恋する二つの魂

海沈生物

第1話

1.

 立春の頃の話だ。教室に忘れた教科書を取りに行くと、地球人型生命体エイリアンが倒れていた。が入っているのか入っていないのか触れて確認すると、思わず手を引いた。周囲に幾つかの気配があった。これは触れてはいけない。俺はさっさと自分の机から教科書を持ち出すと、面倒ごとになる前に教室から出た。

 教室からしばらく歩いて誰も追ってきてないことを確認すると、ほっと一息つく。吐いた息はまだ白い。先月の雪が降るような寒さよりは春へ着実に近付いている感覚があったが、それでも人肌が恋しくなるような寒さであることには変わりなかった。


 そんな季節の移ろいを感じつつ帰路に着こうとした瞬間、背後からポンッと押された。俺は目の前にあった三階の踊り場から落とされると、そのまま。それ自体は(油断していたとはいえ)よくあることなので、「あぁ、またか」と驚きは特になかった。

 俺はさっさと肉体から魂を「分離」させると、『魂の目』で周囲をスキャニングする。上階から計画犯と思われる奴らが三人、そして背後に背中を押した実行犯が一人。スキャニングを終えると、俺の背後から犯人は隠そうとして隠しきれていない焦った表情で、俺が死んだ姿に動揺していた。


『おい、アミガサ。珍しいじゃん、お前みたいなお嬢様タイプが俺を突き落とすなんて。もしかして、弱味でも握られてるのか?』

「ち、ちが……わたくしは……」

『ハハッ、別に理由はどうでもいいよ。他の奴らはともかく、アミガサが相手なら構わないよ。今日の肉体もどうせ、また奴らのくだらないイジメごっこに潰されることを想定した劣悪品だったし』


 そんな俺の言葉が聞こえていないのか、アミガサは泣きそうな表情のまま去っていこうとした。だが、まだ話は終わってないのだ。彼女なら俺は全然許すが、財布はそのことに対して「今月はもう……」と言っている。せめて、彼女の有り余る財力で半額ぐらい出してほしい。階段を下りて逃げるアミガサに「ねぇってば」と声をかけたが、素で聞こえていない。今の極度の錯乱状態の彼女にとっては、俺の声は幻聴の一種だと思われているのか。


 そう思って諦めようとした瞬間、俺の『魂の目』が妙な動きを検知した。さっきまで上階にいた実行犯三人が、この近くを通っていた形跡があった。まさかと思って彼女に手を伸ばしたが、魂状態の俺には手も足もない饅頭型である。アミガサは階段に仕掛けられていた有刺鉄線で足を躓かせると、一階と二階の間にある踊り場から一階まで時代劇のように転び落ちていった。


 俺は思わぬハプニングに顔を青くすると、アミガサが呼吸をしているのか確かめる。……大丈夫だ、肉体はまだ呼吸をしていた。しかし、どうしたものかと思う。このまま放置して逃げれば、俺が彼女を突き落としたと疑われる心配はない。いくら計画犯三人が俺を罠にハメようとしても「俺はその場にいなかった」と言い張れば、どうにか押し切ることができるだろう。しかし、相手はアミガサなのだ。そんなことをするのは躊躇いがあった。


 せめて死ぬ瞬間だけは看取ってやりたいと彼女の傍に近付いた。この「死」が肉体と魂の分離でしかないとしても、彼女は事実以上にそのことに対して責任感を感じてしまう性質なのだ。俺はアミガサの頬に寄ると念じる。大丈夫だから、俺は気にしない。むしろ、お前に殺されるなら本望だ。だから、安心して死んでほしい。ただひたすらに俺は彼女のことを祈っていると、ふとが起きた。彼女の肉体から魂が分離したかと思うと、上階の方へと上がっていく。一体どうしたのかと思って追いかけると、彼女の魂はついさっき死んだ俺の元肉体の中に入った。

 

 アミガサの魂と俺の元肉体は「合体」すると、まるであたかも普通の憑依であるようにしてむくりと彼女は起き上がった。その姿に俺は思わず抱きしめにいく。


「こ、これは一体どういうこと……ですの?」

『そんな経緯なんて、どうでもいいだろ。なんてこと、としか考えられないだろ!』


 まるで地球人型生命体エイリアンの一部が信仰していた宗教の主が復活した時のような、狂信的な喜びを俺は胸いっぱいに感じていた。

 

2.

 地球人型生命体エイリアンとは、俺たち新人類の安価な肉体であり家畜でもある。過去には「人間」や「human」のように別の名称があった。だが、今となっては過去の話である。今の地球を支配しているのは、既に新人類に成り代わっている。


 新人類と地球人型生命体エイリアンの性質的な差はいくつか存在する。例えば「魂が本体である」という点だ。俺たち新人類の真の心臓は魂である。この魂とはよく勘違いされるが、劣化しないわけではない。そして、いくら魂といえども不老不死ではない。むしろ、俺たちは地球人型生命体エイリアンより平均寿命が短命なのである。ただし、肉体は自由なのだ。それだけでも採算が合うと俺は思っている。


 また他の例として、「新人類は地球人型生命体エイリアンより知能指数が高い」という点が挙げられる。これは今にも繋がる話なので詳しく話すが、要はという話である。


 大昔、先祖たちはこの地球という星に到着した。そこには地球人型生命体エイリアンの存在が確認できた。先祖たちはその事実を大いに喜んだ。素晴らしい、宇宙には俺たちの他に知的生命体が他にいたのだ。しかも、高度な文明を築いている。それも、宇宙へと進出できるレベルの技術だ。

 先祖たちは未知の存在に対して大いなる期待を抱いていた


 しかし、その期待は数週間で崩れ去った。なんということか、地球人型生命体は世界を自ら滅ぼし続ける愚かな生き物だったのだ。先祖たちは嘆き悲しんだ。宇宙のリソースは貴重なものである。それをあんなにもこの星のリソースを大量に浪費して、非効率なやり方で大量のゴミを出し、そしてこの星を滅ぼしている。それはなんとも許し難い行為だった。許されるべき行為でなかった。


 新人類は地球人型生命体エイリアンに宣戦布告しなかった。ただ、一方的に地球人型生命体エイリアンを滅ぼした。俺たちの文明にはちょうど「高度な思考を持った生き物を殺す装置」があった。雑に地球人型生命体どもを滅ぼすことができた。こうして、地球は平和を保たれたのだった。めでたしめでたし、という話だ。


 話を戻すが、アミガサは俺の死体に憑依してしまった。「えっ? 死体に取り憑くことができるんだ」と思うかもしれないが、俺もそこに心底驚いている。


 本来、俺たちは「生きている者」にしか取り憑くことができない。俺たちは言わば(あまりこういう表現は好まないが)寄生する生き物の一種である。この星で木に寄生するキノコをイメージしてもらえれば良い。———もちろん、キノコのように私たちは分裂するわけではないが———俺たちは寄生対象が生存していなければ、肉体を持って生存することができない。キノコだって栄養のないカスカスの木に寄生したとしてたら、胞子という「魂」がいくらあっても、木という「肉体」に寄生することができない。

 だからこそ、俺たちは家畜である地球人型生命体エイリアンを培養し、大量生産し、販売されている肉体を購入し、そして憑依して生きているのだ。そんな面倒な過程を踏んでいるのも、俺たちは「死者」に取り憑くことができないことに起因する。何度か死体に憑依することができないかと俺も試してみたことはあるが、定説通りに一度も成功したことがなかった。


 しかし、目の前にいるアミガサは「死んでいる者」に憑依している。安物の肉体なので使い勝手は悪そうだが、それは紛れもない真実だった。彼女はこの奇妙な事態に対して呆然としていた。当たり前である。俺だってこんな事態に直面すれば同じ顔をする。心の中で頷きながらも、俺もアミガサの肉体に入り込めないかとやってみた。だが無理だった。仕方ないので、もうしばらくは魂のままでいることにした。

 

 しばらく待っても呆然としたままの彼女を見て、俺は仕方なしに魂の身体を押し付けて頬を凹ませてみた。それでも、俺の存在に気付いてくれない。ただその頬が凹んだ顔というのは思わず、俺の中にあるキュートアグレッションが刺激される表情をしていた。疲れたので一旦凹ませるのをやめて休憩したのち、もう一度頬を凹ませようとする。しかし、その行為はアミガサの指先に捉えられることで失敗した。


「あのー……人で遊ぶのも大概にしてくれないかしら?」

『あーすまんすまん。それで? 俺の死体に憑依してくれたのは嬉しい限りだけど、それができるのなら、低品質な俺の死体じゃなくて、アミガサの高級な死体に分離して移動した方が良くないか?』

「ぶ、分離ですわよね? もちろんできるわよ? できると思うけど、その…………」


 段々と落ち込んでいく彼女の表情で全てを悟った。ただ、あまりにも落ち込んだ表情のためになぐさめてやりたい感情が湧いてきた。


『あー……キスでもしてみるか?』

「は、はあぁぁぁぁぁぁぁぁ? どうして急にそんなことをシャグマとしなければなりませんの? そもそも、わたくしたち新人類は生殖行為で増える必要がない生き物であり性的な行為など———」

『はいはい、俺が悪かった悪かった。ただの案だよ、案。この星の昔話だと、こういう時はキスをすれば解決することが多いからな。そういうことがあるんじゃないかなーと思っただけだ』

「あら、少しは真面目に考えてくださっていたのね。そこは評価す…………そうだわ! わたくしの旧友に、魂について詳しい方がいらっしゃいますの。その方を訪ねて、どうにか抜け出すことができないか聞いてみましょう!」


 宛があるのか、それは良かった。俺はそれじゃあと去っていこうとすると、魂の身体を片手で捕まれた。強制連行だ。振り払って逃げたいところだったが、乗り気な彼女をまたさっきまでの落ち込んだ表情にさせてしまうというのも嫌だった。

 仕方がないので、「行きますわよー!」と元気になったアミガサのなすがままにさせておいた。


3.

 日も少し暮れかけてきた頃、彼女に連れて来られたのは、普段は死んでもいかないような巨大なビルだった。「株式会社ネクロ」と書かれているのを見て、すぐに子どもの頃にCMで見たネクロの宣伝を思い出す。「ネクロ・クロクロ・ネクロ株式会社」というフレーズが今でも耳に残っている。


『あの、さ。一応了承した口で言うのもなんなのだが、本当に大丈夫なのか?』

「今更何ビビッてますの、シャグマ? いくらアポを取っていないとはいえ、わたくしとその博士は旧知の仲ですわ」

『……そうなんだな』

「あ、あぁ勘違いしてくださいませ? わたくしと博士の間に何の関係もありません。ただ、よく話を聞いてもらっていた……というだけですわ」


 アミガサの含みのある言い方に勝手に何かを察してしまう。俺にとって彼女の過去などどうでも良いことだ。追求するつもりはない。今の関係性を壊したくないし、なによりアミガサ以外の相手に興味がなかった。たとえ、それがアミガサの「何」であったとしても。

 

 株式会社ネクロのビルの中に入ると、まず目に入ったのは食料品店である。まるでデパートのような盛況ぶりに驚いていると、アミガサが「一階は食料品売り場として開放していますのよ」と小声で教えてくれる。

 ネクロは名前から反して自由な社風をモットーにしている。主に取り扱っているのは俺が今使っているような憑依用の地球人型生命体の販売なのだが、その一方で食用の地球人型生命体の販売も行っている。そのため、後者の販促も兼ねて一階で月に一度のペースでマーケットを開催しているらしい。今日はたまたまその日に当たったようだ。


 ぼんやりと買い物客やお店を見ていると、地球人型生命体エイリアンの肉入り焼きそばや、内臓の肉を甘辛く炒めた物などが売られていた。高級品として過去に羊や牛と呼ばれた肉を購入することも売れられていたが、ただの庶民である俺には一週間分の昼ごはんに相当しそうな値段をしていて顔が歪む。

 実演販売で焼いている牛肉のサイコロステーキを見ると、思わず「美味しそうだな」と声が漏れてしまった。


「……このあとちゃんと分離することができたら、の話ですが。お祝いにお前と牛のサイコロステーキを食べるのも良いかもしれませんね」

『牛のサイコロステーキ? それよりも、ちょっとお高い人肉の方が安いし沢山買えるし良いだろ。その肉を使って、数年前にお前が死にかけた俺に作ってくれたすき焼きをまた食べたいんだよな』

「す、すき焼きって……確かにアレは美味しかったと思いますが、本当にすき焼きで良いんですの? 人肉より美味しい肉ならいくらでも……」

『良いんだよ、良いんだよ。思い出補正があるかもしれないが、俺はお前が作ってくれたあの低品質なすき焼きの味が好きなんだよ。あのひたすらに甘ったるくて、舌が溶けてしまいそうなあの味がな』


 アミガサは俺の言葉に対して頬を膨らませると、ふんっと黙り込んでしまった。嫌味を言ったつもりではなかったのだが、そう聞こえてしまったのだろうか。さっさと謝ったが「怒ってませんわ」の一点張りで全然謝らせてくれなかった。


 そうこうしている内に、エレベーターに乗って24階にやってきた。これまた中途半端な階だなと思っていると、やがてアニメの敵幹部みたいな顔をした白衣のお姉さんがコーヒーブレイクしている姿が見えた。明らかに俺よりも性格が良さそうだ。駆け寄っていった彼女は、目をいつもよりキラキラと輝かせていた。


「あら、アミガサ。久しぶりね。またねだりにきたの?」

「ち、違いますわ。昔のことを掘りかえして、からかわないでくださる?」

「あら、そんなつもりはなかったのだけれど。申し訳ないわね」


 心底アミガサをからかうの楽しんでいるお姉さんの姿を見ると、少しイラッとした。普段は俺だって同じことをしているはずなのに、なぜか嫌な感じがした。俺は楽しく話している二人に対して露骨な咳払いをすると、お姉さんは俺の存在に気付く。俺とアミガサを交互に見ると「なるほどね」と言って、含みのある笑顔になった。


「あら、饅頭型の王子様がそこにいたのね。ごめんなさい。あんまり遊ぶと肉体に戻った後に殺されにきちゃいそうだから、そろそろ本題に入りましょうか。今日はどうしたの?」


 顔を赤らめて黙るウブなアミガサを横目にして、俺は状況説明をする。相手がアミガサ曰く「博士」であるおかげだろうか。本来あり得ないはずの出来事も、さっきまでの態度とは打って変わり、そのお姉さんは真剣に聞いてくれた。俺たちの話を聞き終えると、お姉さんは溜息をついた。


「私から言うべきものか迷う話なのだけど……それは、”片思い”ってやつね」


 お姉さんはそう言うと、ちょうど手に持っていた本を見せてくれた。そこには二種類の地球生命体の写真があった。高校の保健の授業で見たことがある絵だなと思った。いつも授業は寝ているので、内容は覚えてない。つい女体の方へ見惚れていると、お姉さんはコホンと露骨な咳払いをする。


「あーそれでなんだけど。まず、私たちは魂の生き物よ。あくまで肉体には寄生しているだけで、肉体が死ねばフリーな状態になる。ここまでは良い?」

『大丈夫です』

「理解が早くて助かるわ。それでここから本題なんだけど、ある一定の状況下でその定説が崩壊する時があるの。それが”片思い”をしている状況よ。この状況に陥ると、とにかくへんてこな事態が起きるの。例えば、片思いする相手と同じ肉体に入って分離できなくなったり、り、とか」


 アミガサはただでさえ赤かった顔をさらに赤くしてその場に倒れかけた。俺は博士にそんな彼女を近くのベンチで仰向けに寝かせてもらった。


『……それで話を戻すんですが、つまりその”片思い”という状態が解消されたのなら、アミガサは死体を脱出することができるんですね?』

「そうよ。ちなみにこういう時のオススメな方法は、片思いしている相手と二人だけで安心して話せる場所へ行くことね。家でもホテルでも良いけど、とにかく”お互いの感情をちゃんと伝え合うこと”が重要なの。そうすれば、大体の件は解決しているわ。一応実際の参考事例をまとめたものがあるから紹介したいんだけど———」


 社内放送で「博士、博士。そろそろ長いティータイムを終えて実験室に戻ってください!」と呼ばれると、顔を歪ませた。博士はさっき見せてくれた本を俺に押し付けてくると、「”成功”することを祈っているわ!」と言って大急ぎで去っていた。

 俺はベンチの上でまだ顔を赤らめているアミガサを横目で見ると、また「可愛いなぁ」とキュートアグレッションがくすぐられる。ガラス越しの外では、夕陽が山の中へと落ちかけていた。


4.

 都会の真っ暗闇な星空を見ながら、ホテルの中で湿った溜息をつく。借りた本は役立たずだった。あのお姉さんはプロなので現状を打開するための策の一つや二つが載っているの信じていた。

 その結果、本にはただの保健の教科書レベルのことしか書いてないことが分かってしまった。最後のページに「返却はいつでもいいわよ♡」と走り書きされた栞があった程度で、何の価値もなかった。好きでもない人間からの「♡」のウザさに焚書してやろうかと本気で思ったが、彼女の手前なのでやめた。


 あれから、俺はネクロの一階の端で売っていた安物の肉体を購入した。結構な当たりなようで動くには動くが、いつも使っている市販品よりも身長が高いので、なんだか変な感じがする。

 俺が自分の身体の調子に慣らしていると、お風呂場の方から「上がったよ」とだけアミガサの声が聞こえてきた。俺が振り返ると、まるで避けるようにしてトイレの中に消えた。その姿にまた溜息をつく。


 結局、俺たちは話し合いの場として自分たちの家ではなく、ホテルに泊まることにした。お互いの親には「友達に誘われたから友達の家に泊まる」と誤魔化しておいた。明日も学校があるし課題もあるのだが、これはもう休むしかない。地球人型生命体エイリアン時代から儀礼的に続く「義務教育」という慣習の面倒さに辟易としする。

 それよりも、今は彼女のことである。片思いしているのは確実なのだが、それをどうやって解消するのかが問題だった。単に俺が「好きだ」と言っても、また放課後出会った時のように極度の錯乱状態に陥ることになれば、まともな話し合いができなくなる。お姉さん博士も言っていたが、そうではなくて、ちゃんと感情を伝え合わなければならない。そのためには、ちゃんと彼女が話しやすい流れを作ってあげなければいけない。


 枕に顔を埋めてその方法を悩んでいると、トイレからアミガサが出てきた。俺はまだ方法を思い付いていなかったので眠ったフリをしていると、彼女は私の隣に座ってきた。アミガサ一人分ほどベッドが沈む。

 彼女は俺の足先の方へ寄ると、そっと彼女は俺の足先に人差し指を当てた。スゥーと線を書くように肌をなぞられると、思わず声が漏れてしまう。その声にアミガサの溜息が聞こえた。


「……嘘をついても無駄ですわ。何年付き合っていると思っているのかしら。シャグマの寝たフリなんて、簡単に見抜くことができますわ」

「それじゃあ……えっと、俺がお前のことを恋愛的にどう思っているのかは?」


 アミガサの声が消える。俺はバッドコミュニケーションを取ってしまったのではないかと焦る。いや、俺の方が焦っていたらしょうがないんだが。深呼吸すると、彼女と顔を合わせないまま口を開く。


「俺は……信じてもらえるか分からないが、アミガサのことが恋愛的に好きだ。俺は過去に何度もお前の存在に救われたことがあるし、なにより……親友が突然消滅して自暴自棄になっていた俺を、ちゃんと一人の”新人類”として見てくれていたのは、今も昔もお前しかいねぇんだよ」

「……ですが、それは学校という箱庭の中の話ですわ。社会に出れば、シャグマのことを普通に受け入れてくれる方はいくらでもいます。それに、わたくしはシャグマを救った記憶など……むしろ、わたくしは……」

「お前に自覚がなくてもあるんだよ。救われるっていうのは、別に救おうと思う人間がいて救われるわけじゃない。本人が予想していないことで勝手に救われる、ってことはザラにあるんだよ。だから、お前が救っている自覚がなかったとしても当然だ」

「ですが! わたくしは、今日、シャグマを……」

「突き落とした件程度、怒ってねぇよ。あれより酷い被害を受けたことがあるから、というもあるが、俺に関しては自業自得だからな。悪いことをした、だからイジメられている。突然の摂理さ。憤りを覚えるなら、過去の自分を恨んでいるぜ」


 俺はぐるりと背後を振り返ると、隣に座っているアミガサを背後から抱きしめた。


「まだ間に合う。俺のことが嫌なら、この手を振り払ってくれ。嫌じゃないなら、その……っ!」


 アミガサは俺を押し倒すまま、キスをしてきた。身体がベッドに押し倒されると、彼女の震える目を見る。彼女は泣いていた。死体には水分などないはずなのに、確かに泣いているように見えた。思ってもいない涙に俺は焦るが、彼女は泣いたまま俺にキスをしてきた。息をする間もないまま、彼女と長いキスをしてきた。強烈な腐敗した肉の匂いがしていた。舌は完全に乾燥していて、唾液を絡めることすらできなかった。多分これは脳が感じる快感としては通常より薄いはずだった。ただ、一方的に物体を相手にしている感覚に近かった。

 それでも、俺はそこに彼女の魂を感じていた。快楽を感じていた。彼女が喘ぐ声が、キスで息もできなくなっている感覚が、俺を愛してくれるのだという決意のように思えた。俺も彼女につられたのか、涙が出てきた。いつもはこんなに涙もろくないはずなのだが、どうしてだろうか。両腕を彼女に塞がれているので涙も拭うことができなかったが、その涙を彼女は舌先で掬って舐めとった。


「……甘い」


 その言葉を言った瞬間、彼女の中から魂が出てきた。空っぽの死体がベッドから落ちていくと、死体から出てきたその魂は俺の肉体の中に入って来た。魂を感じられる。恋する二つの魂が、同じ身体の中にあった。魂が混ざりあって、お互いの感情がまるで自分のことのように感じられた。

 果てることなく、その魂の交じり合いを数時間続けていた。いつしか二人で肉体の外に「分離」すると、疲れ果てた俺とアミガサは魂の身体のままベッドの上に倒れる。その間もお互いに離れることはなかった。俺たちはそのままウトウトすると、ベッドの上でそのまま眠ってしまう。意識が落ちる直前まで、俺の心は彼女という存在への愛で満たされていた。


5.

 翌朝、目を覚ますと玄関に地球人型生命体エイリアンが置いてあった。その上には「アミガサへのお詫び用」と書かれていた。わざわざ文字で起こしてしまうその可愛さに頬を緩めつつ、彼女へ気付かれないようにして、その中に入る。

 手を通すと、それだけでいつもの肉体より数倍強いことが分かる。これは階段の十段や二十段程度を落ちたとしても死ぬことがないだろうと思った。俺はその良い身体に感謝しつつ、アミガサがキッチンで朝ご飯を作ってくれているのを見た。キッチンに置いてあるトレイには、ネギや人肉等の様々なものが載っていた。俺はそれを見て咄嗟に朝ご飯が何かを悟る。包丁を置いて一段落したのを確認すると、アミガサを背後から抱きしめた。なんだか、頬が緩んでしまう。


「おはよう、アミガサ」

「おはようございますわ、シャグマ。……でも、急に抱きしめたら危ないですわよ。あまり料理をしないので、苦手ですので」

「そうなのか? ……よし、だったら俺が手伝ってやろう。”恋人”だからな。……だよな?」


 そういえば、昨日はお互いに「好き」であることを確かめたが、付き合う付き合わないの問題は話していなかった気がする。途端にお姉さん博士の「ちゃんと感情を伝え合うこと」という言葉が蘇る。伝え合わなければ、こうやって不安な気持ちのまま変わることができないのだ。

 アミガサはそんな不安になっている俺に対して、ふふっと笑った。


「なんで笑っているんだよ」

「なんでだと思う?」

「知らねぇよ。俺はお前じゃないんだから。……言ってくれないと、分かんねぇよ」


 アミガサはそんな俺に対してまた笑みを漏らすと、俺の目を見つめ、キスをしてくる。


「わたくしも”恋人”だと思っていますわよ、シャグマ?」


 なんでだろうか、いつも顔を赤くする側だった俺の顔が熱い。手の甲で熱くなった頬を少しでも冷まそうと努めていると、そんな俺にまたキスをしてくる。拒絶しようと思ったが、それよりも先にされてしまった。思わず顔を隠してしまう。


「”キュートアグレッション”というものを今まで感じたことがなかったのですが、きっとこのようなものを言うのですわね。ねっ、シャグマ?」


 すき焼きの甘いタレの香りを感じながら、俺はその場にへたり込む。つい唇の感触を反芻すると、恥ずかしさで消えたくなった。ベッドに顔を埋めたくなった。恥ずかしいという感覚を、初めて感じたような気がする。

 窓から差し込む朝日は、俺たちを優しく包んでいる。

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