その女、グレイス
「ひぃ、ふぅ、みぃ……よぉし、さすが私だ」
この日集めた戦果が五袋。
短時間で済ませたわりには良い仕事をしてきたものだ。組織が乗り上げてきた車両の荷台に胡坐をかいて、グレイスは
後詰が間に合ったから良かったものの、自身の戦闘力を過信したあげく、遭遇した軍兵に手傷を負わされている。生来の気の短さが祟ったのだと、兄貴分達に先ほどこってり絞られた。
グレイスでも敵わない存在がいる。兄さんと慕う豪傑グレイブ・オーガン、六番手の自分より上位にいる五人の兄貴分。
彼らには喧嘩で勝てた試しがない。
そんな化け物が〈エンパイア〉という二千人の武力の信者を統括している。
にしても、軍の回答にはうんざりする。
軍の頭が固い連中は「承諾する」の一言を発表するのにわざわざ一晩も会議していた。
「敵対勢力の条件を手放しで承認するのは、面子や沽券に関わるって理由だろうさ」
「舐められたらおしまいなのは、どの世界でも同じなわけね」
「……で、なんであんたが乗ってんだ、クソチビガキ?」
「共に
「認めてねーし」
正面にマルトが座り込んでにしゃりと破顔させている。乱戦の最中は援護射撃を続けていてくれたそうだが、正直、途中からすっかり忘れて暴れていた。忘却の彼方からマルトの名前が返ってきたのは、出発前の今、茶髪のそばかす顔を目にしてからだ。
「たしかに賊共を懲らしめるのに組もうぜとは言ったけどよ」
「おいらが聞いたのは、祭りを盛り上げようぜって話だけだね」
「……私もヤキが回ったか」
よもやしれっとエンパイアの車両に乗り込んでくるほど図々しいとは。この泥棒少年の肝の太さは呆れたものだ。マルトは干し芋を噛みながら片膝を立てている。
「どっちみちキヤルナの賊達は召し抱えるんだろ? おいらがいても勘定に影響ないはずだ」
というのが彼の主張。干し芋はおそらくエンパイアの食糧車から盗んだ品だろう。
グレイスは組織の勘定方に明るくないが、人事的にはどうなんだ。トップダウンが話は早い。エンパイアの頭に尋ねるべきだ――兄さんに携行式電子記録端末〈プツロングラ〉で通信を繋げる。手元の端末から放出された光は空中で目の前に固定された。ホログラム・ヴィジョンである。
投影されたオーガンは満悦の表情で食事の最中だったようだが、グレイスの背後でちょろちょろ覗きこむ少年を見て、すぐ威儀正しい顔を作った。
……またお菓子食ってたな。他人の手前、そう言うのは胸に留めて、事情を話す。
『
「領民ではなく現場の戦闘員で加入したいと申しています」
『ふむ、どこぞの
「……誰の事でしょうかねえ……というか、いいのですか?」
『志を抱く者に場を与えてやる、それが余に忠誠を持たぬ愚民であろうと、先に望みを叶える度量を見せる。忠誠心は、余の背を見てれば後から自然と育つだろう』
「兄さんは、弱者に甘すぎです」
『支配者としての器じゃ。貴様の差配で好きにせい』
……というのが我らのボスの見解だった。貴様の差配で好きにせい、とは彼の言葉で翻訳すると「お前が面倒見てやれよ」という意味だ。つまり……野放しの少年はグレイスにくっついて回る事を認められたことになる。
ぶつんと切られた通信と額に手をつく仕草を見たのか、悪魔のような笑いが聴こえた。
「ひひひ。という事でよろしく、グレイスの姉貴」
正直邪魔くさいったらありゃしない。とんでもなく深いため息が出た。
「ていうか、いつから私はあんたの姉貴になった」
「グレイスの姉貴、かっこいいじゃん。そう呼ばせてくれよ」
「やだよ、舎弟にだって呼ばせてないのに、むさくるしい」
「じゃあ何て呼べばいい?」
「知らん。おら、ハッチ閉めろ。朝焼けが目に染みんだ」
そう言って、マルトに車両の後方ハッチを降ろさせる。あっというまの里帰りもいよいよ終わりの時間である。エンジン音が轟いて、荷台ががくがく震えだす。
キヤルナの処分については、戦略的価値がまだあるとして軍の管轄下として復権させつつ、その裏社会はエンパイアの支配下に置く事を黙認する形になった。我らのシマとあれば秩序を乱すゴロツキも湧きにくいだろうという、治安維持のための抑止力的な名目だ。
癒着だねぇ、と事の成り行きを思いながら車窓を眺める。組織の武装車両隊が一団となって、防壁の向こう側に動き始める。グレイスが乗る車両もやがてゆっくり動き出す。
(……癒着って言ったら)
そんな言葉で思い出すような奴がいた。
エーデルは、どうなっているだろう。賊共の私刑に遭う直前だったのは分かっている。そして四輪車に詰め込まれ、拉致される寸前で軍が拉致車両を銃撃した。
それにより運転手は死亡した……とはなっていなかった。
そのあたりはマルトが情報収集に長けていた。聞けば、四輪車の車輪には奇妙な色の粘着液が塗布されていたらしい。ピーニックという粘着弾が車体の動きを止めた。だから乗員全員が無事保護されたのは確認している。
驚くことに今回の抗争は、誰も死者を出さなかった。鉄人形との戦闘の傷跡だけが町に残るばかり。それでも復興作業には時間と労力がいるだろう。
流れていく町の景色に胸がちくりと痛くなる。腐っても故郷。破壊された思い出の土地に感じる事はある。けれどもだ。キヤルナの希望はまだ消えていない。
エーデル。
あんたを助けたのは、あの時の盗人娘さ。これで貸し借りなしだね。あんたは教会と王都の力で町の復興を頑張りな。町の平和は、裏社会で生きるウチらに任せておいてよ。
あまり理屈をこね過ぎんなよ、むかついた時は、ぶん殴れ。
私は悪党。聖人君子の前にはもう二度と現れないから、安心しろ。
だからどうか、達者で暮らせ。感謝してるぜ。
…………エーデル。
「ダリア!」
不意に車窓の外から、男性の大声がした。しかし見えているのは車両の一団ばかりであり、声の主は見当たらない。グレイスは急いで立ち上がり、天窓を開けた。
天窓から体を乗り上げ、町の方を振り向くと……祭服姿の青年が見えた。
「エーデル……?」
祭服姿の青年は無数のエンジン音に掻き消されまいと、必死に声を張り上げていた。
「ひょっとしてきみは、あの時の少女なのかい! きみの名前は――」
グレイスは咄嗟に背中を向けた。
「ダリア・エレガス!」
彼の頬の火傷跡、あれは宗教狩りから家を守るため負った傷。そんな敬虔な心根の彼が、大声で叫んでみせた。その女の、幼き頃の本名を。
「……捨てたよ、過去は」
グレイスは腰からベディ・ガイを抜き放ち、残っていた三発の弾を空へと撃った。
声にならない想いを乗せて。
「近くの人を大事にしろよな」
エーデルのそばには楚々とした女性が佇んでいた。彼によく合う雰囲気がある。きっと婚約者かなにかだろう。エーデルの声は銃声にかき消され、後はもう耳には届かぬほどに離れてしまった。やがて一団はキヤルナの壁門を抜け、朝日の眩い荒野に飛び出た。
「姉貴の名前って、前は違ったんだね」
「兄さんの名前をもじったのさ。私はグレイブ一家の者だとね」
そう、今の私は女盗賊ダリア・グレイス。世界で最も危ない女だ。
「なんつうか……茨の道を進みたがるクチなんだ、ダリアの姉貴は」
「茨の道でも、道は道。歩けるさ。あと気安くその名で呼ぶな」
「あいてっ」
マルトの頭に拳骨を浴びせ、腕組みしながら胡坐をかく。痛がるマルト少年に憮然とした顔で戒めの視線を送ってやるが、ふと彼の首にかかっている物が目についた。
「おい、それ、どこで見つけた」
「あん? これかい。情報集めて回ってたら、あの司教様がくれたんだ。求める人がいれば渡してあげておくれってよ」
黄玉のロザリオである。
やっぱり彼が持っていたのか。グレイスの埋めた穴を見つけて。
「…………ふぅん」
「さっきの口ぶり。求める人って、まさか姉貴だったのかい」
「いらないよ、そんな物。神に祈るんだったらマルトが大事に付けときな」
「おっ、初めてちゃんと名前を言ってくれた! そうか、だったら遠慮なくいただくぜ」
よく分からない小躍りを始めて少年はご機嫌な顔になった。
車窓から流れ込む朝の風は、ほのかに涼しい。朝焼けの空は黄金色で、グレイスの髪を赤く揺らす。スイート&ビター。そんな世界に口笛を。グレイスの唇は風の音色に口づけをする。
『
感傷を打ち破るように無線機から殺伐な話題が飛び込んできた。
グレイスは露骨な舌打ちをする。
鉄人形か。私らと違って、善も悪も区別しない。自分達こそ正義と信じて疑わない。人を襲う事以外を考えなくてもよい、幸せな存在である。グレイスはそれが羨ましくて、妬ましい。
やってやるよ、くそやろう。
けたたましく内容を繰り返す無線機の受信を切り、発信ボタンを舎弟に繋げる。
グレイス麾下二〇〇の賊が受話器越しに返事をくれる。横目でマルトがイキっている。
「来るぜ姉貴」
「ったく、しゃあねえな……おい、野郎共! 戦闘準備だ、タマ無し共に鉛玉をぶち込んでやれ」
軍部が各地の保安兵団に手配を出した書類には、秩序を乱す賊達の名が記されている。地域によって出没しているならず者の違いはあるが、どの兵団で調べてもとある勢力の顔ぶれだけは共通している。
最近そこへ新たに一人が追加された。それには、こう示されている。
その女、気性すこぶる荒く、徒手格闘は並の兵士で太刀打ちできぬ獰猛さを持つ。
戦闘力は、たった一人で盗賊団五十八名を撃破し、武装した兵士一団を単騎突破。
近年勢力拡大を続ける
保安兵団は、危険勢力に加担するその女を、畏怖と皮肉の込もったこんな呼称で手配した。
己が欲望に従って、修羅の道を侵略してゆく――
その女――
【少女よ、電影に刻めエピソードⅢ・Ⅰ その女、グレイス 完】
その女、グレイス 涼海 風羽(りょうみ ふう) @pusan2525
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