第44話 馬鹿鳥の飛翔

 インシルリク男爵領に棲息する巨鳥エントは、馬鹿鳥と笑われつつ領民すべてから愛されてもいる。害虫や雑草、ネズミなどの害獣を喰ってくれる益鳥で、フンは良質の肥料になる。多産な上に生育が早く、おまけに肉まで美味いとなれば神からの恩恵のような生き物だ。

 数度の旱魃のとき、もしエントがいなければ、我らは飢えて死んでいた。


「イイアアアアアァッ!」


 野獣ビーストは雄叫びを上げながら足を踏み鳴らし、束縛氷フィールドフリーズの拘束を振りほどく。間髪入れずに突進すると、勢いを乗せた剛腕。腹目掛けて突き出されたそれを、俺はかわさず真正面から迎え撃つ。

 馬鹿鳥エントの動きを模した片足立ち。拳を左膝で止め、すかさず繰り出した右脚の後ろ回転蹴りでオサーンの巨体を弾き飛ばす。転がりながら起き上がった野獣ビーストは、俺を見て目をみはった。


「ギィイイャァーッ⁉」


 ジタバタと手足を振り回しながら悔し気な悲鳴を上げ、オサーンは怒りの表情を浮かべる。こちらの意図を汲んだのか場の空気を読んだのか、それは“マスク・ド・バロン”の対処が変わったことを観客に周知させるための最適解だった。

 観客席からは戸惑いとも期待とも取れるざわめきが広がる。俺は背を逸らし足を音高く踏み締めて、首をゆっくりと左右に振りながら歩み寄った。それはエント特有の不格好な歩き方だが、意図せず相手を小馬鹿にしているようにも見えるだろう。


野獣ビースト。地べたを這いずるしかないケダモノよ。いまこそ、教えてやろう――」


 互いの攻撃圏ギリギリのところで歩みを止め、芝居がかった仕草で両手を広げ、俺はふわりと羽ばたきながら伸身の宙返りを披露する。


「――天高く舞う者の、力を!」


 そう言いながら、俺は失笑を禁じ得ない。

 そもそも、エントが愛されるのも馬鹿鳥と笑われるのも、原因はひとつなのだ。ずんぐりとユーモラスな巨体は短弓の矢を弾くほどに強靭で、太い脚は猪を蹴り殺すほどの力を持つ。当然ながら、その身体は重い。本来、飛ぶようにはできていない。


 くちばし蹴爪けづめもその巨体自体も強力な武器なのだから、飛ばなければなにも問題などないのだが。起伏と遮蔽と高低差の大きなインシルリク男爵領の環境が、それを許さない。

 繁殖期になると求愛のために山を越え、つがいを見つけて安全な高地に巣を作る。雌と雛のためにせっせと餌を運ぶ雄のエントは道中の難所を超えるため、あるいは魔獣から家族を守るために、やむを得ず飛んだところを狩人から狙われる。弓や投石で容易にバランスを崩し、岩場に叩きつけられて死ぬ。


うえを望まねば敗けるうしなうこともない。それでも飛ぼうとは、まるで、わしらの生き様そのものじゃ」


 だからエントは領民の皆から笑われ、だから皆から愛される。特に男たちは、夢や欲を捨てきれず無謀な挑戦をする愚かさと、それを知りつつ挑む心意気の象徴として。エントを自分たちインシルリク男爵領民の気質に重ねる。無駄とわかっても進むことをあきらめない。死を覚悟しても引くことを知らない。志半ばで死のうとも悔いず、周囲もその死をほまれとして見送る。


「アアアアアアァッ!」


 こちらが浮かべた失笑を馬鹿にしたとでも誤解したのか、“野獣ビースト”は雄叫びを上げながら突進してきた。腰を落とし、両腕で守りを固めて。今度は演技ではない。そこにあるのは剥き出しの闘志と、わずかな焦りと、混乱と、憤怒。

 俺は逃げない。逃げるわけにはいかない。


 振り回された拳を低い姿勢で躱し、エントの歩法を模した左右の足払い。猪をも蹴り殺す力で薙ぎ払われれば、人間などひとたまりもない。俺の足払いにそこまでの力はないが、すねに叩き込まれた爪先の一撃はオサーンを後退させるだけのものはあった。

 そのまま押し込むのもひとつの手だが、わずかに後傾した構えは反撃を狙っているのが丸わかりだ。脚、腹、首筋と連続の回転蹴りを繰り出すと、オサーンは技の切れめで渾身の一撃を放ってきた。


「クエエェーイッ!」


 エントの鳴き声とともに飛び上がった俺は、全力の膝蹴りを無防備な顔面に叩き込む。ガゴンッ、と鈍い音が響いて、オサーンの巨体が宙に浮いた。

 それは追い詰められた馬鹿鳥エントが起死回生の蹴りを放つ動きを模したものだ。多くの場合、そのときエントは死にかけていて、また多くの場合、逆転には失敗してそのまま殺されるのだが。


 それでもいい。馬鹿鳥おれは、飛ぶと決めたのだ。


 高く舞い上がったとき、俺はなぜか魂の解放を感じた。

 飛翔それは必要だからではない。そうすることが正しいからでも、そうするべきだからでもない。飛びたいから飛ぶのだ。たとえそれが、自らの死を呼ぶのだとしても。

 もしかしたら馬鹿鳥エントたちが空を選んでいた理由も、そうだったのかもしれない。


 ――我こそはエント。飛べぬ身をもって、空へと挑む馬鹿鳥!


 カチ上げられたオサーンとともに宙を舞った俺は、くるりと水平回転をしながら渾身の両足蹴りで吹き飛ばす。意識が飛んでいたのか、まともに喰らったビーストは転がりながら会場の端まで転がって崩れ落ちた。


「クックククッ、クククッ、クククッ……ッ!」


 エントの威嚇音を真似て足踏みをしながら、俺はオサーンの回復を待つ。さすがにこのまま試合終了となれば観客も地下闘技場も納得はしないだろう

 そして俺も、オサーン自身もだ。こんな終わり方は望んでいない。もっとできるはずだし、もっとやるべきなのだ。


「「「オーサーン! オーサーン! オーサーン!」」」


 観客席が必死に、足踏みとともに声援を送る。悲鳴とも絶叫とも懇願ともつかぬ声を聞いてか、倒れていた野獣ビーストはゆっくりと身を起こし始める。

 実況がなにか叫んでいるようだが、観客席の声に掻き消されて俺の耳には届かない。


「「「おおおおおおおぉ……ッ!」」」


 オサーンは片膝をつき、ゆっくりと立ち上がった。その目にはもう、こちらを探るような好奇心も、観客の反応を見るような視野の広さもない。笑みを浮かべるように唇は弧を描いているが、剥き出しになった“銀の牙”からは血が滴り、視覚できそうなほどに濃い殺意が全身から噴き出している。

 ようやく目覚めたか。それこそが、俺の知っている“野獣ザ・ビースト”だ。


「殺す」


 低く構えた姿勢で力をめ、オサーンは短く吐き捨てた。

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