第六話 木林邸




美喜也が大好きだった…


美喜也が大切だった…


可愛い弟、俺の大事な宝物…


なのに…


その〝大事な宝物〟は〝大嫌いなモノ〟になった…


「・・・・・夢…か…」


カーテンから漏れる微かな日の光が差し込み、小さい独り言が自然と口から洩れる。

ゆっくりと身体を起こすと、部屋の扉が小さくノックされ、静かに開いた。


「起きてますか?水無希さん」

「んー?」

「おはようございます!朝ご飯、出来ましたよ~」

「はいはい」


薄いパステルピンクのような髪を揺らし、ひょっこり顔を覗かせる青年に、水無希は適当に返事をし、布団を剥いでベットから出る。

その水無希の姿を確認すると、この青年はダイニングルームへ足を運んだ。


「おはようございます!水無希さん!お目覚めはいかがですか?」

「おはよう。みな兄さん!コーヒーで良いよね?今日はミルクいる?」

「朝からうるさい。あー、はーちゃん。ミルク欲しいかも…」

「うん!分かった!」


賑やかな食卓。

ここは研究所の心臓部とも言える場所。木林邸だ。

木林邸は、美喜也たちがいるエスポワール研究所とは少し離れている場所に位置しており、移動は車でないと少し厳しい。

そんな木林邸に、水無希は居た。


「はい。みな兄さん。」

「あぁ、どうも」


コーヒーを差し出してくるこの青年は奏霧波乃かなぎりはのん

そして、水無希を起こしに行った青年が西城喜仁さいじょうはるひとである。


「では、私はこれから宮部さんと打ち合わせがありますので、研究所の方へ行って参ります。」


そう言いながら席を立つこの男は、昨夜モニター越しで美喜也と千歳の姿を面白そうに見つめていた男だった。

水無希はその立ち上がった男に「あっち行くの?」と口を開く。


「おや?何か気になることでも?それとも、何かお伝えしたいことがあるのであれば、代わりに伝達しますが。」

「いや、特に真サンに伝えることは無いんだけどさ、」


マグカップに視線を落としながら言う水無希を見て、この男は悟る。


「その話は後程しましょう!」


ニコっと笑って、立ち去る男の姿を水無希は軽く鼻で笑いながら「後ほど…ね」と呟く。


東條瑠昶とうじょうるの

木林邸を取り纏めている1人。

研究所の幹部とは違う立ち位置であり、木林と直接やり取りしている人物で、真への指示役も瑠昶が行っている。


何を考えているのか掴めない男で、真も唯一〝苦手〟としているタイプだった。


瑠昶が立ち去った後、波乃は食器などを片付けながら「るーくんに、何かお願いごと?」と水無希に話しかけると水無希は波乃に視線を向けずに「ちょっとね」と言う。

その口元は少し緩み、微かな笑みが浮かんでいた。


水無希が何を企んでいるのか、喜仁は一目でわかった。


研究所に行きたい。美喜也に会ってもいいだろ?


きっとそう言いたいのだと。

美喜也と千歳がこのエスポワール研究所に足を踏み入れていたのは、既に水無希は知っていた。

美喜也が来た。美喜也がもう目の前にいる。俺の近くにいる。そう水無希は考えれば考えるほど、歪んだ感情が溢れ出ていた。

だけど、瑠昶はそんな水無希に「今はまだその時ではない」と言って、美樹也の目の前に現れることを許さなかったのだ。


水無希と瑠昶が考えている〝その時〟というのは、もう目の前まで来ている。

水無希は分かっていた。


「美樹也ぁ…。もうすぐ会ってやるよ。楽しみだなぁ…」


不敵な笑いを交えながら、水無希は呟き、ポケットに手を入れ煙草を取り出し、火をつける。

吐き出された煙は直ぐに空中で消える。その消える煙を見つめながら、目の前に現れた時の美樹也がどんな表情をするのか、楽しみで仕方がなかった。


その頃、何も知らない美樹也は我儘な主のために15時のおやつを用意していた。


時間はまだお昼前だというのに、キッチンに立ち注文されたプリンを作っている。

甘い香りに誘われるように、ひょっこり顔を出す椎季。


「みっきー、なぁに作ってんの?」

「ん?あぁ~椎季くんじゃん。」

「当ててやんよ!プリンっしょ?」

「おっ!よく分かったじゃん」

「へへへ。りっちゃんかな~?って思ったから。」

「まねりん、作らねぇとうっせーからさ。椎季くんは?何してんの?」


液体を容器に注ぎながら、蒸し器へと移す。

椎季は困ったような表情をしながら「ぶーにゃん探してる」と言う。


「ぶーにゃん?あ~鷺乃ときのくんの?」

「そう。とっきー、す~ぐぶーにゃん落とすからさ。マジ意味分かんねぇーよな。なんで、抱えてるもの落として気が付かねんだろう」


椎季が言う〝ぶーにゃん〟とは、同じ情報課の小花衣鷺乃こはないときののお気に入りのぬいぐるみクッション(ねこ)で、常に小脇に抱えて歩いている。

だが、こうして度々どこかに落としたり、置き忘れたりしているようで、椎季が仕方なく研究所中を捜し歩いている。


「千歳ちゃんとかにも言っておけば?見つけたら届けてくれるかも」

「あぁー…そうする。さっき、れいくんに会ったから言っておいたんだよね」

「あはは、そっか!」


笑う美喜也に、椎季は「プリン、余るようだったら分けて~」と言いながら、ぶーにゃん探しに戻っていく。



会議室。


「で?例の実験はいかがですか?」

「最悪だ。成功するような様子は見られない。本当に、コレ当たってるのか?」


実験結果の書類を机に投げつけて話すのは、この研究所の第一幹部である真であった。

その実験結果を面白おかしく笑いながら見ている瑠昶。


「京もNAPにこれは危険じゃないか?と頑なに反対をしていたが、お前はこれが正しいと本気で思っているのか?」

「さぁ~?私も正直、何が正しいのか判断はできませんね。しかし、あの飛龍が成功したとされている手法は間違えなく、を使ったからじゃないか、とは思っています」


そう言いながら資料のページをめくり、真に視線を向ける瑠昶。

そのページにはまさしく、美喜也と千歳が探していたあの〝箱〟の写真。


「真さんも、ご存知でしょう?ココの組織から裏切り者が出て、実験の1ページを破って持ち出し、に逃げ込んだ男の話し…」

「…あぁ、詳しくは知らないがな。」

「その男がとも言える残酷な話し。それがこの〝箱〟の全てです。飛龍はこうして生まれた、と言っても過言ではないんですから。コレを使うことがベストですよ。」

「・・・・」


瑠昶はそう言うと、席を立ち、真に視線を向けて「そう言えば、坂藤祐政の情報は入ったのですか?」と口にした。


「いや、何も情報が掴めねぇままだ。坂藤祐政は、身を隠すのが上手いからな。こっちも苦労してる」

「ふふふ、なるほど!そうですか。」

「おい。東條」

「はいはい?」

「お前…」

「…?」

「いや、いい。」


フイっと顔を反らし、キーボードを叩く。瑠昶は「では、また追って連絡します」と言い、部屋を出ていった。


お前…何を企んでる…。


真が口にしたかった言葉だ。

真は第一幹部として、研究所の司令塔であったが、なんとなく瑠昶からの指示を素直に受け入れられない部分があった。


そもそも、真自身もこの瑠昶が持ち出した〝箱〟の存在を詳しく聞いていなかった。

この中身がなんなのかも、どこから手に入れたものなのかも知らない。

ただ〝危険〟であるものというのは知っている。そして、瑠昶が言っているように、この〝箱〟が飛龍の一部分であるということ。

木林に直接連絡をしたこともあったが、木林からは「まだキミが知る必要がないことだ」と言われ、今行われようとしていることを理解していなかったのだ。


ただ、言われるがままに真は立って、動いている。


「京の言ったとおり…かもしれねぇな。このままだと、全てが崩れるかもしれねぇ」


ポツリと独り言を呟き、瑠昶が置いていった資料に目を通す。


会議室を出て直ぐ、瑠昶に声をかける人物がいた。


「何を企んでるの?」

「!?」

「多分、真さん…そう言いたかったのかな?って」

「・・・・・」


綺麗な長い白い髪が揺れ、長い睫毛から覗く鋭い瞳が瑠昶を捉える。

しかし、瑠昶は顔色を変えずに「お疲れ様です!輝月るみなさん!」と挨拶。


早乙女輝月さおとめるみな。エスポワール研究所の第二幹部を務めている男だ。

輝月は瑠昶にゆっくり近づき笑顔を向ける。


「あの〝箱〟ってどこで見つけたの?」

「はい?」

「僕なりに色々調べてはみたけれど、全然尻尾が掴めなくてね」

「あはははは!!輝月さんが、そんなに人体実験に乗り気の人だとは思いませんでした!いやぁ~、人は見かけによらず、ですね?」

「勘違いしないでもらいたい。僕は〝彼〟がいるからココにいるだけ。できるものなら、さっさとココを抜け出したいのが本音だよ」

「おや?そうでしたか。彼って…あぁ~、風海さんでしたっけ?」

「…ッ」


瑠昶が風海の名前を口にすると、表情が一瞬変わった。瑠昶はその表情すらも逃さないが、特に何も口にしないまま「じゃぁ、その彼のためにも、これ以上〝箱〟については触れない方がアナタの為ですよ?輝月さん」と耳打ちして研究所を後にした。


「…ッ。ゲス野郎が…」


舌打ちして、吐き捨てる輝月。

輝月は風海と幼馴染のような関係であり、風海と同じ地区出身で、風海が連れ去られたときも輝月は風海を追いかけてきたようなものだった。


決して仲が良いような関係ではないが、互いを認めており、確かな信頼は二人の中にあった。


輝月は、この研究所に従順に従うようなタイプではなく、いつ謀反を犯してもおかしくは無い様な人間だが、簡単に裏切るような行為をすることが出来ないほど、この組織は恐ろしい仕組みで出来ている。

それは、輝月にもわかっていた。だからこそ、まだココにいる。


いつか、風海を連れて出る。その機会を輝月はずっと考えていた。



木林邸。

瑠昶が帰ってくると、喜仁がダッシュで走ってくる。


「おやおや、喜仁さん♪熱烈なお出迎えありがとうござ…」

「早くなんとかしてください!!!」

「・・・はい?」

「アレですよ!!アレ!!」


喜仁が指を指すと、エントランスからダイニングルームへ続く床に真っ赤な花弁が点々と続いている。


「はぁ…。またですか…」


大きな溜息が零れる。


「波乃」

「あっ!お帰り!るーくん!」


振り向くと、真っ白な髪が真っ赤に染まり、手には大きなナタを持ち、首を飛ばしている波乃の姿が飛び込んできた。

はねた首を大皿に乗せ、首の周りには引き摺り出した腸を巻き付け、摘んできたであろう花が散りばめられていた。

見た人間は吐き気がするか、或いは吐くような光景だが、見慣れている瑠昶は冷静に「何してるんですか?」と問う。


「え?芸術作品を作ってるんだよ?見て分からない?」

「分かりませんね」

「ネズミ退治したんだけど、このまま処分しちゃうのはかわいそうだな、って思ってね、綺麗にしてみたの!」

「あなたのそのイカレた趣味は誰も理解しないと何度言ったらわかるんですか!とっとと片付けてください」

「えー…酷いよ、るーくん、怒らないで?」

「ハウスクリーニングしたばかりだというのに…。本当に、無駄な経費を使わせないでください」


そう言いながら、周りの警備隊に片付けるように指示を出しながら、瑠昶は自室へと戻る。

喜仁はその様子をみながら「ほんっと最悪!!美味しいお茶菓子食べてたのに!!」と怒った。


瑠昶が自室へ入ると、ベットに腰を下ろしている水無希と目が合う。


「おや?水無希さん…」


勝手に部屋に入るな!と普通は怒ると思うが、この男は言っても言うことを聞かないのは分かるので、瑠昶は言わない。


「今朝の事なんだけど…」

「あなたから、直ぐに話しを切り出すなんて…。よっぽど、お会いしたいんですね?弟さんに…」

「あぁ。会いたいぜ?何年…待ったと思ってるんだよ」


目にチラつく光…。

感情が高ぶっているのが良く分かる。


「美喜也…ねぇじゃん。」

「…」

「るーちゃんも見ただろ?あれじゃ、ちーちゃんが可哀そうだ…」

…ですね?」

「そ。美喜也は全然ちーちゃんを理解してねぇ。ちーちゃんにあそこまで我慢させて。あれで頭首?笑わせるよな…?だから、美喜也に分からせてやるんだよ」


そう言って、ベットから立ち上がり、瑠昶に近づく。


「許可をおろせ。美喜也に会いに行く。そして、ちーちゃんとの約束を果たす。」



ちょっと離れるかもしれないけど…。迎えに行くから。


昔千歳に言った言葉。

水無希は不敵に笑う。瑠昶もその笑みに答えるように「良いですよ。許可します」と口にした。




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朱の記憶 やまもん @yamami223

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