瞬いて、ノスタルジー
大宮コウ
瞬いて、ノスタルジー
いまよりずっと昔、まだ俺が子供の頃、星が落ちてくるのを見たことがある。
記憶の中の俺は一人だ。傍に両親はいない。だからきっと間違った記憶だ。振り返った記憶は容易に歪んでしまうものだ。
それでも僕は一人、丘の上で、僕は星が落ちてくるのを目にしたのだ。
時折、その記憶を思い出す。思い出すたびに、僕は強く意識する。
君が隣にいたのなら、星の輝きは、もっと眩しかったのだろう。
かつての文通相手のトリイから、数年ぶりに手紙が届いた。書いてある内容は、要約すれば『顔を見せに来い』、それと『星を見に行こう』とのことだった。
だから俺は、旧友と会うため、長時間電車に揺られて故郷に向かっている。図々しいことに日付も指定してあって、わざわざ少ない有休をとり、俺は向かった。
東京の大学に受かって以来、俺は逃げるように町から出ていった。出ていったきり、帰ったことは一度もない。
海沿いにあるだけの寂れた町。停滞した空間。あの時の記憶を思い出せば、何もできずにいた自分を否応なく想起してしまう。苦い後悔がいまも根強く残っていた。
それでも、トリイと会えるのならば、行く価値はあったのだ。
長い長い乗車を経て電車を降りる。二時間に一本しか出ていないバスに乗る。数十分もの間、曲がりくねった道に揺られる。
バスは目的地に着くよりも早く降りた。寄り道にはなるが、見ておきたい景色があったのだ。
スーツケースを転がし、車道狭いを歩いていく。やがて、ガードレールの向こうの景色が俺を出迎えてくれた。
丘の中腹から見下ろす景色。そこからは見えるのは、故郷の町。木々に囲まれ、海に面した街。ずいぶんと寂れてしまったようにも見えるのは、今にも降りだしそうな夏の雲のせいだろうか。
今日は、星は見えるだろうか。娯楽の少ないこの町では、海と星くらいが慰めだ。
この町はかつてUFOが来たと話題になったことがある。宇宙人を利用して町おこしをしようとして、話題が過ぎ去ったあとは見放されて、結果的に町の死期を早めたのは、俺たちがまだ子供の頃。そのせいでこの町で空の上のことを話すのは、半ばタブーのようになっていた。おかげでたったひとり、星の話ができるトリイと仲を深められた面もあるけれど。
トリイとは、文通で星の話をしたものだった。飽きもせず、繰り返し、僕たちはやり取りを続けたのだ。
感慨に浸っていれば、ぽつり、ぽつりと雨が降ってきた。雨脚は強くなっていく。あいにく傘は持っていない。
駆け足で丘を下る。丘を下り終えると、学校がある。その手前の屋根付きのバス停に身を隠した。一息つく。あとは焦る必要はない。アイツを待つだけだった。
学校前のバス停。この場所が、トリイの手紙にあった待ち合わせ場所だ。
雨は徐々に強くなる。こうも強い勢いは、通り雨みたいなものだ。直ぐに止むに違いない。焦ることはない。
一息ついてから、高校の校舎を見る。三階建ての背の低い、横に長い校舎。敷地が余っているために、広々とした校庭ぐらいが取り柄な学校。三階の図書室からは、海と町が一望できる高校。俺がかつて通っていた場所。まだ夏休みなのだろう。校門は空いているが、人気がない。そうであるなら幸いだ。
なんて考えていると、校門から一人の少女が現れる。青い傘の少女。少女と思ったのは、彼女の着ている黒いセーラー服のためだ。俺が通っていたときと同じものだ。まだ変わっていなかったのかと、懐かしさが胸の内から溢れてくる。
少女はバス停まで来たが、屋根の中には入ってこない。どうしたのだろうか。怪訝に思うも、傘で表情は隠れていた。
「遅いですよ、先輩」
少し怒ったような、若い女性の声がした。俺が言われているのだと、少し遅れて理解した。
彼女は傘を閉じて屋根の中へと入ってくる。俺の隣に座ってくる。
彼女の姿に、俺は目を奪われる。
見覚えのある姿だった。
かつて見たことのある姿だった。
あの頃、目にしたまま、変わらない姿だった。
記憶のままの姿をして、かつて後輩であった加賀利ソラが、そこにいた。
黙り込む俺に、少女はすねたように呟く。
「もう、せっかく人が迎えに来たのに、だんまりなのはどうかと思います」
「君、は」
「マコトさんに頼まれたんです」
「……トリイに?」
マコトさん、なんて風に言われて反応が遅れた。トリイマコト。それがアイツのフルネーム。アイツの名前を、人から聞くことはない。俺は昔からトリイと呼んでいて、アイツもそれを受け容れている。トリイとの交流は二人だけで完結していた。だから、マコトさん、なんて言葉は耳慣れない不純物そのもので、反応が遅れた。
「今日のマコトさんは用事があるみたいで、なので代理として私が来させていただきました。宿も用意してあるようなので、ご安心ください」
何か、別のことを聞こうとした。そのはずが、アイツの名前を出されて気を削がれた。後輩の姿をした彼女の口から、アイツの名前が出てくるとは思わなかったのだ。
「雨も治まってきましたね。では、行きましょうか」
彼女はそう言うと、俺の許可を取ることなく、スーツケースを奪っていく。俺は静止の声をかけるが、気にした風でもない。
「遠慮しないでください。マコトさんからお駄賃は頂いているので、その分しっかり働かないとですからね」
「いや、そういうわけには」
「先輩、自分で気づいてないのかもしれませんけど、顔色悪いですよ。後輩の親切は受け取っておくものです」
そう話して、大丈夫だというのに無視して彼女は荷物を離さない。まあ別に、盗られて困るものがあるというわけでもない。予想外の雨にも降られて、正直、少し疲れていた。
宿に向かうと言って、彼女は前を進んでいく。時間はもう夕方だが、それにしたって、ひと気がなさ過ぎた。閉店しているのはまだいい。けれどもまだ日が沈みきっていないのに、誰一人通りすぎやしない。俺が出ていくときでさえ、こうも閑散としていなかったはずだ。仮にも故郷なはずなのに、まるで知らない場所に迷い込んでしまったみたいだ。
不思議と言えば、彼女も、である。かつての後輩とそっくりな彼女。まさか、後輩本人であるはずもない。
「なあ、君は……ソラ……さんの、娘さん、だったり?」
「人を勝手に一時の母にしないでください。なに寝ぼけたこと言っているんですか。先輩は長旅で随分とお疲れのようですね?」
あきれたように憎まれ口を言い放つ彼女。あり得ない答えだ。真に受ける筈もない。
考えられるとするならば、トリイの悪だくみだろう。俺はそう予測する。アイツは手紙でしょうもない嘘をついたものだ。まあ、それについては、納得できる。
気にかかるのは、トリイと加賀利ソラの関係だ。アイツが俺以外に交流している相手がいるなんて、一言も聞いていない。いや、もうずいぶんと時間が経っているのだ。アイツも心境の変化が会って、出会っていてもおかしくはないのか。
ただ、トリイとこの自称後輩はどういう関係なのだろうか。それだけが気がかりだった。なぜあいつを下の名前で呼ぶのか。まさか目の前の少女は、二人の子供なのではないだろうか。あながち否定できない考えだ。
加賀利ソラと同じ顔。だが、あいつの容姿は幼かった。ショートカットで、小柄で、いつも仏頂面。俺の記憶も摩耗している。まだ中学生だとしても、制服さえ着せてみれば、そっくりに見えてしまってもおかしくはない。もしその想像が的中してしまうと、中学生か、もしくは小学生に荷物を持たせていることになる。それはいささか外聞が悪い。
なんて考えていれば、彼女は足を止めた。俺の邪推がバレたかと、思わずどきりとしてしまう。
振り返った彼女は、微笑んでいた。
「ほら、先輩、着きましたよ。ここが先輩の宿です」
目を移す。あるのは宿ではなく、単なる一軒家だ。ありふれた建物だ。珍しいところなんて一つもない、普通の家だった。きっと、俺以外にとっては。
「ここって」
「ええ、先輩の家ですよね?」
「知っていて、連れてきたのか?」
「ええ、そう頼まれたので」
何か問題ですか? と少女は不思議そうに首を傾げる。何か裏があるようにも、嘘をついているようにも思えない。何も知らないであろう彼女には、余計なことを言う必要もない。
「いや……何でもない」
「そですか。ならよかったです。では先輩、今日はここで過ごしてください。マコトさんから、もう話は通してあるみたいですから」
またトリイだ。俺はトリイに会いに来たのだから、アイツの名前が出ること自体はおかしくはない。それでも、彼女の口からその名前が出ると、なにか仕組まれている気さえしてしまう。
「では先輩、また明日、です」
彼女はふわりとスカートを翻し、役目は終わりとばかりに消えていく。閑散とした町の中、俺は実家の前に置いていかれる。
残された俺は、当然悩む羽目になる。両親とは今の今まで会っていない。連絡も必要最低限しかとっていない。それこそ保証人や書類が必要なときくらいだった。
話は通したと言われたが、こちらからは連絡もしていない。急には顔を合わせ辛い。しかし野宿という手も使えない。このあたりはそんな風に過ごせる場所もない。かといってコンビニもないから飯も食えない。トリイに会えるのは、明日か、明後日か、来週か。分かったものではない。まあ、手紙と同じように気長に待つとするしかない。待つのは慣れていた。
もうすぐ日没だ。疲労もある。ここらで宿が見つからないのは知っていた。いくつもの諦めの言い訳をしてから、俺は実家の扉に手をかけた。
何か言われると思っていた。あるいは、心のどこかで何か言われることを期待していた。
何も言われなかった。
久しぶりに会った両親は、随分と老け込んでいた。身体がそんなにも小さかったかと、拍子抜けするほどに弱弱しい。
彼らは何かに怯えているようにも見えた。数日泊まるという、最低限の話を済ませると彼らは部屋にこもってしまった。
トリイが事前に話は通した、というのは本当のようで、居間には俺の夕食が残されていた。
ラップに包まれ置いてあったそれを、レンジで温めてから食べる。親の料理は、あるいは人が作った料理自体が久しぶりだった。かつて俺が好物だった肉じゃがを用意してくれたのは、偶然なのだろうか。
一口食べてから、懐かしい味に胸が締め付けられて。
ああ、俺は親のことは嫌いではなかったのだと知った。
もし嫌いだったとしても、憎むほどではないのだと知った。
何もできない自分が嫌で、かつて町から出た俺は、また取りこぼしている。
それでも、親なのだ。子なのだ。有給は今週いっぱいとってある。まだ時間はあるはずだ。
そう願いたかった。
「先輩、遅刻しちゃいますよ」
「……なんで君が、ここにいるんだ」
少女の声で目を覚ます、なんていいものでもない。かつて小説を読み、その影響で望んだシチュエーション。けれども現実の俺には寝ぐせもあるし、目やにもある。あの後輩本人ではないにせよ、同じ顔をした少女だ。こんな有様で面と向かうのは、いささか気が引けた。
「それはもちろん、先輩が遅れないように、ですよ」
どうやって入ったのかとか、俺はお前の先輩ではないとか。尋ねるべきことはあるのだが。
かつて焦がれた姿も、今は子供すぎるだけだ。呆れが先に来てしまう。
「遅れないようにって……別に、どこに行く予定もないが。また、トリイか?」
どうせそうかと思ったのだが、どうやらそうではないらしい。少女は首を振る。
「違いますよ、学校に、です」
かつての俺は、誰かの手を引けなかった。後悔といってもいい。だからか、こうして人に手を引かれることに、嫌だと拒絶はし難いものがある。仮に相手が、年下の少女であったとしても。
これは、いつか焦がれた青春を、未だに消化しきれていない後悔なのだと知っている。知っているからといって、どうすることもできやしない。これはそういう類のものだ。
だからといって、自称後輩に流されるがまま高校に向かっているのは、我ながらどうかと思うのだが。
今の服装は、シャツにジーパンと大概雑なものだ。学校に入ろうとしても、校門で呼び止められやしないか。それともまた。トリイの根回しか。
トリイとの付き合いは、親に文通しろと言われたためだ。本家だか親戚づきあいだかと言われたが、幼い俺にはわかるわけがない。しかしアイツの家が地元の名士であることは確かだ。一度、アイツの家を興味本位で見たことがあるが、ずいぶんと立派な武家屋敷だった。
一体、今のアイツは何をしているのだろうか。
歩いて十数分で高校につく。校門前で警備員に止められるだろう。そう思っていた。しかし、まさかのスルーであった。まばらにいる生徒たちも、気にした素振りはない。学祭か何かイベントでもある日なのかと疑うが、生徒たちに浮足立った様子もないし、私服なのは俺だけ。
まただ。かつての学校に来ても、俺は異邦人だった。
自称後輩にスリッパを渡される。高校の名前が書かれた来賓用のそれを履き、懐かしの校舎へ入っていく。相変わらず、ボロいままの校舎。ひび割れた床タイル。卒業前には、こんな校舎壊れてしまえと思っていた。変わらないままのそれが、いまでは懐かしくも愛おしささえある。
「先輩は、ひとまずお昼休みまで、3の3教室にいてもらいます」
自称後輩の口から、トリイの名前が口にされるより先に、俺は動いた。どうせやることもないのだ。それになにより、彼女の口からアイツの名前を聞きたくなかった。
昨日までは目を背けていた。しかしもう、自覚した。これは、トリイに対しての醜い嫉妬心だ。かつての俺が進めなかったことについての劣等感だ。俺が過去の後悔に引きずられているのに、アイツは何食わぬ顔で先へと進んでいる。
トリイと会いたかったのは、顔を拝んでやりたかったのは確かだ。ただ、どこかでアイツも停滞していることを期待していた。自分と同じか下の相手を見て、安心したかったのだ。
その事実を受け容れられるほど、俺はまだ、大人になれていなかったらしい。だからこうして自称後輩の口車に乗って、こんな場所で足踏みをしている。
教室には誰もいなかった。使われていなさそうな席へと座る。三階の窓からは、海と街が見える。
昔も、教室ではこうして過ごしていた。海を眺めるか、本を読むか。懐かしさと共に、この年になっても同じことをしているのかと自嘲する。
扉が開いて、学生たちが入ってくる。
何か、嫌な予感がした。顔を向ける。
そこには、かつての同級生たちと同じ顔の少年少女がいた。
まるで悪夢だ。
めまいがする。まるで浦島太郎になったみたいだ。そんな筈はない。スマートフォンの示す日付は過ぎた時間を克明に記している。腕に爪を食い込ませる。痛い。夢ではない。
あの時に戻ってやり直したい。そう思ったことはある。しかしそれは、よりよい人生を進めたかもしれないなんていう希望的観測だ。来るはずのないイフは、ある種の心の支えでもあった。
そんな願望を目の前に出されて。
ただ俺だけが大人になった状況で。
一体、どうしたらいいっていうんだ?
俺にはわからなかった。顔を俯かせても、汚れた机は何も返してくれやしない。
「ツカモトくん、顔色悪いけど、大丈夫?」
隣から、声をかけられた。どうやら俺は、ここにいるらしい。眼鏡で三つ編みの彼女は――そう、たしかイインチョウだ。
名前は憶えていない。実のところ、顔は覚えていても、クラスメイトの名前は誰一人として思い出せていなかった。イインチョウと呼ばれていたことだけ知っているが、何の委員会に入っているかさえ、知りやしない。
こんな悪夢みたいな目にあうのは、俺がこんな人間だからか? そんな風に自己嫌悪するほどに、気分は良いものから程遠い。それでも強がりだけで、返事を絞り出す。
「大丈夫、ありがとう」
言ってから、以前もこんなやり取りをした気がした。そのときも素っ気ない返事をした気がする。記憶違いかもしれない。それでもあったかわからない感傷に浸りたかった。だって、そうでもしなければ、今にも頭がおかしくなりそうだ。
イインチョウは始終気にしてくれていたが、授業開始を告げるチャイムが鳴ると、席に戻っていった。席はまばらに空いている。ただでさえ二十人程度と少ないクラスで、空席が目立つ。生徒たちは、俺の存在と同様に気にした風もない。
白昼夢めいた空間で、数年ぶりの授業を受ける。ノートもペンも教科書すらないから、ただただ話を聞いて黒板を見ているだけ。
授業は正直、何を言っているか分からなかった。かつてあれだけ参考書で読み返した内容も、すっかり忘れていた。休み時間も席に座ったまま、教室を眺める。俺に誰も話しかけてこない。目も向けない。録画した動画を見せられているみたいだった。
ここには俺の居場所はない。どうせ俺は部外者だ。授業中であることも気にせず席を立つ。まわりの奴らは気にした風もない。
教室を出たからっといって、どこに行く当てがあるわけもない……いや、一つだけ頭に浮かぶ場所がある。
そうして向かった先で、自称後輩は待ちかまえていた。
「来ると思っていましたよ、先輩」
三階の図書室。そのカウンターで、自称後輩は座ったままに微笑んだ。
「なんで、お前」
「図書委員ですので」
「……今は授業中だ」
「細かいことはお気になさらず。疲れているんでしょう? そちらのソファーで、横になったらどうです?」
言われたとおりにするのは癪だが、もう何も考えたくなかった。ボロいソファーに倒れ込む。
この自称後輩も、生き写し。それでも、教室のアイツらよりかは側にいてもマシだった。こいつは、自称後輩は自称後輩にしか過ぎない。
だって、こんな都合のいい後輩、いるわけない。
だって、あの加賀利ソラが俺の前で笑ってくれたことなんて、ただの一度もなかったのだ。
加賀利ソラと二人で作業をする機会が、一度だけあった。
図書室の本の棚替え。重労働であるそれに、本を読んでいた俺は手伝うよう司書さんから頼まれた。「図書委員の仕事であるのに、女の子一人しか来やしない」「男手が必要」「お願い!」と矢継ぎ早に言われて、断れずに手伝うことになってしまった。
一人だけ来た一年生の図書委員が、加賀利ソラその人であった。
彼女の存在は知っていた。本を借りる時にあまりに不愛想で、印象に残っていたのだ。
彼女はいつもの仏頂面のまま、先輩であることも気にせず俺に指示を出していく。仕事は夕方までかかった。最後の作業を終えて、俺は彼女に伝えようとする。
報告は、できなかった。図書室の向こうで。海に日が沈んでいる。世界が燃え上がっているようだ。世界が終わるとき、こんな風に潰えてしまうのならば、それでもいい気がした。
その光景を、目の前の後輩は、眩しそうに見ていた。目を細めて、焼き付けるように見ていた。
俺が彼女を意識したのは、たぶん、その時だ。
「あの……なんですか」
少女にぎろりと不快そうに睨まれる。今日知り合った仲だ。見惚れていただなんて言えやしない。
「いや、別に、何でもないよ。こっちの作業は終ったってだけだ」
「そうですか」
彼女は心底興味がなさそうに言う。
「先輩、お聞きしたいことがあります。先輩のお名前はなんですか?」
「……塚本榊だ。図書室はよく使うから、顔は合わせている筈だよ、後輩」
「そうですか、では今後とも、よろしくお願いします。先輩」
名前を聞いた意味はなんだったのか。結局、彼女に俺の名前を呼ばれたことはただの一度もない。
それから秋が来て、冬が来る。関係性に大きな進展はない。本を借りるときに、一言交わすだけ。面白ければ薦める。面白い本を薦める。本を薦め合うだけ。それ以上に何もすることはなかった。
彼女との関係性を変えられたかもしれない機会が、一度だけあった。
二度目の夏。
夏休みでも、俺たちの高校の図書室は空いていた。クーラーがついている。だから俺は毎日学校に来ていた。自習できる便利な場所なんて、こんな寂れた町にはなかったのだ。
そして後輩である加賀利ソラも、いつも来ていた。とはいえ、雑談したりするわけでもない。委員会の仕事ではなく、同じく勉強のために来ているようだった。時折勉強でわからないところがあれば聞きに来ることもあった。復習ついでに答えてやる。その程度の距離感。
だから、俺がその言葉を言われたとき、耳を疑った。
「先輩、一緒に夏祭り、行きませんか?」
それは、まるでトリイに書いた嘘のような提案だった。
トリイとの文通は、未だに続いていた。俺は高校二年の秋のある時期から、後輩のことを話題にするようになった。とはいっても、俺と後輩の間には何もない。そのままでは面白くないと嘘を多分に含んでだが。
嘘は大きく膨らんで、最初に面影があった彼女も、今では空想と大きく乖離している。自業自得ではあるのだが、そういった後ろめたさも彼女に対して持っていた。
「夏祭りって……来週の?」
「それ以外に何があるんですか」
「別に、俺じゃなくても他の友人を誘えばいいだろ」
「いると思いますか?」
「確かに」
「納得されるのもそれはそれで腹立ちます……で、行くんですか?」
「受験勉強の息抜きに、行ってやらなくもない」
「ならいいです。浴衣、楽しみにしてくださいね」
「行く気満々だな」
「ほっといてください」
そう言った彼女の顔を、俺は見ていない。気恥ずかしさで顔を合わせられなかったのだ。
結局のところ、一緒に夏祭りに行くことはなかった。雨に降られて、約束は祭りごと流れてしまった。
振替日もあるだろう。そう思っていた。しかし彼女と行く日は来なかった。
彼女は図書室に来ることはなくなった。司書の人に後から聞いたのだが、引っ越してしまったらしい。
連絡手段はなかった。
「ようやくお目覚めですか、いい夢は見れましたか?」
「……ああ、おかげさまでな」
懐かしい夢だった。最近は夢自体、滅多に見ないのに。故郷に戻ってきたから、だろうか。
「いつもみたいに食べましょうよ。先輩のぶんのお弁当も持ってきてありますよ」
彼女は笑う。俺も笑う。図書室の隣の図書準備室。そこに移動して弁当を広げる。
仮に、俺がいなくなってから、この町の時間が止まっていたとして。
それでも、彼女がこんな風に話しかけてくるのは、やはりありえないことなのだ。
それは偽物だとしても、到底振り払えるものではない。この自称後輩の挙動は、俺がそうであって欲しいと思った願望だ。彼女の認識も、行動も、笑顔さえも、トリイに送った手紙に書いた内容なのだ。思い出せば、しっくりくる。
仲良くなりたかった後輩はたしかにいて。
けれども、深く関わることもできないままに、か細い縁は切れたのだ。
いま、自分がすべきこと。それはトリイと会うことだ。昼食を終えて、目の前の少女に話す。
「なあ、トリイがいま、どこにいるか知ってるか?」
「さて、どうでしょう?」
「そうか」
元より期待はしていない。適当に返事をして、俺は図書室を飛び出す。なぜか自称後輩も後を追ってついてくる。
「……何で来るんだ」
「私は先輩の後輩ですので」
自称後輩の理屈は、俺のやることに影響はない。学校を出て、隣町へと歩いて向かう。30分くらいだったか。それでもバスを待つよりずっと早い。
隣町にある。それは覚えていた。なのに具体的な地理は、頭からすっぽり抜けていた。手紙は手元にある。住所を確認して、歩き続ける。
やがて、見覚えがある道に辿り着く。既視感なんてものではない。かつて見た景色と同じだった。後輩の歩幅考えもせず、駆け足になる。トリイに会ったらなんて言ってやろう。そもそもどんな顔をして会えばいいのだろう。想像して気分が高揚する。
アイツの家に繋がる、最後の曲がり道を曲がる。
――そこには、何もなかった。
かつてのままの町で、アイツの家だった敷地だけが、くり抜かれたみたいに、ぽっかりと空き地になっていた。
「ここ、は」
「はい、確かにマコトさんの実家ですね」
そんなわけがあるかと、叫びそうだった。確かにここであるはずなのに。何か記憶違いをしたのだろうか。受け入れられずに、町を歩き回る。もしかしたら、ここにはいなくても、どこか別の場所にいるかもしれない。そんな一縷の望みをかけて走り出していた。
だが、見つかるわけがない。当然だ。
何もしなかった塚本榊には、鳥居誠との思い出の場所なんて、どこにもないのだから。
この町には、苦い思い出がいくつも染みついている。
後輩のことだけではない。トリイの存在もその一つだ。
トリイこと鳥居マコトは、当時の塚本榊が知った時には既にして引きこもりとなっていた。引きこもりになった要因がいじめか、あるいは他のなんらかの要因か、俺は知らない。当時の塚本榊は、ただ文通をしろと親に言われただけだ。本家が。親戚づきあい。年が同じ。謝礼。幼い塚本榊にはわからない。ただ、面倒だなと思ったことは、記憶に残っている。
まだ携帯さえ持たせてもらっていなかった時期だ。当然手書きで書かされていた。会ったことのない見知らぬ人間。会話のきっかけさえない。親からの強制。やる気なんて湧きようがない。
けれども、その認識は直ぐに変わる。幼い塚本榊がひねり出した話題を、見事に返してくれる相手。互いに宇宙や星について関心があった、というのもよかった。以降も度々その話題で盛り上がったものだった。
ある時期に、親からもう手紙を出さずともよい、といわれたあとも、塚本榊とトリイとの交流は続いた。携帯を買い与えられた後も、文通のみで、である。昔は手紙の悪い点ばかりに目が行っていたが、なんども書いていれば、いい面も見えてくる。自分の出したいときに返せる。携帯じゃあ、連絡には即座に返事をしないといけない。同級生といまいち馬が合わなかった俺は。尚更トリイとの交友にのめり込んだ。
トリイと直接会ってみたいと考えたことはある。けれども、この距離感の居心地があまりによくて、言い出せなかった。
塚本榊はどうしようもない男だった。高校生にもなると、青春なんて微塵も充実していない。それなのに、遠回しにトリイ自身で外に出て欲しくて、いい面ばかり誇張して、あるときは虚偽を交えて手紙に書いていた。
後輩についても、その一つだった。俺の願望をそのまま本当であるように書いて、まるで彼女が俺に気があるみたいに書いた。そこに書いた内容は、まるでいまの自分と自称後輩みたいな関わり方だ。
どうしようもなく愚かなことをしていた。
町を出たあと、手紙でやり取りすることはなくなった。上手くいかなかった過去から目を背けたくて、俺はトリイに手紙を送るのを辞めたのだ。
そんなトリイが、俺へと手紙を送ってきた。俺の親にでも聞いたのだろう。それに、顔を見せに来い、だなんて言うのだ。あのかつて引きこもりだったアイツが、だ。
そこに一体どんな想いがあるのか、俺にはわからない。それでも、都会で燻っていることを理由に顔を見せないなんて、俺にはできなかった。
散々町を回っても、結局アイツは見つからない。無駄足だった。しかし、心のどこかに爽快感があった。こんなにも歩いたのは、いつ以来か。
堤防に腰を下ろすと、自称後輩も隣に座ってくる。彼女は涼しい顔をしていた。これが若さか。それとも俺が老いただけか。
「その、付き合わせて悪かったな」
「いえいえ、お気になさらないで下さい」
太陽が、水平線の向こうに沈んでいく。空は澄み渡っていて、今日は星がよく見えそうだ。
「……一体アイツは、どこにいるんだか」
俺はぼやいてしまう。すると、自称後輩は、何かを取り出す。
「先輩、お渡しするものがあります」
落とさないでくださいねと、彼女は懐から、つまりはシャツの内側から封筒を取り出す。一体なんてところに入れているのか。反射的に受け取ってしまったそれは、仄かに生暖かい。
封筒を開く。手紙と、それから鍵が入っていた。
手紙には『今夜、屋上で待つ』と書かれていた。
高校の屋上。普段は施錠されていたが、天文部の生徒は時折出入りしていたらしい。
アイツの考えていることは分かる。手紙越しとはいえ、長い付き合いなのだ。
もし仮に、アイツが普通に学生で、俺の同級生だったのなら。きっと、俺たちは屋上で一緒に空を眺めた。
屋上の扉を開けて、望遠鏡が置いてあった。やはりと嬉しくなった。けれど、トリイ自身については全く予想していなかった。
「ずいぶんと遅かったじゃないか」
男というには、高い声だった。
「もしかして、僕を探していたのかい? それなら悪いことをしたね。準備に手間取っていたんだ。なにせほら、元引きこもりだからね」
長い髪を生み風になびかせ、月光を浴びる白い肌。ただそこにいるだけで一枚の絵になっていた。
「お前」
「なんだい? ようやく念願叶って僕と会えて、感極まってしまったのかい?」
「……女だったのか」
「やっぱり勘違いしていたんだね。まあ、誤解を訂正しなかったのは僕だけど」
嬉しそうに笑うのは、そこにいた美しい存在は、間違いなく女だった。
「トリイ、なんだよな? 姉とか代理とかじゃなく」
「そうだよ、君の友人のトリイさ。驚いたかな」
「……驚いた」
「そうかそうか。なら、黙っていた甲斐があるというものだ」
芝居がかった口調だが、トリイは手紙ではいつもこうだった。よく通る声がしっくりと聞こえる。
「久しぶりの故郷は、楽しんでもらえたかな」
その言葉が、そしてトリイの存在がこの町の異常の原因だと白状していることと同義だ。
彼女は俺と同い年だ。彼女と俺が、正確な時を刻んでいる。俺と同じく、この町では、彼女も異物であることを示している。
「君が聞きたいことは、きっといっぱいあるだろうね。でも、それと同じくらいに、僕も君に話したいことがあるんだ。君に、見てもらいたいものがあるんだ」
トリイは、屋上の向こう。海の方へと顔を向けた。俺もつられて目を向ける。
ざあ、と風が強く吹いて。
ひゅう、と不思議な音が鳴って。
ばぁん、と光が大きく弾けて消えた。
闇夜に花が咲いたのは、その一度きりだ。SOSみたいな、一度きりの救援信号。どうしてか、そう感じた。
「今の花火は、合図なんだ。ここじゃない、世界各地できっと上がっている信号。君のために、用意したんだよ」
「俺の……?」
問えば、トリイは満足そうに頷く、
「僕のためでもある。僕は、君と一緒に、青春がしたかったんだ」
その願いは、奇しくもかつての俺が抱いたものと同じで。
「でも僕は、どうしても無理だった。学校になんか行けなかった。君の手紙を受け取り続けて、行きたい気持ちが募りに募った」
「十八歳になって、僕はようやく、君に会いたいと気付いたんだ。遅すぎたって思うよね。でも、僕はそのころには、本当に引きこもりになってしまっていたんだ。心が、さ。外に出ることすらおぼつかない。いやあ、あのときは参ったね。自分がこんなに弱い人間だったとは思わなかったよ」
何でもないように笑う。
「でも、僕はどうしても会いたくて、頑張って家を出て、そして十八才のあの夏の日――僕は、宇宙人と出会った」
トリイマコトは、引きこもりだった。
ただ外に出る価値を見出せなかった。大切なものは空にあって、星はここでも見えるのだ。両親は、初めは引きこもりになった娘をどうかしようと画策した。結局は諦め、新しく生まれた私の弟に期待を向けるようになった。
いないものとして扱われる僕を、唯一気にかけるのが君だった。
君との手紙は、唯一の癒しだった。学校に行かずに、有り余る時間で得た知識を披露すれば、驚いてくる。文章だけでも、その気持ちが嘘ではないと受け止められた。
高校にもなれば、彼の手紙は他愛のない話題も入れてくる。その時期になると、気づいたんだ。もう、遅いんだって。
でも諦めきれなくて、外に出た。人と顔を合わせるのが怖くて、人が来るのに気づいて、木々の間に隠れてしまった。そのとき、信じられないものを見たんだ。運命というなら、まさにそのことだと僕は思う。
宇宙人が、目の前にいたんだ。
どうして宇宙人だってわかったのかって? 人間じゃないヒトガタの何かが、そっくりそのまま、道を歩いていた人と同じ姿になったんだ。
宇宙人は、ひとじゃない。だから僕は、彼女と話すことができた。
僕は宇宙人に取引を持ち掛けられた。この社会になじむ手助けをしてほしいって。協力してくれるなら、できる限りのことはするって。
僕にとっては好都合だった。まず父さんとすり替わってもらう。知っているかもしれないけど、僕の父さんはここらだけとはいえ、けっこう権力があったんだ。戸籍をどうにかするくらい。そして人の死体をどうにかしてしまうくらい、わけなくて。
そうして、僕らの長い下準備が始まったんだ。
僕らの青春を取り戻すための。
「君が出て行ってくれたのも、ちょうどよかったかな。驚かせて、喜んでもらいたかったからね」
トリイは無邪気に話す。
「加賀利ソラについても、その一環さ。本人はもう町から出ていたからね。どんな人かわからなかったけど、幸い、君の手紙のおかげでどんな人柄にすればいいのかわかったよ」
「いや、俺の後輩は――」
「分かってるよ、一緒に雨宿りしたことも、海を見たことも、祭りに行ったことも、全部嘘なんだろう?」
「どうして」
「分かるさ。だって、友達だろう?」
胸が痛かった。俺の気持ちなんて知らずに、彼女は宝物を見せびらかすように、語り続ける。
「でもまさか、彼女が最初に擬態した相手と同じ顔とは思わなかったよ。だからなりきってもらったんだけど、どうかな、君は楽しんでくれたかな?」
その言葉は、純粋な好意の色で。
「いまさら青春を取り戻そうだなんて、馬鹿みたいだって、君は思うかな?」
「キミさえよければ、ここでずっと一緒に暮らそうよ」
「もうすぐ地球人は宇宙人にとって代わられる。そのときに、最後の人類として、一緒に終わりを過ごそうよ」
「一緒にいられなかった時間を、二人で一緒に取り戻そうよ」
トリイの重ねる言葉は、どこまでも甘い響きをしていた。青春を取り戻す。それはなんて素敵なことだろう。どんなに楽しいことだろう。
今からでも、遅くはないのだろうか。
トリイと過ごす青春を思い描く。昔からしていたことだ。想像するのは容易だった。
海と星しか取り柄のない町。それでも二人であれば、ずっと楽しいに違いない。手紙越しではなく、このわずかな間の会話だけでも、分かっていた。
二人で青春を取り戻すそれは、本当に心躍ることだった。
だから、なんて救われない。
「それは、無理だ」
「え……」
否定されるなんて考えもしていなかったのだろう。トリイは、可哀そうなくらいに狼狽していた。
「どうして……もしかして、僕のなにか気に障った? 僕、なにか間違えた? 君のためなら、僕は、僕は……何でも……」
トリイの懇願する様は、まるで親に見放された子供みたいだった。いや、事実子供なのだろう。トリイの話を真に受けるならば、半生は引きこもり、半生とは宇宙人との交流に費やしている。そんな人間が、他者との交流に慣れている訳がない。
「違うんだ、トリイは悪くない、悪くないんだ。悪いのは、俺だけなんだ」
「どうして」
俺の宥める言葉に、彼女は狂気を孕んだ目を向ける。きっと、これは言わなくてもいいことだ。言うべきではないことなのかもしれない。全部知らないふりをして、全部忘れたふりをして、そうするのがきっと、一番賢いことなのだ。
だが受け入れるしかない。
幸福へのかけ橋が建てられて。
それでも愚かな選択しかできない。
それが、塚本榊という人間であるのだ。
それが、塚本榊という人間であったのだ。
「俺は――塚本榊は、もうこの世にはいないんだ」
塚本榊の死因は縊死だ。
首つり自殺。
ドアノブに括りつけたネクタイを首に回すだけの、簡易な死に方。
故郷から逃げ出した先でも、得られるものなどなかった。あるいは、何かに向き合えなかった人間には、当然の終着点だったのかもしれない。そして彼は、遂には自らの命を絶った。
命を絶つ直前、彼は宇宙人に目をつけられた。
トリイの知っている通りに、俺たち宇宙人は人間に擬態する。擬態して、記憶と姿をコピーする。特別な指示を出されていない宇宙人には、重要な情報は与えられていない。擬態して、擬態した人物だと信じ込んで、指示を待つだけだ。
だが、擬態する中で、宇宙人としての自我が侵食されていく個体がいる。それは俺でもあり、きっとイインチョウでもある。強い未練を持つ者に擬態したとき、自分が偽物だということを忘れて似たような行動をとってしまう。
俺は塚本榊の記憶を持っている。彼を死ぬまで追い詰めた感傷を、そっくりそのまま受け継いでいる。しかし当人でない以上、これも架空のものにすぎないのだ。
今の今まで、俺はその事実を忘れていた。夢のような時間だった。
塚本榊があの夏祭りで見ることができなかった花火。それ見て、俺は全部思い出したのだ。
トリイは。
俺の話を聞いた彼女は、帰ると一言呟いて、屋上を出た。彼女の背中は、いまにも消えそうな蝋燭みたいに揺れていた。塚本榊ではない俺は、呼び止める言葉を持たなかった。
帰ると言った彼女の帰る場所は何処にあるのだろう。
「お疲れさまでした」
全てが終わってしまった後で、加賀利ソラの姿をした彼女は、何食わぬ顔で現れた、少女の姿をした何者か。それを相手に、憎まれ口をたたく気力すら湧かない。
彼女は加賀利ソラではない。ましてや後輩などでもない。塚本榊がついた嘘の結晶。架空の後輩。理想の存在。
元となった後輩はいる。けれども、深く知ることもできないままに、縁は切れたのだ。
「お前、宇宙人なんだってな」
「はい、そして私は、トリイマコトの共犯者です」
「俺も……お前の同類だって、気づいていたのか?」
「はい、もちろんです。私はあなた方よりも、多くの権限を持っているので」
「なんで、アイツに教えてやらなかったんだ?」
「私はどちらに転んでもよかったので」
何を考えているのか分からない。しかしそれは、いつものことだ。トリイのことを言えやしない。人の気持ちなんて、たった一人のものしかわからない。
「あいつが、世話になったな」
塚本榊の代わりに、俺は礼を言う。
「塚本さんの話をしているとき、彼女はいつも楽しそうでしたよ」
返答の代わりに、彼女は俺に語る。塚本榊の代わりに、俺はその言葉を受けとめる。
「そうか」
「はい」
故郷の空は澄んでいて。
たくさんの星が輝き瞬いて。
だけど、いまでは空虚だった。
「なあ」
「なんでしょうか」
「また先輩って呼んでくれないか」
「……まったく、仕方のない先輩ですね」
微笑む彼女。
ふと、思った。彼女なら、当時の加賀利ソラが、塚本榊にどんな感情を抱いていたのか。知っているのではないだろうか。聞けば答えてくれるだろうか。
でも、俺は聞かない。それは、無関係な俺が知っても何の意味のないことなのだ。
「先輩、顔を上げてください。空を見上げてください」
少女の声の言われるままに、俺は顔を上げた。
瞬く星の中で、流れる光がいくつも見えた。流星群などではない。それはたくさんの宇宙船。俺の仲間たち。人類への侵略者たち。
もし仮に、塚本榊が死ぬことがなければ。
もし塚本榊と鳥居マコトが出会っていれば。
もし塚本榊が加賀利ソラに関われたならば。
また何か違ったのだろうか。
写し取った人格の、残響めいた感傷に意味はない。あの夏の日は過ぎたのだ。
誰かが夢見たあの夏は、二度と訪れることはない。
瞬いて、ノスタルジー 大宮コウ @hane007
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