兵士少女よ賊を討て
声がした。
女の声だ。無視して行こうとするグレイスの眼前に、突然、刃が現れた。
「あっぶね」
反射的に身をかがめ、それを躱すが追撃の気配を感じた。一足分の跳躍をすると足首のあった場所を払い蹴りが通過した。とっさの判断。グレイスは襲撃者に滞空からの後ろ回し蹴りを返す。
(流されたな)
感触が軽すぎる。胸中で舌打ちをしかけた次の瞬間「え?」死角から踵が飛んできた。避けきれない。右の
どっと口中に満ち出した唾を吐きながら、敵の姿を見る。
(……珍奇な奴がいたもんだ)
兵士のくせして、こんな修羅場にろくな装甲も付けちゃいない。制服らしいのはシャツとローブくらいで、身軽さ優先といったところか。つまりは腕に自信があるってわけだ。
(若い女の兵士の分際で)
女である。華奢な姿をした女兵士が、自分の前に立っていた。そして何より珍奇なのは……蒼いのだ。そいつの髪と瞳は、蒼色である。冷たい瞳がよく似合う、人形みたいな顔をしていた。
だがしかしグレイスは感じている。奴の放った蹴りの速度は自分が誇るそれにひどく肉薄している。わずかなやり取りで認識した……今、相対している女兵士は、強い。
噴き出しながら、笑ってやる。
「よう、王都の犬よ。あんたのように若い女が出張るとは、どうやら軍は人手不足らしいね」
言ってやると、女兵士は無表情のままこちらを見返す。
「えぇ。あなたのような若い娘が盗賊なんかをしているなんて、ご苦労察するに余りあるわ」
「てめえいくつだ」
「十八」
「けっ、同い年かよ」
剣を鞘に納めながら澄ました顔で言う女兵士に嫌悪の色を浮かべるグレイス。彼女にとっての敵。それは己を縛るもの。軍隊という規律に属する者なんて、グレイスにしてみれば反吐が出るほど拒絶したい忌避対象だ。
女兵士は気にも留めぬ顔をしている。
「あなたの腰巻にある紋様。所属は
「だとしたら?」
「軍需品の横領および危険思想勢力として反社会組織に指定されている。あなたを捕縛する」
「反社会。それはどこを言ってんだい? 私が歩いて着いた場所、ここが私の社会だよ」
「抵抗するなら制圧する」
「あんたにそれができるのか」
「それが私の職務だから」
女兵士が視界から消える。速い。グレイスは無意識で胸を守るのを癖付けている。右手を臍に、左手を顎のあたりにかざして腰の力を抜いておく。次の瞬間、蒼い影を両目が捉えた。女兵士の引かれた右の掌底が、鳩尾を狙って惹かれている。読み通りだ、敢えてそこを狙いやすいよう隙を作っておいてある。女兵士の右腕が射出される、それをグレイスが絡めとる――だが。
「ちっ」
囮だった。またもや視界の外から回し蹴りが現れた。右脚だ。組みつこうとした右手を諦め、大人しく蹴りを受け入れる。横面に軍靴の残像が迸る。
「ぐっ」
喰らった。当たる寸前に蹴りの進行方向へみずから回ったが、女兵士の蹴撃は高速だった。目から火花、地面を転がりながら間合いを測る。懐に入っていたから、蹴られた箇所は
(緊張感あるじゃねえの)
顎の感触を確認しながら女兵士を目に映す。彫りが深く色白な美しい顔立ちをした娘である。華奢な肢体に身軽な装備。左腰には細身の直剣を提げている。齢は十八……そのくせ私と真逆な落ち着き払った態度が、なぜだか無性に癪に障る。
腕っぷしと自己主張でのし上がったグレイスの生き様と、比較されるような気がしてしまう。
恨みはねえが、潰してやりたい。
女兵士に疾駆する。敵意を込めた攻勢にすかさず反撃を見せる女兵士。
今だ。
一足飛びに潜る。
女兵士の襟元を右手でつかみ取り、押し込んだ。組みつく姿勢で右足を軸にしたまま、左の足を大きく回す。女兵士は逃げたがるが左の手で腕を握ってあった。背負い投げ。グレイスの背中に乗り上げた兵士の体がどう、と地に落とされた。
女兵士は声を漏らした。グレイスがその顔面を踏みつけたが、空振った。地面の上で身を転じて女兵士は間合いを取り直す。目つきは変わらず玲瓏なまま。攻撃を喰らい慣れてる。普通なら、背中を打てば息が詰まって動きが止まるはずなのに。呼吸が乱れた様子もない。
グレイスの肩は微かに上下。たった一人で集団相手に大立ち回りをした後である。
「…………」
「…………」
早く逃げねばならぬのに……不思議だ。こいつを倒してみたい。
言葉が口を突いて出た。
「良いセンスしてるじゃん。久しぶりに喧嘩やってる気になるわ」
「それは誤解ね。私は喧嘩をしていない。私の役目はあなたの制圧」
「まだ言うかい」
なおも衝突。女兵士もグレイスも武器は抜かずに素手でかかる。肌を合わせ、拳と蹴りを交えながら感じているのは、興奮だった。この相手にも戦う上での「愛しさ」を感じているのはもちろんの事、戦闘と悪行で組織をなり上がってきた自身だからこそ沁みついているスリルへの快楽が刺激されている。
負ければ捕縛。組織の追及。代わりに勝てば、何を得る?
名前も知らない兵士ひとりに殴りかったという称号だけか。
「あんた、名前と階級は何て言うんだ」
「賊に名乗る名前はない」
「雑兵か」
「言う気はない」
「実を言うと、同感さ。私もあんたに名乗ろうなんて思ってない、けど後で偉い人に聞いてみな。知る人ぞ知る名前なもんで」
「そう」
女兵士は感情に動きを見せない返しをした後で、掌底を繰り出してくる。これをグレイスは屈んで過ごし、地に手をついて砂利を握った。そのまま相手の顔めがけて投げつける。喧嘩に作法なんてない。
砂利を受けてさすがに曇った表情を、グレイスは心弾ませながら目に入れた。
「嬉しいよ、そんな顔をするなんて。私はあんたみたいな縛られてますって顔した奴が嫌いでね」
「秩序を正すことで守れる人がいる。私は彼らの味方なだけだ」
「あー」グレイスは思う。こいつは〈善〉であって〈正義〉の味方だ。
眩しいぜ、あいつみたいな善を信じる人間が。愛おしくて、壊したい。
グレイスの回し蹴りが女兵士の脇に入った。
「だったらここは
女兵士は痛めた場所を押さえながら
「か、は……」
しかしその
「腕が立つなら賊を止め、衛士になるのを推薦したい」
「生憎のお誘いだけど、
「ならば、あなたを悪とみなす。必ず制圧してみせる」
美しい。苦悶を浮かべながら闘志は消えていない。……あぁ、まただ。今の彼女を見ていると、胸のあたりで込み上げてくるものがある。どこを攻めたら弱いのだろう、何が弱点なのだろう。そればかりを意識して闘うのだから、芽生えてきてしまうのだ。
加虐心が。
あいつは、なんて可愛い奴なんだろう。口から思いが滑り出す。
「善人ってのはいとおしいねえ。壊したい」
そう言うと、女兵士は深い息を一つ、吐いた。
「本気であなたを狩らせてもらう」
胸に手を当て、襟元からころりと何かを取り出した。彼女の手に握られるそれが何かは分からない。ただし女兵士の纏う気配が、一変した。
「……行くよ、サヤ」
「!」
小さな呟きが聞こえたと思った次の瞬間、女兵士の姿が消えた。どこに行った?
下だ。
腹に起こった異物感が、答えであった。女兵士の拳が腹部にめり込んでいた。衝撃が背中に貫通する。肺胞と胃袋が圧し潰されて、声と共に喉から逃げ出る。
前傾姿勢となったグレイスの首筋に、女兵士は右足を掲げて、叩き落した。瞬発の連撃。地面と熱いハグを交わしたグレイスの口には苦い味。目の裏が軽くなり、意識を手放しそうになる。女兵士が背中に馬乗りになってくる。肘を後ろに取られた。縛るつもりか。
思考より行動が早かった。女兵士が体重をかけきる前に腰をねじり、仰向けになる。下半身を跳ね上げ、自身を跨ぐ女兵士の体が浮き立った。すかさずその股座から腰を引き抜き、転がりながら距離を置く。
「上手い」
女兵士がぽつりとこぼす。
心臓が高速で脈を打っている。――いったい、何がどうした? 一瞬だったが目で追える速さを超えていた。
息を整えながら、殴打を受けた腹部に炙られるような鈍痛が残っている。首を蹴られたせいで頭痛もかすかに感じている。集中を途切れさせたらダメージが回って倒れるかもしれない。
あんな華奢な体で、なんつう重い攻撃だよ。ヤバい奴と当たっちまったな、こりゃ。
「けどまあヤバいってのは、お互い様だな」――グレイスは血の混じった唾を吐き捨て、拳を構える――「正義がきらきら光るほど、悪党ってのは輝くもんだ」
女兵士は返事もなく再び視界から姿をくらます。背後に気配。
見切った。背面に肘を撃ちだす。だが見えたのは蒼い瞳の残像である。読まれたか。
だったら、蹴り。
当たった。
女兵士の姿を視界で捉えた。分かっている、人が消えたりなんてない。相手の軌道を予想して技を置いておけば、当たるのだ。運さえよければ。
蹴りは当たったが、腕で防御されていた。ダメージレースではこちらが不利。一撃で終わらせる攻めがあれば……。
そういえば、だ。
「……てめえ、どうして剣を抜かねえ」
「私が斬るのは
「鉄人形は斬ってんのか」
「護るべき者のために」
「どこまでも秩序に準じるわけね。だったら」
右の腰からようやく狩猟刀を引き抜いた。
「これでどうだ?」
「それでも私は変わらない」
「つまんねえ」
グレイスの愛用する武器は二丁銃と狩猟刀。鉄人形の喉笛を掻っ切るために強靭な鋼で鍛えた特別な物。材料はすべて盗品である。グレイスが己の道を
「だがよ、嫌いじゃないぜ、自分を追い込む変態ぶりは」
女兵士は言葉を返さず剣も抜かない。あくまで素手で臨んできた。グレイスは遠慮なしで狩猟刀を振りかぶり、薙ぎ払う。獰猛な風切音を叫んで狩猟刀が一旋すると、女兵士が屈むので、グレイスはそこに左膝で追う。だが膝では届かない? 否、宙に上がった左膝に追従して、右の前蹴りが伸び上がる。
二段蹴り。彼女が身につけている喧嘩殺法は〈
はずが、なかった。奴は普通の兵士ではない。常人にはありえない反応速度をもってして、蹴りを躱した。電光石火。ふと脳裏にそんな言葉がよぎってしまう。
女兵士が放った掌底を寸前でのけぞりやり過ごす。頬を掠めて、口の中が歯に当たった。じくりとまた口に錆のような味がする。どうにか反撃を突き出し、それをさばこうとする女兵士。
距離が近い。手を止めたら、やられる。攻め続けろ。やられる前に、やれ。
肌にひりつく感覚。蒼い瞳が自分を見つめて離さない。グレイスも紫玉の瞳で彼女を見る。交錯する二人の女の殺伐とした感情が、気分を上げる。
「その善の心がいとしいねぇっ」
「くどいっ」
こっちは何発も攻撃を喰らっているうえ、体力もそろそろ尽きかけている。向こうだって、グレイスの
無数の刃をかいくぐった蒼い影が低い姿勢から肘撃ちをあばらに入れてきた。とっさに身を縮めて深く刺されるのを防いだが、骨同士のふれあう音が全身に伝わる。
痛みをこらえてグレイスは、懐まで迎え入れた女兵士の顔面を右手でつかんだ。
「むぐっ⁉」
意表を突かれた声を漏らした奴に、脱出なんて許してやるか。行儀のよさとか、関係ない。
これが私の戦いだ。
「おんどりゃあぁっ!」
兄と仰ぐ男が教えた力業。我が道を邪魔する者は排除する、その意を預けた非情の暴力。
エリミネーター。
女兵士の髪と顔面をその手に掴んで、グレイスは、相手の体をぶん投げた。砂塵を巻き上げ女兵士の体が跳ね返る。
女兵士の体は華奢なくせして重量があった。投げた反動が右肩にくる。グレイスは呼吸が止まっていた。急いで肩を上下させ空気を体に取り込ませる。
(……全力出しちまったわ)
心臓の鼓動がうるさい。この戦いに何の意味がある? もう十分だろう、はやく逃げろよ、私。
しかしもう一人の自分が反発している……こんな強い奴がいるのなら、まだ削り合っていたい。
お互いがぶっ壊れるまで潰し合いをしてみたい。
思えば私は――盗むことより、敵を作るのが好きだったのかもしれないな。
私が悪事を働けば、誰かが私に怒ってくれる。私に強い感情を向けてくれる。私のことを思ってくれる。私に本気をぶつけてくれるのは、私を悪い奴だと思ってくれる人だけだった。
家族に愛された記憶がない。野良犬の餌同然な皿飯と虫が湧いた粗末な寝床。そんな家族が自分に教えてくれたのは、汚言と暴力そして非行だけである。
それ以外のコミュニケーションを知らなかった。外向的な天性の
ああそうさ、私は誰かと触れていたい。手段なんて選ばない。ぶん殴っても起き上がるし、私に殴り返してくれるくらい強い奴を求めているし、そんな奴に求められたい。
そんなのが、まだいるじゃんか。
世界は広いな、おもしれえ。
「ふぅ……ふぅ……」
女兵士は地面で肌をこすった後、背転して立ち直す。息を多少荒げているがまだ自分を倒す事は諦めてないようだ。心臓が高鳴りやまない。どれくらい時間が経った? わからない。濃密な接触をこの女と演じている。グレイスは興奮している。戦いが面白い。
「……もう一回だけ聞いとくよ。あんた、名前はなんて言う?」
「王家につかえる名もなき新兵」
「私は名のある盗賊だ……あんたの事が大嫌いなね」
エンパイアを知ってるくせに、六番手は知られてないとか、私もまだまだってことかね。だがそろそろ潮時だ。これ以上戦えば帰る力が無くなってしまう。この喧嘩を終わらせよう。
「何?」
夜空がさらに明るくなった。軍側が用意した照明ではない、我々の頭上に、光の玉が打ち上げられた。一発だけではない、無数の光が闇夜に出現してキヤルナの町を昼間に変えた。
(照明弾だ)
グレイスは強烈な光源に目を細めた。女兵士の方も、予期せぬものと言った反応をしている。場にいた戦士すべてが異変に気付いて手を止めた。基地の外郭を取り巻く軍のさらに外から照明弾が次々飛ばされている。まるで物量を誇示するかのよう。
明転した景色の奥に、翻る旗が見えていた。
濃緑色を背景にした、
エンパイアの旗印である。
「新手か」
女兵士が切羽詰まった声を出した。打ち上げられた照明弾の規模は軍の照明塔の数よりはるかに多く、広範囲に至っている。睨みつけてくる女兵士に、グレイスは狩猟刀を収めながら言う。
「ボスが来た」
「ひれ伏せ、愚民ども」
旗印を背にして現れたのは、馬上に跨る
「余はエンパイア大総統、グレイブ・オーガンである。この戦いを終わらせに来た」
グレイスが〈兄さん〉と呼ぶ男だ。
戦場でそびえたつ山脈のごとき存在に魂消ているのは兵士達。
「大総統御自らの出陣である、この意味が分からぬほど愚かな者は戦場におるまい」
そう、この言葉の通りだった。
エンパイアの戦闘員はいずれも大総統グレイブ・オーガンに忠誠を誓う狂信的な戦士達。下知ひとつで武力の総てを発動させられる。エンパイアの構成員は元盗賊と、かつて難民だった者達だ。王都に守ってもらえなかった人間達の戦闘に向ける士気は高い。
――争いを止め、停戦せよ。余は、無益な闘争を好まぬ。
オーガンは言う。
「この土地に来ている我が
一同に騒然とした空気が流れる。妹とは、誰だ。賊にしても、唐突に現れた巨大勢力の首領からとんでもない勧誘を申し入れられ、困惑している。だが捕縛よりマシかもしれない、という気風がすでに見えている。
軍にすれば、基地を外敵から奪還するのが主目的。職務という矜持に一時の間だけ目を瞑れば、傷を深くせずに済む話だ。しかし使命を帯びた秩序の者らに躊躇いがあるのは自然な事。交戦していた装甲兵は構えを解けずにいる。
「ベイグ班長」
ある兵卒の一言が女兵士を振り返らせたのを、グレイスは見た。蒼い髪の女はベイグと呼ばれる女らしい。秩序の者は一つ頷き、
「第七班集合。指示を中隊長に仰ぐ」
そう言った。供連れを集め、立ち去ろうとする背中に「待てよ」とかける。玲瓏な瞳に敵意を乗せて、女兵士ベイグは振り返る。
「ベイグっていうのかい、あんた」
「……いつか必ずあなたを捕縛する」
「それまで軍が機能してればいいな」
「あなたが善を否定しようと私は善を忘れない。私の正義は、傷つける者に負けない事だ」
「へえ、そうかい。じゃあ私の正義も教えてやんよ」
女兵士に背中を向け、息を吸う。
「グレイス
喝破のごとき鋭い
気分が良い。口元に歯をちらつかせ、背後にいる奴へ聞かせてやる。
「
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