私を買うなら、高くつくぜ
エーデル、やっぱり私は盗賊のままだよ。
夜更けの廃墟は静まり返っていた。町は電源から駄目になっているらしい。
キヤルナの目抜き通りはなぎ倒された
ここにある物すべて、日常ならば金を払う価値があるはずなのに、戦争というフィルターに通してみれば斯様の惨状だ。鉄人形が奪うのは人の命だけでなく、物の価値をも狂わせる。やがて人まで狂いだす。グレイスはそれを良しとしない。
(なんだ、あれ?)
建物の間に、妙な軌道で宙を舞う豆粒みたいなのが見えた。しだいに此方へ近づいている。左腰の狩猟刀にすっと手を伸ばしてグレイスは身を低くした。
妙な動きの豆粒は暗視眼鏡の捉えた視界でぴょこぴょこと跳ねては夜空をすり抜け、くるりと一回転し……目の前に着地した。
グレイスは呆れていた。
「へっへん、また会ったな姉さん」
「いつから曲芸師なんてやってんだい」
癖毛の髪で小柄な影。マルボだったかマルコだったか忘れたが、先ほどの泥棒少年が得意げな顔して現れた。その身にはハーネスが纏われ、手にはスリングショットである。
ワイヤーを射出して滑車で辿る仕組みだろうか。よくもまぁ立派な機工を持ってるものだ。棹にかかるゴム紐は弾性を強めるためかよく分からない細工が巧妙に施されているのが分かる。
「おいらを見くびるなよ? それより盗んだもんを返してもらおう」
「知らないね、あんなガラクタ。あんたこそ私の得物をさっさと出しな」
「はあ? ガラクタたぁ言ってくれるね、あれはおいらの商売道具でぃ」
「どうでも良いよ。こっちは急いでるんだ、ガキに構っちゃられないよ」
「どうでも良いだとぉ? やい、
ガキの啖呵に興味はない。返す気がないなら力で奪い取るまでだ。
グレイスは泥棒少年との間を一息で詰め、その両足首を掴み上げた。
そう、掴み上げたのだ。
「や、やめろお」
泥棒少年が宙にぶら下げられた情けない姿でわめく。彼の上着は
黒の
まあいい。
「はじめっから大人しく出しときゃよかったのさ。おらよ」
尻を突き上げノびている少年に、巾着袋を投げやった。得物があれば十分だ。少年は巾着袋に飛びついて、中身を改めているようだ。そんな彼に
「強引な奴は嫌いだが、律儀な女は嫌いじゃないぜ」
巾着袋を満足げにしまい込んだ少年は、いやに白い八重歯を口にチラリと見せた。もう彼に用はない。また面倒な口を聞かれる前に別れよう。彼の笑顔を無視して踵を返した時だった。
「あぶねえ!」――背後から少年が勢いよく押し込んできた。ほぼ同時に一筋の矢が腰元を掠め、背後の壁に突き立った。
「見ろよ、矢だ。敵襲だぜ。おいら夜目が利くんだ」
ボウガンの物だ。機械兵はこんなチープな武器は持たないし、軍も機械に通用しない矢は使わない。……あぁ、間違いない。ボウガンは対人武器。そんな物を使う奴らは、どうせろくな輩じゃない。
「外したか」
男の下品な低い声。
闇の中で嘲るような笑いが聴こえ、あたりが不意に明るくなる。
頭髪を刈り上げ、顔にタトゥーを彫った者達。それぞれが手に剣や斧を構えている。おそらく教会で見かけた賊の一味だろう。
「あんたら、どこの
自分を狙った一矢の射手らしき男に問う。男は左腕に装うボウガンを撫でまわしながら言う。
「俺達は悪党さ。女と子供がちょうど欲しい所だったんでね」
「
「それも兼ねてる」
グレイスは知っている。金品物資の略奪を目的とする盗賊には、一部で人身売買を行うものが存在する。戦場で逃げ遅れた人々や、彼らの武力に抵抗できない弱者を拉致し、おおかたその労働力や資金源に変換される。
もとより裏暗い者が繋ぐ筋だ、売られた人材の悲惨な前途など想像に難くない。
この町の人を連れ去り、いま目の前に立つ男達はその類で間違いない。グレイスは唾棄する。
「私を買うなら、高くつくぜ」
暗視眼鏡を、ぐい、と外して茜色の前髪をかきあげた。
男達が襲い来る。グレイスは両の拳を顔まで掲げて、腰の力みを一気に抜いた。しなやかな回転が下半身に伝播する。到達点は右の脚。跳ね上げられた回し蹴りが男の顎をぶち抜いた。
零距離で発生させる強烈な蹴撃。喰らった男は勢いづいて吹っ飛んだ。
「この野郎」
驚愕の間を置き、激高した他の賊が刃を振るって殺到する。
「女だっつうの」
眉間に皺寄せ、腹のあたりに隙を作る。賊の一人がそこを狙って突いて来たので、腰をぐるりと旋回させる。
女の懐で虚無を獲った賊の刃は、腕もろともグレイスの腕に絡めとられた。肘関節を巡らせる。
賊の体がぐわんと回って宙から地面に倒れ込んだ。賊に呻く暇も与えず顔面を蹴り、気絶させる。
そういえばと脳裏をよぎって声を張る。
「おいクソガキ、巻き込まれないよう下がってな」
すぐさま振り向きざまに風を切る音。グレイスが背反りに躱す。鼻先を刃物が通る。
だがグレイスは体勢を立て直さない。そのまま後方に倒れていく。両手が地に着き、遅れて足が天を突く。賊の顔がそこにはあった。
「ブグッ」
悲愴な声を漏らしてまた一人が倒れた。目まぐるしい。あと何人だっけ?
だが殺気立った賊は考える時間を許してくれない。視界に残った最後の一人が斧を横薙ぎに奔らせる。
重量がそのまま破壊力に直結する斧というのは、硬い装甲に覆われた鉄人形にはさぞや強力な攻撃兵器と謳われよう。
銃弾とかいうコスパの悪い消耗品など、昔と違って入手が厳しい
ゆえに白兵戦における火力こそが人間達にとって至高の求心性を誇る。
斧は強い。人間ならば掠めるだけでも致命傷だ。
ただし、届かなければ意味などない。
発砲音。
グレイスの愛銃が火を噴いた。ベディ・ガイと対なすもう一丁の拳銃〈ソルデア〉である。
賊の男は斧を落とし、撃たれた額を押さえながら頽れた。
(これで最後か、口ほどにもない)
「て、てめえ動くんじゃねえっ」
……まだいたらしい。声のした方を見れば頭痛がしそうになった。
「捕まっちまったぜ!」
賊に両手を掴み上げられ首元へ刃物を突きつけられたクソガキがいた。
「私、下がってろって言ったよな?」
「不意打ちされた、不可抗力だい!」
きゃんきゃん喚く少年に賊の男がいきり立つ。
「一歩でも近づいてみろ、てめえの可愛いバディはあの世行きだ」
いやバディじゃないし。練度の低い賊には言いたい事が山ほどあるが、あまり未熟な相手の批評は口にするまい。己の格まで低くなる。
「お、おい黙ってねえで何とか言ってみろ、あぁ?」
「……なあなあオジサン。おいらが良い事を教えてあげるよ」
「うるせえガキは黙ってろ」
「子供を甘く見んじゃねえぞ、ボケ」
少年の左膝がにわかに屈した。後背に位置していた賊の股ぐらへ少年の
賊の悲鳴。股間を押さえて賊は悶えた。
両手を解放された少年はすかさず賊と距離をあけ、巾着袋から小石をつまむとスリングショットに引っ掛けて賊の額に撃ち込んだ。最後の賊は情けない姿で地面に沈黙した。
「どうだい姉さん、おいらも泥棒としての生き残りなだけあるだろう?」
得意げな少年はスリングショットの棹を指にはめてくるくる回す。彼の思惑がどこまで芝居をさせていたのか不明だが、肝が据わっているのは改めて理解した。
グレイスはあたりを見渡す。倒した賊は五人。教会で見た四輪車の数はさらに多くの賊を詰めて走れる規模である。
(エーデルを助けるなら、この十倍は覚悟しないといけないだろうな)
グレイスは賊の溜まり場を目指していた。四輪車の走り去った方角からして、この町で大勢がたむろ出来る場所など、地元人ゆえ見当がつく。保安兵団および派遣軍の駐屯基地だろう。幼い頃しばしば遊びに入った場所でもある。……ならば格好のパーティ会場だ。
「おい、マルボ」
「マルトだい」
「……マルト、あんた今までで一番デカい仕事は何をした?」
利用できるものは何でも利用。生き残りたいと願う者の常である。少年はにたりと笑う。
「三年前に第三ガナノで機械兵や正規軍と十日間の追いかけっこさ」
ガナノ戦争の生き残りか。多数の犠牲と被害を出した大規模戦闘だった事は知っている。
「戦果は?」
「目の前にいるだろう」
――今日まで死なずに生き延びた生命力と、戦訓か。
「違いないね」
「……まさか良くない企みをしてるって訳じゃないだろうな」
「はあ何言ってんのさ、まるで普段が善人みたいな言い方だ」
鼻を鳴らす。
「確かに相手が賊とは言え、眉間に銃をぶっ放す女が善人だとは……あれ?」
少年は斧と転がる賊の顔を覗きこみ、訝しんだ声を出す。それもそうだ。弾痕に血は流れてないのだから。
「
ソルデアは口径九ミリの小さな拳銃。機械狩り用のベディ・ガイとは別に護身用として携行している。
「殺しはやらない盗賊かい」
「家訓って奴」
「変な人だ」
「律儀な女は嫌いじゃないんだろ?」
口角を歪めたグレイスの言葉に、マルトは何か誘われていると察した顔を見せる。損得勘定に聡いのが悪人同士の美点だろう。もはや主語は使わず話す。
「三分の二だ。私はそんなに多くは必要ない」
「やけに羽振りがいいな。何を隠しているんだい」
「別にあんたの後ろは狙わないよ。むしろ私の背中を頼みたいのさ」
目の前でくたばる盗賊共は拠点に帰れば戦利品を集めている事だろう。自分の故郷で稼ぎなんて気分が悪い、旧知の人を賊の手から解放できたら金目の物は全部こいつにくれてやる。
だが
「それで姉さんの取り分が三分の一。そこまでして欲しい物って何だよ」
「過去の遺物さ」
「わからねえ」
「言わねえ。でも、あんたには脛の毛よりも安い物だよ。さてどうする」
彼の悪党としての資質を問おうか。
「私と大騒ぎする気はないかい?」
あくどい笑みが出ているだろうと、グレイスは自分の顔の動きで何となく想像できた。こればかりは生まれついての癖であり、才能かもなと感じている。鋭利な瞳でマルトの目を見る。
「この町でやってる祭りに行こうと思う」
マルトは目を大きくした。
「乱入かい」
「
「姉さん、招かれてると思ってんの」
「バーカ。サプライズは盛り上げるためにやるもんだ」
「心臓いくつ持ってんだ」
「踊る心が一つあれば十分よ」
女は主語をなおも省く。そんな会話を楽しんですらいるに見える。少年もだ。悪い奴ほど賢しらぶった口調を好む──グレイスの嗜好による偏見である。
「で、よ」
紫玉に煌めく瞳が闇夜に咲いた。
「私と一緒に踊らねぇかい?」
欲望を前にした時、世界は己を孤独にする。
欲望とは信念の正体である。欲望に従い進んだ道では、正義を掲げる悪との対峙が必ず生じる。己の望みを貫く時、えてして己は他人にとっての悪になる。彼岸の正義は此岸の悪だ。
逆もまた然り。悪と呼ばれてなおも信念を貫く事が出来ようか。彼岸の正義を退け、悪として生きるとするならば、人生とはいかに孤独だろうか。
ゆえにグレイスはこれを掲げる。
悪人とは何より自分を信じる者を言う。
悪党とはそして他人を信じる者を言う。
そして彼女はこれを拒む。神とかいう、恵みを与えぬ抽象を。
この世には徒党を組んだ悪人共が跳梁跋扈ひしめいている。信念を持つ孤独者たちの宴である。
「その祭り、おいらも混ぜろ」
悪党少年、莞爾と笑む。欲望に正直な奴は嫌いじゃない。グレイスはマルトにそう言った。
「ところで姉さんをおいらは何と呼べばいい」
「そうだね」
顎に手を添え、しばし思考の素振りを見せ、その女は己が胸を指さした。
「グレイスとでも呼んでくれ」
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