第45話 vsインパルス

「……う~ん……」


 マスク・ド・バロンと野獣ビーストの攻防に沸く観客席。その片隅で俺は、首を傾けて唸っていた。これは、なんとも表現しがたい。

 あのふたりは相性が良い手が合うのか良くない合わないのかも断言しにくいし、試合の段取りながれも、あるような、ないような印象だった。


 じゃあ悪い試合なのかというと、観客席の盛り上がりを見ればわかるように、全然そんなことはないのだ。両者の性格キャラクターそのままに、駆け引きも試合運びも技の攻防も感情も、なにもかも粗削りで、剥き出しで、真っ直ぐで、不器用だ。


 試合は一進一退、あちこちギクシャクしてたりグダグダだったりするのに、どうにも目が離せない。もどかしいような、じれったいような、痒いところに手が届きそうで届かないこの感じに、気持ちがグイグイ引っ張られる。

 演出に失敗しているのではなく――本人たちがどう思っているかはともかくとして――素の戦いナチュラルなのだ。悪い意味で先が読めないところはインディーズの試合に似てはいるが、バロンもオサーンも身体能力が化け物なので良い意味でも先が読めない。

 天然スーパーヘビー級のガチンコ勝負。いや猛獣対決というか怪獣大決戦というか、まあ端的に言うと、ムチャクチャに面白い。

 

 途中、バロンの宣言で始まった貴族の狩人ハンターモードは若干ツボを外したスベッたようだ。流れからして試合を決着させる技フィニッシュ・ムーブとなるはずだった凍結槍アイスニードルを真正面から跳ね返されると、場内の観客の心はオサーンに持ってかれてしまった。

 これは盛り返せないかなと思ったところで、大きな番狂わせが入る。

 なんだ、あの妙な動き。俺は見たことがないけど、たぶん馬鹿鳥エント、なんだろうな。


 覆面貴族バロンとしてのエイダは無理して気取ったキャラを演じているところがあったけど、馬鹿鳥そのものになったら急に生き生きし始めた。水を得た魚ならぬ、空を得た馬鹿鳥だ。

 どんな鳥なのかは伝聞でしか知らないものの、けたたましい声を上げて巨体が飛び回るさまは、猛禽もうきん類のように見えた。蹴り足を多用した攻撃は、ヘビクイワシにイメージが近い。

 背筋を伸ばし足を振り上げる気取ったような歩き方も、どこか見るものをイラッとさせるので敵地アウェーでは個性の演出ギミックとして良い演出になっている。


 ただ、論理的ロジカルで真面目なエイダはその後の流れを読み誤った。本気ガチ過ぎるジャンピング・ニーを叩き込んで、オサーンを逆上キレさせてしまったのだ。


 ある種のレスラーにとって、ビジネスとしての戦いであっても許容できる境界線ラインというものがある。ふだんは興行のために仕事を全うしていているプロレスラーであっても、そのラインを越えると驚くほど簡単にキレる。

 問題は、そのラインが本人以外にはわからないこと。さらに問題なのは、そんなヤツに限って“キレるとなにをするかわからない”タイプで、しばしば観客がドン引きするような惨劇を引き起こすということだ。


「「「おおおおおおおぉ……ッ!」」」


 空気が変わったことを、観客たちは瞬時に察知する。マスク・ド・バロンは身構えて距離を取るが、真っ向から迎え撃つ姿勢だ。場内の緊張が高まり、オサーンの突進で両者がぶつかると悲鳴のような歓声が上がった。


 ブチキレたオサーンの暴れようは、まさに野獣ビーストそのものだった。先ほどまでの面白おかしい個性演出ムーブも、様子見っぽい探り合いもない。全力で突っ込んで、全力で手足を振り回す。そういや、元々のオサーンはああいう選手だった。

 新生野獣ビーストもキャッチーで悪くはないんだけど、やっぱり素のオサーンが見せる武骨で荒々しい戦いの方が魅力的だ。それは観客も同様だったようで、一気に場内がヒートアップする。怒涛の“ビースト”コールと足踏みで巨大な会場が沸き立ち、揺れ動く。


「「「オーサーン! オーサーン! オーサーン!」」」


 元いた世界じゃ掟破りの“本気の潰し合いシュート”だが、こっちの世界ではむしろこれが本来の試合なんだろう。昭和プロレスのように、お茶の間でテレビに流れるようなものではないからな。


 探り合いの攻防では見事に躱していたバロンとビーストだが、今回は手数と圧が違う。足を止めて至近距離でぶん回す拳や足は、お互いに少しずつ被弾し始めていた。

 バゴン、ドゴンと響く重低音は、とても肉を打つ音とは思えない。てのひらや足の甲で打撃面を広く取り、バチンと高い音を派手に打ち鳴らすプロレス用の打撃ではない。ズンと芯まで効かせるガチの打撃技ストライクだった。


 バロンの繰り出す蹴りの中心は、俺と練習したローキックだ。動きも効果も地味そうに見えて、膝上の急所に喰らうと一撃で動きが止まる。ビーストは反射神経で打点をずらしているが、それでも死ぬほど痛いだろう。反撃のロングフックがバロンのこめかみテンプルを掠めて、わずかに身体が泳いだ。互いにいつダウンしてもおかしくないほどの乱打戦だったが、ギリギリのところで揺るがない。


「「「オーサーン! オーサーン!! オーサーン!!!」」」

「「バロン! バロン! バロン!」」


 ふたりへの声援が波のように押し寄せる。

 盛り上がるのはいいとして、これをどこまで続けるのかだ。オサーンは止まらないし、エイダもまだ対戦者をコントロールするほどの余裕はないだろう。

 審判員に対応を望むのは無駄だ。地下闘技場では、中央闘技場の審判員よりさらに安全性の配慮が低い。まったくない、と言ってもいい。

 致命的な事故が起きなければいいんだが。


 ガキン、と甲高い音がして血飛沫が上がる。アッパーカット気味に入った打撃で、オサーンの“銀の牙”がブチ当たった音か。

 飛び散った血は、エイダ拳からのものだった。身構えたマスク・ド・バロンの左拳から、流血が始まっていた。

 それを見て、野獣ビーストがニヤリと笑みを浮かべて舌なめずりする。どこまで演出なのかわからんが、観客席から大きな歓声が起こった。


「いいぞ!」

「噛みちぎれ、ビースト!」


 さあ、どうする馬鹿鳥仮面。こっから、どう返す?

 見ている俺は不安を感じていない。あいつなら、どうにかするだろうという確信があった。むしろ、このくらいの場を制することができなければ、中央闘技場のエースは名乗れない。


「がああああぁッ!」


 エイダの蹴りで動きがぎこちなくなったオサーンだが、ガードを固めて真っ直ぐに突進する。全体重を乗せて叩き込まれた拳を、マスク・ド・バロンは真正面から受け止める。


 額で。


 ゴッ、と鈍い音が響いて、場内が一瞬、静まり返った。立ち尽くしたまま、時間が止まる。ゆっくりと仰向けに倒れてゆくエイダ。

 ひゅっと、一斉に息を呑む音が響いた。


 バロンの身体は水平近くまで倒れ込み、ビーストは追撃を放つため馬乗りの姿勢になろうと飛び上がる。その巨体が、ブレた。

 バゴッ、と縦に回転しながら弾き飛ばされる。視認できた奴は、どれだけいただろう。ブリッジに近い姿勢から、超高速の宙返り蹴りサマーソルトキックを繰り出したのだ。ビーストの身体がまだ宙にある内に、立ち上がっていたバロンが大きく飛翔した。

 これは、アカンやつや。


「クエエエエエエェーィイッ!」


 全身のバネを効かせた高速回転蹴りスピンキックが、オサーンの身体を会場の端まで吹き飛ばした。

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汗と涙とファイアボール ――異世界レスラー格闘記―― 石和¥「ブラックマーケットでした」 @surfista

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