戦場の恋

愛LOVEルピア☆ミ

第1話


 丘の上に石造りの頑強な建物がある。マレウス要塞と呼ばれるそれは、帝国が誇る侵略用の前線基地だ。丘の周りにある野戦陣地には多数の帝国傭兵が居て、要塞から兵が逃げるまでの時間稼ぎをしている。つまりは捨て駒だ。


 その傭兵の中でも最も攻撃圧力が厳しい場所を任されている傭兵団ユースティティア、率いているのは二十代の女性、アンジェだ。先代である父親から団を継承して現在に至っている。団員の多くは先代からの持ち越しで、忘れ形見を補佐しようと必死に戦っていた。


「団長、正規軍の撤退にはまだ時間が掛かりそうです」


「モタついてるようだね。こっちは契約通り戦うだけだよ」


 はすっぱな言い方、その割には目鼻立ちが良くてドレスを着せて飾ればどこかのお嬢様で通りそうな器量。本人が望まないならば傭兵なんてすることなく、安全な暮らしは保証されるだろう美形だ。そんな恵まれているアンジェが危険で汚く、理不尽な扱いしか受けない傭兵をしているには理由がある。


 先代で父親のアンゲルスがそう育てたから。戦災孤児だった彼女を拾い、我が子として養育したのが全て。気質はそっくり、幼いころから戦場に出ていたおかげ、或いはそのせいで戦いに馴染んでしまっている。


 帝国軍は侵略軍で、今回の依頼も圧倒的不利な状況で、出来るだけ犠牲を減らす為に傭兵を雇ったにすぎない。金は貰えるがそこに正義も何もあったものではなかった、だから帝国軍側の士気も概ね低い。だからこそ傭兵を雇うという結論に至ったのだろうか。


 一方でアンジェからかしてみたら別の理由があった。マレウス要塞が落ちるのは構わない、けれどもこのすぐ先にある街にまで敵が攻め寄せてきたら、住民の多くが戦いに巻き込まれてしまうからだ。ここで正規軍が撤退し、街の防備を整えれば簡単に手出しが出来なくなる。


「ですが団長、このままでは兵力差が大きすぎて勝つことなど難しいですぞ」


 五十代に差し掛かろうとしているベテランの傭兵、常に正しい助言をしてアンジェを助けてくれる男が正確に状況を読み取る。このまま野戦陣で防戦を続けていたら、いずれ全滅してしてしまう。逃げるにしても余力があるうちでなければ無理なのだ。当然彼女だってそれは理解していた、知っていはいるがうんとは言わなかった。


「勝てる勝てないじゃない、立ち向かうんだよ! ここであたしらが尻尾巻いて逃げたら、街に大きな被害が出る。山のような怨嗟がまた生まれるんだ」


 アンジェが戦災孤児だというのを彼は知っていた、むしろ知らない団員は居ない。決してお人好しなわけではないし、戦いを知らないわけではない、それでも決意はかわらないだけ。何十年と戦場で生きて来た彼には、それが嬉しいようでもどかしいようで、そんな考えにしか育てなかった彼女に申し訳ないという気持ちもあった。


「戦えと言われるなら全滅するまで戦います、それが団長のご意志ならば皆が付いて行くでしょう」


 元より嫌ならここに来るなと志願を募ってのこと、臆病者は全員置いてきている。ベテランの殆ども、ここで退けばもう傭兵家業を続けることは出来ない。それならば戦って死んでも悪くはない、そうとすら思っていた。


「悪いな、あたしはこういう生き方しか知らないもんでね!」


 剣を振るいながら笑っていた、戦闘狂などでは決してない、彼女の軸は善良とすら言えた。あまりにも純粋すぎて見ていられないことだって多々ある。それでも団員らはそういう彼女が好きで身体を張っていた。



 一方で領地に侵入されている防衛側にも傭兵団は存在している。こちらも金で雇われている事実に差はないが、士気は高めだ。もし逆侵攻をかけられて街に攻撃をかけられるならば、略奪をする機会があるから。戦場での殺しは罪に問われないが、街でのそれは殺人という罪だ。


 国が変わろうとそこは共通なのだが、訴えをおこしたとしてもそれが敵国ならば認められるはずもない。報酬に追加で略奪が行えるなら傭兵にとって往復ビンタで儲かる、その上で強姦まで出来たらどれだけ割が良い仕事になるか。


 防衛ではそれが望めないので傭兵は契約を嫌がる、逆はご覧の通り。傭兵団グラディウス、団長のウィクトゥスは勝ちムードの戦況を冷静に眺めていた。これはいくつもある戦いの一つに過ぎない、そう客観的に見ているだけ。


 連戦連勝で負け知らずなのは団長のお陰、そう信じている者達は今日だってそうだと疑うことを知らない。勝てば兵は増える、傭兵団の数も結構なものになっていた。ウィクトゥスというのは通称であって、本当の名前はほかにある。傭兵が本名を使っても良いことなど皆無なので殆どがそうしていた。


 その通称の意味は敗北者。彼が己の無力さを忘れないために名乗り始めて、以来ずっとそれで通している。常勝無敗の男が何を言うかと思われそうだが、彼とて初めから無敵では無かった。


「今回の戦もこれで勝ちだな」


「頑強に抵抗する敵が居るようですが、時間の問題でしょう。祝杯の用意をしておきましょうか」


 半笑いでそんな投げかけすらする、油断とはまた違う何か。勝ちを確信できる強さがある、自負という奴だろうか。特段不快になるわけでも、返事をするわけでも無くじっと戦場を見詰める。すると不意に一流の軍旗が目に入った。


 ――あれは傭兵団ユースティティア!? なぜこのような負け戦で無駄に抗う、適当に戦い退けば良いだろうに。


 かつての敗北が脳裏を過る。あれは今から十年以上も前だった、まだ傭兵になりさほど時が経たないある時、下手を打って戦場に少数で取り残されてしまった。味方は殆どが撤退し、敵に包囲されてしまう。傭兵は正規兵と違い捕虜にされても人質交渉に使えない、奴隷として落とされるか殺されるかだ。


 剣を握った手がこわばって開けなくなるほど必死に戦ったが、敵の包囲は解けるどころか厚くなる逃げることが出来なくなった。殺し過ぎた。降伏しても奴隷ではなく報復でいたぶって命を奪われる運命を悟った。ならば最後の最後まで抵抗してやろうと剣を振るい続けた。


 日没になろうとかした時、思いもよらないことが起こった。取り残された少数の傭兵を救出すために戻って来た部隊があったのだ。


 ――アンゲルス団長とその娘アンジェ、何の得にもならんというのにな。


 剣の柄に置かれている手に力がこもる。包囲を破ってやってきた傭兵団ユースティティア、合流すると逃げろと言ってきた。隣にやって来たアンジェにどうしてと疑問をぶつけた、そうすると「戦友ったら仲間だ、だったら助けるもんだろ!」何ひとつ疑わずにそう返事をされて呆気に取られてものだった。


 その後、それぞれの傭兵団は遠い国で活動することになり、今の今まで出会うことは無かった。だが忘れたことは無かったあの敗北を。名を改めウィクトゥスとして傭兵を続け、のし上がり、勝ち続け、今がある。


「……また出会ったら仲間にしてくれるか、か」


「団長、どうかしましたか?」


 帝国の傭兵が数を減らしていく、端の奴らは背を向けて逃げ出し始めた。ユースティティアは根が生えたかのようにその場を退かない。


「たとえ生き恥を晒しても――」


「団長?」


「全ての者に蔑まれようと、俺が俺であるための道が見えたなら進んでみるのも良いか……」



 丘の下に七つある野戦陣のうち三つが放棄されて、残る傭兵団も二つが撤退を窺っている。退路を塞がれてしまえば大差はないが、あと少しはそこまで手が回らないので、退くならば今が最期の機会。


「アンジェ団長、これが最後の機会です。撤退するならば隣の傭兵団とタイミングをあわせますが」


 実務の取り仕切りは年季が必要だ、それらはベテランが率先して行ってきた。独力では最早無理、共同するならばまだギリギリ出来ると踏んでの進言。


「すまないね、あたしは全て諦められないんだ。夢かもしれないけど、諦めちまったら夢じゃないからね!」


 逃げれば街が略奪にあう、そうなればまた戦災孤児が産まれてしまう。彼女が夢に掲げているのは、そういった怨嗟を断ち切ること。決戦を戦争結果にすることで市民への直接的な被害を無くすのを望んでいた。戦場で殺そうとする者は殺されることを是とする、戦場に出ない者を殺すことをしたくないしさせたくない。とんだ甘い考えだ。


 アンジェがどこかの女王だというなら少しでも目があったかもしれない、現実は残酷で非情。


「ま、それはそれでいいんじゃないですかい。俺達は傭兵だ、好きにやりゃいいんですよ」


 ここまで随分と好き勝手に生きて来た、終わる時だって好きにすればいい。目の前に迫る敵を見詰めて微笑する、まあ悪くない人生だったと。


「傭兵団レーグヌム来ます! その後方には傭兵団グラディウス!」


 聞いたことがある傭兵団、それは単純に勝ち残っていると言う意味であり、強いとほぼほぼイコールだ。王国を冠するレーグヌムが集団で野戦陣に切り込んで来る。何度目かの来襲にこちらも応戦した。その隙に残りの傭兵団が一斉に撤退を決め込んでしまう、一つをいけにえにして逃げるつもりだったのだろう。


「クズ共にはお似合いだよ、あたしらは最後まで時間を稼ぐよ!」


 一切の泣き言を漏らさずに前を向いたまま動じない。そんな団長をみて傭兵らは覚悟を決める。死兵となった者は通常の数倍といえる力を発揮した、心の迷いを吹っ切るとはそんな副次的効果をもたらすらしい。頑強な抵抗を見せるユースティティアに左右の野戦陣を攻めてた傭兵が群がる。


 安全地帯など一切ない、アンジェも剣を振るって戦闘に参加した。女には価値がある、若くて美人ならば売り先があるからだ。


「団長、ここまでと思ったら自決するのも勇気ですぜ。俺は死ぬまで戦いますがね、奴隷なんてまっぴらごめんだ」


 軽口を叩きながら向かって来る若い傭兵を細剣で一突きした。重い武器はもう体力が厳しいということで、戦いのスタイルを変えたのが理由。


「好きにしな、お前の人生だよ」


 自決出来無さそうなら、せめて自分の手で殺してやろうと思っていたが、小さく笑って心配ないと戦いに集中した。周りをみても敵だらけ、ただひたすら剣を振るい、突いて、斬った。時あらぬ喚声が聞こえてくる、どこからかと探したらレーグヌム、つまりは正面からだ。


 何が起こっているか解らなかったが、次第に争いの音が近づいてきて、一人の剣士が傭兵を切り伏せて目の前に立った。兜を脱ぐとどこかで見たことがあるような、無いような。


「傭兵団ユースティティアのアンジェだな」


「ああそうだ、あんたは誰だい」


「覚えているか、『次出会ったらまた仲間だと言ってくれるか』って言葉を」


 真剣な眼差しに過去の記憶を呼び起こす言葉。


「……ソキウス?」


 仲間。彼が最初に名乗っていた通称だ。どうしてこんなところに居るのか、そして誰と戦っているのか。かつてのことが鮮明に蘇って来た。


「傭兵団グラディウスは傭兵団ユースティティアと共同し撤退戦をする。俺を信じてついてきてくれるか?」


 唐突に現れた昔の仲間は今の敵。ところが共に逃げる為に信じろと言う。何がなにやらアンジェはわけがわからない、しかし決める為の時間は最早残されていない。団長はアンジェだ、どれだけ材料が少なくても決断する義務があった。


「仲間なんだろ、あたしらの命くらい預けるよ!」


 敗北者を名乗り続けた彼に転機が訪れる。ついに汚名を返上する機会を得たのだ。


「傭兵団グラディウスはこれより南東を切り拓き、帝国へと向かう。総員進め!」


「ユースティティアは撤退するよ。味方は全て逃げたあたしらが殿だ、堂々と戻るよ!」


 ユースティティア、彼女たちの言葉で正義を意味する。決して信念を曲げず、驕らず、弛まぬ努力を続けて来た結果が今ある。必死の追撃を何とか振り切ると、ようやく部隊は味方の領域にまでやってくることができた。無傷の者など一人もいない。


 最後まで戦場に留まり敵を防いだ傭兵団は、その名に恥じない名声を得た。一方で一大決心で味方したと言うのに、裏切り者として評価がどん底に落ちてしまい傭兵団グラディウスは帝国で身の置き場が無くなってしまう。


 国家から褒章が与えられる、その為要人らが一堂に会することとなり、傭兵団長らもその場に在った。良くも悪くもその場の全員に褒美が与えられたが、グラディウスへはあまりに過小だった。だが誰も何も言わずに式典が終わろうとしていた。


「ウィクトゥス来い!」


 功績大で特に段上に呼ばれていたアンジェが勝手に彼を呼び寄せる。左右を一瞥して制止もなかったので、彼は仕方なく階段を上ると隣に立つ。これ以上この場にいて恥をさらすのもどうかと思ったが、仕方ない。


「なんだ」


 無表情で事務的にそう言葉をかける、だがアンジェの行動は想定外だった。急に抱き着くと唇を重ねて来た。あまりに突然でその場の皆の時が止まる。


「ウィクトゥスはあたしの夫だ、戦場で妻を助けに来て何が悪い!」


 流石のウィクトゥスですら冷静さを欠いてしまった。まばらな拍手が聞こえてきて、そのうち大きな拍手へとなって行った。誰一人知らなかった当人すらもだ、そういうことならばこれは美談にすらなり得る、政治的にも大いに利用すべきだと。


「あたしはね仲間が冷遇されるのが気に入らないのよ。嫌なら断りなさい」


 小声でそういうも、その瞳は断られることなど微塵も考えていないのが見て取れた。


「ったくこの状況でそう言えるほど俺は心臓が強くなくてね。それに、アンジェの事は結構気に入ってるんだ」


 心のままに動いて本当に良かった。もう敗北者の呪縛から解き放たれる、そう感じたソキウスも笑顔がこぼれる。


「大人しく腕に収まってると思わないことね!」


 快活を通り越して豪胆、戦場で生まれた一組の夫婦。二人の物語はこれから始まる。

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