第3話

 家に帰って、私はエイジくんのことが気になっていたが、それはすぐに消え失せた。パソコンを開いて動画サイトを見た。


 エイジくんとは小学中学とも悪い仲ではなかった。今だって彼は同じ高校に一年生として通っている。


 エイジくんは、授業中や休み時間の人との触れ合いの仕方をよく分かっているようだった。如才ないな、と思う人すらいないくらい完璧だった。私は何も知らずに黙ってたまに彼を見ていた。



 何がそんなに楽しいのだろう。恋の相手と話すのが楽しいのは分かるし、新しい接点の目新しさに感動するのも分かる。


 でも、私には恋というものが分からないのだ。自慢するわけでも、斜に構えているつもりもない。人が恋するのに魅力を感じない。


 私は屋上からたまに人を見下ろし、飛び降り自殺する自分の姿を想像する。落ちたら後遺症が残って、ずっと看護される身になるかもしれない。


 想像をとても敏感にすると、私は自分の親が泣く姿を眼球の力だけで横見する。(ああ、やってしまったな)と私は思う。悲しみがあるのは将来の先に見えても、真の悲しみや家族の孤独は実際にあわないと理解できないのだ。


 そうやって私は高校二年生になった自分の成長を感じる。同性愛者の友達のエイジ。勉強ができても人間を真に理解できない私。将来有望な友達。



 明るく図書室で話をしていても、その人生の先には悲しみや苦しみが潜んでいる。誰も言わぬだけだ。


 私には兄がいる。その兄にはもともと好きな女の子がいた。本来なら大学一年で、外の世界と強く繋がりを持つべきはずなのだ。だがその女の子は交通事故に遭い、首しか動かせず、言葉も出しづらく、いつもメソメソ泣いていた。


 私も兄と一緒に見舞いにいったが、その後兄は恋愛の話は誰にもしなかった。というより、できなかった。恋愛的な感情が冷めただけではなく、人が簡単に一瞬で違う存在になってしまう無常を感じたらしかった。


 私は高校二年生になった。一年ほど前より比べると、もっと深く物事を考えるようになった。同性愛者のこと、単純に恋が冷めるより哀れな片思い、ショックを受けて憂鬱が収まらない兄。高校二年生という一つの激動の成長が、私の人生のこれからを難しくするのが感じられる。周りの人々の変化と、それによって変わってしまう私の立場とかが、私の胸の奥を圧迫させる。


 私は自分が変わっていくのか、周りが仕方なしに段々と厳しい態度を取らざるを得ないのか、分からない。


 私は屋上からエイジくんを見つけた。水飲み場で女の子ととても楽しそうに話していた。背が高く、きれいな顔で、話題も豊富。彼は愛せる女性は私だけと言っていたが、どうすればいいかなんて、大人になってない私には全然分からない。

「よっ。ユカ」


 と相変わらず大きい胸のチエが私の背後から来た。屋上にはあまり人が来ない。

「またですか、胸が大きければ大きいほど脳にも栄養がいくわけですか。だから大食いですか。男の子の視線も集めて食べちゃうわけですか」


 笑うと、彼女はふふ、と当座の笑いをした。本来の感情を隠しているのは丸わかりだった。


「エイジくんって、ユカか男の子にしか恋をしないんだよね?」


 私はとりあえず頷く。チエは暗い微笑をした。


「なんでだろうね。エイジくんだってきっと自分がゲイということに困っていると思うんだよ。恋愛の対象が同性なんてさ。でもどうすれば、どうすれば、って私が云々言っても、変えることはできないよね。私はエイジくんにとって誰でもない。なんだか適当に話をして、名前も覚えてもらない他人の誰かなんだから。エイジくんにとって私は何者でもないのよね」


 私はたまにこうやってチエの悩み事を聞いた。いつも事柄は違った。普段はのほほんとしている陽気そうな彼女は、誰よりも自分のこと以上に他人を心配しているのだ。そうすることで彼女は場の平和を保とうとしているように私は思う。


 そうやって場の空気を良くすることは、彼女自身にとってみれば話を正しい方向へ動す喜びなのだろう。でもそうやっていくことで、彼女の神経は摩耗していくようになっていると、友達の私は思うのだ。


 私は心の無い人間なのだろうか?


 男子高校生が学校の外周を走っているのを目線で追うと、大きな山が薄い霧の中で青く光っていた。私がここいらで唯一世界に自慢できることといえば、この風景と友達だけだ。他の世界など滅べばいい、とバカ丸出しな考えすらよぎったこともある。私は小さな世界で育ち、大きなネットの世界を見て、我々が必死に苦しんで死んでいく価値があるのだろうか? と自問する。たくさんの人が享楽に溺れ、悲しみ、騙される。それでも子供や恋人のために心身を粉にして働いて、死ぬほど働いて、生きるべき価値があるのか、誰かが私らに教えてほしい。


 高校生である私ですら、あまり何も愛していない私ですら、分かるように教えてほしい。恋愛や家族、友人、なんでもいいから私の心に精神的活力を与えて欲しい。


 ユカは欄干に両腕を預けた。

「私、国立大学行こうと思う。将来的に上場企業にでも行こうかな、なんて思ってるんだ。見た目だって悪くないから、将来キャリアウーマンとかぴったりかな、と思ってるの」


 いつもにこにこ屈託なく笑っているチエが、もう本気で就職のことまで真剣に考えているとは知らなかった。将来について本気で試行錯誤している彼女に私は気後れがした。高校で会社のことを考える彼女の家族は相当厳しいのだろう。


 私は中学の頃にした恋のことを思い出した。人と接点をあまり持たない私でも、当時は恋をした。


 ただ、現実的で合理的すぎる私の心は、ロジックな力が働いて、その平凡な少年との恋愛を拒否した。別に彼はブサイクでもなければ、テストの点数が悪いわけでもなかった。ただ、中学で深い恋愛はしない方が正しい選択だろうという論理の力が働いたのだ。どちらかというと彼は女性受けは悪くない方だったが、私は感情的な力を制御しようと中学の頃は必死だったのだ。つまり、損か得か、という誠実ではないフェアではない方法で、自分を支配しようとしていた。


「明日テストだね」


 特に言うことのない私は、チエと並び、欄干に背を預けて真上の空を見た。あまりにも青春の一ページらしい構図だったのを意識した。私はチエやカホと比べて、青春に対して満足を得ようとしていないかもしれない。


 エイジくんは、どういう風に生きるつもりなのだろう? もしかしたらゲイだということが広まったら……いじめられて自殺するかもしれなのではないだろうか?


 空は、曇っていた。だが雲と雲の隙間から美しい白い太陽の光が校庭に注がれていた。


「天国への階段、だね」


 チエが言ったその言葉は聞いたことがあった。曇りの隙間から天使がおりてきそうな美しい風景をそういうのだそうだ。


 天国、私にそのような気持ちになれる何かが高校生活におりてきたら、不安になりはしないだろうか? 現在の、将来のすべての不安が解消されるような道を選べはしないだろうか?



 あまりの暑さに、教室から出たくなかった。去年一気に全教室にエアコンが完全配備された。この田舎は全国的にみると北の方ではあるが、最近は北海道ですら猛暑警報が出るくらいだ。地方による熱い寒いという天気の違いは全国一貫してあまり変わらない。


 期末テストが終わり、カホは凝った筋肉をほぐそうと肩を回している。


 昼食の時間、私ら三人はテストの話をした。イージーミスがあるかとか、小論文にどんな観点で答えたか、数学の証明は合っているかとか。


 もうやるべきテスト科目は無いので、私たちの間で緊張が溶けたような雰囲気がした。心地よい感じだ。


 しばらくして、私の頭に、エイジくんのことがよぎった。


 もし、キミしか恋愛する相手を思いつけない、とか映画じゃないと出てきそうもないセリフが出たら、私は困惑すると思う。


 でも、そしたら私の人生は、変わる。


 三人の気楽で心地よい世界は、多種多様で複雑な性質に変わり、たとえ彼と普通の恋愛ができても、その変化の凄まじさに、私はきっと困惑する。誰のせいでもない、自然で当たり前の変化だが、当たり前だからこそその変化の力は強いのだ。


 何気なくスマホを見ると、メッセージアプリに通知がいくらかきていたので見た。その中に新規で登録したいアカウントがあった。エイジと記述されてあった。


 メッセージには、カホの弟のエイジです。お友達になりたいので、ずるいとは思ったのですが、伝手で連絡を寄越しました。ぜひ、返信ください。


 氷のように冷たく硬い私の心は、内側からヒビの伴う軋みが生じたようだった。


 エイジくんは、他の男子生徒と同じように私に恋愛しているだけだ。と、思うようにした。


 友達の弟であるから、とか、同性愛の傾向があって、それを正そうという目論見があるから、とかの理由は恋愛として不純だと、私は思う。


 私は正しい恋愛がなにであるか、欲望のための恋愛であるか、思春期の勢いだとかの理由で恋愛するのか、色々な恋愛があるが、自分にとっての恋愛は何が正しいか分からない。


 ありがとう。カホの弟なんだってね。陸上頑張ってるのいつも見てたよ。たまに返信ください。じゃあね。

 と、私は彼のアカウントに返した。


 

 午後は平常通り授業を終えた。私ら三人もいつも通りだった。メッセージアプリで、とりあえず友達になろう、という月並みの意見を送った。


 カホの話しぶりからして、嬉しいような気持ちと不安な気持ちの両方を抱いてるようだった。


 教室の入り口から、エイジくんがむず痒そうな笑顔をして私を見ていた。


 嬉しい反面、彼の真剣な恋愛を理解したい気持ちもあれば、彼をどこか異性として相対する覚悟のようなものができていた。


 私は、この難しさがなんだか嬉しいもののような気がしている。


                

                           了

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私の友達の弟がゲイなんだとさ 日端記一 @goldmonolist

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