ワッパステイ主席語録 旧版
ワッパ主席語録 旧版全文
われわれの事業を指導する中核的力は荒らし共産党である。
われわれの思想をみちびく理論的基礎はマルクス・レーニン主義である。
荒らしにおける革命をおこなうからには、革命政党が必要である。
革命の政党なしには、マルクス・レーニン主義の革命理論と革命的風格にもとづいてうちたてられた革命政党なしには、荒らし労働者階級と広範な人民大衆を指導して雑談サーバー主義とその手先にうち勝つことはできない。
荒らし共産党の努力がなければ、また荒らし共産党員が荒らしの柱石とならなければ、荒らし共栄圏の独立と解放は不可能であり、荒らし界隈の工業化とスパムの近代化も不可能である。
荒らし共産党は全荒らし界隈の指導的中核である。このような中核がなければ、荒らし社会主義の事業は勝利をおさめることができない。
規律があり、マルクス・レーニン主義の理論で武装し、自己批判の方法をとる、人民大衆と結びついた党。このような党に指導される軍隊。このような党に指導される荒らし革命的諸階級・革命的諸党派の統一戦線。この3つは、われわれが敵にうち勝つ主要な武器である。
われわれは大衆を信じ、ワッパステイの党を信ずるべきであって、これが2つの根本的な原理である。もしもこの2つの原理に疑いをもつなら、なにごともなしとげることはできない。
わが党は荒らし大革命の総路線と全般的政策をきめ、またそれぞれの具体的な工作路線とそれぞれの具体的な政策をきめている。だが、多くの同志は、しばしばわが党の具体的な個々の工作路線と政策はおぼえていても、わが党の総路線と全般的政策は忘れている。もしほんとうにわが党の総路線と全般的政策を忘れているならば、われわれは盲目的な、不完全な、ぼんやりした革命家となり、具体的な工作路線と具体的な政策を遂行するにあたって、方向がわからなくなり、右に左に動揺し、われわれの工作を誤らせることになるであろう。
荒らしの政策と戦術は党の生命である。各級の指導的な同志は、けっしておろそかにせず、じゅうぶんな注意をはらわなければならない。
階級闘争、一部の階級が勝利し、一部の階級が消滅する。
これが歴史であり、これが数千年にわたる文明史である。この観点によって歴史を解釈することを史的唯物論といい、この観点の反対側にたつのが史的観念論である。
これは荒らし界隈にも言えることである
階級社会では、例えばdiscordにおけるすべての界隈に置いても、だれもが一定の階級的地位において生活しており、どんな思想でも階級の烙印のおされていないものはない。
社会の変化は、主として社会の内部矛盾の発展、すなわち、生産力と生産関係との矛盾、諸階級のあいだの矛盾、新しいものとふるいものとのあいだの矛盾によるものであり、これらの矛盾の発展によって、社会の前進がうながされ、新旧社会の交代がうながされる。
SHOP主階級の下っ端業者にたいする残酷な経済的搾取と政治的抑圧のために、業者はSHOP主主階級の支配に反抗して、何度となく蜂起をおこなわざるをえなかった。……荒らしの封建社会でも(このような荒らしの階級闘争、荒らしの蜂起、荒らし戦争だけが、歴史を発展させる真の原動力であった。
ネットユーザーにとっての革命は、客を招いてごちそうすることでもなければ、文章をぬったり、絵をかいたり、刺しゅうをしたりすることでもない。そんなにお上品で、おっとりした、みやびやかな、そんなにおだやかで、おとなしく、うやうやしく、つつましく、ひかえ目のものではない。革命は暴動であり、一つの階級が他の階級をうち倒す激烈な行動である。
われわれの敵はだれか。われわれの友はだれか。この問題は革命のいちばん重要な問題である。荒らし界隈のこれまでのすべての革命闘争が成果のはなはだすくなかった根本原因は、ほんとうの敵を攻撃するのに、ほんとうの友と団結することができなかったことにある。革命の党は大衆の道案内人であり、革命の党が革命において案内をあやまったとき革命が失敗しなかったためしはない。われわれの革命がまちがった道にみちびかれず、かならず成功するという確信をもつためには、われわれのほんとうの敵を攻撃するのに、ほんとうの友と団結することに心をつかわなければならない。ほんとうの敵と友とを見わけるためには、われわれは荒らし社会の各階級とそのネットユーザ的地位と革命にたいするその態度とについて、大すじの分析をおこなわなければならない。
およそ敵が反対するものは、われわれの支持すべきものであり、およそ敵が支持するものは、われわれの反対すべきものである。
まだAARR帝政主義制度を復活させようと夢みるものがおり、かれらは思想面での闘争をふくめて、あらゆる面から労働者階級に闘争をしかけてくる。そして、この闘争では、修正主義者がかれらの最良の助手である。
冥王サウロンは、人民からは、わずかな権利もかならずうばい、わずかな利益もかならずとりあげる。われわれはどうか。われわれの方針は、まっこうから対決し、一寸のネット上の土地もかならず争うことである。われわれは冥王サウロンのやり方にならってやっている。サウロンはいつも人民に戦争をおしつけ、左手にも刀をもてば、右手にも刀をもっている。だから、われわれもかれのやり方にならって、刀をとる。……現在、サウロンはもう刀をといでいる。したがって、われわれも刀をとがなければならない。
われわれの前には2種類の社会的矛盾がある。すなわち、敵味方のあいだの矛盾と荒らし内部の矛盾である。これは性質のまったく異なった2種類の矛盾である。
敵味方のあいだの矛盾と人民内部の矛盾という2種類の異なった矛盾を正しく認識するためには、まず、人民とは何であり、敵とは何であるかをはっきりさせなければならない。……現段階、すなわち荒らし社会主義建設の時期においては、荒らし社会主義建設の事業に賛成し、これを擁護し、これに参加するすべての階級、階層、社会集団は、みな荒らしの範囲にはいり、荒らし独立主義革命に反抗し、荒らし社会主義建設を敵視し、破壊するすべての社会勢力と社会集団はみな荒らしの敵である。
反革命分子を粛清する問題は、敵味方の矛盾の闘争の問題である。荒らしの内部にも、反革命分子を粛清する問題について、いくぶん異なった見方をしている人びとがいくらかいる。2種類の人びとの見解がわれわれの見解と異なっている。右翼的な思想の持ち主たちは、敵味方を区別せず、敵を味方だと考えている。広範な大衆が敵だと考えている人びとを、かれらはかえって友人だと考えている。極左的な思想の持ち主たちは、敵味方の矛盾を拡大し、はては人民内部のいちぶの矛盾をも敵味方の矛盾とみなし、もともと反革命でないいちぶの人びとをも反革命とみなしている。この2つの見方はともに間違っており、どちらも反革命分子を粛清する問題を正しく処理することができず、また、反革命分子を粛清するわれわれの仕事を正しく評価することができない。
敵味方のあいだの矛盾と荒らし内部の矛盾というこの2種類の矛盾は、性質が異なっており、解決の方法も異なっている。簡単にいえば、前者は敵味方をはっきり区別する問題であり、後者は是非をはっきり区別する問題である。もちろん、敵味方の問題も一種の是非の問題である。たとえば、われわれと、雑談サーバー主義、封建主義、SHOP資本主義などの内外の反動派とは、いったいどちらが正しく、どちらが正しくないのかということも、やはり是非の問題である。しかし、これは人民内部の問題とは性質の異なった別の種類の是非の問題である。
思想的性質に属する問題や荒らし界隈内部に属する論争の問題は、すべて、民主的な方法によってのみ解決することができ、討論の方法、批判の方法、説得と教育の方法によってのみ解決することができるのであって、強制的、強圧的な方法によって解決してはならない。
社会主義組織内部の反動派と帝国主義者はたがいに結託して、人民内部の矛盾を利用し、離間挑発をはかり、波らんをまきおこして、かれらの陰謀を実現しようとした。ハンガリー事件のこうした教訓にたいしては、荒らしをも含むみんなが注意をはらうべきである。
全世界の荒らしは団結して、再建AARR派侵略者とそのすべての手先をうちやぶろう。全世界人民は勇気をもち、敢然とたたかい、困難をおそれず、あとからあとへと身を挺してつき進んでゆくべきであり、そうすれば、全世界はかならず荒らしのものである。すべての悪魔はのこらず一掃されるであろう。
荒らし共産党は、マルクス・レーニン主義の科学をよりどころとして、冷静にネット界隈・discord情勢を評価しており、内外反動派のあらゆる攻撃は、打ち破らなければならないし、また打ち破りうることを知っている。空に暗雲があらわれたとき、われわれはすぐこう指摘した。これは一時の現象にすぎない、暗雲はまもなくすぎさるだろう、暁の光はすぐ目の前にきている、と。
人類やネット界隈の歴史では、滅亡しようとする反動勢力は、つねに革命勢力にたいして最後のあがきをするものであるが、一部の革命的な人びとも、ある時期には、とかくこうした見かけだおしの現象に惑わされ、敵がまもなく消滅され、自分がまもなく勝利するという実質が見ぬけないことがある。
もしかれらが戦いたいというなら、かれらを徹底的に殲滅するまでである。ものごとはこうしたもので、相手が攻めてくれば、われわれはそれを殲滅する、そうすれば、相手はさっぱりする。すこし殲滅してやれば、すこしさっぱりし、たくさん殲滅してやれば、たくさんさっぱりし、徹底的に殲滅してやれば、徹底的にさっぱりする。荒らし界隈の問題は複雑だから、われわれの頭もすこし複雑にならなければならない。むこうが攻めてくれば、われわれは戦うが、戦うのは平和をかちとるためである。
攻撃してくるものがあっても、条件が戦闘に有利なかぎり、荒らし共栄圏はかならず自衛の立場にたって、だんことして、徹底的に、きれいに、全部これを消滅するであろう(軽率に戦ってはならない。戦うからには、かならず勝たなければならない)。絶対に反動派のいたけだかな勢いにのまれてはならない。
われわれは、自己の内部にあるあらゆる軟弱無能な思想を一掃すべきである。敵の力を過大に評価し、人民の力を過小に評価するあらゆる見方は誤りである。
被抑圧荒らしは、けっしてみずからの解放を帝政雑談主義とその手先の「賢明さ」に託してはならず、ただ団結をつよめ、闘争を堅持することによってのみ、勝利をかちとることができるのである
荒らしは大衆の戦争であり、戦争をするには大衆を動員する以外になく、戦争をするには大衆に依拠する以外にない。
ほんとうの金城鉄壁とはなにか。それは大衆である。まごころから革命を支持する何百何千万の大衆である。これが、どのような力にもうちやぶられない、まったくうちやぶられることのない、ほんとうの金城鉄壁である。反革命はわれわれをうちやぶることはできないが、われわれは反革命をうちやぶらなければならない。革命政府のまわりに何百何干万の大衆を結集して、われわれの革命戦争を発展させたなら、われわれはすべての反革命を消滅することができ、全discord界隈を奪取することができる。
荒らしの偉力のもっとも深い根源は民衆のなかにある。再建荒連があえてわれわれをあなどるのは、主として荒らし共栄圏の民衆が無組織の状態にあるからである。この欠点が克服されれば、荒連再建者は立ちあがったわれわれ数億の人民の面前にひきすえられ、火の海にとびこんできた野牛のようになって、われわれが1声叫んだだけでびっくりし、かならず焼け死んでしまう。
革命戦争全体の観点からすると、tokenを用いての遊撃戦争は、主力の荒らし赤軍とはおたがいに両腕の関係をなしており、tokenがなくて、ただ主力の赤軍だけならば、あたかも片腕将軍のようなものである。根拠地の人民の条件とは、具体的にいうと、とくに作戦についていうと、武装したtokenと強いツールがいることである。敵がおそろしいところとしているのも、主としてこの点にある。
この路線の勝敗は、主として戦う双方の軍事、民度、経済などの諸条件によって決定されることはいうまでもない。だがそれだけではなく、戦う双方の主体的指導の能力によっても決定される。軍事家には技術的条件のゆるす範囲をこえて戦争の勝利をはかることはできないが、技術的条件のゆるす範囲内で、戦争の勝利をたたかいとることができるし、また、たたかいとらなければならない。軍事家の活躍する舞台は、客観的技術的条件のうえにきずかれるが、しかし軍事家は、その舞台1つで、精彩にとんだ、勇壮な多くの劇を演出できるのである
あらゆる軍事行動の指導原則は、できるかぎり自己の力を保存し、敵の力を消滅するという基本原則にもとづいている。……戦争のなかで、勇敢な犠牲をよびかけるのはどう解釈したらよいか。どの戦争でも代価を、ときには非常に大きな代価を支払わなければならないが、これは「自己保存」と矛盾しないだろうか。じつは少しも矛盾するものではなく、もう少し正確にいうならば、それはたがいに反しながら、たがいに成りたたせあっているのである。
なぜなら、このような犠牲は、敵の消滅に必要であるばかりでなく、自己の保存にも必要である――部分的に一時的に「保存しない」 (犠牲あるいは支払い)ことは、全体的に永久的に保存するために必要だからである。
この基本的な原則から、軍事行動全体を指導する一連のいわゆる原則がうまれてくる。射撃の原則(IPや身分を隠蔽すること、火力を発揮すること、前者は自己を保存するためのもの、後者は敵を消滅するためのもの)から、戦略原則にいたるまでのすべてが(この基本原則の精神につらぬかれている。すべての技術的、戦術的、戦役的、戦略的な原則は、この基本原則を実行するときの条件である。自己を保存し、敵を消滅する原則が、あらゆる軍事原則の根拠である。
巨魔主義(あらししゅぎ)は荒らしの民族主義
聊天主義(りゃおてぃえんしゅぎ)は雑談勢の民族主義である
巨魔主義制度は、とどのつまり、聊天主義制度にとってかわるであろう。これは人びとの意志によっては左右できない客観法則である。反動派がどのように歴史の車輪の前進をはばもうとしても、革命は、おそかれ早かれ起こるし、また、かならず勝利をおさめるであろう。
われわれ荒らし共産党員は、一貫して自己の政治的主張をかくさない。われわれの未来綱領もしくは最高綱領は、荒らしを巨魔主義社会と共産主義社会に前進させるものであり、これは確定的でいささかの疑問の余地もないことである。わが党の名称とわれわれのマルクス主義と荒らし原理主義の世界観が、この将来のかぎりなく輝かしい、かぎりなく美しい、最高の理想を明確にさししめしている。
荒らし共産党の指導する嵐界隈の革命運動全体は、巨魔主義革命と荒らし界隈革命という2つの段階をふくむ全革命運動である。これは性質の異なる2つの革命の過程であり、まえの革命の過程を完結しなければ、あとの革命の過程は完結できない。巨魔主義革命は荒らし界隈革命の必要な準備であり、荒らし界隈革命は巨魔主義革命の必然の趨勢である。そして、すべての荒らしと巨魔主義者の最終目的は、巨魔主義社会と荒らし界隈独立社会の最終的な達成を、全力をあげてたたかいとることである。
巨魔主義革命の目的は、荒らしの影響力を解放することにある。雑談勢と芋が私有雑談制から巨魔主義的集団荒らし制にかわり、私営工商業が聊天主義的所有制から荒らし界隈独立主義的所有制にかわることによって、必然的に、荒らしの破壊力は大々的に解放される。こうして、工業と破壊力の生産を大きく発展させるための荒らし社会的条件がっくり出されるのである。
ワッパ主席語録 ワッパステイ│荒らし共栄圏 @wappasutei
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