7-8 ★もういいか & 8-8「もう・・いいよぅ」最終回

 

 


 お父さん、この辺りだと思うの。

 

 明け方近くの深夜にだ、彼等は何を探しているのだろうか。

 まぁ納得の行くまで探すが良いと思ったときだ、冷たい風がわが身を襲う。

 う・・さぶう・・


 ビニールシートで囲まれた屋台の出入り口から女性がでっかい大きな目をさらに見開らき、うつ伏す青年を凝視している・・

 いたわ、お父さん。

 やはり、ここにいたわ。

 ハスキーボイス声で父親を呼んだ。

 質素な服装の女性で二十歳をちょいと過ぎた頃合に見える。

 父親らしき男が続いて入ってきた。

 

 すみませんねぇ実は・・娘が彼氏を探しているのだという。

 この父娘は青年のいるこの場所をどのようにして知ったのだろうか。その事を父親に訊いてみた。青年が屋台で一夜を明かす破目になった原因は私の非にあることなどを話した上で尋ねてみた。

 すると、娘は携帯電話を手に取るとこれです。

 彼も私と同じくGPS機能を搭載した携帯電話を持っています。そう応えて話を続けた。

 彼が群馬の大学で経済学をもう一度勉強したいと言って高崎で学生生活を始めたとき、互いの居所を知らせ合うことで寂しさを癒せるからと一緒に買ったという。

 昨晩遅くに別れたのだが、彼の姿が上野のこの辺りから全く動いていない。二時間もあれば群馬に着くはずの彼が上野から移動していない。もしやと一抹の不安に駆られ父親と共に探しに来たのだと言う。何度も電話やメールを送ったが返事がない、彼の所在を掴めなくって心配だったと言うのである。


 隣にいたが呼び出し音のひとつ聞こえなかったと応えると、電車に、いいえ、彼は自宅以外では常にマナーモード派ですから、本人が気付かなければ誰にも分からなかったのでしょう。青年の肩に手を置きながら話す言葉の端々に彼を気遣う表情が漂う。なるほど、時代は進んだものだと思った。


 揺り起こすことをしないのはいま少しの間、休ませておこうという気配りなのだろうと思った。そして彼の両腕を冷やさぬように自ら使うマフラーを彼の肩にかける女性を見ると、彼に対する愛情の深さが吾が胸のうちに伝わってくる。これは惚れあっているぞ、彼女の愛情は本物だと思った。


 つい先程、彼の言う気まずい関係の相手の顔を見たいものだと彼の話を聴きながら思っていた、その本人がこの今目の前にいる。他人の私がいっとき交わした会話、一目会っただけで彼女の性格を見抜くことは容易いことではない。

 風貌や話す言葉のイントネーション、物腰から受ける印象に違和感はなかった。味噌とクソを一緒くたに計るべきではない。注意深く観察すれば相手のこころを計り知ることができる。彼女は性悪な女ではないと思った。


 恐らく両者のいずれかが浮世のノイズに惑わされ、それが些細な原因となって生じた疑惑だと思った。若さゆえの仲たがいだったのかとも思った。

 父親の姿が見えない、どこに行ったのかと訊ねると、この先の駐車場に車を置きに行ったと応える。ほう、律儀な人たちだと感心した。父娘は彼が眠りから覚めるまで、しばらくの間待つことにしていたようだ。


 真夜中であっても路上駐車を否とする心がけは容易く真似のできることではない。その親の娘である彼女は一通りの常識を持ち合わせていると思う。

 友人らの軽はずみな助言を真に受け信じてしまい、それを基に問い詰めたならば、そりゃ、気分を害し喧嘩に発展するだろう。受け流せぬ事だと仲たがいする光景をいくつも視てきた。


 オデンを食べながら青年の様子を見詰める彼女、身の細る思いに脅える影がちらりと視えた。それは恐らく生気の失せた彼の表情を思い出し、交際断絶かと危機を覚えたのかもしれない。若しそうであれば、自分から執成す言葉を掛けなければ取り返しがつかない結果を招くかも知れない。そのように考えれば心穏やかではないはず。それに彼女は気付いたのだろう。


 青年の恋う女性は彼を必要としているのは明らかである。であれば電話を幾度も掛けたに違いない。呼び出すも相手は出ず、メールを送るも返事はない。一計を案じGPSで探索を試みても上野周辺から動いていないと知れば、もしや・・一抹の不安が過ぎったのは明らかだ。


 娘の行動を視れば仲たがいなどしてはいない。彼の思い違いだと言い切ることが出来る。その証とは青年が高崎へと向かう電車に乗っていない事に気付き、深夜に父親を伴い探し出した。これは彼女が彼に惚れ込んでいる証だと思うからである。彼への愛情がなければ先ず遣らないことだ。その気がなければ遣らないだろう。この今行動しなければ恋は終わると彼女は必死であったと理解する。二人は仕合せへ確実に歩んでいる。彼らの恋は進行中であり休符の演奏中なのだ。


 やるせない雰囲気をかもす休符の演奏時間は間も無く終わる。キミは無音の世界で多くのことを経験しているはずだ。彼女との出会いから現在に至るまでの出来事を夢の中で映像として顧みている筈だ。或いは至福の語らいを音声として顧みていたはずだ。彼女と共に恋歌を歌い、歓喜溢れる心の動揺を甘受していたことを顧みていたことだろう。その全てを失うかも知れぬと寂しさを覚えたことだろう。


 この今、彼女もキミと同じく動揺している。休符を付したのは恋の神様のいたずらなのだ。心の動揺を誘う休符の演奏は間も無く終わる。キミが夜の明ける頃に目覚めたそのとき、不安をかもした休符の音から脱出すべく次なる恋慕を奏でる第一音、演奏が始まるのだ。その音調とは半音階上げた旋律で、音色はやるせなさを脱出させる乙女心、恋を歌う音調に転調された演奏となる筈だと確信する。君らは恋の歌を語り合うように歌えばよいのだから・・


 彼女の父親は騒がしたことを詫び、深夜にあっても路上駐車を避ける、そう振る舞うことは容易いことではない。あの父親ならば公平な目線で判断を下し、彼らの望む仕合せへと導くだろう、と確信するいま、一見のジジイが仲介役を買って出る幕などない。父娘で交わす会話に興味はない。

 

 四時・・少し前か。五時を回れば始発の出る時間、青年のことは彼らに任せればよい。ここを出ようと思い立った。勘定を支払い外に出た彼は冷気の中で吐息をつく、何かにわだかまる訳でもない、が心に残る不完全燃焼を吐き出す吐息だった。

 静かに静かに外気を吸い込み、背筋を伸ばすと腰骨辺りの痛みが心地好かった。

 外気のすがすがしさに包まれると映画スターのような気分になった。このような錯覚は良くあること、燗酒のいたずらなのである。


 始発の時刻にはまだ早い。さて、どうするか、思案しつつ公園口に通じる上り坂道を歩き始めた。歩き始めると街灯に映える周囲が眩しく見える。これも酔いのいたずらだと思った。公園の木々が冷たい風に煽らる音、葉のない枝の風切る音が妙に雰囲気を上げた。雲ひとつない夜空に数個の星が瞬いて見える。

 おや、月は・・どこだろう。月を探すも探しきれなかった。青年は程なくこの世で最も美しく優しい更待月の到来を目の当たりにすることだろう。ん、夜更けに待つ月・・ 違う、間も無く夜明けが来る。夜明けまで待てる月・・だな。まぁ、兎に角も私との縁は偶然の出会いであったのか、或いは神の悪戯なのか知る由もないが、彼らの運命は結果オーライだと言えるのだろう。


 ビニールシート一枚、その内と外では気温が全く違う。あの保温効果とはすごい、全身に吹き付ける冷たい風に自然と肩や背が丸まる。

 始発までここで待てない。凍えてしまう。ようし、歩こう、身体を動かせば温まる。急ぐ足ならば二時間チョイで辿り着く距離だ。夜の明ける頃にわが家に辿り着ける。荒川放水路を渡る頃、太陽のお供をする寒がりやの雲らがオレンジ色に染まる朝焼け雲を拝めるはずだ。酔いに判断を任せて足早に進んだ。

 それにしても・さぶい







  8-8 ★「もう・・いいよぅ」

 最終回


   

 陸橋の先は北上野辺りだろうか、ビルの輪郭が影絵のように見えた。

 真下を覗くと数え切れぬほどの線路が水銀灯に照らされて見える。

 上野の森の方角に眼を遣った。夜の残る西の空低くに月が見えるがぼやける。

 なだらかな坂を駆け上がった訳ではないのに気だるさを感じていた。暫し呼吸を落ち着かせようと陸橋の中ほどで夜空を仰ぎ見つつ想いに耽った。


 あの青年はわたしのことを小うるさい、胡散臭い爺だと思っていたことだろう。独り善がりの爺だと思っていたに違いない。歳を重ねたせいか、日々の話し相手を失ったせいか、近頃どうも理屈っぽくなっている自分を感じる。

 酒に責任を負わせるつもりは毛頭無い。毛頭もないが自分勝手な話に愚痴を織り交ぜ、くどい話をしゃべり過ぎた。青年につまらん付き合いをさせてしまったと後悔の念が過ぎった。


 太腿の内側辺りに痺れが走った。

 屋台に居座り続けたことのエコノミークラス症候群か、或いは冷えからきた痺れだと思った。なぁに、二三十分も歩けば治まる、治るはずだ、体温が温まれば痺れが癒える筈だ、行くとしよう。

 陸橋を下り下谷、根岸、南千住を抜け荒川方水路に架かる堀切橋のたもとまで歩き来た。


 呼吸を整え、頭をもたげるとため息がでる。

 この辺り迄くるとせせこましい街中のそれまでの風景と違い、空間の広がる景色の変化に安堵を感じる気分になった。

 清々しい朝に溶け込む夜明けに立ち会えた感動に浸った。

 対岸の首都高速に合流するジャンクションが景観を狭めているが美しい。

 確実に時は進み東雲の空が白み始めている。

 居残る夜を押し退ける朝日の射すあたりに浮遊する朝雲は地上を覆うように広がっている。


 橋の中ほどまで来た。すると川面を跳ねる魚の水音が聞こえた。

 半身を乗り出し川面を覗くも薄暗くて見えない。多分、大きな鯉かフナが飛び跳ねたのだと思った。数歩先へ歩みだしたときだった、いきなり胸に鈍痛が襲ってきた。

 鈍い鈍痛はこれまでに度々経験していた。

 なぁに、いつもの痛みだろう、しばらく休めば治まるはず、そう言い聞かせた。

 だが、ここで、橋の中ほどで休む訳には行かない、冷える川風に晒されれば凍えてしまう。堀切菖蒲園駅脇に交番がある、訳を話して休ませてもらおう。そう思い立って先へと進んだ。


 荒川の川幅は広く架かる堀切橋は900mほどの距離だと聞く、とても長い。

 風を遮る壁など無い橋の中ほどから渡り終えるまで、この後四、五百メートルはあるだろうか。痺れと胸痛を堪えながら歩くが思うように進んでいない。

 橋を渡り終えるまでどれ程の時間を費やしただろうか。階段を下り切れば交番がある。その交番を目前にし自身を励ますように言い聞かせた。駅からは二キロ強の道のりで三~四十分チョイとでわが家にたどり着く。


 赤レンガの壁に身を寄せて足の痺れを堪えながら悔やんだ。年甲斐も無く夜明けの川面の風景を楽しもうと歩いてきたが、歩かなければ良かったと後悔したまさにそのときだった。足がもつれ転倒した。路面に打ちつけた身体のあちこちに痛みが走った。起き上がろうと身をよじるも吾が身は動かない。


 それどころか苦し胸の痛みが再発した。

 気が遠のくなるほどの痛みだ。正気の薄れゆくのを覚える痛みだった。路面にこすりつく頬は冷たさを感じない、路上にわが身が伏せているというのに冷たくない。なにも感じないのだった。俺は感覚を失ってしまったようだ。この場で逝くのかと死への恐怖に脅えた。


 つい先ほど休息したガード下から子犬が飛び出てきた。子犬は自分の行くべき道を鼻でなぞって追いかける。路上に横たわる老人に興味をもったのだろうか、一目散に走ってくる。子犬の後を追って女性がガード下を潜り抜けてきた。先ゆく子犬は路面に残る臭いを楽しんでいると思ったのだろう、子犬を呼びつけた。

 壁際に塊が見えた。

 粗大ごみと思ったがどうも様子が変だ。

 近づくにつれ違和感が走った。

 

 意識が薄れゆくなかでも聴覚はある、かすかな音をも感じていた。

 その音は誰かが近づき来る靴音のようだ。硬い靴音だと感じ取った。

 すると、女? 女性だと判断した。


 その靴音が止まった。しかも手を伸ばせば手が届く傍で靴音が停まった。

 どこの誰だか分からない、が、この女性は俺を助けてくれるのだろうか、助けて欲しいと願った。


 助かるかも知れぬ、確かめようと頭をもたげようとするも、首が動かない。

 助かりたいと思ったときだ。名前を呼ばれた気がした。

 俺だと見知ってか、緊張気味の声で呼ばれた気がした。


 上目遣いで見上げると女の顔がぼやけて見える。女は不安気な顔をしていた。この俺に手を差し伸べる女の声に、顔立ちに見覚えがあった。顔の輪郭が吾が心底に今なお残るあ奴によく似ている。意識が落ち行く中でそう思った。

 半世紀も以前に別れたあの女が、この今、俺を見下ろしている。俺が伸ばす手を握り返すその手は温かかった。


 これは、幻覚だ。幻覚に違いない。考えてもみろ、別れてから、既に半世紀を越えているんだ、しかも音信不通なのだ。してみれば彼女の魂をおれ自身が呼び込んでいるのだ。若き頃の俺がこの女に看取って欲しいと願っていた願望をこの今、俺が、幻覚という形で彼女に看取らせるために呼び寄せたのだと思った。


 俺が道端で命の尽きる哀れに立ち会わせる為に呼び寄せたのだろう。あの女に抱いている残愛という種子を心の中で育てていたとしか思えない。俺は、俺自身の欲望をかなえる幻覚をありがたいと思う、看取られて意識が薄れてゆく独りよがりの仕合せに感謝した。睡魔に似るも睡魔とは異なる異次元へと落ち逝く初めての感覚を甘受することにした。枯淡の境地に達せぬも、この地で命終とするか・・


 昔、植物の本で読んだこれが・・あれか。

 心の中で種子が発芽する条件をおれ自身が満たしだのだ。

 俺の心を支配せよと命令された古傷が生き物のように蠢くのを感じる。

 歳若ければ未来を夢見るが老いたる今、過去の刹那を追い求める夢を見るのか。

 

 次第に、次第に気が遠のく。

 わが人生を顧みる走馬灯は暗闇のなかに落ち行く。

 今日は四回も逢いにきたか・・

 もういいか・・・・

 アリガト・・ウ・・

 アリガト・・ウ・・

 顎を突き出し遠くを見遣る視線の先には女房ではなく想い焦がした女の手を掴もうと右手を伸ばしている。

 胸を大きく膨らましゆったりと息を吐いた。

 血の気が失せ行く顔色、目は見開くも微動だせぬ身体は既に蝋人形のような冷たい物体へと化してゆく。

 子犬を抱える女性が通りかかった、彼女は恐る恐る不確かな状態を確かめるべく手首に指を当てた。

 死んでいる。

 死、死んでいると・・叫んだ。

 それは言葉にならぬ声だった。

 

               完








               



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

紫陽花 ほうがん しゅん @sarasapaipaipai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ