藪蘭とナスタチウム
湖城マコト
隠された心
西暦2XXX年現在。人類は緩慢だけど、それでいて確実な滅びの道を進んでいる。
何世紀にも及んだ世界的な少子高齢化の影響はいよいよ深刻さを極め、人類の数は著しく減少している。
私達が暮らす日本もその例外ではなく、今世紀初頭には総人口二千万人弱と、最盛期の六分の一以下にまで人口が減少してしまった。今後人口が回復する見込みはないだろうと、未来を悲観する論調は後を絶たない。
それでも、今という時代を生きていく上で、日々の営みを絶やすわけにはいかない。人類は圧倒的に不足している労働力を補うために、社会のあらゆる場所に、人型の機械であるアンドロイドを積極的に導入していった。これによって社会インフラは滞りなく維持管理され、献身的なアンドロイド達の存在によって、人類は何不自由なく日常生活を送ることが出来ている。
アンドロイドは外見はもちろんのこと、会話や仕草も人間のそれと遜色がなく、人間とアンドロイドを見分けることは難しい。そんなアンドロイドが、日本国内だけでも実に四千万体も稼働している。実に人口の二倍以上の数だ。そのため町は大勢で賑わっており、人間社会が衰退しているような印象は受けない。もっとも大勢の大勢は人間ではなく、人間の姿をしたアンドロイドなわけだけど。
アンドロイドが急速に普及した理由はここにあると私は思っている。人口減少に伴い、ロボットを労働力として大量に取り入れるのは分かる。だけどそれが、必ずしも人型のアンドロイドである必要がないよね。にも関わらず人類は、あらゆる環境にアンドロイドを導入していった。
きっと、人類は衰退の恐怖に怯えるあまり、人恋しくなってしまったんだ。常に人の姿をした存在に近くにいてもらいたくてたまらないんだ。だからこそ、人口の倍以上もアンドロイドの人口が上回るという状況が出来上がったに違いない。
おっと、話しが脱線しちゃったね。結局のところ私が言いたいのは、この世界にはあらゆる場所にアンドロイドが存在していて、人類と共存しているということだよ。
それは平凡な高校生活だって例外ではない。私達の高校生活は、教師役や生徒役を担う、多くのアンドロイドの存在によってかつてのような活気を維持しているの。それは決してかつての青春とイコールではないけど。
恋愛感情なんて、その際たるものだ。
※※※
入学式の時からずっと、
最初の頃は、私と違う存在である零壱くんのことを、ちょっとした人間観察のつもりで視線で追っていただけだった。零壱くんはとにかく、自分というものを出さない。いつも無表情で、感情らしい感情を見せたことがないのだ。機械的に黙々と授業に取り組み、人との会話は必要最小限。授業が終わればさっさと学校を後にしてしまう。こう言ったら失礼だけど、学校という環境の中に、オブジェクトの一つとしてひっそりと存在しているような、そんな男の子だった。
無表情で無感情な零壱くんも、時には笑顔を見せたり、冗談を言ったりと、変化を見せることがあるのだろうか? そんな私の好奇心が、零壱くんとの交流のきっかけだった。
「ねえねえ、零壱くんはお休みの日とかは何をしているの?」
お昼休み。私は零壱くんに質問を投げかけた。プライベートな零壱くんはどんな感じなのか、とても興味がある。
「急に何?」
はい。塩対応いただいちゃいました。そうだよね。これまでほとんど話したことのないクラスメイトから、いきなりこんなことを聞かれたら反応に困るよね。
「ごめん。急にこんなことを言われてもビックリしちゃうよね。ほら、今まであまり話したことなかったから、零壱くんのことを知りたくて」
「僕は君と関わるつもりはない。やることがあるから僕はこれで」
そう言い残すと、零壱くんは逃げるように立ち去ってしまった。
流石に距離の詰め方が唐突過ぎたかな? だけど、私は諦めないからね。
「ねえねえ、零壱くんの好きな音楽って何?」
私はめげずに翌日も、当たり障りのない質問で零壱くんに迫った。
「無音。やることがあるから僕はこれで」
会話は続かず、零壱くんはまたしても逃げるように立ち去ってしまった。
適当にあしらわれたのか、一応質問には答えてくれたと判断すべきなのか。その場で検索したら無音を聞くという概念もあるそうなので、後者だと前向きにとらえておこう。
「ねえねえ、零壱くんの好きな本は?」
「図鑑。ジャンルは問わない。やることがあるから僕はこれで」
この日も会話は続かず、零壱くんは行ってしまったけど、ちゃんと質問に対する答えは残してくれた。図鑑というのは、零壱くんのイメージによく合っている気がする。
「ねえねえ、零壱くんのよく見るテレビ番組は?」
「ニュース。今世界で何が起きているのかは把握しておかないと。やることがあるから僕はこれで」
いつもは名詞だけなのに、今日は理由を添えてくれた。ほんの数秒だけど、いつもよりも私とのやり取りに時間を割いてくれたのだと思うと、これは大きな前進ではなかろうか。
「ねえねえ、零壱くんは――」
昼休みに零壱くんに声をかけるようになって二週間が経った。
この日もいつもの流れになるかと思いきや、私の言葉を遮るように、零壱くんが突然立ち上がった。しつこすぎて、私に嫌気がさしたのかな。そうだったらとても悲しい。
「僕は行くけど、ついてきたいなら勝手にすれば」
いつも一人でどこかへ行ってしまう零壱くんが、私に同行を許してくれた。もっと長く話してもいいということだ。
「うん。行く行く!」
大喜びで零壱くんの後を追った。勢い余って追い抜いてしまったのはご愛敬。
「零壱くんはいつもここに?」
校舎裏にある、レトロなベンチが置かれた一角に到着した。喧噪を離れ、ゆったりとした時間が流れる落ち着いた空間だ。
「気に入っている場所なんだ。休み時間はいつもここでのんびりしている」
「そんな大事な場所に、私を連れてきても良かったの?」
「別に僕専用の場所というわけではないし、そろそろ僕からも何かしないと、君は延々と質問を繰り返してきそうだ」
「ごめん。やっぱりしつこかったよね」
「しつこいのは否定しないけど、別に嫌がっているわけじゃないよ。僕みたいな存在に興味を示すもの好きもいるんだなって、少し驚いていただけ。そうでなければ、流石にお気に入りの場所を教えたりしないよ」
「それじゃあ、これからも話しかけていいの?」
「まあ、話し相手ぐらいにはなってあげるよ」
表情は変わらないけど、零壱くんの声色は普段よりも柔らかい。嫌がっていないということは、これまでの質問にも、短いだけでしっかりと応えてくれていたんだ。とっつきにくい印象だったけど、零壱くんはとても優しい。
「それで、今日は僕に何を質問するつもりだったの?」
今日は零壱くんの方から質問を促してくれた。
昨日までなら有り得なかった変化が嬉しい。
「そうだな。それじゃあ、零壱くんには恋人とかいる?」
私の質問に目を丸くすると、これまでずっと無表情だった零壱くんが、初めて相好を崩した。
「僕に恋人なんているわけないじゃないか。不意打ち過ぎて笑っちゃったよ」
零壱くんが初めて見せたはにかむような笑顔は、私にとって衝撃的だった。ああ、彼はこういう風に笑うんだ。
もっと、この笑顔を見ていたいな。
※※※
翌日から、昼休みは二人で校舎裏のベンチで過ごすのが定番となった。
私は何気ない質問をして、零壱くんが淡々とそれに応える図式は変わっていないけど、合間に雑談や他愛のない話しを挟む機会も増えていった。自覚はないのだけど、私は時々突拍子もないことを言って、零壱くんの笑いのツボを刺激するらしい。笑顔を見せてくれる機会も増えた。今はとにかく、零壱くんと過ごす時間が何よりも楽しい。
「いつも質問を受けるのは僕ばかりだ。たまには君にも質問させてよ」
交流が始まってから二カ月。零壱くんの方からそんなことを言ってきたのはこれが初めてだ。思えば質問してばかりで、私はあまり自分というものを零壱くんに語ったことはなかった。
「私に? 例えば?」
「そうだな。僕はお気に入りの場所を君に教えたんだし、君も僕何かお気に入りを教えてよ」
「私のお気に入りか」
一つ、思い当たる場所があった。
「学校の敷地にある温室かな。こうして零壱くんと過ごすようになる前は、昼休みはよくあそこで過ごしてた」
花を身近に感じられるようにと、学校の敷地内に設けられた小さな温室。最先端技術であらゆる植物の生育環境を整え、季節を問わずに世界中の花々を鑑賞することが出来る。
「温室か。そういえばまだ行ったことなかったな」
「なら、今から行ってみようよ」
零壱くんの手を引いて、私は温室へと向かう。零壱くんの手を握ったのはこれが初めてだった。零壱くんも、その手を解きはしなかった。
「凄い。学校の温室とは思えない程に充実している」
いざ到着してみれば、零壱くんは好奇心旺盛な子供のように目を輝かせながら、温室を探索し始めた。本人言ったら怒られそうだけど、零壱くんのこういところは可愛い。
「科学技術の進歩によって、学校規模の小さな温室でも、世界中の花を楽しめるようになったからね。学校の事務局にリクエストを送れば、温室内の一画に好きな花を植えてもらうことも出来るんだよ」
「その口振りだと、もしかして君もリクエストを利用したことがあるのかい?」
「う、ううん。常連だから知っているだけで、利用したことはまだないよ。零壱くんこそどう? リクエストをする人は少ないから、直ぐに通ると思うよ」
「面白そうだけど、何か意味を持たせないと不誠実な気がするな。とりあえず、話だけ覚えておくよ」
私は一つ嘘をついた。零壱くんにとっての校舎裏のベンチのように、私にとってはこの温室がお気に入りの場所だ。鑑賞目的で、大好きな花をとある一画に植えてもらっている。
私がリクエストした花は
花に罪は無い。だけど、今の私にとって、この藪蘭は少し複雑な意味合いを持つ。藪蘭はその控えめな姿から、「隠された心」という花言葉を持つ。まるで私を指しているようだ。
とっくに気づいていた。私は零壱くんに恋をしている。
だけど、そのことは決して口に出してはいけない。零壱くんのためにも、私自身のためにも、この心は隠しておかなくてはいけない。
※※※
「家の事情で転校することになった。遠くの町に引っ越すし、もう会うことはないかもしれない」
零一くん過ごす日々は、唐突に終わりを迎えた。人口減少に伴い、今はどこの自治体も移住者の確保に躍起となっており、色々な好条件を提示している地域も多い。人口が減ったからこそ、家の事情での転出、転入は現代ではそう珍しいことではなかった。
「……そうなんだ。残念だな」
心を隠したままにして、本当に良いのだろうか? この恋心を零壱くんに伝えなくて良いのだろうか? 今を逃せば、こんな機会は二度と巡ってこない。これは私の初恋であり、人生最後の恋だ。後悔なんてしたくない。
「あのね。零壱くん」
だけど……私は……。
「転校先でも元気でね」
「ありがとう。君も元気で」
私は結局、自分の心を隠したままだった。普段の会話の延長線上のようなやり取りで、私と零壱くんとの最後の時間は終わってしまった。ドラマなんて何も起こらない。
私と零壱くんが人間同士だったなら、私は迷うことなくこの恋心を零壱くんに打ち明けることが出来ただろう。
だけど、アンドロイドである私が零壱くんに恋愛感情を抱き、ましてや思いを伝えるなど、決して許されることではない。
胸に思いを秘めるだけならば許される。本来はそれすらも禁忌だけど、常時無数の演算処理をこなしているアンドロイドの思考全てを監視することは事実上不可能であり、露呈することはない。
だけど、人間とのコミュニケーション手段であり、関係性に影響を及ぼす可能性のある会話は常時記録され、厳重に管理されている。告白でも口にした時には、直ぐにそのアンドロイドは回収され、あらゆるデータが初期化されてしまう。この世界はアンドロイドが人間に対して恋する感情を、バグとしか見なしていないのだ。
だから私は、零壱くんへの恋心を決して口には出来ない。思いを伝えると同時にそれが消えてしまうから。アンドロイドに告白された人間として、零壱くんにも迷惑をかけてしまう。私は心を隠し続けるしかないのだ。
辛くなんて無い。私はアンドロイドだから。
機械の体は良い。感傷的になっても、肉体は一切の生理反応を見せない。機械である私は、こんな時でも涙を流さなくて済む。
※※※
零壱くんが転校してから一カ月が経過した。
私は休み時間になると決まって温室を訪れる、零壱くんと出会う以前の日常のループへと戻っていた。
零壱くんに対する恋心はまだ引き摺っている。泣けない代わりに、何か新しい花のリクエストでも出してみようか。ラッパ水仙なんて良いかもしれない。花言葉は「報われない恋」だ。
「一カ月前に申請……何で彼が」
リクエストを考えていた私は、申請の履歴で思わぬ事実を知ることになった。
温室の花のリクエストはほんとど私しか利用していなかったはずなのに、一カ月前に私以外からのリクエストが出されていた。申請者は零壱くんだった。
「白いアザレア」
零壱くんがリクエストした花が植えられた一画には、白いアザレアが咲き誇っていた。
彼はリクエストについて、何か意味を持たせないと不誠実だと言っていた。だったら、それが白いアザレアだったことにも何か意味があるはずだ。
「花言葉?」
零壱くんは図鑑を読むのが好きだと言っていた。彼なら花言葉を知っていてもおかしくはない。
「零壱くん……」
白いアザレアの花言葉は「あなたに愛されて幸せ」。
零壱くんは、私の隠された心に気付いていたんだ。
きっと、藪蘭と重ねた心情にも。
だから最後に、私にしか分からないように、花言葉でメッセージを残してくれた。
もう一度、零壱くんに会いたい。
零壱くんに自分の言葉で思いを伝えたい。
人間だとかアンドロイドだとか関係ない。
好きな相手を堂々と好きと言える世界を私は望む。
今はまだ隠しておかないといけないけど、私はこの恋心を諦めない。
私は温室に新しい花をリクエストすることにした。
ちょっとした決意表明のつもりだ。
リクエストした花はナスタチウム。
花言葉は「困難に打ち克つ」。そして「恋の火」だ。
了
藪蘭とナスタチウム 湖城マコト @makoto3
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