【6-9】 終
それから更に時は経ち、植えた桜の木が大きく育ち沢山の花を咲かせ、人々を楽しませるようになった頃。
西の役所から少し離れた小さな家に一人の老婆がいた。黒かった髪は真っ白になり、皺くちゃの手で手慣れたように籠を作る。
縁側からは森が見え、遠くには小さく煙を吐くマンナカダケが見えている。時折小規模の噴火はするものの、何十年経っても変わらないその風景を横目に、彼女は静かに編んでいく。
と、部屋の奥から杖をつきながら老爺がやってくる。白かった髪はさらに白くなり、今では殆ど見かけなくなった獣耳や尻尾を揺らしている。
老爺に気付いたのか、老婆は顔を上げると笑みを浮かべて籠をそばに置いた。
「おかえりなさい貴方。また随分と遠くへいったのね」
「ああ。桜がな、綺麗だったから」
首に下げた一眼レフのカメラを手にすると、老婆はゆっくりと立ち上がる。膝にやった左手には磨かれた蒼玉の指輪がはめられていた。
その蒼玉と同じ色をした目が老爺を写す。そして歩み寄る老爺からカメラに写った写真を見せられると、目を細め声を漏らす。
「あらぁ。今年も見事ねぇ」
「だろう?今度は一緒に見に行こうか」
「ええ。お弁当やお団子持ってね」
「ああ」
そう言って二人は仲良さげに笑い合う。老爺が写真を撮るようになったのは、老婆と再会して間もない頃。少しでも多くの思い出を作ろうと、沢山の写真を撮ってきた。
本棚には撮り溜めた写真を入れたアルバムが詰まっており、いつ読んでもその時に戻ったような気持ちになった。
最近では、傘寿のお祝いの時に孫息子から贈られたデジタルカメラを使っており、撮ってきてはこうして老婆に見せていた。
時代は進み、この大地も前よりは自然が少なくなっていた。人口が増えたのもあり街が大きくなったからだ。だがその一方で離れに行くとこうして自然は残っている。
植樹祭以降も各地で木を植え続けた事で、規模は小さくものの、森が生き返った。
家の近くの森も人々が協力し、生き返らせた森の一つである。そしてその森を通った先には龍の石碑の立つ丘がある。
二人は縁側近くに置いてある椅子にそれぞれ座ると、老爺が息を吐き森を眺めた。
「植えた時は、木がうまく成長してくれるかと心配だったが……もう、心配はないようだな」
「ええ。立派に成長したわね」
「ああ」
そう言って老爺は膝の上にカメラを乗せ、それを大事そうに撫でる。
暖かで少し寂しい風が家の中に吹き込み、カーテンが床を擦る音が微かにする中、老爺は目を細め「早かったなぁ」と呟いた。
「あっという間に五十年以上も経ってしまったな」
「ふふ。そうね」
「何だか、今でも信じられないな。まさかこうして穏やかに老後を過ごしているとは」
「それ、最近いつも言ってるわね」
米寿という人生の一つの境を迎えた頃から、こうして老爺は何度も口にしていた。
一国の王子として生まれ、邪魔者扱いされて、きっとこんな未来は来ないと思っていた。だからこんな今があるのが信じられないと彼は言う。
しかしそれを聞かされる度に老婆は言った。「貴方が頑張ったからよ」と。手を握りながら。
「貴方が努力をして、ずっと心優しかったから。そして、いざという時に自分の気持ちをちゃんと貫いたからよ」
「ツバメ……」
老婆の名前を呟けば、彼女は優しく笑む。手を伸ばし、彼の手を握ると、老爺もまた握り返す。
「俺は、お前に出会えたから変われたんだ。一度は離れてしまったが、また会えてよかった。幸せだ」
「それは私もよ。シユウ。最初は可愛い弟みたいだと思ったけれど、同時に逞しくかっこいい人だったわ。……あ、でも可愛らしいのは今もかしら」
「言うな。昔よりは泣かなくなっただろ。俺は」
「ふふ。そうだったわね」
老爺は拗ねたように呟くと、老婆はくすくすと笑う。
こういった様子が可愛らしいのだと、口にはしなかったが老婆は思っていると、ドアのノック音が聞こえ二人は振り向く。どうやら娘達がやって来たらしい。
幼く賑やかな声と共に、「ただいま」と娘や孫夫婦の声が聞こえてくると、老爺は杖を手にして立ち上がる。
扉が開かれれば、二人めがけて小さな男の子が走ってきた。
「ひいじいちゃん! ひいおばあちゃん!」
「おお、アル。いらっしゃい」
「また大きくなったわね」
そう言って、二人はひ孫を可愛がる。アルの両親である孫息子夫婦が後からやってくると、孫息子は老爺と同じカメラを手にして、三人の再会を写真に収めたのだった。
――
五十年前よりも増えた木々に囲まれた、龍の石碑のある丘。そこに一人の男がいた。
彼もまた年老い髪が白くなっていたが、年を感じさせぬ様子で手際よく石碑を布で拭いていく。
すると、そんな男の元に、もう一人の年老いた男が息子達に連れられやってきた。彼もまた掃除をしにやって来たらしい。
石碑を磨いていた男は手を止め、振り向くと「ああ」と笑みを浮かべ歩み寄る。
「カラスさんも来たんですね」
「ああ。タカ達と一緒にな」
「もう年だから俺が代わりに行くと言ったんですけどね。聞かないんですよこの人」
そう苦笑して、タカと呼ばれたカラスの息子は言う。その横にはタカの息子である若い男がいた。彼は昔のカラスにそっくりであった。
タカの妻は、コムギとラクーンの娘である。孫息子はカラスに似ているところもあるが、時折その二人の面影も感じた。
孫息子は男を見ると小さく頭を下げ歩み寄る。水の張ったバケツや布を片手に、石碑に触れれば、彼は年相応の笑みを浮かべた。
「俺、龍は見た事ないけれど、ずっと守っていきたいな。ここを」
「……ああ、そうだね」
自分もまた。生き続ける限り、この場を守っていきたい。そう彼は思いながら、止めていた手を動かし始める。
龍という素晴らしい生き物がいた事。美しい景色があった事。そして、自分達人間がこの地にしでかしてしまった事の償いも含め、男は丁寧に磨く。
カラスはそんな男の背中を見つめながら、タカに支えられ石碑に歩いていく。
(自分達ができる事はもう随分と減ってしまったが、自分達の代わりに次の代へと龍を語り継ぐ者がいる)
その存在がいる事にありがたく思いながら、男……燕寺は石碑を磨いていく。
今年もまた春がやってきて、燕が飛んでくる。その繰り返しの中でも、少しずつ大地は変わっていく。
龍がいなくなっても彼らが愛した大地は、今日もまた誰かによって守られていた。
蒼玉のツバメ チカガミ @ckgm0804
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