第6話 いばらの学院①
「一体何が……!?」
突然響いた悲鳴と校舎全体が軋む音に、シャーロットは思わず立ち上がった。
「分かりません。様子を確かめないことには……」
シャーロットは師であるカインと顔を見合わせると、中庭の様子を確かめるために窓に近寄った。
「!」
「……これは、……!」
窓の外は、異様な光景が広がっていた。
風もないのに、黄砂でも吹き荒れているかのような濁った空気が停滞している。本来ならば、窓から中庭が見下ろせるはずだ。しかし、濁った空気の密度が凄まじく、遠くを見通すことも叶わない。
そして、学院の外壁を埋め尽くすように伸びる茨。本来の成長速度からはありえない勢いで伸びた茨が、学院を包み込んでいく。
(黄砂? ……それにしては、風がないように見えますが……。それに、あの茨は……)
自然では起こり得ない現象が次々と起こり、シャーロットの視界に飛び込んでくる。一体何が起こっているのか。それを考えるには、余りに情報が多すぎた。
(最初に悲鳴が上がったのは、中庭でしたわね……。そこで何かが起きた、と――)
そこまで考えてから、シャーロットはハッとなって顔色を変えた。
……そう、先程一際大きな悲鳴が上がったのは中庭だった。今の時間帯は、新入生たちが【妖精の加護】の基礎演習を行っていたはずだ。
つまり、アルバート含めた新入生たちが、まだ中庭に取り残されている可能性がある、ということだ。
これだけの密度の砂塵だ。何の策もなく外に出れば、間違いなく身体に害を及ぼすだろう。しかし、外に取り残された生徒たちを放置する訳にはいかない。
そう考えたシャーロットが口を開こうとした瞬間、研究室の扉が開かれた。
「シャーロット、よかった、無事だったのか……!」
そう息を切らせながら研究室に入ってきたのは、アルバートだった。彼は意識を失った生徒を肩に担ぎながら、シャーロットたちのいる研究室まで駆けてきたらしかった。
アルバートの後には、困惑した様子の生徒たちが数人ついてきているようだった。
「殿下、……一体何が起きたのです?」
そう問いかけたシャーロットに、アルバートも訳が分からない、といった様子で口を開いた。
アルバートが話したことを時系列順に並べると、こうだ。
まず、【加護の天球】で属性ごとに組分けをされた新入生たちは、中庭に向かった。その後、それぞれの組に分かれ、講師による講義と実演が行われたという。
そして、生徒たちが実際に練習をするという段階になった時、異変が起こった。
草の妖精の加護を受けた――草花の組の生徒たちの力が、暴走し始めたというのだ。
小さな花が異質な成長を遂げ、あっという間に人の背丈ほどの大きさに育った。小さな草が茨に変貌し、みるみるうちに学院を侵食していった。
それと同時に、空気を濁らせたあの黄色い粉末が発生したらしい。そして、それを吸った生徒たちが次々に倒れ伏し始めたというのだ。
それに気が付いたアルバートは、咄嗟に水でドームを作り、近くの生徒たちを匿った。また、同じく反応できた生徒たちも、加護を用いてその場を逃れたという。
そこまで説明したアルバートは、厳しい表情で
「しかし、まだ外に取り残された生徒がいるんだ。これから、助けに戻らないとならない。……問題は、あの黄色い粉末なんだけれど……」
そう口にする。しかし、シャーロットはアルバートの顔に僅かな疲労が滲んでいるのを見抜いていた。
「ですが殿下、ここまで来るのに、相当の体力を消耗なさったのでは……」
妖精の加護は、当人の体力などを対価に差し出して得られる力だ。数人の生徒を匿えるほどの水の障壁を維持しながら、中庭から学院内まで来るには、相当の力をつかったはずだ。
しかし、アルバートはそんな気配を微塵も感じさせないように笑った。
「大丈夫だよ、シャーロット。……それよりも、早く外に残った皆を助けに行かないと……」
そんなアルバートに、シャーロットは心配そうな目を向けた。けれど、彼の言う通り、外に残されている生徒の方が急を要することは事実だ。
「では、あの黄色い粉の正体から確かめなくてはなりませんね」
外にいる生徒を助けるには、空気に漂う黄色い粉末の対処が必要不可欠だ。そう思ったシャーロットは、再び考え込み始めた。
シャーロットが考え始めた時、
「なるほど、これは気絶している訳ではありませんね」
気を失っている生徒の様子を確かめていたカインが、そう口にした。
「エヴァンズ教授、どういうことでしょうか」
アルバートが問うと、カインは答える。
「気絶している訳ではなく、眠っているのです」
その言葉に
「まさか……」
そうシャーロットは反応を示した。気を失っている生徒の衣服を検めると、ローブの裾に付着した黄色い粉末が見て取れた。それを指に乗せてしばらく観察した後、彼女はその香りを確かめ始めた。
とろけるような甘い花の香を凝縮した、蜜。その香りには覚えがあった。
「これは、【いばら
シャーロットの独り言に、カインは頷いた。そして、説明を求めるような視線を向けたアルバートに、
「これは【いばら草】と呼ばれる花の花粉です。これが人間の体内に入った場合、強い眠気に襲われるようになるのです。……なので、眠りが浅い人や、自分の意思で眠れない人に、睡眠薬として処方されますわ」
とシャーロットが説明した。そして、それを引き継ぐように、カインが言葉を繋いだ。
「ただし、それは花粉を数倍に希釈した場合です。効果が強く出過ぎてしまうので、そのままで使用するのは危険を伴うのです」
それから、眠りに落ちた生徒の方を見つめて、
「……この生徒を含め、眠りに落ちてしまった生徒たちは、かなりの量を吸い込んでいるはずです。数日間は目覚めないかと思います」
「そんな……」
驚愕しているアルバートに、カインは更に告げる。
「……眠っている間は、口から栄養を摂ることが出来ません。ですから、栄養を摂れずに衰弱していくばかりでしょう」
「っ……どうにか、目覚めさせることは出来ないんですか、エヴァンズ教授」
そう口にしたアルバートに、カインは述べた。
「あります。【目覚めのミント】を使えば、改善は出来るでしょうが……」
言い淀むような口調。その理由を理解して、シャーロットが口を開いた。
「【目覚めのミント】の数量が足りないのですね?」
「ええ、これだけの生徒の数です。それに、口で咀嚼出来ないのですから、液体に抽出する必要があります。それをするためには、枚数が余りにも足りません」
「なるほど……」
シャーロットはすぐさま、カインが片付けようとしていたティーポットから、茶葉を取り出した。そして、その中から数枚の【目覚めのミント】を拾い上げた。
「シ、シャーロット、貴女……!」
そして、カインが止めるのを振り切って、シャーロットはそれを口の中に放り込んだ。
「では、私が【目覚めのミント】を採集してまいります」
【目覚めのミント】を噛み、飲み干したシャーロットは、そう宣言したのであった。
王妃候補令嬢は殿下よりも薬草がお好き? 椎名はるな @haruna_siina
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