ビジネスライクの瓦解

 茶化されるのは極めて不愉快だ。やれいつ付き合うのだとか、同棲するのかだとか、外野の野次は不快だ。下世話で、取るに足らない。怒りを通り越して呆れてくる。彼と私はそんな仲にはなり得ないというのに。

 仕事は迅速かつ丁寧。誠実で、信頼できる人物。それが第一印象だった。その所感は今日まで変わることはなく、業務連絡のみが連なるトーク画面に淡々と回答を打ち込む。そこに私的な感情は一切なく、いち会社員として送信ボタンをタップする。彼のレスポンスは毎回早く、それもまた「この人はできる人」と思う理由のひとつ。

 しかし彼は真面目過ぎるところがあって、周りにもてはやされるような関係はおろか、プライベートではあまり関わりたくない部類であると私は思っている。有り体に言えば「好みじゃない」もしくは「興味がない」。

 だから今日もただ社内メールのやり取りをして、そうして退勤時間を迎えた。ほぼ同時に席を立てば、また茶化す声。ああ、うざったいったらありゃしない。そう思わないか、同僚よ。そんな思いで肩をすくめて、まったく顔色を変えない彼に視線を投げかけてからタイムカードを切り、とっとと事務所を出ようとした、のだが。


「あの」


 仕事中と変わらないトーンで、背後から声を掛けられる。振り返れば、やはり無表情の同僚。パリッとアイロンがけされたスーツに身を包む直立不動の彼は、マネキンのようだった。

 一向に口を開こうとしない同僚に痺れを切らして、眉をついひそめてしまう。じ、と見つめられること十数秒。一歩歩み寄ってきた彼は懐から一枚の紙きれを取り出して寄越してきた。


「どうぞ」

「これは」

「業務用じゃない連絡先です」


 は、と声が出た。その言葉が何を意味するのかを理解するのに、さほど時間はかからなかった。しかし、返答も聞かずそのまま歩き去ってしまう彼を引き留める気にもなれず、紙切れを手にしたまま、しばし呆けていた。

 つまるところこの紙切れは、プライベート用の連絡先を記したもので。彼は私に近付こうとしていることの証左となるものでもあって。普通ならば喜ぶべきことかもしれないのだろうが、この時私の胸には、そういった類の感情は何も湧いていなかった。いいや、それならばまだましかもしれない。あろうことか「ふざけるな」とすら思ってしまった。

 びりり、紙が裂ける音。その音に開放感のようなものを感じる。そのまま帰路につく私を咎める者は、ひとりもいなかった。


 仕事は迅速かつ丁寧。誠実で、信頼できる人物。しかし融通は利かず、何を言われようと不気味なほど表情を変えない。この人と個人的な付き合いをするのは、御免被りたかった。

 だから、茶化されるのは不愉快だ。外野の野次は不快だ。下世話で、取るに足らない。怒りを通り越して呆れてくる。彼と私はそんな仲にはなり得ないというのに。

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