片付けられない女でも、笑って許してくれますか

南雲 皋

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「彼氏殿がくる前に抹消しないといけないもの、あとなんだ???」


 私の頭はフル回転している。


 スマホに『仕事終わった。これから行ってもいいかな?』と連絡があったのが二十分前。

 慌てて廊下に転がしたままにしていたゴミを片付けて、『今から片付けるからゆっくり来て!』と返事をしたのが五分前。

 優しい彼氏殿は『じゃあ一時間くらいかけて行くね、がんばって。でも、部屋が汚いくらいで嫌いにはならないから安心してね』などという返事をくれた、なう。


「廊下のゴミは片付けた。あとなに? えーと……」


 押入れからはみ出した不用品が、私を睨んでいるような気がする。だって片付け苦手なんだもん!


「とりあえず、押し入れが閉まればいいよね?」


 私ははみ出ていた不用品をぎゅうぎゅうと押し入れに詰め込んだ。ふすまを無理やり閉めて、これでよし。視界から抹消されてればオッケーでしょ!

 床に散らかった服や靴なんかはゴミ袋にポイポイ放り込んでいく。サイズが合わなくて着られないのばかりだから、もう全部捨てちゃおう。


 台所もまた悲惨だった。数日前に気合を入れて料理の下ごしらえをしたあと、力付きて洗い物をしそびれたのだ。汚れ切ったまな板もゴミ袋に入れてしまう。


 うちはそんなに広くないアパートの一階だけど、唯一私が気に入っているのは庭があること。ベランダから庭に出るとお隣さんとはきちんと区切られてて、道路からも見えないようになっている。


 下着泥棒に悩まされていた時期のことを考えると、なんて平和なんだろう。


 私は庭にゴミ袋を放り投げる。間に合えば処理して、間に合わなかったらブルーシートをかけて見えないようにしてしまおう。


 シンクの中を慌てて洗い流して、次はトイレ。トイレはさすがにそこまで汚れていなかった。いちおうシートで軽く掃除して、風呂場に向かう。


「あぁーーー最悪」


 私は頭を抱えた。昨日酔っ払って帰ってきて、大暴れしたままだったんだ。

 これは間に合わない。どうしよう。どうしよう。


「もういっか、そろそろ現実を見てもらおうと思ってたし……」


 結局、どんなに取り繕ったところで疲れるだけだ。無理をして付き合い続けて、私ばかり消耗しても仕方ない。無理だったらそのときはさよならするだけ。

 私は覚悟を決めた。一応、軽く掃除はしたけれども。



◆◇◆



 俺は彼女の家に向かう途中の駅ビルで時間を潰し、手土産にケーキを数種類買ってから家までやってきた。

 今までにも何回か彼女の家に入ったことはあるが、いつも新居みたいにピカピカで感心していた。俺のために無理をしているんじゃないかと思っていたから、『片付けるからゆっくり来て』の言葉に少し安心していた。

 むしろ、少しくらい散らかっているくらいでいいと思う。部屋の片付けなんて一緒にすればいいのだし、一人暮らしが長いおかげで掃除は結構好きな方だ。

 彼女がやりたがらないような場所を、俺が掃除すればいい。二人で一緒に暮らす姿を想像し、顔がニヤけた。


 インターホンを押し、彼女の返事を待つ。パタパタと足音が聞こえ、開いた玄関から彼女がひょこっと顔を出した。


「ちょっと間に合わなかったとこあるけど……許してね」

「なんだよ、平気だってば」


 笑いながら家に入る。換気をしていたのか、部屋の奥から風が流れてきた。塩素系の香りがして、本格的な掃除を慌ててしたのかと更に微笑ましくなった。


「綺麗じゃん」

「そうー? あんまりじろじろ見ないでね!」

「分かったよ。あ、これお土産」

「えー、なになに?」

「駅ビルでケーキ買ってきた。冷蔵庫、入る?」

「あ、うん、大丈夫だと思う!」


 俺は箱を彼女に渡した。


「何か飲む?」

「ビールある?」

「もちろーん」


 くすくすと笑いながら冷蔵庫を開ける彼女。華奢な彼女の身体で隠れてよく見えなかったが、冷蔵庫の中は肉がいっぱい詰まっているようだった。近所のスーパーで安売りでもしていたのだろうか。


「はい、どーぞ。軽くなんか食べる? 知り合いの肉いっぱいでさぁ」

「いいの? 食べる食べる」


 肉を大量に送ってくれる友人がいるなんて羨ましいな。うちに送られてくるのは母からの野菜ばかりだ。サイコロ状にカットされた肉が、フライパンの上でじゅうじゅうと焼かれる。ニンニクチップと塩コショウ、軽く回しかけた醤油のいい香りがして腹が鳴った。


「あは、ご飯も炊いたほうがよかった?」

「いや、大丈夫」


 ビールで乾杯をし、湯気を立てる肉を頬張った。想像以上にジューシーで、美味しかった。


「うま!」

「口に合ってよかったぁ」


 それから、台所の隅に転がっていたワインを開け、いい具合に酔っ払ってきた。元々そんなに酒に強くないのだが、勧められるままに飲みすぎたようだった。


「トイレ借りるな」

「どーぞ」


 トイレも綺麗だった。片付いていないとかいいつつ、結局いつも通り綺麗なんじゃないかと思った。用を足して手を洗おうとした時、指に何かがついているのに気付いた。赤い何か。

 水で流すと落ちたので、とりあえず手を洗う。何か触ってしまったのだろうか。


 トイレから出ると、変な匂いがする気がした。洗剤の匂いとニンニク醤油ステーキの匂いが混ざったせいだろうか?

 少し気分が悪くなって、ベランダの方へと向かう。


「どしたの?」

「いや、ちょっと酔ったかも。風に当たろうかと思って」

「あれで酔っちゃったの? かーわい」

「うっせ」


 窓を開け、ベランダに出る。ベランダの柵にもたれかかり、深呼吸をしながら庭を眺めた。道路に面した側は生垣が壁代わりになっていて、間接照明が緑を浮かび上がらせている。

 もう春も終わりが近付いていて、来週は最高気温が軒並み高くなる予報だった。肌を撫でる少し冷たい風も、もう少しで感じられなくなるのか。そんなことを考えながらゆっくり呼吸をしていると、だいぶ気分も落ち着いてきた。


 部屋に戻ろうかとした時、ふと庭の一角が目に付いた。何か違和感を覚えたからで、しかし暗くてよく分からない。庭に降りようかとも思ったが、もし彼女の頑張りの一部だったとしたら見て見ぬふりをするのも優しさかもしれない。

 俺は何も気付かなかったことにして、部屋に戻った。


「あれ?」


 てっきり一人で飲んでいるのかと思っていた彼女がいない。トイレに行ったのかと廊下の方に視線を向けると、暗がりに彼女が立っていた。少しふらついているように見えて、声をかける。


「大丈夫か?」


 彼女は振り返り、にっこりと笑った。


「うん、へーき。それよりさぁ、私、我慢できなくなってきちゃった」

「え?」


 着ていたTシャツをおもむろに脱ぎ出した彼女にギョッとする。普段の彼女は、電気が点いている状態で服を脱ぎたがらない。そんなところも好きだったのだが、なんて馬鹿なことを考えてしまいつつ、彼女の方へと近寄った。


「?」


 つんと、鼻をつくような匂いがした。ざぁざぁと水の流れる音がする。風呂場の電気が点いていて、白いはずの風呂場に何かが見える。赤か。ピンクか、あれは何だろう。


「気になる?」

「え、あ、いや……」

「いつもはねー、クリーニング頼むの。ぴっかぴかにしてもらってさー。でも今日はそんな暇なくって、でも、もういいかなって。えへへ、彼氏殿なら、全部受け入れてくれなきゃだよねぇー」


 見たことのない顔をした彼女が、下着も何もかもを脱ぎ捨てて全裸になるのを呆然と眺めていた。これ以上聞かないほうがいい。彼女をベッドまで引っ張っていって、いつものように愛して、風呂場には、近寄らないままで。


 そう思うのに身体は動かなくて、彼女の細くて白い腕が風呂場の扉をゆっくりと開いた。


「…………ッ!」


 そこには、友人が頭を抱えて座っていた。本来あるはずの場所にない頭を抱えて、首のない友人が座っていた。いや、座っているというのは正しい表現ではないだろう。友人の両脚はどこにもなくて、ただ風呂場の壁に立て掛かっているだけなのだから。


「う、おぇ……ッ」


 友人の脚は?

 訳が分からず混乱しているのに、変に冷静な部分もあって、俺は風呂場の至るところに視線を向ける。いつもなら身体を洗うためのタオルがぶら下がっている場所には、腸がぶら下がっていた。流れるシャワーが、こびりついた血液をじわじわと排水溝に追いやっている。洗い桶の向こう側に転がる骨の先に、足首が伸びていた。


「美味しいって言ってくれて、うれしかったぁ」

「え……?」

「もー、忘れちゃったの? 知り合いの肉って言ったじゃん!」

「え、……ぐ、うぇ……げぇッ……!」


 じゃあ、さっきのステーキは、知り合いの肉って、俺は、美味しいって、視界が歪み、涙が溢れてくる。込み上げる吐き気を堪えきれず、風呂場にびちゃびちゃと嘔吐した。吐瀉物の中には、肉の欠片。それは、友人の、友人の、脚?


「う、ああ、あぁぁあぁぁ……」

「えー、何で吐いちゃうのぉ、ひどい、やっぱ私の運命の相手じゃないんだぁー。もういい、もういいよーだ!」


 ぷぅ、と頬を膨らませた彼女。その顔を、愛したはずだったのに。

 俺の返り血に染まる彼女に、恐怖しか感じなかった。



◆◇◆



「もしもーし、クリーニングお願いしまぁす! え? 彼氏殿? あれダメだったのー、もう抹消! 付き合ってた痕跡から消してもらえる? うん、へーき、こないだ仕事請けたからお金はあるんだぁ。 え? やだよぉ〜! 私、殺すのと食べるのは好きだけど、完全抹消は苦手なの知ってるでしょ! はいはい、明日ね。よろしくー」


 電話を切った私は溜息を一つ。結構好きだったのになぁ。同業者は絶対嫌なんだけど、そうも言っていられなくなってきたかもしれない。

 死体の一つや二つ、笑って許してくれる運命の人、どこにいるのかなぁ。


 私は廊下にはみ出した不用品彼氏殿の頭を蹴飛ばした。庭を見ても平気な顔して戻ってきたから、大丈夫かもって期待したのに。


 でもまぁ、美味しかったからいっか。


 全ての部位を味見したくて切り取っていたら、だいぶ汚いことになってしまったけど。掃除してもらえれば関係ないし、気にしないことにする。


 やっぱり私、綺麗好きにはなれないみたい。



【了】

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