UFO

『……おはよう』


「……おう」


 言葉少なな朝だった。

 俺たちに共通する陰鬱さが、ワンルームを渦巻いている。

 我が物顔のそいつが腹立たしくて、俺は窓を開けた。

 空気を入れ換えて、気持ちを切り替える。

 確かに、昨日よりは涼しい。澄んだ風が、こころの淀みを持ち去っていった。

 Fの表情も、少しだけ軽くなった気がする。


「よし、メシ食うぞ。そんで、今日のプランを立てよう」


『うん、そうだね。なにしようかな?』


 覚悟はできたみたいだな。俺も、おまえも。



『どう? 透明になってる?』


「うおっ、すげえ。マジで消えてる」


 光学迷彩を起動させたFは、周囲に溶け込んで見えなくなった。

 思わず目を瞠る。すごい精度だ。

 逆側に回り込んでも違和感はない。Fを透かして見るアスファルトの遠くで、陽炎が揺れていた。


「じゃあいくぞ。ショッピングモールでいいんだよな? あまり高いものは買えないけど」


『うん。……ごめんね。お金はぜったい、そのうち返すから』


「……俺は薄給なんだ。約束だぜ」


 Fは返事をしなかった。透明なこいつの、表情を読むことはできない。それでも俺に不安はなかった。

 約束を果たすときを夢見ていよう。



『これがほしいんだ』


 ウインドウショッピングもそこそこに、目的地にまっすぐ向かうF。

 そして、追従する俺に目当てのものを指し示した。


「コンパス……? こんなんでいいのか?」


 プラスチック製の安いコンパスが、針で俺たちを繋いでいる。その様子が、妙にこころに刻まれた。



「花火、買ってくか」


『えっ!?』


 ちょ、声でかい。客や店員に聞こえたらまずいだろ。

 たくさん入っているものを手にとって、レジで精算する。

 夏らしいこと、やれてねえしなあ。プールも海もいってない。花火大会も終わってしまった。

 それでも、夏の終わりには花火だろ。区切りには、ちょうどいい。



『今日の先発は!?』


 フードコートで昼メシを食ってから、一旦帰宅。

 夜に向けて英気を養いつつ、野球を観ることとなった。

 しかし、Fの気合はすげえな。背後に炎が見える。


「谷間の若手、しかも初登板だな。ホームで連敗だし、プレッシャーすごそう」


 Fは手を合わせて祈る。野球ファンになったころの純粋な俺が、そこにはいた。



「……がんばれ」


 試合は乱打戦の様相を呈していた。

 手に汗握る、一進一退の攻防。

 シーソーゲームは胃が痛くなるから、すきじゃない。

 楽勝ムードなら試合を観て、先発が炎上したならテレビを消せばいい。

 俺はそうやって、惰性で野球を観ていた。

 だけど、となりのやつが。

 しゃべることを忘れたこいつが、テレビにがっついているおまえが。

 ――Fが、俺のこころに、火をつけた。

 俺のほうが先にファンになったんだ。応援で負けるわけにはいかない。

 追加点が入り、ドームが沸く。思わず飛び出たガッツポーズ。

 熱をもったからだが、心地良かった。



「この時間なら、ひといないみたいだな。貸切だぜ」


『ほんとだ。オフにしちゃっていいかな?』


 頷く俺。虚空からFが現れる。

 試合を観たあと、俺たちは焼肉を食いに出かけた。

 傍から見ればひとり焼肉だったろう俺は、少し緊張していた。Fは緊張とは無縁の顔で、焼肉を堪能していたっけ。

 ご満悦のFと俺は、腹ごなしにゆっくり歩いた。

 道中に会話はなかった。が、いやな沈黙ではなかったと、俺は憶えている。

 そうして辿り着いたのが、近所のでかい公園だった。


「よし。じゃあ、始めるぞ」


 水を入れたバケツを用意して、Fの持つ花火に、ライターで火をつける。

 Fは、珍しく緊張の面持ちだった。


『うわっ……!』


 勢いよく噴き出した花火に、目をまるくするF。

 それでも手を離さず、ことばも忘れて、ただ見入っていた。

 やがて、火が消える。そこで、ことばを思い出したようだった。


『……いいね、花火』


 Fは柔らかく微笑む。

 そのひとことは、どんな美辞麗句よりも、花火を評価した気がした。


「ほら、こんなのもあるぜ。ねずみ花火」


 火をつけて、Fの目の前に放る。暴れだしたそれから涙目で逃げまわるFを、スマホで写真に収める。

 待ち受けに設定したそれを見て、顔が綻ぶ。この一枚があれば、俺はなんとかやっていけるだろう。



「……あとは、線香花火だけか」


 花火の本数が減るにつれ、俺たちの夜は終わっていく。

 名残惜しさを噛み締めて、夜空を見上げる。

 澄んだ星空に、少しだけこころが洗われた。

 夜空と真逆の表情をしたFに、線香花火を突き出す。


「ほら、やるぞ」


『……うん』


 受け取ったFの手を、そのまま掴む。

 初めて触れたこいつのからだは、よくわからない感触だった。

 柔らかくて、冷たい。お化け屋敷なら重宝するだろうな。後ろから首筋を撫でられたら、たぶん気絶する。

 だけど、俺はこいつを知っている。

 恐怖の対象になんか、ならない。むしろムカつくね。

 宇宙塵うちゅうじんのこころを砕いておいて、UFOで飛び去る宇宙人。

 UFOに乗れない小さな隕石の気持ちを、考えたことあんのか?

 図々しくて、身勝手なやつだ。ほんと呆れる。

 ――それでも、友だちだ。最高の親友なんだ。

 俺の想いをぜんぶ伝えたくて、手を繋ぎ続ける。

 そのまま、俺たちの手にある線香花火に、ライターで火をつけた。

 いずれ落ちてしまう儚いものだとしても、火をつけたことは、まちがいじゃない。

 俺たちは無言で、線香花火を見守る。

 パチパチと弾ける、それの勢いが弱くなっていき、俺は時間切れを悟った。



『――U。この三日間、ありがとう』


 花火を片付けた俺に、Fは徐に頭を下げた。

 覚悟していたことだ。涙は、流さない。


「……礼を言うのは俺のほうだ。ありがとう、F」


 俺が『F』と呼んだのは、初めてだ。

 面映いが、こいつからもらったものを、少し返せた気がした。

 しかし、Fは天を仰ぐ。その様子が、俺には淋しそうに映った。


『……そっか、そうだよなあ』


「おい、どうしたんだよ? なんで、そんな……」


 こいつは、泣いてるのか?

 人間のように、涙を流してるわけじゃない。

 それでも、Fのこころから溢れる嗚咽が聴こえた。

 どうすればそれを止められるのかわからず、俺は焦る。

 汗が噴き出して、苦し紛れに伸ばした手を、Fが掴んだ。

 そして、表情を一転させた。


『……お願いがあるんだ。このまま、手を引っ張ってくれる?』


 嫋やかに微笑むFの目に映るのは、俺に向けられた親愛と――不屈の決意だった。

 それに背中を押されて、素直に応じる。

 引っ張った俺の手には、Fから分離したうようよがあった。


「は?」


 それはうねうね動き、掌の上でコンパスのかたちをとる。

 古めかしい、立派なコンパス……というより、羅針盤だった。


『それ、発信機』


「えっ」


 ニヤニヤと告げるFに、目が点になる。

 思わず、羅針盤を二度見した。


『その針は、つねにわたしのいる方角を指す。そして、きみのいるところは、わたしに筒抜けだ。また会いにくるから、大事に持っててね』


 ……若干、重い気もするが。想いが詰まっているのなら、しょうがない。重厚感も納得だった。


「ありがとう。家宝にするよ」


『うん。……でも、これじゃ恩返しには、ならないかな』


「恩返しって……俺が買ったコンパスのことか? あんなのべつに――」


『それもあるけど、そうじゃない』


 Fは俺の言葉を遮って、時間切れか、と呟いた。


『――わたしに、こころを砕いてくれて……いろんなことばをくれて、ありがとう』


 ――そのセリフ、そっくりそのまま返すぜ。

 言いたいのに、声にならない。

 こらえられなくて、下を向く。

 視界に入るのは、温かみのない土と、バケツに入った余韻だけ。

 大切なものは、目に見えない。


『……名は体を表す、ってほんとなんだね。きみは最高の友だちだ! ――またね、U!』


「――っ待てよ、Fッ!」


 俺の叫びは、無人の公園に虚しく広がるだけだった。

 辺りを見回す。あいつは、いない。


「……なんだよ」


 俺の名前、知ってたのか。

 悔しさが込み上げる。目から溢れた悔恨が、グラウンドにシミをつくった。


「――俺はっ、おまえの名前を、知らないっ……!」


 友だちなのに、呼んでやることができなかった。

 アルファベットのF。頭文字か? せめてヒントをくれよ。

 答えを求めて天を仰ぐ。紺色の空に、くすんだ月。弱々しく輝く星たち。

 無味乾燥な夜空が、俺を嘲笑っているようだった。

 背筋が冷えて、からだを抱きしめる。

 あいつからもらった火が、消えかけているのがわかった。


「ああ――」


 俺ひとりの真っ暗な宇宙せかいに、静かな慟哭が響きわたる。

 あとに残ったのは、熱を失った俺と、夏の燃えかすだけだった。



「ここ、いいすか。小川さん」


 昼間っからカツカレーですか。細いのによく食う男だ。


「えっ、高梨たかなしさん? どうしたんですか?」


 ヌッと登場した俺に、目をまるくする上司。

 どうしたって、メシ食いにきたんだよ。

 カレーうどんをテーブルに置き、紙エプロンを彼に手渡す。

 相席成立。ボタンを押してツッコんでいいぞ。


「あの……これは?」


 きょとんとして紙エプロンを見る小川くん。

 飾り気のない黒髪を揺らして、首を傾げた。


「きみがつけといて」


 不思議そうにしつつも応じる彼。こいつも大概、変なやつだな。


「じゃ、いただきます」


「えっ」


 小川くんの目は、俺の正気を疑っている。まあ見てな。

 俺は箸を綺麗に操り、流麗にカレーうどんを啜った。


「なにしてんですか!?」


 豪快に跳ねたカレー。顔を青くする彼。笑いの止まらない俺。

 なにやってんだ、俺は。笑いすぎて涙がでてくる。

 滲んだ視界に、あいつのすがたはない。

 俺のシャツのドットを消そうとする、甲斐甲斐しい上司がいるだけだった。

 あいつなら、どんな反応をしただろうか。

 俺はずっと、笑っていた。



「ほんと、すみませんでした……」


 会社に戻る道すがら、俺は非常にブルーだった。

 小川くんには、ほんとに申し訳ない。

 幸い、彼のシャツはまっさらなままだった。俺の心も洗われる。ついでにシャツも洗いたかった。


「いいですよ、もう。それより……意外でした。高梨さんって、変なひとだったんですね」


 小川くんは、クスクスとお上品に笑う。

 対抗して、ナイスミドルな笑みを浮かべる俺。


「そうかね? 私はいつもハードボイルドなのだが?」


 ハーフボイルドでもいいぞ。俺とあいつは、ふたりでひとつみたいなもんだった。


「いや生卵でしょ。ぼくが調理しましょうか?」


 笑顔で言い放つ彼。やっぱきみのほうが変だと思うよ。

 軽く引いた俺は発言をスルー。すると、彼が足を止めた。


「……あの、引きました?」


「いや、そんなことないけど」


 ノータイムで飛び出た言葉が、嘘だとは思うまい。

 小川くんの顔からは、安堵が見て取れる。どことなく見覚えのある表情だった。


「なら、よかったです。……ほら、ぼくって、浮いてるじゃないですか? コミュニケーションが、よくわからなくて……」


 ……俺と彼は、ちがう人種なのだと、思っていた。

 だけど、いまならわかる。根っこにあるものは、みんないっしょなんだ。

 人間も宇宙人もたいして変わらないと、俺は知っているのだから。


「……飲みニケーションならわかるか? 今日いくぞ」


「えっ……月曜ですよ?」


「うるせェ! いこう!」


 あっ、これアルハラ? つーかタメ口……やばい? クビになる?

 戦々恐々の午後だったが、不思議とこころは晴れていた。



「俺は宇宙塵なんだよね……」


 真っ暗な宇宙。息のできない暗闇。流されて、漂って、彷徨って。

 転がることしかできない俺は、路傍の石でしかなかった。

 周りを見渡せば、似たような石がいくつもある。

 孤独な俺は、仲間に入れてほしくて、近づこうとする。

 けど、ぶつかっちまったら、どうすんだ?

 こころが粉々に砕けちまったら、俺はどうなるんだ?

 怖気づいた俺は、からだを抱えて身を守る。

 いつしか俺のこころは、岩の鎧を纏うようになっていた。


「そんで、小川くんは星……」


 俺の視界にはつねに、煌めく星たちがあった。

 そいつらは妬みの対象だ。輝かしい生涯を送って、惜しまれつつ消えていくんだろう。

 俺とは相容れない。そうやって決めつけただけだった。

 いま目の前にいる彼は、俺とはちがういきものか?

 ビールに酔って、唐揚げをつまむ。長話を赤い顔で聞く彼は、俺と大差ない。

 ちがいは輝きくらいだ。それも、宇宙人の視点なら関係ないだろうぜ。

 だってあいつマジで光るし。


「……あいつは――」


 闇を切り裂く光を眺める。

 唐突に現れたそれは、俺の理解を超えていた。

 暗闇を縦横無尽に飛び回り、鋭角なターンで俺を冷やかしていく。

 その様子は、こころを震わせた。

 なんで、どこにでもいけるのに、どこにもいかないんだよ。

 ずるいだろ、そんなの。俺も乗せてくれよ。

 もどかしくて、羨ましくて、手を伸ばす。

 邪魔な鎧は、ぜんぶ壊した。俺にはもう、必要のないものだった。


「あいつは? なんですか?」


 小川くんの言葉で、一気に酔いが醒めた。


「……俺、恥ずかしいこと言ってた?」


 彼はうーんと唸る。俺への配慮で、言葉を選んでいるのだろう。


「ぼくは、いいと思います。詩的だし、すてきです」


「よかった。きみのほうが、よっぽど恥ずかしい」


「ひどくないですか!?」


 怒りか羞恥か、さらに顔を赤くする小川くん。

 俺の顔には、どんな感情がのっているだろう。

 哀しみがないのなら、それはたぶん、きみのおかげだ。

 俺をジト目で睨んだ彼は、諦めたように嘆息した。


「怒るに怒れねー……まあいいや。それよりも! なんで、ぼくが星なんです?」


 小川くんはテーブルに身を乗り出して、俺にずいっと詰め寄る。

 そんな前のめりに訊くことか? 俺から見たら当たり前のことだぞ。


「いや、きみは華やかじゃん。優秀だし。光ってるなーって印象だよ」


「……ああ、なーんだ。つまんね」


「ええ……」


 彼はそっぽを向いて舌打ちした。目を細めて虚空を睨めつけるさまは恐ろしい。

 つーか猫被ってたの? ちょっとショックだ。

 小川くんが不機嫌そうに問う。


「……ぼくの名前、わかります?」


「名前……? えっ? いや、そんな……」


 マジかよ。大丈夫か俺の海馬。

 小川くんは呆れたようだった。申し訳ナイス!


「上司の名前くらい覚えてくださいよ……小川すばるです。どーぞよろしく」


 彼は嫌味百パーの微笑で名刺を差し出す。

 悪いのは俺だからなにも言えねーわ。許してやってくれ、俺はゴリラなんだ。

 つーか、昴か……なるほどな。


「名前負けしない容姿が羨ましい限りだよ」


「そうですね。あなたはどうです? 高梨ゆうさん。さぞ、ご友人に恵まれているのでしょうね」


「いるよ、親友が! 宇宙のどっかに!」


 小川くんは、俺の発言を冗談ととったみたいだ。

 口を手で覆い、下を向く。笑うなら笑えや。プルプルしやがって。

 意外と愉快な彼を見てると、あいつを思い出す。

 不安だったけど、もう大丈夫だ。宇宙せかいは案外、捨てたもんじゃない。



「あっつぅ……」


 閑静な住宅街に響くのは、俺の足音だけ。

 取り替えられた街灯が、時の流れを感じさせる。

 疲れでボロボロのからだに、ぬるい風が吹きつける。老けた俺を煽っているようだった。

 あいつが帰ったのは、ちょうど一年前の今日だっけ。

 日曜だってのに、昴くんに引っ張り回され、日付が変わる寸前だ。

 この一年、昴くんを筆頭に、そこそこ友だちができた。

 あいつからもらった火に、ことばを焚べるひとびとがいてくれる。

 充実した一年間だった。あいつがいれば、最高なんだけど。

 親友の存在を感じたくて、天を仰ぐ。

 そこで、を見つけた。


「は?」


 あいを溶かしたような空に、皓々こうこうと浮かぶ月。ちりばめられた輝きが、俺とそれの再会を祝福していた。

 ――有効距離は一光年!

 あいつのことばを思い出す。

 一際煌めく俺だけの光。一年前のあいつがそこにいた。

 光が、夜空にUを描く。何度も。俺の応えを待っているかのように。


「……大丈夫、気づいてるよ」


 気を良くしたのか、次いで点滅する。きっちり五回。


「ほんと、キザなやつだな」


 これ、来年もやんの? 恥ずかしいよ。

 まるで七夕だ。天の川の向こうのドヤ顔が目に浮かぶ。

 そして――


「……そうか」


 夜空のスクリーンに、Fから始まる英単語が映し出された。

 ……名は体を表すも、名前負けも、俺といっしょだ。

 おまえは友だち、できたかよ? 俺はけっこうできたよ。おまえの十倍はいるだろうな。

 悔しかったら、文句言いにこいよな。

 羅針盤持って、ちゃんと待ってるよ。

 だから――


「また来年、ってとこか? ――Dear my friend……なんてな」


 夜空を切り裂く光が応えた気がして、俺は笑った。

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宇宙塵のこころ R1 @r_ichi

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