ゴシップたるゆえん

 八


 翌週、五月に入り仮入部期間が過ぎると、各部活動の勧誘ポスターは昇降口の掲示板から一掃された。代わりに三ツ谷高校新聞部による、三ツ谷新聞の第二号が堂々と真ん中を占拠している。均等に四等分にされた紙面には調理部、パソコン部、美術部、そして社会奉仕部が並んでいる。

 各部の紹介写真には新入部員を中心に顧問教師の姿も写っており、それは社会奉仕部も例外ではなかった。遠野さんを中心にして、左右に俺とはじめ先生が並んでいる。遠野さんは満面の笑みを浮かべ、俺は微笑を、基先生はわずかに口角を上げ、微笑と真顔の中間とも言える表情を浮かべている。

 この写真は先日の写真紛失騒ぎの後、改めて佐倉さんに撮り直してもらったものだ。つまり、三度目の撮影になる。ことの経緯は二度目の撮影が行われた翌日にまでさかのぼる。


「先生、これを見てください」

 基先生がデスクワークに勤しんでいるところに、遠野さんは一枚のA4用紙を滑り込ませた。そこには三人の人間と思しき顔が描かれており、顔から直接手足が生えている。左から順に『基先生』『越渡こえど君』『遠野』と書かれ、用紙の下部には『Happy & Smile!』と筆記体で書かれている。

 社会奉仕部の似顔絵を見た途端、基先生はたまらず吹き出した。書類をめくる音が連なる職員室に一時の静寂が訪れる。他の教師陣にとっても、基先生が笑うことは珍しかったのだろう。基先生が耳を赤くして咳払せきばらいすると、周りの教師陣はすぐに業務へと戻った。見てはいけないものを見たといった様相だ。

 基先生がギロリとにらんでも、遠野さんがひるむことはなかった。むしろ、満足そうに声を弾ませ、

「お気に召してもらえましたか! 先生が紹介写真の撮り直しに同席する時間がないというので、描いてみたんです! これなら三人そろって問題ないですね!」

 と言った。

「正気か」

「確かに他が写真の中、社会奉仕部だけイラストってのは悪目立ちしちゃいますよね」

 基先生が隣の俺を見る。そういうことを言っているわけではない、と目でうったえている。俺はこくんとうなずき、助け舟を出す。

「基先生、五分だけでもいいのでお時間を頂けないでしょうか。やはり社会奉仕部の紹介写真なので、三人で撮りたいんです」

「お願いします!」

 頭を下げる俺たちを見て、基先生はばつが悪そうに頭をいた。きっちりと固めたオールバックがわずかに崩れる。

「頭を上げなさい」

 その声に応じると、基先生は硬い表情を少しだけほころばせて、

「よろしく頼む」

 と言った。


 写真データを使用しないように、そしてその理由について口外しないように口止めしていたのは基先生だった。掲示板への勧誘ポスターの掲示は顧問教師と広報委員会の承認が必要になる。校内新聞も同様だ。

 社会奉仕部の勧誘ポスターは基先生の承認だけで、掲示板に掲載することが許された。何故なら、先生が広報委員会の顧問教師でもあるからだ。基本的に勧誘ポスターは数が多いので、広報委員長が承認しているけれど、担当教師による承認でも問題なのだろう。意味合いが違うかもしれないけれど、大は小を兼ねるということだ。

 新聞部も承認印をもらうため、事前に基先生へと校内新聞の第一号を見せたのだろう。しかし、基先生にとって思いもよらない事態が起こっていたため、写真データの使用差し止めを命じた。

 きっと基先生は理由を告げなかったのだろう。けれど、新聞部は原因に思い至った。だから、写真部ではなく佐倉さん個人に写真の撮り直しを要請し、佐倉さんもそれに従った。

 新聞部は佐倉さんに原因について伝えなかった。けれど、佐倉さんは基先生から撮り直しを拒否され、理由に行き着いた。そして、嘘の理由をでっち上げ、俺と遠野さんだけで写真を撮ろうと考えたのだ。

「いい笑顔だよな」

 校内新聞の第二号を見て、遠野さんは満足そうにうなずいた。俺もそれに同調し、

「七不思議も残り六つですね」

 と応じた。


 三ツ谷高校七不思議その一。はじめ先生は笑わない。笑う姿を見たことがないだけで、先生も感情ある人間なのだから笑うに決まっている。七不思議は人に依存するものではないのだ。

 けれど、それを真に受けた人間がいた。基先生本人だ。信じたというよりも、信じさせなければならなかったのだろう。須田さんに聞いた話では、はじめのうちは『基先生の笑顔を見た者はいない』という内容だったそうだ。けれど、長い間語り継がれてゆくうちに、今の形へと変化したという。

『笑顔を見た者はいない』と『笑わない』とでは、根本的に意味合いが異なる。先生は嘘を憎み、清廉潔白を良しとする性格だ。他人だけでなく、その矛先は自身にも向いている。

 七不思議なんて与太話よたばなしを真に受ける人間は少ない。それでも、一部の生徒から向けられる期待の目に、基先生は背を向けることができなかったのだろう。まるで呪いだ。感情の一つを殺す呪縛。

 全て推測だ。もしかすると、新聞部が七不思議を存続させたほうが都合が良いと考え、写真データを隠匿いんとくしたのかもしれない。それでも、根本的な問題は変わらない。

 三ツ谷高校七不思議その一。基先生は笑わない。今回の一件は、この噂話が原因となっている。だから、俺たちはその原因を取り除くことにした。

「さすがの基先生も呆れて笑ってたよ」

 遠野さんが俺たちの似顔絵をひらひらと見せつけると、クラス中に笑い声がき起こった。今の一年生が七不思議であるととらえなければ、それは不思議ではなくなる。二年以内には基先生にまつわる噂話も七不思議の座から降りることになるだろう。

「基先生は恥ずかしがり屋だな」

 社会奉仕部の部室で、遠野さんは愉快そうに笑った。

「あるいは、意地になっていたのかもしれません」

 誰も信じていないのに、強迫観念に駆られて七不思議に従った。けれど、一度笑ってしまえば、その意地も続けられなくなる。

越渡こえど君は優しいね」

「そうでしょうか」

 遠野さんはうなずいて、

「俺が先生に詰め寄ろうとしたのを止めたじゃないか。一度笑わせちまえば、写真撮影に応じてくれるって」

 基先生に証拠を突き付け、写真データの差し止めを命じていたことを認めさせることは容易たやすい。恐らく新聞部にはまだ一度目の写真データが残っているだろうから、再撮影の手間をかける必要はなかった。

 けれど、それは基先生の心遣いを台無しにする行為だ。生徒らを裏切らないように、娯楽である七不思議存続のため鉄仮面まで被っていたのに、それを生徒に無理矢理がされ、嘘つき呼ばわりされるなど居たたまれない。

 ならば、写真データの使用差し止めについて言及せず、七不思議の呪いから解放すればいい。そうすれば、写真データの再撮影にも応じてくれる。

「それはあれですよ」

 俺は名状めいじょうし難い感情を何とか言葉に表す。

「基先生が可哀想ではないですか」

 遠野さんは愉快そうに笑った。その背後で部室の扉が開くのを俺は見逃さなかった。

「盛り上がっているところすまないな」

 基先生本人の登場だ。油断していた。俺も遠野さんも椅子から立ち上がる。先生が両手で腰を下ろすようにジェスチャーしても、俺たちは着座しなかった。

「様子を見に来られたんですか?」

「いや」

 基先生はばつが悪そうに首筋をき、

「この間は手間をかけさせて、すまなかった」

 と非礼をびた。

「私がはじめから」

「お忙しいのに無理は言えませんよ」

 機先きせんを制するように俺が口を挟むと、遠野さんも続いた。

「二回も時間をとってくれたじゃないですか。何も文句はないですよ」

 なおも食い下がろうと口を開いた先生だったけれど、やがて俺たちの様子を見て、

「すまなかった」

 と頭を下げた。

 たとえ生徒のためとは、せっかく撮影した写真を没にしたことに後ろ暗い気持ちがあったのだろう。あるいは、嘘をき続けたことに罪悪感を抱いたのかもしれない。

 遠野さんの疑問に意図があるように、基先生の言動にも意図がある。決して意味がないわけではない。それがわかっているからこそ、俺たちは基先生を責めるつもりなどないのだ。

「そう言えば先生、面白いものを見つけたんですよ」

 遠野さんが長机の上に置いたファイルを手に取った。社会奉仕部の活動日誌だ。パラパラとページをめくり、あるページを先生へと見せる。

 俺もページをのぞき込む。そこには一九七八年六月の活動写真がせられている。ちょうど三十年前だ。この頃からカラー写真があったのだと感動を覚える。

 写真には女子生徒が四人と坊主頭の男子生徒が一人写っていた。襟元えりもと徽章きしょうから察するに、男子生徒は三年生だ。未成年ながら精悍せいかんで、既に成熟した男性の顔をしている。

「これ、先生ですよね?」

 俺は写真と基先生の顔を見比べた。確かに面影がある。何より、先生の耳が赤くなりつつある。

「社会奉仕部って、男子生徒が少なかったんですね」

 確かに活動写真には女子生徒の姿ばかりが見受けられる。なるほど。だから、基先生は俺たちが入部しようとした時に渋い顔をしたのか。悪戯いたずらやただの点数稼ぎではないと勘繰かんぐったわけだ。

 学生時代の基先生は、今では考えられないほど眩しい笑顔を見せている。こちらが本当の姿なのだろうか。

 基先生は俺たちから顔をらした。

「……ほぼいない。十数年顧問を務めているが、男子生徒は片手で数えられる程度だ」

「だから、嬉しかったんですね」

 基先生が写真撮影で思わず笑みをこぼした理由がわかった。かつての自身と同じ志をもつ男子生徒が入ってきたことに、心が躍動したのだ。

 基先生は遠野さんをギロリと一瞥いちべつし、

「そう、だな」

 と呟いた。

 一番大切な思い出だからこそ、他人と共有するとこそばゆく感じるのだろう。何ら不思議ではない。けれど、今日からは共有することに楽しさを見出すことができるはずだ。


 基先生が去った部室にて、遠野さんは活動日誌を棚に戻すと、定位置となったパイプ椅子へと腰を下ろした。

「三ツ谷高校七不思議。その二。光葉寮みつばりょうには未開の間がある」

「設計ミスでは」

 遠野さんが笑う。今日は光葉寮内を探索することになりそうだ。意味も意図もない些細ささいな不思議だけれど、他の部活動の部員と交流を図るという意味合いでは、良い取り組みかもしれない。好奇心をあおり、人を動かしてしまうことこそが、ゴシップがゴシップたるゆえんなのだろう。

 果たして、残り六つの不思議は不思議たり得るのだろうか。せめて百物語が始まらないことを祈るばかりだ。



『三ツ谷高校七不思議』 了

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三ツ谷高校七不思議 万倉シュウ @wood_and_makura

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