ふたりの間に空いた穴

ばーとる

本文

 大学生になり、生まれて初めてのかれができた。名前はゆき君。今はその彼氏との何度目かのデート中。二人並んで東大寺通りを歩いていると、低いビルが並ぶ京都の町並みの中に、一基の鳥居が姿を現した。その鳥居に、「あくえんを切りりょうえんを結ぶ祈願所」と書かれた幕が下がっている。


「ここってえんりの神社?」


「うん」


 は? どういうこと? どうしてかのじょの私を連れてこんなところに来るわけ? 意味が分からない。私と別れたいっていうことなの? 頭の中でいらちがぐるぐると脳みそをかき混ぜている。


「どうして?」


「たまにはいいじゃん。神社も」


 そうじゃない! 神社は神社でも、どうしてよりによってえんりの神社を選んだのって聞いてるのに。そんなこともわからないなんて信じられない! もしかして、聞かれては困る後ろめたい事情でもあるのだろうか? 何かをかくしているのではないかと顔をうかがうが、本人は飄々ひょうひょうとしている。


「神社はいいんだけど、ここで何をするの?」


「何をって、神社に来たら参拝するんだよ」


 何? もしかしてえんりの神社だってことを理解しないで私をこんな所に連れてきたの? デートプランを立ててくれるのはいいんだけど、わざわざここを選ぶ? 何かおかしくない?


「ここじゃないとダメだったの?」


「ダメってわけじゃないけど、どうして?」


「どうしてってここえんりの神社じゃん」


「そうだよ? それがどうかしたのか?」


 ここに来て、ゆき君のまゆが下がり始めた。私は「しまった」と思った。少なくとも雲斗君の中ではつうにデートを楽しんでいるつもりなのだ。かれの中では私が勝手にげんを悪くしているように見えているだろう。


「いや、ごめん。なんでもない」


 とは言ったものの、やはり何かが引っかかる。私たちは鳥居をくぐり、ちゅうしゃじょうを横に見ながら参道を進む。確か神社の参道って真ん中を歩いてはいけないんだっけ? あっ、鳥居の前で礼をするのを忘れていた。ああもうむしゃくしゃする。いや、落ち着くんだ私。一回状況じょうきょうを整理しよう。私はできるだけ心を落ち着けた。


「ねえ、ゆき君?」


「ん?」


「単刀直入に聞くけど、どうして今日ここに来ようと思ったの?」


「だってここ、有名じゃん。かいを連れて一回来たいと思っていたんだよ」


 えっ? それだけ? 有名ってえんりで有名ってことだよね? 縁切りの有名な神社に私と? しかも前々からここに来ることを考えていたみたいなことを言っているし。


 やっぱりゆき君は私と別れたいと思っていたんだ。でも理由が全く思い当たらない。付き合おうっていい出したのも雲斗君の方からだったし、デートにさそってくれるのも毎回彼かれの方だった。私のことをきらいになった素振そぶりなんて、今に至るまで全く見せていない。


「どうしたの? 顔色悪いよ?」


 何か返事をしようとしたが、自分が泣き出しそうになっていることに気づいて口を結んだ。


「ちょっと休む?」


 かれの目線の先には、座れそうな大きさの石がある。私はかろうじて首を横にった。


 あれ? 私の事、づかってくれている。そうだ。かれはいつもこうだ。私のことをよく見てくれていて、何かあるたびに声をかけてくれる。だとしたら、別に私のことをきらいになったわけではないのかもしれない。でも、それだとえんりの神社に来た今の状況じょうきょうの説明ができない。


 もう、ゆき君の頭の中はどうなっているの? 今日の私、じょうちょ不安定じゃん。


 私はだまって歩き続けた。二つ目の鳥居をけ、みずに寄った。自分の目に涙があふれていないかをこっそりと確認した。大丈夫そうだ。たぶんメイクもくずれていない。


 なんとか境内の中心部まで来た。気が付くと街の喧騒けんそうは遠のき、緑に囲まれたすずしい空間の中に私たちは居た。目を引くのは、他の神社にはないドーナツの形をした不思議な石だ。その表面にはびっしりとお札がられている。


「これ、やってみる?」


 周りの参拝客を見ると、お札を持って穴をくぐっている人が何人かいる。


 これはついに、ゆき君が私と別れるためのしきをしようって言っているのだろうか。こんなことになるんだったら、ちゃんとデートの行先を聞いて私も下準備をしておくんだった。せっかくの人生初かれができたのに、ここで終わってしまうなんて……。そんなのは嫌だ。


「嫌」


「えっ?」


 ゆき君は心底おどろいているように見えた。私が別れをすんなりと受け入れるだろうとでも思っていたのだろうか? だとしたらとても悲しい。私たちの関係ってそんなに浅かったの? いや、月日はそんなに経っていないけど、いろんなことを一緒いっしょにしたじゃん。水族館にも行ったし、遊園地にも行った。二人でご飯も食べたし、ただの友達とはしないような深い会話も何回かあった。少なくとも実のある時間を共に過ごしてきたつもりだったのに。そう思っていたのは私だけだったというの?


いやなら無理にとは言わないけどさ……」


 そう言って、自分だけあの穴をくぐるんでしょ? もうわかった。いいよ。


「こっち来て」


 私が別れを受け入れかけた瞬間しゅんかんゆき君はそういった。そして私の手を引いた。半ば強引に、でも優しさを感じられる強さで。先程見つけたかげの中の石に二人で並んで座った。


「ここでなら周りの人に聞かれないだろ。なあ、どうしたんだ? 今日のかい、なんかおかしいぞ?」


 今さら何を言い出すの? ゆき君は私と別れるつもりなんでしょ?


 そう言いかけたが、私の中のどこかがやはり別れないことを望んでいる。強く望んでいる。だからその可能性に賭けて、当たり障りのない答えをとりあえずひねり出す。


「何でもない」


「何でもないことはないだろ」


「だから何でもないって言ってるでしょ!」


 かれはポケットからハンカチを取り出した。


かいが何でもないって言うときは大体なんでもなくないんだよ」


 そう言いながら、いつの間にかあふれていた私のなみだをぬぐってくれた。そしてそのまま私をせた。私はかれの胸に顔をうずめる。心臓のどうがとくとくとなっている。今までのいかりがすうーっと引いて行く気がした。


「ごめん……」


 私はゆっくりとしゃべった。とても長い時間喋り続けた気がする。神社に来てから私が感じたこと。考えたこと。こわかったこと。それらを全部ゆき君の前でしてしまった。気が楽になった。


「私、ゆき君が『別れよう』って言うのかと思ってとってもこわかった」


 かれは私の話を全部聞いてくれた。


「そうか。お前もこわかったのか」


 そして、彼も話し始めた。


「実はおれこわいって思うことがあるんだ。この前の事、かいまだ根に持っていないかな? あの時、桧梨のことをおこらせてしまったかな? って、いつも考えてる」


 そうか。ゆき君も私のことでなやんでいたんだ。思い返すと、私は雲斗君に自分の考えとか気持ちをあまり伝えられていなかったかもしれない。


「だからさ、今日のことはおたがい様ってことにならないかな? おれたち、たぶんコミュニケーションが足りていないんだよ。付き合い始めて、お互いのきょが近くなって、相手のことを知った気になっていた。でも、相手のことを全部理解するなんて無理なんだよたぶん。無理じゃなくたって、何十年もかかるはずだ。だから、俺たちはもっといろんな話をするべきなんだ。どんなさいなことでも」


 私はゆき君の胸から顔をはなした。すると、かれはスマートフォンを私の顔に向けた。


「えっ? 今? 撮った?」


「後で送ってあげる」


「もうマジ最悪ー」


 でも、心はとても温かかった。たぶん写真には、ぐちゃぐちゃになった私の顔が映っているのだろう。そんな私の顔を、いつか笑ってかえることができる日が来るように、私たちはもっと会話をしないといけない。


「でさ、あのせきなんだけど、カップルがくぐっても別れることは無いんだってさ。むしろきずなを深めてくれる。おれたちもやってみようよ。せっかくだからさ」


「わかった」


 私たちは札に願い事を書いた。それを持って、二人で順番にせきの穴をくぐる。そして最後に、札を張り付けた。


 きっとまたけんをしてしまうかもしれないけど、私たちでそれを解決するだけの力を得るまでは、このお札に見守っておいてもらおう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ふたりの間に空いた穴 ばーとる @Vertle555a

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る