんて悲鳴も聞こえてきたけれど、
それがなんだか遠くの場所の出来事みたいに思えていた。
身体の痛みが強くなって、段々と気が遠くなっていって
「ああ、ボクは死んじゃうのかな?」なんてぼんやりと考えているうちに、
ボクは眠ってしまったようだった。
気がつくと、保健室のベッドの上で目が覚めた。
「…あ、起きた」
わけが分からず、目をぱちぱちさせるボクの顔の横、
ベッド脇には、安心したような顔のナオちゃんがいた。
「良かった…」
泣き出しそうな、でも安心したような
少し目が潤んだその顔は、やっぱり初めてみたナオちゃんの表情で
ボクは少しドギマギしてしまう。
「え、えっと… ボク…」
「怒った清水くんに乱暴されて気絶しちゃったんだよ」
「宏隆くん?」
「うん、本を破いたの、清水くんだったみたい」
「そうだったんだ…」
だからあんな風に怒ったのか…とボクは納得する。
でも、それが判明したということは、
清水くん…宏隆くんは先生にこってり怒られた…
いや、もしかしたら現在進行形で、怒られているのかも知れない。
「…私のこと、助けてくれてありがとうね」
「え?」
恥ずかしそうに口を開くナオちゃんの顔を、
ボクは思わず見つめてしまう。
「皆、早く帰りたくって私を犯人にしようとしてたし…
私、誰とも仲も良くないから、誰も助けてくれないし、
もう私が犯人になるしかないのかなって思ってた」
「だから、君が助けてくれて、本当に嬉しかった」
「え、あ、わぁっ…!」
「…あ、危ない!…まだ動いたらダメだよ!!!?」
思わず起き上がろうとしたら、
体中が痛くてベッドから転げ落ちそうになってしまった。
それを慌てたナオちゃんが抱きとめてくれた。
「ひゃああ!」
その瞬間、女の子の髪の毛の柔らかい感触と、
淡い甘い匂いが頬と鼻先をくすぐって、
ボクは戸惑いと変な罪悪感で、心臓が爆発しそうになってしまった。
少しでも動くたびにジンジンと傷む身体をなんとか起し、ベッドに貼り付けて、
片手で引っ張り上げた布団で顔を半分まで必死に隠して、
目線だけでナオちゃんを見る。
ナオちゃんは、そんなボクを心配そうに見ていたけれど、
ちょっとだけ顔が赤くなっているように見えた。
もしかしたら気のせいかもしれないけど、
そうだったらいいな ってボクは少しだけ思ってしまった。
「あのね」
ナオちゃんが内緒話するみたいにそっとボクの耳元に顔を寄せてくる。
ボクはまたドキリとしてしまったのだけど、それを悟られないように平静を装った。
「…う、うん…」
「…私、本当はね、未来から来たの」
「え?」
思いも寄らないその発現に、ボクはリアクションに困って硬直してしまう。
冗談?
あの大人しいナオちゃんが?
あの大人っぽいナオちゃんが?
そんな、マンガやゲームみたいなことを????
「―これは本当は秘密なんだけど、キミは私のこと助けてくれたから、
特別に、私が居た未来の世界の話を聞かせてあげる」
そう言って笑うナオちゃんは、
今までの大人びたナオちゃんの顔とは全然違う
屈託のない"同級生の女の子"の笑顔だった。
ナオちゃんが本当に未来から来た未来人なのかはわからない。
ボクをからかう冗談だったのかも知れないし、
もしかしたらそういう設定の遊びなのかも知れない。
ボクだって、2年生の頃、
仲のいい友達相手に霊感があるふりをしたことがあったから。
二人して見えやしないお化けを見えるふりをして、
怖い怖いなんて騒いで遊んでいた。
(そしていつの間にか飽きて止めてしまった)
ナオちゃんだって、本当はそういう遊びが好きで、
その秘密をボクに打ち明けてくれたのかも知れない。
「それじゃあ、また後でね。早く、元気になってね」
ナオちゃんは楽しそうに保健室を出て行く。
ボクはそれを少しだけ名残惜しいような気持ちで見送った。
入れ替わりでやって来た保険の先生に、
今日はお母さんが迎えに来てくれるよなんて聞かされた。
保険の先生は、大変だったね、とか、痛い所はない?とか、
沢山心配してくれて、ボクはそれがちょっとだけ嬉しくて、
ちょっとだけ照れくさかった。
その後、ボクは迎えに来たお母さんと一緒に病院に行くことになって、
色々と検査をしてもらうことになったのだけど、
ちょっとだけ痣や擦り傷が出来てしまっていたくらいで
特に大きな怪我や異常はなかったので、お母さんも安心したような顔をしていた。
それからはある意味忙しい毎日で、
宏隆くんが、宏隆くんのお母さんと一緒にボクの家に謝りにきたり、
学級会で、ボクに暴力を振るったことやナオちゃんに罪を押し付けようとしたことを謝罪させられたりしていた。
いつもは偉そうにふんぞり返っているガキ大将の宏隆くんも、
大人たちに散々怒られ、謝らせられ、すっかり気落ちしてしまった様子で、
見ているこっちが可哀想になるくらいだった。
だからボクも、彼からのごめんを素直に受け止められたのかもしれない。
ナオちゃんとボクは――――――と言うと、
あれから二人、こっそり図書館の片隅で内緒話をするのが日課になっていた。
ナオちゃんは時に大真面目に、時に悪戯っぽく
彼女の故郷であるという"未来の世界"の話を聞かせてくれた。
空を飛ぶ車の話とか、料理や洗濯を何でもやってくれるロボットの話だとか。
ボクは相変わらず、それが本当か空想かわからないまま…
けれど、彼女と過ごすその時間が楽しくて、嬉しくて
その事実を確かめようとすることはしないままでいた。
いつかきっとそれが本当だと分かる日が来るかも知れないし、
ナオちゃんが、その話はしないで なんていう日が来るのかも知れない。
どちらにしろ、ボクにとっては楽しみな未来で
だから
その日がくるまで、今はもう少しこのまま――――。
今はまだ、名前の付けられないくすぐったい感情と一緒に
二人だけの秘密の時間を過ごしていようって思うんだ。
未来のボクへ続く物語 夜摘 @kokiti-desuyo
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