スタイリッシュお掃除アクション

 夜のどこかで火薬がはじけた。その刹那、風を切りさく音がした。すると賊が一人、ばたりと倒れた。グレイスに集まっていた視線が振り向き、破裂音の音源を見た。


「銃か! お前ら敵しゅ」


 誰かが叫びきる前にもう一発の破裂音。そいつが倒れた。今度は別の場所から発砲炎がちらついていた。


 賊のどよめきが起こるが、銃声が休むことなく続けざまに鳴り渡り、その度に人が倒れた。賊の間に混乱が生じる。


 闇のどこかに狙撃手がいる、それも一人じゃない、囲まれている!


「誰か、照明か発炎筒を持ってこい! こっちの焚火は消せ、早くしろ!」


 ボウガンを構えた男がようやく動きを見せたものの、次の瞬間、視界で捉えていたのは、靴底だった。


 グレイスの飛び蹴りを顔に浴びた男は目元に火花が散った幻覚を見て昏倒する。


 なんという跳躍力だ。周囲が慄く。


 グレイスは己のカラダを強調した仕草で言い放つ。


「良い女だろ? 群がれよ」


 男共は発奮した。


 賊が一気呵成に殺到する。二、三の敵はその場であしらい、集まる奴らは蹴りを見舞って四散する。五里霧中の乱痴気騒ぎで踊るように拳を振るい、取るに足らない雑魚共に七転八倒させてやる。急襲でも正面から行く、それが女の流儀であった。銃が無くとも戦える。


 乱闘の様を為した視界にグレイスは唇から歯をちらつかせていた。耳元に心臓がやって来たような心地である。


 背後に気配。身を低くして前の敵を足払い、転んだ横面を蹴飛ばしながら、気配の出所に注意を割く。


 今なお暗闇からの狙撃手探しに手を焼いている賊達は、あちこちをやたらめったら照らしまくる。敵にとって視野が定まらない状態、グレイスにはありがたい混乱だった。


 迫る敵を殴り倒す。前が拓けた。脚は止めずに真っすぐ駆け出し、ボウガンの射手を見定める。廃車の向こうに矢を込めている男が二人。


 瓦礫を足場に跳び上がる。射手の頭上を大きく超えて、彼らがそれに気づいたとき、着地を終えた茜色の残像は、右の拳を引いていた。


 喧嘩仕込みの正拳突き。仲間内でカースト抗争を行うたびに己が天井を打ち破ってきた女の拳。男一人を不意打ちで潰すくらい造作もない。その奥に健在のボウガン射手が矢を放とうと狙いをつける。グレイスは腰と肩の力を抜く。


 ――三連射式か。


 息を吐きつつ、射手の鼻筋をぼんやり映す。流れる時間が急に遅くなった感覚がして、ボウガンの構造を分析する。射られた矢を躱すのは得意じゃないが、可能である。


 射手の肩がわずかに上がる。そして下がる。呼吸のリズムを読んでいる。よほど訓練を積んだ名手でなければ引き金を絞るときの緊張を隠す意識は付与されない。


 行動前に人は息を吸うものだ。


 グレイスは左半身を後ろに引いた。


 鎖骨が位置していた虚空を矢が貫いた。


 あと二発。グレイスは射手に歩みを進める。矢をよけた女の姿に射手は信じられないと言った顔をして、すかさず次弾を射った。なんと易い軌道で狙ってくれるのか。グレイスは一種の愛着さえ湧きかけるのを感じて、それを過ごす。ほんのりと頬が上気で染まる心地を覚える。


 戦いの中に身を置くに際して、グレイスが生来持ち合わせている性癖である。


 初めは怒りや興奮から攻撃を仕掛けるが、徐々に吶喊の発生源は敵への愛に変質していく。もっと知りたい、相手を知りたい、瞬間的な恋心を抱いた彼女はやがて敵を倒すなどと考えず、別の思考に脳裏を譲る。


 ――どこに触れたら、彼は昇天してくれるだろうか。


 弱点を攻めるのは、喧嘩コンタクトの基本である。グレイスは嗜好する。もっと相手に近づきたいと。もっと相手に触れたいと。もっと相手を感じてみたいと。


 グレイスの指が射手の首筋に伸び、その鎖骨を優しくなでた。たまらなく愛おしいと思いながら、射手の鎖骨に指を入れた。


「しゃおらぁっ」


 そして鎖骨に指をかけたまま地面に思いきり引き倒した。力任せではない、腰と肩に回転を入れている。彼女独特の身体操作〈回転シェイク〉。男どもが蔓延る力の世界でグレイスが考案した固有の技術だ。細い女の腕力を補うには、動作すべてに全体重を乗せるのが早い。一挙手一投足のすべてに波を起こして対象物に衝撃を加える。条件さえ揃えば握手で相手の背骨も破壊できる。


 今回は勘弁してやった。グレイスの体の芯から発した波は腕を通って指先へ、目的地は敵の首に留めておいた。倒した二人は沈黙して動かない、脳震盪を起こさせてある。


 三本目の矢は、彼女の動きに追いつけなかった射手が哀れにも放つことを諦めていた。踏みつけてボウガンを破壊する。ぬかりはしない。


「どうした? イモってんのか、短小ども」


 廃車に乗り上げ、声を張る。ボンネットを転がり下りて地を蹴り賊の群に突っ込んでゆく。通りすがりに近くの賊を殴り倒す。


 基地の棟壁に錆びた梯子はしごを見つけて跳び昇ると、まんまと追い登るものが数名。ある程度の高さに達してグレイスはにやりと歯を出し、眼下を見る。


 手には狩猟刀を抜いている。


 賊らはぎくりとした表情。グレイスは梯子と壁を繋ぐ金具に、一太刀いれた。錆びた梯子は破片を散らして半壊する。


 賊らは慌てて止めろ降りろと慌てふためく。それで止まる女じゃない。もう一筋の刃を振るうと、梯子の骨は壁から外れた。


 人を乗せた梯子は、根元から折れて倒れていく。


「あーばよっ」


 落ちていく男達に投げキッス&ウィンクをして、梯子を足場にグレイスは跳躍した。


 対面といめんに倉庫があり、屋根の上で受け身を取った。そのまま屋根の上を走りだし、隣接する基地棟の壁を蹴って再び人海に降り立った。ちょうど足元に空き瓶が落ちていたので、適当な敵にぶつけて倒す。


 それにもめげずに押し寄せてくる賊だったが、グレイスは背にした倉庫に手頃な掃除用具を発見。何でもいいとむしり取ったのは、デッキブラシだった。


 五尺程度の柄付きブラシを指先でぐるりと回転させて、見得を切る。


 踏み込んできた賊の凶器を持つ手首にブラシを引っ掛け、真円を描いて巡らせると賊は「うあっ」と鳴いて得物を落とす。体勢を崩したそいつの顔にブラシの毛先をこすり当てる。そしてそのままスクラッチ。悲愴な声をあげた賊は地面に倒れて悶え転がる。


 ブラシを回す。続く賊には横旋回のフチでの殴打を浴びせてやる。ブラシは木製、されど木槌で殴ると威力は同じ。半径五尺の危険な円を生み出し、範囲内にいる者を次から次へとなぎ倒していく。


 ブラシの柄を操って、脇にはさんで収めると、今度は群に突きこんでいく。柄の先端で刺突された賊共は折り重ねられ、牌倒しの様を為す。


 彼女が通った道はきれいに掃除された。


「スタイリッシュお掃除アクションってね」


 一騎当千の喧嘩強さに周りの者らは驚愕している。


「あの女は何者なんだ、敵わねえ」


「み、見ろ。あいつの腰巻、あの紋章エンブレムを知っている」


「何だよあれは」


 グレイスが打撃を放つたび腰元で翻る濃緑のきれ。城砦を金で象ったマークが描かれている。


「ヤベえ奴がどうしてこんな所にいるんだよ」


 女の組織を示すものだ。


 グレイスは、十一の時に野盗になった。寂れた町で朽ち果てるより、命を削って自己研鑽に励める身上が楽しかった。


 年月を経て野盗の衆は勢力を増し、構成員は膨れ上がった。もはやただの盗賊ではない。各地で集めた武器や盗品を身に纏い、武装集団の様相である。


 旗印となる紋章エンブレム


 金に輝く城砦は、誰にも崩せぬ牙城である。


 成長した女盗賊グレイスは、その六番手にまで登っていた。


 その女、グレイス。人呼んで武装集団テロル〈エンパイア〉のArmament武装 Fairytale童話。慈悲深き暴力の化身。


 本来ならば、こんな木っ端盗賊など、歯牙にもかけぬ存在だ。


 ……そうは言っても。


「知らねえ奴に地元で好き勝手されるのは、シンプルにむかつくんだよ」


 グレイスの帰郷の理由はそこにある。


 鉄人形の襲撃による町の陥落。その後の治安は、筋の者・・・なら知っている。なればこそ他所の奴に奪られる前に、己が手中に収めたいのだ。独占欲? あぁそうだ。縁もゆかりもあるならば全部が全部、私のもんだ。


 私の地元で幅利かせてんのはどこのどいつだ。雑魚に興味なんかねえ。どいていろ、てめえらのアタマ出しやがれ。ドタマぶっこ抜いて吊るし焼きにしてやるよ。


 怒涛のように押し寄せる賊を愛しく思って、次から次へと蹴倒してゆく。鎧袖一触、一撃である。


 グレイスは暴れ散らかす。


「道を開けろ、アタシが通る」


 グレイスの咆哮に賊は怖気づいている。勇気ある男が凶器を手にして挑みかかるも、喧嘩の真似さえできずに蹴り飛ばされた。素手の女に誰一人として近寄れない。


 いつしか彼女を軸に、群が二つに割れていた。道ができた。それに気づいたグレイスは、走るのをやめた。


 その先には大柄の男がいた。乱れた長髪、ゴテゴテ付けた重装備、いかにも賊の頭を思しき風格。だが顔は、女の気迫にビビり散らしていた。


 断言できよう、グレイスに敵う人間はいない。


 ゆらり、ゆらりと歩みを進める。回転シェイクの感覚を肩甲骨で確かめながら眼前の敵に狙いをつける。


 やにわに首を掻っ切るジェスチャー。


 彼女は一筋の矢となって駆けだし、地を蹴り跳んだ。闇夜には月が出ていた。周囲には、マルトの援護が火花を散らし、グレイスの浅黒い肌に一閃の瞬きを色づけている。しなやかな彼女の肉体は月を背にして空を舞い、迷いもせずに一箇所めがけて膝を折る。


 飛び膝蹴り。


 勢いよく突っ込んだグレイスの膝は大男の顔面を撃ち抜いた。大きな衝撃音をあげ吹っ飛んだ。グレイスは前回り受け身を取り、周囲を睨む。


 てめえらのアタマは蹴り倒したぞ、まだやるかい?


 ドスを利かせて凄む彼女に短い悲鳴が二、三あがった。あれだけ場に満ちていた賊の半数近くがとうに地面と接吻中である。一部はマルトの援護射撃――そう、火薬玉とただの小石を同時に発射して多方面からの狙撃に見せかけていた――によるものだが、事実としてグレイスは傷ひとつ負うことなく野盗の群を半壊させてしまっている。やられた方は恐怖以外のなんでもない。


「もう一度言う、ここはアタシのシマだ。消えろ、くそやろう共」


 機械兵アトルギアより恐ろしい女が現れた。そんな叫び声と共に場にいた賊は蜘蛛の子を散らすような有り様で逃げ出した。グレイスは虜達の方に目をやる。


(エーデルは?)


 逃げ惑う賊のなかに紛れながら、捕まった町の人達の姿を認めた。だが意志の残った残党がこびりついており、四輪車に無理やり詰め込まれようとしている。


 あくまで拉致を敢行する気か。


「チキショウ、置いてけ」


 声より先に足が出た。全力で駆けるグレイスだが、賊がそれに気づいてしまった。四輪車が急発進する。扉も閉めず十分に人を載せきらぬまま動き出した車は、人を振り落としながら基地の門を目指して車輪を鳴かせた。


 グレイスは走りながらベディ・ガイを抜き、弾倉に実弾を挿れる。車輪さえ破壊できれば……ホイールに狙いを定めるが、明かりも満足にない状況で闇に消えようとする高速の移動物体への射撃。それはグレイスでさえ困難だった。放った弾丸は虚しく路面を削るだけ。


「うっ」


 だが、状況は一変する。


「……なんだ?」


 途端に視界が白くなり、思わず腕で目を阻む。


 強い光を発する何かが、前方に出現した。


 それも一つではない……多数の照明が、横一列に居並んでいる。


『キヤルナ駐屯基地を占拠する武装集団テロルに告ぐ。私達は王都正規軍より派遣された対人制圧群第八大隊だ。キヤルナ保安兵団の要請を受け、この町を機械兵アトルギアから奪還するべく着陣した。あなた達はすでに包囲されている。すみやかに投降なさい』


 拡声器を通した声で聞こえたのは女の物だった。


(正規軍だと)


 本職ガッチじゃねえか、こんな時に来やがったのか。グレイスは奥歯に力がこもる。四輪車を追う足を止め、走り去る車体の尻を見送った。四輪車は止まることなく光の中に突っ込んでいく。強行突破するつもりか。


 対人制圧群と言ったら、文字通り武装集団テロルを封滅するために編成された部隊ではないか。鉄人形ばかりか、暴徒鎮圧までも得意とする兵士のくくりだ。そいつらの持つ武器なんて、嫌というほど知っている。視界を潰す照明の下には銃口が鈴なりであろう。


「撃つな! その車には人質が乗っている、撃つな!」


 口を突いて出た叫びもむなしく、一発の発砲音が耳に届いた。四輪車が急回転しだし、追い打ちをかけるように同じ銃声が続けざまに三発響いた。四輪車は獣のように路面で悲鳴をあげながら暴れたのち、停止した。


 あいつら、やりやがった……。見境なしかよ。


 グレイスが愕然とする暇もなく、背後で賊の残党が沸騰した。


「みすみす捕まってたまるかっ」


「来いや、軍どもっ」


「俺達は自由だっ」


 風を切る音。どこかから発射されたボウガンの矢が、照明の一つを破壊した。グレイスが壊滅させたことで追い詰められた賊共は、更なる脅威の出現に自棄を起こしているようである。見れば正規軍の焚く照明は、前方のみならず確認できる範囲では基地のぐるりを獲っている。推定兵力・一五〇。警告通り、包囲されているのだろう。


 これはグレイスにとって最悪の状況だ。軍はキヤルナを放棄したのではないか? よもや捨てるに惜しい価値を見出したか? 予想だにしなかったタイミングの悪さに、額に手をつく。エーデルは無事か? 四輪車は静かなままで、中の様子をうかがえない。近づこうにも正面は軍が陣取っており、彼らの前に姿をさらすのは危険だ。


 だが……冷静な自分はこう語る。賊から彼を解放してやれるなら、それは軍の手柄で構わない。ただ無事を祈るだけで良い。


 そう……恩人が生きていてくれるなら、私はそれで構わない。


 生き残ってやる。


 グレイスが切り替えた気持ちは、胸にかすかな痛みをつけて、炎を灯した。


 こんな所で終わるわけにはいかない。


 基地内にいた賊共が喊声かんせいを上げて軍隊の方へ走り出した。廃墟の町には満足な火器さえなかったのだろう。白兵として戦う得物を各々が持ち、怒鳴りながら門扉の方へ前進していく。彼らの群に紛れ込み、隙間を見つけて逃げ延びてやる。


 暴徒と化した賊、それに対して軍は無警告の一斉射撃を開始した。実弾か、制圧用の模擬弾か、そんなの気にする余裕もなく悲鳴を上げて賊達が倒れていく。撃たれた仲間を踏み越えて別の賊が軍に向かって進撃する。


 互いの距離が五間まで詰まったあたりで銃撃はやみ、装甲プロテクターで身を固めた兵士達が光の中に躍り出た。棍棒を手にして突き出してくる。賊の群と軍兵の先頭同士が接触し、その間から両陣の者がさらに奥へと浸透していく。グレイスも脱出点を探るためになるべく敵との接触を避けつつ駆け抜ける。


 興奮しているのは賊ばかりじゃないようだ。兵士の方も裂帛の声をあげかなり躍起になっている。死に物狂いで抵抗する敵を相手にするならば、こうもなるだろう。


 だからグレイスは嫌いなのだ、正義の味方を気取る奴らが。人間が最も自己肯定感を高める時は、自分が正義と信じた時だ。己の中の悪を忘れてるから平気で残酷になれるのだ。力を持つから人は正義を語りだすのだ。


 いっそ皆、不幸になれ。己の悪と向かい合え。それでも生きる奴を私は人間だと認めている。


 棍棒を振りかざして襲いかかる装甲兵にグレイスは踏み込んだ。耳の横を通る音。グレイスは腰に回転を起こし、体の方向を変えると肘を首筋に叩き入れた。だが装甲の性能が勝った。


 多少のよろめきを見せた装甲兵だったが、崩れた重心の勢いで棍棒を旋回させる。避けるのはたやすい。再び間合いを詰め、今度は拳を握った。大振りで隙を生んだ敵の脇に、鉄の拳を刺突する。内関節は装甲でも守れない。骨まで届く確かな手ごたえ。防面甲ヘルメットのバイザー越しに呻きが聞こえた。


(これでいい)


 肩を押さえうずくまる兵士を捨て置き、グレイスは先へと進む。


 修羅場とは、こんな状況を言うのだろう。人間同士が絶叫しながら互いを傷つけ合っている。鉄人形という共通の敵がいながら、なおも争う事をやめない人間達。何の得にもならない小さなパイを取りあう子供のような諍いだ。愚か者はもう一つのパイを焼こうなんて考えない。なければ材料を揃えればいい、作ればいい。


 だが悲しいかな。グレイスは自覚している、自分もその愚か者だと。パイの作り方さえ知らないし、ミルクの採る術すらも得られない少女時代を生きたのだから。この修羅な世界を抜け出すためには悪を選ぶ他なかった。どんな手段を使ってでも自分の世界を整えてやる。手を汚さなければ、私の世界は変わらない。


 そうまでしてでも、見たいのだ。明るい未来ってやつを。


「止まりなさい」

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