燕雀這いずる屋上の紫煙

大魔王ダリア

本編

十一月の屋上は、鳥肌が立つくらいに冷えている。

朱雀鎧主すざくよろずは肩をぶるりと震わせて、冷え切った空気の中に踏み出す。


一人きりの屋上。

ひゅうひゅう、切りつけるような風の音。

かさかさ、枯れ葉があちこちにぶつかって飛ばされる。

丸星学園の昼休みは長い。

生徒同士の親睦を深める時間を設けているつもりらしいが、朱雀にしてみれば余計なお世話だ。


(あと五十分、この寒空の下に暮らせとな)


心中でぼやく。


(それでも、あの教室の空気よりはいいか)


教室の寒さは、今肌を刺している自然の冷気ではなく、人工的で悍しい、毒ガスのような雰囲気だ。

仮面を被った役者のごとく、喜劇を悲劇を笑劇を惨劇を、わざとらしく演じる。

朱雀にしてみれば、虐めも葬りも依怙贔屓も、幾度も演じられて形骸化した演目にしか見えない。


「はあ……つまんね」


彼にとって、この世で唯一の楽しみ、凍え悴む心を癒すのは、煙管の先に灯る火種だ。

未成年喫煙、褒められたことではない。


(じゃあ、褒められる行為なんてあるのか)


理解などされない。

彼らの目は極度の温度差に結露し、こちら側の世界は甘い水滴に歪んで、何一つ正しく映っていないのだろう。

彼は自嘲する。

なぜなら、自分が吐き出した紫煙が視界を阻み、全くのブーメラン思考になっていたからだ。


「人は皆、生まれて死ぬまで盲人か……あれ?」


紫煙の奥に、何やら影が見える。

人だ。人の形をしている。鳥や獣の類ではないだろう。


「屋上に人?珍しいじゃねえか……しかも、女か」


基本的に女子生徒が着用する事になるスカートが揺れる。

ソックスとの間の青白い生脚が、なんとも寒々しい。

女は手摺りを掴んで、身を乗り出している。

後頭部しか見えない。長い髪が後ろで一つにまとめられて、腰までぶらんと垂れている。

朱雀はゆっくりと近づく。

女の肩がぶるりと震える。

振り返りはしない。

朱雀は、虚とした目で芒のように儚く揺れる彼女を見ていた。


「……止めないの」

「あ?飛び立とうとする鳥を引き止めるのは野暮だろ」

「……私、重力には勝てないわ」

「安心しろ。自力で飛んだ人間は前例がない」

「ぐちゃぐちゃになった私を供養してくれる?」

「やだね。それこそ、本物の鳥が啄んで片付けてくれるさ」


彼女は唇をかみしめて、諦めた様に手すりから手を離す。

朱雀はその顔を、しかと見た。

見覚えがある。言の葉を交わさずとも印象に残るくらいの、美人だ。

名前も知っている。入学式で、新入生の挨拶代表に選ばれていた。

燕道小翼えんどうこつば

クラスは離れていて、合同授業でも縁がない。

彼女もまた、屋内の寒さに耐えきれずにここへ来たのだろうか。


「貴方は……」

「……」

「名前を聞いているつもりなの」

「朱雀。赤い、弱々しい雀だ」

「そうなの。私は飛べずに道を歩く燕だから、おあいこね」

「お互い救いようのない屑鳥か。あんたは、まだ見てくれがいいからマシじゃねえか」

「そのみてくれが原因で、酷い目に遭っているの」

「悪くても、酷い目には遭う」

「でも、朱雀は悪くはないじゃない。良くもないけど」

「それでも、人の世は生きにくいんだよ。仮面を被るか、鼻を摘むか、目隠しをするか。それができないやつが、こうしてここに燻る」

「掃き溜めなのね」

「鶴はいねえけどな」

「私は……鶴では、ないの」

「そりゃ、燕は鶴じゃねえだろ」


朱雀は何も聞かない。

それでも、導かれるように燕道は語り出す。

きっと、朱雀が消えても、そのまま語り続けるのだろう。

暇を持て余し、寒さも堪える中、他人の不幸話を聞くのも一興と、朱雀は煙管を咥え直す。


「私、モテるの」

「そりゃご苦労さん」

「勉強もできる」

「そりゃご苦労さん」

「新入生挨拶のせいで目立って、知らない男子からしばしば誘われるの……無理に相槌は打たなくていいの」

「ん……ま、なんとなく先は読めてきたけど」

「多分思った通りよ。ある時、有名な先輩に告白されて、その先輩を好きだった別の先輩に目をつけられて、その別の先輩の後輩が同じクラスだから酷いことをされるの」

「思った以上に陳腐だな。河原の石ころみたいにありふれた話だ、面白くもねえ」


苦々しい顔で、ふう、と煙を吐く。

そろそろ味が消えてきた。

ぽん、と軽く跳ね上げて火種と草を捨てる。

先輩で、それだけの人気ものと言えば、恐らく大鳥鴻蔵おおとりこうぞうだろう。

話したことも、なんなら見たことも無い。

ただ、名前だけはよく聞く。

鳳凰も麒麟も、誰も見たことがないが、名前は知っている、それと同じだ。

まさしく、雲の上を飛ぶ大鳥。

そして、その大鳥に近づく女を執拗にいたぶる雌鷲が、鷲見羽狩すみわかり

高みから、追いつこうとする者の羽を容赦なくもぎ取り、毟り、丸裸にして地に叩き落とす。

羽を失った燕雀に、何ができようか。


「もう一度飛びたいか?」

「……できることなら」

「そうか。どうも俺は飛ぶ気になれん。そう思えるあんたは、相当だ」

「……相当、なに?」

「相当は相当だ」

「そうなの」


それっきり、二人の間に会話はない。

やがて燕道は、極寒の校舎に戻っていった。

朱雀はまだ戻らない。

空を見上げて、見えない位置を飛んでいる鳥を睨む。


(鷲見羽狩……いや、朱雀羽狩。親父を壊して、俺に飽きて、次は燕に目をつけたか。……いい神経してるよ、姉さん)


新しい草を皿に詰めて、火をつける。

熱々のスープのような濃厚な煙が口腔を咽喉を、肺腑を充す。

満喫して、吐き出した。

一秒後、屋上には既に誰の姿も見えなくなった。










『丸星高校生徒、飛び降り自殺』

『別居した姉の執拗な嫌がらせが原因か』

『学園関係者「学園は無関係、家庭環境の問題」』

『両親の離婚の真相は』


新聞に、週刊誌。

後付けの脚本は、煌びやかに踊る。

今日も、とある雀の死が、楽しそうに歌われる。

燕は、耳を塞いで窓の外を見る。

ふわふわと、紫煙が舞った気がした。

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燕雀這いずる屋上の紫煙 大魔王ダリア @mithuki223

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