【第一章:それは少女の皮を被った】

序00:我が愛おしき…

 シンシンと月光が、ガラス張りの天井から降り注ぐ。

「ふふ、ふふふーん」


 上機嫌さを隠そうともしない鼻歌が響いている。

 良い夜に綺麗な満月となれば、鼻歌くらい歌いたくなるだろう。

 少女は歌いながら軽やかに動く。まるで踊るように、舞うように浮足立っている。ゴロゴロと転がっているガタイの良い男たちの間を踏まないよう、たまに踏んでしまっては上機嫌にくるくると回っている。

 この場を言葉で表すなら——異様、その一言に尽きるだろう。


 「あぁ、綺麗な。愛おしい人。ダぁメですよ? この人は私のなんですから。いくら親父さんでも許しません」

 不意に足を止めて、ともすればキンッと耳に刺さるような少女特有の甲高い声が静かな空間をこだまする。

 どう聞いても、どう見ても、まだ少女であるはずであるソレが発した声は、妙に生々しく艶やかに肌にまとわりつく。


 「くそ! お前をここまで育てきてやった恩を忘れたのかファ」

 男は気がつくことができない。

 否。なけなしの理性が、それに気がつくことを許さない。

 いくら「そういう」教育を受けたからといっても十代半ばの少女が図体のデカイ数十人の男たちに迫られてはどうしようもない。そもそも、その少女は磨かれた技術でもって、そこらに転がり伏せている男たちを伸したのではない。


 単純に力で勝ったのだ。

 押しのけ、振り回していた。


 死屍累々、かろうじて息をして絶命した人はいないようだが、現状を見れば……もとい、男はしっかりとこの惨状を築き上げる過程をもその眼に映していたのだ。

 であっても、であるこそ男の脳は理解を拒む。拒まなくてはいけない。男のチンケなプライドとなけなしの正気を手放さないためにアレを理解してはならない。


 「そのキタねー声で呼んでんじゃねーよ。」

 随分とドスの効いた声が少女から発せられる。

 「おっと……」

 思わず口から洩れてしまい口が滑ったようで自分の足元に転がり、唯一意識を残した男に目を向けながら、んーんーと喉の調子を整え、一つ「コホン」と咳払いをしてソレは続ける。


 「恩? 面白いことをいいますね!」

 なるほどなるほど、と右へ左へ考えるように暫く顔を下に向けながら歩いた少女は閃いた! とばかりに顔をあげる。


 「恩なんて考えたこともありませんでした! でも感謝はしているんです。貴方がいなかったら私はとっくに死んでましたから」

 少女の唇が言葉を紡ぐ。冷たい言葉遣いだが、話し方はまるで物わかりの悪い小さな子供に言い聞かせるように何度も確認を含みながら、少女は言葉を繋げていく。


 「親父さんは私を「そーいう」目的のために拾ったのでしょ? そのために育てたのでしょ? 私はその願いを叶えるために、言葉通り命すらもかけてその目的に尽力しました。親父さんは店で物を買うときに対価を支払いますよね? タダでなんて物を売らないですよね? それと同じです。私は自分の命のために命以外のすべてを売って、いーえ。命すらも賭けて、その対価として私は生をえていたのです。今日まで意地汚なくも生きながらえたのです」


それを恩というなら………


「実に恩着せがましい」

と断じた。


「クソが! クソが!」

 男の言葉を聞かずに少女は話を続ける。もはや少女にとってそこに倒れ、クソがとしか発せなくなった男は、自分の命を助けてくれた元雇用主ではなく、ただの無であった。興味も関心もない。ただの音を発する調子の悪い蓄音機と同じである。


 「でも、そろそろ退場です。親父さん」

 魑魅魍魎が蠢き、悪魔も天使も存在し、それを喰い物にするような化け物が跋扈、暗躍するこの街で、臆病さから来る危機回避能力が、頭の回転が、機転が男の武器だった。

 男は、弱者故に、強者たりえた。力無きもの故に、今日まで生を謳歌することができたのだ。


 かわいそうに。偉くなって自分を見失ってしまったのだろう。

 ——典型的なダメな人ですね……。

 少女は、珍しくもそんな感傷にも、同情にも似た感情を抱いた。ある種少女がそれなりに今までを気に入って、普通を謳歌する人々に比べたら天と地ほどもの差はあったとしても、「そういった」世界、としては良くしてもらっていた。と他ならない少女が、わかっているからだろう。


 「バンッ」

 だとしても、少女はすでに答えを示している。終わりだと。この関係は終わりだと。もう、るべきことを成したいことを少女は見つけたのだ。


 「待っててくださいね」


——————————————————








 静かな空間だ。夜の帷はとうに下り切り、宵闇を照らす月は頂点を通過し、月の明かりを反射するほのかな星屑の光だけが降り注ぐ。

 男はうつ伏せになって倒れていた。まだ、立ち上がることはできそうにない。周りには自分と同じく無様にも伸された、むさ苦しい男どもに囲まれている。皆一様に胸や脇、額などに朱色が化粧崩れのようにタラタラと垂れ落ちている。


 ——脳が冴える。


 男は仰向けになり、考える。思い出す。

 「はぁ……」

 と息が一つ溢れる。

 夏の終わり、秋の匂いが紛れた夜はスーツを着ていても少しだけ寒い感じがする。


 ——思考が回る。


 思い出す。繋がる。

 屈辱が、憎悪へ。怒りが、力へ。無力さが、あるべき姿へ。


 男は、弱者が故に強者たりえた。

 それは男の力の全てがその「臆病さ」によって為っていたから。

 男は、力無きもの故に、今日まで生を謳歌することができた。

 正しく無力たる故に、男には矜持がなかった。

 あるのは、なんとしてでも生き残る。その気概だけだ。

 生き物として男は最も正しいとも言える。


 強き者は己が力に相応しくなくてはいけない。卑怯も邪道も行ってはいけない。

 それは、強者にとっての恥であるから。

 それを容認すれば、強者は己が牙を折る。あるいは、他者がその者を「強者たりえない」と断じるだろう。


 弱者である男は全てを許容した。下劣な行い、矮小なる事、媚びを売り、尻に敷かれ、笑みを絶やさず、そして邪魔なこわいものを須く消してきたのだ。


 『弱者であるオレは、どんなことをしても許される』

 思い出す。繋がる。

 男のあるべき姿。弱者たる男の臆病さが、生存本能が叫ぶ。絶叫する。絶唱する。

 アレを拾った自分を褒める。

 正しく育てた自分を労う。

 傲った自分を恥じる。

 選択を違えた自分を糾弾する。


 そして、

 ————アレをいかしたことを後悔する。


 沸々と恐怖が湧き出る。だめだ。アレを生かしてはいけない。恐怖を、なけなしの怒りで中和してすげ変える。

 面目を潰された。恩を仇で返された。思い出し、蒸し返し、並べていく。


 怖い。怒り。怖い。怒り。

 恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖いかりいかりいかりいかりいかりいかりいかりいかり

 ————『結論』。


 「あの、ガキいいいいいい!!!!」

 まだ、立ち止まれない。怖い。アレが生きているのが怖い。檻から解き放たらた肉食獣のように、アレの自由を拒む。


 ……怖いから、弱いから、はやく見えないようにしなくちゃ。






 ともあれ、少女は少女らしく可愛らしい失敗をしたのだ。

 ただ生かす。助けることだけが優しさではない。

 時には、終わらせてあげる事も優しさであると少女が学ぶのは……、

 そう遠くないことだ。

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