第3話 彼と呑む酒
「本当に自殺、悪くて不運な事故なんじゃないか?」
「ああ、現場の状況だけ見ればそうなんだが……」
やけに、言葉のキレが悪くなった。
ここにきて、俺に話すことを躊躇っているような様子だ。
「まだ何かあるのか?」
九重はカバンからビジネス手帳を取り出し、パラパラと紙をめくり、あるページをあけた状態で渡してきた。
「この手帳は椎名の手帳だ。連絡が取れなくなる前日、たまたまデスクに置き忘れていた。普段大事そうに使っていたから、様子を見るついでに彼女に渡そうと思って俺が持ち出していた。」
渡された手帳の2日前のページにはマッサージと美容院、イタリアンレストランの予約が記載されたいた。
「彼女は一昨日の午後から有給申請を出していた。手帳に書かれている通り、各所に予約も入れていた。店にも確認したが、マッサージ店と美容院は両方とも彼女は常連で、間違いなく本人から電話で予約があったと言っていた。イタリアンレストランはネット予約で女子会コースを2名で予約していた。」
「自殺をする人間が美容院やレストラン?」
「ああ、不自然だと思って調べてみたら、その日は高校の同級生と久しぶりに会う予定だったようだ。同期の職員に嬉しそうに話していたそうだ。」
「彼女にとっては美容院やレストランを予約するほど、待ちに待った楽しみな日…」
「ああ、死ぬ前に見た彼女はどこか浮かれているように俺には見えたし、この通りデスクのカレンダーにも目印をするほどだった。」
九重が見せてきたスマホの画面には彼女のデスクらしき場所が写っており、次に画面を拡大して映されたカレンダーには2日前の日付のところにピンク色のペンで星マークが書かれていた。確かに、その日を心待ちにしているように見える。
こんなに楽しみにしている日の前日に自殺?
彼女が本当に自殺願望を持っていたにしても、確かにタイミングがおかしい。
「死亡が確認されて1日も経たないうちに、昨日の昼、捜査はの打ち切りが発表された。当然俺はこの情報を報告したが、一蹴された。その上、所内にあった彼女の私物は全て親族に返却するという名目で、どこかに持って行かれた。だが、ここに来る前に電話で確認したが、親族には返却されていない。」
確かに、殺されたという確実な証拠はないが、彼女がその日自殺をするような精神状態では無かった可能性は高い。
「事件として捜査されると困る人間がいる…。それも、捜査を一方的に打ち切れるような位置に、ってことか。」
「少なくとも俺にはそう思えてならない」
「なるほど、な。それで俺か…」
「そうだ、お前なら単独でも何か掴めるんじゃねぇかと思って、な」
どこか泣きそうな横顔が何よりも九重の心の葛藤を表しているように思えた。
このままでは自分の大事な部下の死がまるで無かったことになってしまう。だが、自分だけでは抗えず、このままでは事件は闇に葬られる。
その悔しさや虚しさ、無力感に苛まれながら、どうしようもなくて俺に情報提供を願う九重の気持ちを考えると、俺が今から言おうする言葉は苦かった。
「とりあえず事情はわかった。この件に九重は幾ら払えるんだ?」
「っ……。」
「考えて無かった、って顔だな。この仕事はかなりの確率で警察の上層部が絡んでる。そうなれば、かなりのリスクを背負うことになる。懸賞金を掛けたとして報酬は情報収集だけで300万ってところだ。あんたにそんだけの金が用意できるのか?」
「……わるい。できねぇ」
九重の顔は悔しい、情けない、恥ずかしい、そんな感情が混ざった色を浮かべていた。
「だろうな。なら、俺にこの仕事を依頼するのは無理だな。」
「……だな、すまない。今日の話は忘れてくれ。自分でやれるだけやってみるよ」
九重の顔には落胆、それ以上に落胆している自分に対する怒り、後悔、そんな表情がくるくると回る。
ああ、九重は俺を利用しようとした訳ではなく、純粋に俺という人間に助けてくれ、と言いに来たんだな。
だが、結果としてタダで利用しようとしたと理解して、宛が外れた落胆ではなく、後悔してくれている。
こいつがこんな奴だから、こいつと呑む酒は美味いんだ。
「はぁ。仕事じゃねぇから、成果は期待するなよ。知った情報があれば流してやるよ。」
「……いいのか?」
「ここは九重の奢りだからな」
「ああ、ありがとう。恩にきるよ」
九重と呑む酒は本当に美味い。
ああ、この件がどんな形で終わったとしても、この美味い酒が飲みたい。
SUNRISE 野草 結人 @okada-kanako00
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