天馬のように何処までも
ほらほら
天馬のように何処までも
みんなグラスはいった? ……じゃあかんぱ~い!!
…………プハー!!
いや~、もう長く騎手としてやってきたけど、何度飲んでも勝利の美酒ってのは堪えられないね!
さあ、みんなも! 今日は無礼講で行こう!!
ああ、良い気分だ。しかし、僕も歳だね……酔うと昔語りがしたくなってしまう。
え? じゃあ、あの馬について聞きたい?
…………彼か、懐かしいな。
……良いよ、じゃあ聴いてくれ。
少し長くなるかも知れないが。
彼と僕の、……短い、短い思い出話を。
****
彼と出会ったのは、僕がまだ20代の頃さ。
自慢じゃないが、僕は競馬学校時代から優秀だったんだ。
騎手デビュー後も、史上最年少GI勝利、デビュー3年目にしてのリーディングジョッキー、史上初日本人騎手による海外GI制覇など話題には事欠かなかった。
僕は、所属厩舎が解散した事にともなってフリーの騎手になった後も、順調に実績を積んで行った。
そんな中だ、……彼に出会ったのは。
それまでも知っている事は知っていたんだ。だけど実績もパッとしないし、大したことの無い馬だと思っていた。
その認識が変わったのは,97年の秋の天皇賞。
その時、僕は当時最強クラスの馬に乗っていた。
そして、僅差で僕は勝つ事ができた。
彼といえば着外の6着。
その時、彼に跨がっていたのは同じ厩舎で僕の先輩だった人だった。
先輩は職人的な騎手で、派手さは無いが馬を扱うのがとても上手かった。
……なのに、あの馬からは言い知れない怒りを感じたんだよ。何か強烈な、内に秘めた怒りを。
その時さ、僕が彼とともに走ってみたいと感じたのは。
彼を自由に走らせたら一体どんな走りを見せてくれるんだろう? 僕の頭はその事だけで一杯になってしまった。
それから僕は必死に馬主や管理している調教師に彼に乗せてくれるよう頼み込んだ。
その願いは天皇賞から2戦後に叶うことになる。
彼を香港の国際競走である香港国際Cに出走させる事になり、その乗り手に海外経験が豊富な僕が指名されたんだ。
僕はそりゃあ狂喜乱舞したさ! これで彼と走れると、どんな走りをしてくれるんだろうかと!!
陣営からの指示は『前々』つまり果敢に先頭に出て後続をぶっちぎれ、と言う事だ。
そして、あっという間に時は流れ香港国際Cの出走を迎えたんだけど…………
****
彼は本当に大人しい馬だった。
だけど、それは激しい怒りを全て自らの内に呑み込んだ、そういう類いの大人しさだったんだ。
それを僕はレースの最中に感じた。
彼はゲートを出ると激しい闘争本能を見せ、前に前に出ようとしていた。
手応えが違った、まさに自然体だ。
これならイケる! そう思ったよ。
……しかし結果は5着。
たが、実際に乗った僕には分かった、彼はもっと走れる馬だと!!
だから僕はレース後、馬主と調教師に訴えたんだ。
彼はもっと自由に走らせるべきだと、もっと前々で勝負するべきだと!!
はっきり言って怖かった。
陣営の不興を買えばもう彼に乗せて貰えないかもしれない。
だけど、それでも言うべきだと思った。
そして、僕の進言は受け入れてもらえた。
年を跨いだ最初のレースで実際に作戦を試す事になったんだよ。
年が明けて,98年2月14日東京競馬場にて行われたるバレンタインステークス。
それが…………彼の伝説の始まりだったんだ。
****
バレンタインSは東京芝1800mで行われるオープン特別だ。
そこで彼は堂々の1番人気に推される程調子は良く、気合の乗りも充分だった。
陣営の指示は前回同様『前々で』。
これこそ、彼と僕が待ち望んだ指示だった!
この日の為に調教を積んできたのだから。
そして彼は見事に僕達の期待に答えてくれたんだよ。
ゲートから出ると早々に彼は馬群の先頭に付ける。
更にそれに満足する事なく、彼はグングンと他馬を引き離しにかかったんだ!!
普通、そんな走りをすれば必ずバテる。だから騎手は手綱を握っているんだ。
だけど、僕は彼を引き留めはしなかった。
彼の本気を見て見たかったし、何より彼の背中は自信に満ち溢れていたから!
信じられるかい? 普通、逃げ馬は最後にへろへろになってしまう。だが彼は、より力強さを増して走っていくんだよ!?
そして彼は、驚異的なペースでターフを走り抜け、終始先頭にたち圧勝して見せたんだ。
その様子は実況中継のアナウンサーに、
『◯◯◯◯◯◯◯◯は一人旅! 抜かせません! 5馬身くらいのリード! 楽勝です!』
とまで言わせる程だった!
これこそが、これこそが彼の本来の力だったんだよ!!
****
そこからは、もう誰も彼を止められなかった。
初重賞勝利のかかった中山記念に、あっさり先行勝ちしたかと思うと、続く小倉大賞典、金鯱賞では何とレコード勝ちまでしてしまった。
余りの独走ぶりに、金鯱賞ではまだゴールしていないのに、観客席からは拍手が起きた程だった!!
そしていよいよGI、宝塚記念。
ここで僕は痛恨の…………本当に痛恨のミスを犯した。
彼ではなく、他の馬に跨がったのだ。
だが、それも仕方がなかった。
そちらの馬の方が実績も上だし古くから乗っていた。これで断れば各所に申し訳が立たない。
だから僕は次があると思い彼に乗るのを諦めたんだ。
そして結果は彼が1着、僕の乗った馬が3着。
勿論馬も僕もプロだ、全力を尽くした。…………それでも彼には敵わなかった。
でもその事で僕は、今までより更に彼が好きになってしまったんだよ。
****
次こそは彼に乗って勝ちたい。そう思って挑んだ毎日王冠。
そのレースは彼の余りの強さに恐れをなした他陣営が、出走を回避してまさかの定数割れを起こす程だった。
そして、それでもレースに出る事を選んだのは、彼に勝つ自信のある馬、…………つまり強敵たちだけだ。
このレースはGIIにも関わらず、GIに並ぶ13万人の観客を動員したという事だけでも凄さが判るだろ?
そして、彼はこの状況で凄まじい結果を出した。
並みいる超GI級の他馬を歯牙にもかけず、いつも通りに、大逃げを打って見せた。
そして2着に2馬身以上差を付け完全勝利をしたのだ。
彼とだったら何処までも、どんなレースでも勝って行ける! …………そう思ったよ。
****
そして,98年11月1日東京競馬場で、彼の2度目のGI勝利がかかった秋の天皇賞が行われたのだ。
倍率1.2倍という圧倒的1番人気に過去最高の状態で挑み、陣営も僕も負ける気は一切存在しなかった。
そしていよいよレースが始まる。
いつも通り、ポンとゲートを飛び出し素早く先頭にたつ。
そして、グングンと他馬を引き離す。
10馬身、15馬身と差が広がる。
良いぞ! その調子だ、やはり君は最強の競走馬だ!!
僕は心の中でそう叫ぶ!
彼もそれに答えて更に力強くターフを蹴りあげる!
3コーナーを曲がり大ケヤキを過ぎ、4コーナーに入る直前にそれは起きた。
『ボキッ!』という音が聞こえたかとおもうと、彼がみるみるスピードを落とす。
他馬との差がなくなり僕達を追い抜いて行く。
そして、よろよろとコースを外れると僕の事を降ろすのだった。
……彼のスピードに生物としての強度が耐えきれなかった。
…………そう、彼は骨折していた。それも、左前足の粉砕骨折。
それはもう彼が、競走馬としてどころかその生命を維持出来ない程の大怪我だった。
……よく僕を振り落とさなかったと思える程の。
彼は予後不良と判断され、取られた処置は安楽死。
彼は死んだ、彼と僕の夢も終わった。
****
さて、…………ここまでが彼と僕の物語だ。
……少ししんみりしてしまったね。
でも、彼は僕に多くのものを遺してくれたんだよ?
大怪我をしても、何をしても僕が騎手として活躍してこれたのは、彼がいたからこそさ……。
……それに、今はそんなに悲しくないんだ。
きっと彼は今も走り続けているだろうから。
痛みも苦しみもない世界で、誰にもその影を踏ませる事無く。
そう、まるで天高く駆ける天馬のように。
―完―
お詫びと訂正
間違えてプロト版を公開していました。
香港国際Cで取った作戦は中団控えでなく逃げです。
訂正してお詫び申し上げます。
5/23 16:30
天馬のように何処までも ほらほら @HORAHORA
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