240913
8時に目を覚まし、電気ケトルのスイッチを入れて、トイレへ行く。およそ10時間分の排尿をこなして戻ると、その間もせっせと働いていたケトルが沸騰した水を提供してくれる。母がどこぞの陶芸室で作ってきたというへんてこりんな形状で妙な色を身にまとったカップに、珈琲の粉を小さなスプーンで二杯、砂糖を小匙一杯放り込んで、カップの三分の一ほどお湯を注ぎ、かき混ぜて牛乳を加え、それをもって換気扇の前に坐る。一口飲み、換気扇を回し、メビウスに火を点ける。煙草の先から立ち昇る煙は、さながら一日の始まりを告げる狼煙だ。
今日はいつもと同じ朝ではない。休日だからだ。今日は社会的な生活のほとんどから解放された自由な一日——小学校の頃に自由とは責任の伴うものであると定義し、高校生の頃に自由とは己を律しきることであると定義し、そして20代半ばには己を律しきることなど土台不可能で、むしろ制圧されることのほうがほとんどで、何が自由であるかなどと定義することの不毛さを思い知った。いまとなっては自由な一日と言ったところで、所詮その言葉をもてあそんでいるに過ぎない。
ゆらゆらと換気扇の向こうに消えていく煙を見ながら、今日は何をしようかとぼんやりと考える。しなければならないことは、昨日の仕事終わりにだいたい済ませている。したがって、ぜひとも今日こなさなければならないタスクは存在しない。
しなければならないことが無くなると、どうにも途方に暮れてしまうことが社会人として日常をすり減らされた人間の哀しみだろうか。
などと考えるでもなく考えているうちに、煙草が燃え尽きる。次の煙草に火を点ける。もはや狼煙でも何でもなく惰性の煙であり、一本目から立ち昇る煙にあった気品や気概は存在しない。どことなく後ろめたそうに、またやる気なさそうに、仕方なしに昇っていき、憐れな感じで換気扇に吸い込まれて行く。
やらなければならないことがないわけではない。国家試験に向けて暗記しなければならないことは山ほどある。しかしそれはぼくのやることではない。少なくとも、今日のぼくがやるべきことではない。そのうちやる気に満ち溢れたぼくが登場した時にやるべきことであって、それは今日のぼくではない。
やりたいことと言えば特にない。趣味は読書と答えるようにしているが、別に読書をしたいかと言われればそんなことはない。やりたいから読書をしているのではなく、他に何もすることがない時本を読む習性が備わっているに過ぎない。生きている以上、目が覚めたら、そしてその後継続して睡眠をとることができなければ、何かをしなければならず、その埋め合わせが必要になってくる。何もせずにぼーっと横たわっていることは苦手だ。埋め合わせの手段をぼくは読書以外にもっていない。
恋人は母親と先延ばしになっていた墓参りに出かけるらしい。友だちはいない。たまに時間をともにする幼馴染は三人いるが、そのうち二人は何を血迷ったのか道外へ働きにでかけ、正常なもう一人は平日なので働きに出ている。もっとも、仮に彼女が休みだとしても、時間をともにしてくれないかと誘い状を出すことはない。そうしたい気持ちはないわけではないが、いざそうした時後悔することをぼくは習慣から学んでいる。何か物事を、特に予定の面において確定させないことに精神的な安楽を得る性質があるようなのだ。
いつもであれば、このままベッドに横になり本を読んで、時折ニコチンとカフェインを摂取し、再び読書をして夕方を待ち、陽が落ちる頃に散歩をしてシャワーを浴び、夕食を作ってまた眠くなるまで読書をするのであろうが、今日はどうしてもそういう気持ちにならなかった。
何か別なことがぼくを待っているような気がしたのだ。
もっとも具体的な考えや、またその萌芽が無かったから、依然としてどうすればよいのか分からなかった。
三本目の煙草が燃え尽きる頃に、崖っぷちに追いやられたような気持ちで洗顔し、着替えてファイターズのキャップを被って外に出た。外は風が強く、夏というよりは秋の匂いがして、やや肌寒かった。上空では雲が風になぶられて、東へ東へと追いやられている。
外に出て、自分は何をしているのだろうと正気を疑ってみた。安アパートの玄関に立って、そこから一歩も動けずにいた。もちろん歩行は可能だったが、足を向ける先が思いつかなかった。思い立てば、思い立ちさえすればどこにだっていけるはずのぼくの足はどこにも行くことができずにいた。
はて、どうしたものだろう——とそのまま立ち尽くしていると、安アパートの住人が出てきたので、場所を譲った。
「おはようございます」
と社会的な生き物としての義務を果たすために挨拶をする。
「おはようございます」
と安アパートに生息する、おそらくはぼくと同じように社会的な生物としてのおじさんは挨拶を返してくれる。
そのまま、ぼくらはしばらくの間、見つめ合っていた。これには困惑させられた。挨拶をしたら、その次の瞬間には何事もなかったかのように立ち去るのが礼儀をされているのにもかかわらず、おじさんはその場所から去ろうとせず、ぼくの顔をじっと見つめているのである。
おじさんは貧弱な頭髪をもち、よれたシャツを着て、足にぴったりとしたブルージーンズを履いていた。背丈はぼくと同じくらいだ。彼はぼくをじっと見ているが、その目に思考の色は見えず、ただぼんやりと、そしてどういうわけだがぼくと同じように困惑した、もっと分かりやすく言うのであれば、マヌケ面を夏の終わりの風に晒していた。
このまま日が暮れるまで見つめ合っているわけにはいかないので、ぼくは間の抜けた沈黙を絶ち破ることにした。
「どちらへ行かれるのですか?」
おじさんはハッとしたように息を呑んだ。
「それが分からない」
とおじさんは言った。
「なるほど」
とぼくは頷いた。
それきりぼくらは黙ってしまった。ぼくはおじさんの困惑がよく理解できたし、ぼくも同じ気持ちだった。だがこれ以上を目を見つめ合っていては、あらぬ恋に発展しかねないので、ぼくらはいそいそを目を逸らして空を眺めることにした。空はありとあらゆる種類の恋を内包することができるからだ。
古いアパートの合間に覗く空は、澄んだ青色を覗かせ、白い雲に隠されて、また青色を覗かせる。
やがてまた一人安アパートの住人が出てきた。今度は三十代半ばくらいの女性だった。茶髪に大きな黒い眼鏡をかけていて、灰色のパーカーを着ていた。
「おはようございます」
とぼくが言い、
「おはようございます」
とおじさんがいい、
「おはようございます」
と女の人が言った。
それからぼくらはそれぞれを見つめ合ったまま沈黙した。
こうなってしまっては、役割というものが出来てしまう。ぼくは自然発生的に押しつけられた役割の義務に従い訊ねないわけにはいかなかった。
「どちらへ?」
「わかんない」
彼女はそう答えた。
「なるほど?」
それからぼくらは日が暮れるまで空を見た。太陽が隠れて、辺りに薄闇が漂うようになると、顔を見合わせて「では」とそれぞれに言い合い、部屋に戻った。
シャワーを浴びて夕ご飯を作り、眠くなるまで本を読んで寝た。とても素晴らしい一日だったような気がした。
Falling Children 怪屋 @ayayaaya
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