セツナイ部屋の鍵 🔒

上月くるを

セツナイ部屋の鍵 🔒




 梅雨の晴れ間、田園地帯は色とりどりの花ばなと若葉の彩りに満ちあふれている。

 惜しげもなく……そんな凡庸な言葉しか思いつかないほど、まぶしく強烈な陽光。


 帽子、薄紫のサングラス、グレーのマスク、黄色いストール、黒いアームカバー。  

 生命力に富んだ自然界のパワーをお裾分けして欲しくて、完全武装で歩いて行く。

 

 標高の高い地方都市に強烈に降りそそぐ紫外線からしっかり全身を守るスタンス。

 これさえ整えれば、あとは颯爽と歩を進めてゆくだけで心地よい汗をかけるはず。

 



      🪟




 だが、この美しく煌びやかな自然のなかにも、数多の恐ろしいものが潜んでいる。

 ひとたびそんな気持ちに駆られ始めると、ウォーキングの速度が鈍りがちになる。


 先日、古書店で購入した自然科学系の本に、思ってもみないことが書かれていた。

 古代人類の「恐怖の記憶のDNA」で現代人はふたつのタイプに分かれるらしい。



 ――🐍系と🕷️系。

 


 いずれも毒を持つものにおそわれた記憶が、いまに引き継がれているのだそうだ。

 あ、どおりで、🐍は平気なのに、ちっぽけな🕷️に跳びあがる人がいるわけだわ。


 タカコは🐍系だが、ふたりの子どもたちが🕷️系なのは亡夫のDNAを受け継いでいるのかと思うと、ちょっと残念(笑)というより釈然としない気持ちに駆られる。


 ことほどさように、腹を痛めた母親はごく自然な感覚として子どもを自分の所有or付属と思いたがるが、じつは冷酷なほど他人の面をもつ独立したパーソナルなのだ。


 ついそんなことをカクニンしたくなるのは、心の奥底のセツナイ部屋の分厚い扉に頑丈なカギまでつけて閉じこめてある、根深いカナシミが顔をのぞかせたがるとき。


 


      🪑




 理想的な一男一女と自惚れていたのは、子どもたちが思春期を迎えるまでだった。

 母親っ子の娘はともかく、中学に進む頃から息子との関係がギクシャクし始めた。


 ママからかあさんへ、さらにオフクロからババアへ急降下で格下げになり(笑)、ことあるごとにウルセエとか関係ねえだろとかの罵声を浴びせられるようになって。


 社会人になったら少しはと期待したが、相変わらず「過干渉」だの「支配ババア」だのと面罵されつづけ、結婚後はお嫁さんを通しての会話しか成り立っていない。


 そのことがカナシミの染みになっていて、油断するとジワッと滲み出て来るので、ふだんから自分に言い聞かせることにしているのだ「あるがままを受け入れよ」と。




      🌥️




 自然にしても、人為にしても、思うままになると考えることからして傲慢なのだ。

 目に見えるものも見えないものも、まるごと、そっくりそのまま受け入れること。


 羽で庇い大事に育てたつもりの息子との関係性は、一生このままかも知れないし、意外にそうでもないかも知れないが、ジタバタ騒いでも、いいことはひとつもない。


 もう何年も考えつづけていることを飽きもせずリピートしながら、腸腰筋と膝裏をしっかりと伸ばしてから踵で着地する……正しいウォーキングに意識を集中させる。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

セツナイ部屋の鍵 🔒 上月くるを @kurutan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ