第3話
――本を読むって、そんなに楽しいことなのか?
彼女は今日も本を読んでいる。手のひらサイズの文庫本。ブックカバーがついているからなんの本を読んでいるか知らないけれど、僕は後ろの席でクラスメイトと話しながら、本を読んでいる小宮さんを観察していた。
休み時間になると、彼女は引き出しから文庫本を取り出す。そしてゆっくりと開いて、読み始める。窓際、眼鏡女子の読書タイム。そのフレーズを母さんに言えばなんて返してくるだろうか。小説のネタにちょうどいいと言うだろうか、それとも。
僕はある日家に帰って、そのことを母さんに話してみた。青春純愛もののいいネタがないかと、僕の日常を聞きたいのだ。
「ねぇ母さん。俺の前の席の人、休み時間の度に本読んでるんだよね、メガネかけてる女子なんだけど」
僕のその言葉を聞いて母さんはソファから勢いよく起き上がり、神様に祈るように指を組んで、僕の顔をキラキラした目で見ながら言った。
「大地! その子のことが好きなのね!ついに!大地にも!恋愛の感情が生まれたのね!」
「ちょっと、どうしてそうなるんだよ。ぼ、俺、そんなこと一言も言ってないじゃん!」
「バカね、大地! 大地の心がその子に惹かれているからその子のことを見てるんでしょ?」
「いや、普通に前の席だから。しゃべったことも挨拶くらいしかないし」
「ふうん。まぁいいわ。ちょいちょいその話聞かせてもらうわ」
母さんはそう言って嬉しそうにコーヒを淹れ、二階の自分の部屋へと急いでかけて行った。僕は少し胸がくすぐったいような気分になっていた。
――好きって、そんなのあるわけないじゃん。
ほったらかしにしていたクラスメイトの彼女からの「別れよう」がメッセージで届いたのはその日の夜のことだった。僕は「あぁ良かった。これで誰の彼氏でもなくなった」と思った。
でも、母さんに変なことを言われてしまったからなのか、「誰の彼氏でもなくなった」と思ったら、さっきよりも胸の中が騒ぎ始めているような気がしていた。
――何なんだよ、この、なんとも言えない感じ。
次の日学校に行くと、僕の意識はみょうに前の席に向かって行っている。休み時間も、授業中も、僕の気持ちは小宮さんの方へと見えない手を伸ばしているような気がする。これは、単純に、興味があると言うだけで、決して好きと言うことではない。そう僕は思った。
もうすぐ二年生が終わると言うある日、席替えで席が離れてしまった小宮さんの机の上にはいつも読んでいる文庫本が置いてあった。本屋さんのマークの入ったブックカバーの中身を、僕はつい見たくなってしまった。誰も見てないのを確認して、こっそりと表紙を持って開いてみた。
『遙か彼方に君がいた』著:和山きょう
母さんが書いた恋愛小説だった。僕は急いで指を離した。胸の中でマグマのような熱い液体がぶくぶくと音を立てて、動き出している。どうしたと言うのだろうか。そのぶくぶくと湧き上がる熱い血液が僕の耳の毛細血管に一気に流れ込み、僕の耳が熱を持っている。
「大地! その子のことが好きなのね!ついに!大地にも!恋愛の感情が生まれたのね!」
頭の中でいつかの母さんの声が聞こえてくる。
――いや、全然違うって。
「バカね、大地! 大地の心がその子に惹かれているからその子のことを見てるんでしょ?」
――うそ、まさか、違うって。
でも僕の中に生まれたそのマグマは休むことなく、ドクンドクンと身体中に音を響かせて、僕の顔まで熱を帯びてきた。僕はいても経ってもたまらずに、急いで部活に向かい、いつもよりも熱心に竹刀を振った。
*
あの日から、僕は小宮さんのことが好きだと思う。
でも今までの癖はなかなか抜けず、「僕」から「俺」に自分の呼び方を変えたのに、強引に「付き合って」とメッセージが来ると、また「うん」を返し、そしてまた触れることもなく、「別れよう」を待つ自分もいた。
そして、中学生最後の年、僕と小宮さんは同じクラスになった。真っ先に自分の名前と小宮さんの名前を探している自分を客観視すると、僕は小宮さんが好きなのかもしれない。
そんなある日、春休みから付き合ってたらしい
僕はもう自分に嘘をついていたくない。母さんにも誰にもまだ言えない恋だけど、僕は決心した。小宮さんに自分の気持ちを伝えようと。
修学旅行の班決めで、僕が東京育ちだからと先生に頼み込み、不登校の夢さんを一緒の班にすることで、班を決める際に比較的夢さんに理解のある小宮さんを入れるようにと誘導した。
あとは、どうやって気持ちを伝えるかだけだ。彼女は読書が好き。
『隣の席の読書好きな彼女が大好きな僕と、それを知らない君』なんてタイトルの物語でも書いたら、彼女は興味を持ってくれるだろうか。
修学旅行で、俺は彼女に告白するつもりだ。
了
『 隣の席の読書好きな彼女が大好きな僕と、それを知らない君 』 和響 @kazuchiai
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