卑劣なごみくず

 月が雲に覗いている。ナイフで切り落としたような半月は西に少々傾いている。頂点はもう過ぎていた。


 基地へと向かう一団を目にして後を追うと、読みの通りの結果だった。駐屯基地は門扉を入ってすぐに空閑地くうかんちが設けてある。


 賊の軍団がそこに溜まって車座をなしていた。規模はおよそ八十人か。輪の内側には炎が焚かれ、町から奪った品々が照らされている。火の傍らには人の姿があり、老若男女……十人ほどが粗末な縛られ方をされ、怯えた顔でみな俯いていた。


 鉄人形に町を壊された次は、人間達にかような仕打ちを受けたのだ。彼らの胸中いくばくか。


 その中に、エーデルはいた。黒い祭服に身を包んだ目鼻立ちの美しい青年である。生き残った人々の中で憔悴しきり、かつて豊頬の美少年だった頃の面影が霞みつつある。だが空を仰いで祈るような表情は続けていた。


「よう、司教様」


 賊の一人が車座から歩み寄る。下卑げひた笑みを浮かべながらエーデルを縛る縄を引っ張り、強引に立ち上がらせた。膝を立てたエーデルだったが、賊はその胸に手押しを加え転倒させた。呻き声を漏らすエーデル。それを見て賊の男は嘲り笑う。


「神様はいましたかい?」


 周りの賊も同調してせせら笑う。エーデルは苦しい表情を浮かべながらも身を起こす。賊はその後ろに回り込み、背中から彼を蹴り倒した。金髪の白皙が地面にぶつかる。車座がどっと囃し立てる。砂塵でくすんだ祭服は嘲笑の中でまだ動く。


「我々は暴力に屈しません。魂は、誰にも侵されぬ自由と慈愛のもとで平等です」


「まだ言ってらあ、こいつぁ傑作だ。祈れば助けてもらえると思ってるのか」


 賊はベルトに提げていたスキットルを口に運ぶ。中身は兵糧から奪ったアルコールだろう。


「いいえ。この町の人達の心、そしてあなた方の心に安らぎが訪れますようにと祈りました」


「ご立派、ご立派」


 賊は両手を打って哄笑。


「この世に救いはありゃしない。神様なんかいやしない。教えてくれよ司教様、信じた先に望む?」


「極楽に参ります」


「聞いたかよ」


 賊はあたりを見回した。


「この期に及んで極楽だとか神だとかを信じてるんだぜ? こんな修羅の世界に生きててよ」


「最後に望みを得た者は、みな信じ抜いた者達です」


「幸せなこった」


 エーデルの頭上でスキットルを逆さにして、中身をこぼす。振りかけられる琥珀色のアルコールを彼は無言でこらえる。


「弱者にとって世界は修羅で、強者にとっては極楽だ。俺らが見ている世界も、お前らに見えてる世界も等しく修羅だ。思想ってのは行動と実力が伴ってはじめて価値を持つ……あぁ、そうさ」


 周囲の男達がぬぅと立ち上がり、嫌らしい目つきをし出した。奴らの視線に捉えられてしまっているのは、縄で縛られ抵抗できない人間達だ。


「修羅の中にも極楽はある。それは、自分の意のままにできる奴が目の前にある時だ」


 賊は、自分の腰に巻いたベルトに手をかけた。数刻後の己の姿を想像したのか、エーデルの後ろの方から若者たちの悲鳴が上がる。


「俺達だって今までさんざ苦しんでんだ。ちょっとくらい極楽ってのを味見させろよ」


 賊が舌なめずりしてエーデルの服へ手を伸ばそうとした時である。


「ぎゃっ」


 闇の中で短い悲鳴が上がり、人間が地面に倒れる音がした。その場にいる者達は振り返る。篝火の明かりの外でたった一つ、軍靴の音が鳴り響いていた。


「……仮にあんたを救う奴が神だとしたら、アタシのことを神と呼びな」


 カツ、カツ、カツ。闇の外から響くそれは時計の針が刻む時間のようである。しかしそれは、時計のごときからくり仕掛けと重ねるには、あまりに無機質的でなく、それでいて可逆性のある存在だ。


 この場で神を自称するうつけもの。


 誰に服従する気もない。個の気高さを誇示する愚かな強者。


「てめぇら誰に許可取ってアタシのシマでイキってんだ?」


 女の声は強さを孕み、更に殺気立ってた。


「てめぇらが言う、極楽ってのはどこにあんだい? ふんどし解きな。尻出せや。三擦り半で送ってやんよ」


 衆人環視に姿を見せたその女、獰猛な面付きである。


「こんな風にな」


 そう言って投げ捨てたのは、身包みはがされた賊の一糸まとわぬ姿であった。白目をむいて痙攣まじりに気絶している。その横面を女盗賊グレイスが踏みつけ、人差し指をはすに立てた右手の甲を見せつけた。


しぼんだ奴に用はねえ。失せろ、くそども」


 最低の侮辱を示すハンドスラングである。







「本当に行きやがったぜ、あの人は」


 基地内の陰に潜んでマルトはこぼす。


 盗み、脅し、汚い事の一通りは体験してきた。だからこそマルトは思う、悪党とは下劣な身分だ。他人を害する行為を「仕事」と称して我が身をかわいがるくず共だ。


 真っ当に生きられている人には卑劣や外道の一言で片づけられてしまう、ごみかす


 なぜそこまでして生きるのか。自分達に生きている価値などあるのだろうか? 真っ当な奴らが定めた物差しによって測ったところで、最下層以外の答えは出ない。自分を正当化させたいのなら、こんな自問をするべきだ。


 なぜ死のうとしないのか。そうすれば意外とすんなり答えが出せる。


 誰もが今日よりましな明日を期待している。ただそれだけなのだろう。少なくとも、この世界に息衝く人間は皆、淘汰に揉まれながら死んでたまるかと生きている。


 あの女、グレイスもまた、そんな性癖の奴なのだ。みずから淘汰競争に突っ込んでいく。酔狂の沙汰である。おそらく狂人の類であり、人間としての大事な何かが欠落している。いわば馬鹿だ。


 けれども……と、マルトはその瞳を一目見た時に感じてしまった。彼女は未来が見えている。


 明日よりも、さらに先で広がる景色を。


 障壁を破壊した先の未来を。


 ゆえに少年マルトは上手に利用されてやる。悪人は利益があれば裏切らない。


 そもそも今から自分は安全な場所で石を投げて遊ぶだけ。少年はみずからの行為にたまらず吹き出す。……卑劣だねえ……。だけどそれでも血が騒いじまうからしょうがない。


 スリングショットを引き絞り、闇に紛れてにやりと笑う。


「さあ、仕事開始ショータイムだぜ」

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