俺の未来のフィアンセへ

平 遊

待っててくれよ、な?

中学2年になって2か月ほど経った、ある晴れた朝。

ソレは、なんの前触れもなくやってきた。


「・・・・は・・・・く・・・・」


遥か遠くの方から微かに声が聞こえたような気がして、俺はその場で足を止めた。

周りを見回してみたが、既にギリ遅刻・・・・いや、決定的に遅刻のこの時間。

通学路に人影はない。


気のせいかと、再び足を踏み出すと。


「・・・・いて・・・・どいてーっ!」

「へっ・・・・どわぁぁっっ!」


頭上から聞こえた声に上を見上げる暇もなく、俺はとてつもなく柔らかくて重量のあるモノに押しつぶされ、その場に倒された。


「アタタタ・・・・ドジったぁ」


俺の上から、さっきと同じ声が聞こえる。


「ごめんねぇ、遥斗くん」

「と・・・・とりあえず、早くどいて・・・・くれませんか、ねっ」

「あっ!ごめんごめん!」


声とともに、俺の上から、重たいけど温かくてとてつもなく柔らかいものが離れる。

倒れた時に強かに打ち付けた頭をさすりつつ、ゆっくりと立ち上がった俺の目の前に立っていたのは。


「ん~、可愛い♡」


満面の笑みで俺を見ている、知らない姉ちゃんだった。

見た感じ、20代後半くらいか?


遥斗はるとくんさ、今中2だよね?」


俺の記憶にはまったく無い姉ちゃんが、なぜに俺の名前を馴れ馴れしく呼んでるんだよ?

つーかこの人、どっから湧いて出たよ?!


見も知らぬ姉ちゃんの質問には答えずに、姉ちゃんを頭のてっぺんから足の爪先まで眺めてみる。


姉ちゃんは、まぁ、どっちかと言や俺好みの可愛い系だ。それに・・・・俺好みのポワンと大きく膨らんだ胸。

さっき俺に思いっきりアタックしてきたのは、きっとあの胸に違いない!

なんて思うと、顔がニヤけそうになる。

ほんと、やわっこくて、フニフニして、気持ちよくて・・・・

だけども、だ。

春、だしな。

温かくなると、おかしなヤツも、増えるし。

この姉ちゃんも、ソッチ系かもしれんと、俺はいつでも逃げ出せる体勢を取りながら姉ちゃんに聞いた。


「つーか、あんた、誰?」

「あたしはねぇ」


姉ちゃんは、メッチャ嬉しそうに笑って言った。


「遥斗くんの、カ・ノ・ジョ♡」


やっぱ、ソッチ系か。

残念だな、俺のタイプにどストレートだったのに。

・・・・ちょーっと、年が上すぎるけど。


ほんの少しだけ後ろ髪を引かれないでもなかったが。

俺はその場で回れ右をして姉ちゃんに背を向けると、ダッシュで学校へと向かった。



守野もりの、お前今週何回目だ、遅刻・・・・」

「さーせんっ!」


ちょうどHRを終えて教室から出てきた担任に溜息を吐かれながらも、ここまで来れば大丈夫と入った教室。

俺はギョッとして、入口で足を止めた。


「は・る・と・く~ん♡」


いつも通り、授業が始まるまでの束の間の雑談に、あちらこちらで花が咲いている中。

俺の席に座っていたのは、あの姉ちゃんだった。


「どうした、遥斗?早く来いよ。もうすぐ先生来るぞ」


隣の席の拓海たくみが、不思議そうな顔をして俺を呼ぶ。

神田拓海かんだたくみは、俺の小学校からの親友で、今も同じクラスで良くつるんで遊んでいる奴だ。

ちなみに、拓海と俺は幸か不幸か、好きなタイプも結構な割合で被っていたりして。


もしや拓海、あの姉ちゃんにコロリと丸め込まれたか?!

ヤバいぞ!

その姉ちゃん、どストレートのタイプかもしれないけど、ちょっとオカシい系だぞっ!


姉ちゃんにバレないように、コッソリと手で合図を送るが、拓海はキョトンとして俺を見たまま。


「何やってんだ?いいから早く来いって!」


だーかーらっ!


もう一度拓海に合図を送ろうとした時。

背後でガラリと扉が開く音がした。


「なんだ守野、また遅刻か?さっさと席に着け」


振り返らずとも分かる、学校一番のカミナリジジィ。


そっか、一時間目はジジィの数学だったか・・・・

でも、俺の席には今、あのオカシな姉ちゃんが・・・・


そっと俺の席を見ると。

姉ちゃんは椅子から立ち上がって、俺に小さく手など振っている。

そして。


「また後でね~、遥斗くん」


そう言って笑うと、そのまま・・・・

消えた。


「守野っ、何をしているっ!早く席に着けっ!」

「はいっ!」


目の前で起こった摩訶不思議な現象に呆然とする暇もなく、俺はジジィの圧倒的な怒りオーラから逃れるべく、慌てて席に着いたのだった。



「いただろ、お前と俺の好みにドンピシャの姉ちゃんが!」

「・・・・お前、頭大丈夫か?熱でもあるんじゃないか?」


昼休みの屋上。

拓海は心配そうな顔で俺のおデコに手を当てる。


「違うって!熱なんかねぇよっ!」


拓海の手を振り払うが、拓海は尚も心配そうに俺を見る。


「変なクスリにでも手を出したのか?」

「お前は俺をなんだと思ってるんだ?」

「デカ胸ラブ星人」

「・・・・それ、お前が言う?」


ジト目で拓海を見るが、拓海は爽やかな笑顔を俺に向けて言い放つ。


「俺はオープンなデカ胸フェチだからな。お前みたいなムッツリ隠れデカ胸ラブ星人と一緒にするなよ?」

「なんだそれ・・・・」

「俺みたいにデカ胸フェチを公言してりゃ、遥斗にだってタイプの彼女、すぐできるぞ?お前、前に話してた隣のクラスのあのコ、惚れてるだろ?思い切って告白してみろよ」


そりゃ、お前だからだろーが・・・・


口から出かかった言葉を飲み込んで、拓海から顔を背ける。

拓海には、少し前に可愛い彼女ができていた。

拓海の好きな、胸がデカい可愛いコだ。

まぁ、それだけで好きになった訳じゃないと思うけど。


だいたい、本人に自覚は無いようだけど、拓海は小学校の頃からモテていたんだ。

顔も良くてスポーツも万能で学力もまぁまぁなら、デカ胸フェチを公言したところでなんのマイナスにもならないだろうさ。

俺がそんなことしてみろ。

ただの変態扱いか、セクハラ野郎扱いされること、間違いなしだぞ?


はぁっと、溜息を吐いた時。


「そんなこと、ないと思うけどなぁ?」


またもあの姉ちゃんの声が聞こえ、俺は慌てて辺りを見回した。

と。


「少なくとも、あたしは遥斗くんのこと、大好きだし」


言葉と同時に、空からフワリと姉ちゃんが降りてきた。

俺と拓海の、目の前に。


「な?なっ?!ほらっ、この姉ちゃんだよっ!」


震える手で拓海の腕を掴み、姉ちゃんの方を指差すが。


「・・・・お前、今日はもう帰れ」


拓海は俺の手の上にそっと手を重ねて、心配そうな目を向ける。


「先生には、言っといてやるから。な?」

「は?なんでだよ?」

「欲求不満が高じて幻覚が見えるなんて、よっぽどだぞ?」


・・・・幻覚?

ってことは。

拓海には、あの姉ちゃんが見えてないってことっ?!


またも呆然とする間もなく、拓海が俺を立ち上がらせる。

立てるか?歩けるか?一人で帰れるか?

と、拓海に過剰に心配されながら教室に戻った俺は、そのままカバンを手に持たされ、学校から追い出されたのだった。



「なぁ、あんた、俺の幻覚なのか?」

「ふふっ」


屋上からずっと姉ちゃんが付いてきている事に気づいていた俺は、帰宅途中にある公園に立ち寄って、くるりと後ろを向く。


「タクミンとは、こんな頃からもう仲良かったんだねぇ」


姉ちゃんは俺の質問には答えずに、ブランコに座った。


「タクミン?」

「神田拓海くんでしょ、さっきの。小学校から一緒だって、言ってたっけ」


ブランコをユラユラと揺らしながら、姉ちゃんは言った。


「でも、知らなかったなぁ、タクミンが胸の大きな人が好きだったなんて。タクミンの奥さん、結構小ぶりな胸だし。あたしの親友でね、本人は胸が小さいこと気にしてたけど、顔も性格も、ものすごく美人なの。あたしの自慢の親友。タクミン、結婚してからもずっと、彼女にゾッコンなんだよ・・・・胸とかじゃなくて、彼女自身を丸ごと好きになったんだね、きっと」

「・・・・は?」


この姉ちゃんの言っていることは、メチャクチャだ。

拓海は俺と同じでまだ中学2年だし。

もちろん結婚なんて、してるわけないし。

デカ胸フェチの拓海が、『小ぶりな胸』の女と結婚とか、考えらんないし。

でも、この姉ちゃんは、俺が拓海と小学校から一緒なのを知っている・・・・


こわっ!

・・・・こいつ、ほんとに何なんだっ?!


「ほんとに、誰なんだよ、あんた」

「遥斗くんにね、お願いがあって来たの」


ブランコに揺られながら、姉ちゃんが俺を見る。

その顔がなんだか泣きそうな顔に見えて、俺はなんとなく、姉ちゃんの隣のブランコに座った。

よくわからないけど、姉ちゃんがなにか大事なことを俺に伝えようとしている気がして。


「なに?」

「あのね」


ブランコを止めて、姉ちゃんは言った。


「あたしのことは、絶対に、好きにならないで」


・・・・やっばりこの姉ちゃん、オカシな人かもしれない。

言ってることが、支離滅裂しりめつれつ過ぎる。


そう思ってブランコから立ち上がろうとした俺に、姉ちゃんは続ける。


「遥斗くんに悲しい思いをさせたくないの。あたしね、死んじゃったんだ。遥斗くんがプロポーズしてくれた、すぐあとに」


ブランコのチェーンを握りしめている姉ちゃんの左手薬指には、綺麗な石のついた指輪がめられていた。

姉ちゃんは、優しい顔をして微笑んでいたけれど。

真っ直ぐに俺を見る目からは、涙が流れ落ちている。

そんな姉ちゃんを見ていると、なぜだかキュウッと、胸が締め付けられるような気がした。

それで、思ったんだ。


この姉ちゃんが言っていることは、本当のことなのかもしれないって。


「だから、お願い」


姉ちゃんの目から溢れている涙は、太陽の光を反射して、キラキラと輝いている。


綺麗だな。

指輪の石なんかより、姉ちゃんの涙の方が、よっぽど綺麗なんじゃないか?


そんなことを思いながらぼんやりと姉ちゃんの涙を眺めている俺に、もう一度姉ちゃんが言った。


「あたしのことは、好きにならないで。絶対に」

「・・・・ごめん」


思うよりも先に、口から言葉が出てた。


「えっ」

「無理だよ、そんなの」

「なんで・・・・」

「だって」


ブランコを降りて、姉ちゃんの真ん前に立つ。

今、俺の背は、ブランコに座った姉ちゃんよりは高いけど、立ち上がった姉ちゃんよりはちょっと低い。

でも、きっとこれからまだ伸びるはずだ。

俺が姉ちゃんと出会う頃には、きっと追い抜かしてるはず。

そうしたら。

そうしたら、俺は。


「だって俺、これ以上姉ちゃんに泣いて欲しくないから」

「えっ・・・・」

「それに」


続けた俺の言葉に、姉ちゃんは目を見開いて俺を見つめ。

そして、泣きながら笑って言った。


「やっぱり敵わないなぁ、遥斗くんには。まだ中学生なのに」


照れくさそうに涙を拭いて、姉ちゃんは立ち上がる。


「もう、行かないと」

「なぁっ!」


そのままフワリと浮き上がった姉ちゃんを、俺は慌てて呼び止める。


「名前はっ?!」


だけど。


「ふふっ、ナ・イ・ショ♡」


そんな言葉と笑い声を残し、姉ちゃんは消えてしまった。




「遥斗、大丈夫か?例の姉ちゃん、見えてるのか?」


翌日。

教室に着くなり、拓海が駆け寄ってきた。

かなり心配してくれていたらしい。


「いや、もう見えない。そーいや俺、昨日学校に来る途中でコケて、頭打ったんだ。ほらここ、コブできてるだろ?きっと、そのせいだったんだな」


上から降ってきた姉ちゃんに押しつぶされた時に打った頭には、手の平よりひと回り小さいくらいのコブができていて、それを拓海に触らせると、拓海はフゥッと小さく息を吐き出す。


「はると~、気をつけてくれよ?俺、ほんとに昨日は心配だったんだからな。お前がオカシくなったんじゃないかって」


俺のコブをサワサワと触りながら、拓海は続ける。


「何かあったら、必ず相談してくれよ。俺たち、親友だろ?」

「・・・・うん。ありがとな、拓海。つーかお前、いつまで触ってんだよ?」

「・・・・なんか、触り心地良くて」


テヘッ、と笑いながら、拓海はなぜか顔を赤くして、尚も触り続ける。


「な~んか、しっくりくるんだよなぁ、この大きさ。ずっと触ってたい」

「やめれ」


『タクミンの奥さん、結構小ぶりな胸だし』


姉ちゃんの言葉が、ふいにストンと俺の腹に落ちた。



ごめんな、拓海。

お前には何でも相談したいけど、あの姉ちゃんのことだけは、相談できそうにないや。

だって、お前に話したら・・・・まぁ、信じてくれたら、の話だけど・・・・絶対、お前もあの姉ちゃんと同じこと言うだろうから。

好きになんかなっちゃダメだ、って。

でも、無理なんだよ。

だって、あの姉ちゃんの言葉、『あたしのことは、好きにならないで。絶対に』は、俺には『ずっとあたしを好きでいて』にしか、どうしても聴こえなかったんだ。

それがきっと、あの姉ちゃんの本心だと思うんだ。

死んじゃった後まで俺の事を想って、わざわざ今の俺に会いに来てくれた、あの姉ちゃんの本心。

だから俺、絶対にあの姉ちゃんと出会って、好きになる。

ていうか、もう、好きになってる。多分。

付き合い始めたら、きっと色々悩むと思うんだ。

姉ちゃんの未来がどうなるか、俺、知っちゃってるから。

でも、だからこそ。

出会ったらもう、ソッコーで幸せにしようって、二人で一緒に過ごせる時間を目一杯楽しもうって、思ったんだよ。

その日が、来るまで。

たくさん楽しんで、幸せな思い出で一杯の人生を、姉ちゃんには送って欲しい。

俺の事なんて、心配しなくて済むくらいに。

そうしたら俺だって、きっと大丈夫なはずだから。

でも・・・・もし俺がどうしても立ち直れそうもなかったら。

その時はよろしくな、拓海。


なぁ、姉ちゃん。

俺の未来の婚約者フィアンセの姉ちゃん。

俺は、大丈夫だから。

きっと、大丈夫だから。

姉ちゃんが心配しなくて済むくらいに、俺は強くなるから。

拓海も、居てくれるし。

だから、さ。

もう、そんな悲しいこと言わないでくれよ。

俺、楽しみにしてるからさ。

大きくなった俺が姉ちゃんと出会う、その時を。

だから、姉ちゃんも。

待っててくれよ、な?


【終】

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