五月雨(さみだれ)

第1話 誘拐犯と五月雨(さみだれ)の恋

私は、五月雨さみだれの季節になると、想いださずにはいられない人がいる。


内緒。

誰にも…内緒…。


それは、私の初恋の物語。




(今年も、もうすぐ5月か…)

街をヒール8センチのパンプスをカツカツ鳴らし、書類をたんまり抱えながら、過行く人、過行く人、全員が振り返る美女が歩いていた。

名の名前は、いずみさつき。



これは、その美女が、まだ高校2年生時の少女のころの話。



高校2年生になって、両親と毎年5月のGWに行っていた、母方の祖父母の実家に、今年は、一人で向かっていた。

都心を離れた長野県の軽井沢は、5月とはいえ、とても涼しかったのを憶えている。新幹線で1時間とちょっと。

ホームに降りると、GWの真っただ中の軽井沢のホームは、人波でごった返していた。

(これが嫌なんだよなぁ…)

さつきは、心の中で愚痴って、歩き始めた。

…と言うより、次々後ろから、ぎゅうぎゅうと背中を押され、力などいらないほどの圧で、人混みから、やっと抜け出した。

そして、母方の祖父が車で迎えに来てくれるのを待っていた。


すると、急に背後から首にナイフを突きつけられた。

「!」

「静かにしろ」

言われなくたって、声なんか出ない。

そのまま、車の助手席に押し込まれ、その車中でガムテープで目と手を自由にならないようにされると、

「ごめん!すぐ着くから!」

「謝るくらいなら、逃がしてください」

さつきは、クラスメイトや先生、もしかしたら両親にも、ただ発揮していなかっただけで、根性と度胸は滅茶苦茶ものすごいポテンシャルを持ち合わせていた。

ここでも、それらは、折れることはなく、誘拐犯がすぐ真横にいるのに、涼やかに助手席でも怖くなどなかった。



更に、今は特別だった。




両親が…する。




さつきは知らされていなかった。

さつきの前では仲睦まじい父と母だったが、さつきの知らない場所で2人は勝手にあーだこーだ言って、『もう戻れない』と、昨日2人でさつきには、何の相談も、何の経緯いきさつも、何の理由も話さず、結果だけをさつきに押し付けたのだ。


そんな事をされて、両親を許せる子供がいるだろうか?さつきは激怒した。

長野に行く前日、

「もういいよ…もうどうでもいいよ…こんなになるまで私に内緒にして…。私をなんだと思てるの!?私の希望や意見はどうでも良いの!?そんなんなら私はいてもいなくても同じじゃない!」


「ごめん、さつき…今回は、今回だけはパパはママを許せなかったんだ」

「何言ってるの!?それじゃ私だけが悪いみたいじゃない!浮気したのはあなたでしょ!?」

「そうかも知れないが、君だって浮気したろう!!」

「最初に浮気したのはあなたよ!私は我慢してきたわ!」


責任と言う罪をねちねちと、擦り付け合う2人に、さつきはキレた。


「うるさい!!!」

お互いを責め合うしか出来ない2人を、思わず何も言えなくなるくらいさつきの声が、家中に響いた。

「浮気なんてどーでもいー!!こんなことになるまで私に何の話もなかった事の方がよっぽど酷い事なんじゃないの!?2人とも知らなかっただろうけど、今まで私に隠してきた事全部知ってたから!パパのスマホもママのスマホも、全部見た!」

「「え!?」」

「さぞ楽しかったんでしょうね。手繋いで、キスして、ベッドでおはよう?」

2人が途端に脂汗を流しだした。

「『忙しい、忙しい』そりゃこんだけ2つの草鞋わらじで24時間365日、何年も何人も…お二人も、お忙しかったでしょうね…サイテーにも程があるよ!!」



そうまくしたてると、さつきは自分の部屋に飛び込んだ。

そして、左手首に目をやった。

そこにあるのは、リストカットの無数の跡だった。

そして、その傷にもう1つ混ぜ込んだ。


(こんなんで死ねたら良いのに…)




そんなことを頭の中で考えながら、とても冷静に車に揺られて、15分ほどすると、車は止まった。

運転席のドアが開閉する音が聴こえた。

すると、間もなく助手席のドアが、開いたらしい。


「私、殺されるんですか?」


「まさか!…まぁ…この時点で、犯罪…2つ犯してますけど…」

「何したんですか?」

「誘拐?と、ストーカー…?」

「ストーカー?」

「4年前新幹線のホームにいる時、すごく可愛いな…って」

「あぁ…じゃあ監禁だ」

「そうじゃないよ!本当に君に頼みたいことがあって…」

「じゃあ…その時言ってくれれば…」

「…ちょっと幼すぎて…」

「あはは!そっか。誘拐犯さんの中にも、ちゃんとしてる人いるんですね。でも、幼いと出来ない頼み事って、なんですか…と言うより、このガムテープ取ってくれませんか?」

「あ!!すっすみません!今取ります!」

「ふふふっこんなおどおどしてる人が、前科2犯の犯罪者とは思えないですね」

「あ…僕、犯罪者ですね」

「気にしないでください。私、行くところ無いんです」

「え?だって4年前はご両親が…」

「離婚するんだって。お互い浮気しまくって、私の事なんて蚊帳の外。そんな人たちの子供に戻るくらいなら、誘拐犯さんと暮らしたいな」

「ごほっほっうっっ!!」

「あはははは!そんなに驚かないでよ。誘拐なんて大それたことした人でしょ?」

「あ…そうでしたね」



車を止めたのは、結構いいマンションの地下駐車場だった。

「ねぇ、目だけ自由にして?」

「あ、すみません!!」

「すごい…地下に駐車場あるくらいいいマンションに住んでるんだ。もしかして、大金持ち?」

「とんでもないです!ちょっと仕事が…ちょっと…まぁ…」

「ねぇ、誘拐犯さん、名前は?なんていうの?私は、泉さつき」

「あ、僕は一応犯罪者なので…名前は…」

「あははははっ!誘拐犯さん面白すぎ!!」

「周りからはつまんないって言われます」

「私は面白い。色んな事に不器用で、ナイフで脅すくらいなら、普通にカフェにでも誘えばよかったのに…」

「でも…ストーカー扱いされるんじゃ…」

「私が彼女だよって言えば良い」

「あ…そうか…」

「ふっ!あはははははは!!じゃあ、誘拐犯さんお部屋連れてって」

「あ、はい」



「へ~」


「…」


「汚いね」


「はい。すみません…」


その部屋には、絵の具やキャンパス、大量の筆が、そこら中に乱雑に散らばっていた。

「絵描きさんなんだ」

「まぁ…」


少し部屋に興味が湧いてきたさつきは、そろそろと部屋に上がり込み、

「あ、こっちの部屋が作業場なんだね」

「あ、はい」

しかし、そこでさつきはものすごいものを見ることになる。


「わー…キレ―…」


恋人と思える2人が、月を背景に、手を繋いでいた。

でも、それだけじゃない。

この2人は、心底愛し合ってるんだろうな…的なものがありとあらゆる雰囲気の中、伝わってくる。


「絵の事なんてまるで解らないけど、キレ―なのは解る。すごいね、誘拐犯さん…」

「あ…の…お願いが…」

「あぁ…私をここに連れて来たって事は何かあるんだろうな…と思ってたけど、聞くの忘れてた」

「あ、あの…僕の絵の、モデルになってくれませんでしょうか!?」

「ん?良いよ」

「そうですよね…良い訳ない…ですよ…ね…?…え」

「だから、良いって」

「本当ですか!?ありがとうございます!!こちらには何日滞在されますか?」

「ん~、永遠に?」

「えぇ!?」

「嘘だよ。本当に面白いね、誘拐犯さんは」

「あ…の…自業自得で申し訳ないんですが、呼び方、変えてもらってい良いですか?“誘拐犯さん”は、さすがに…」

「あぁ、そっか。そうだね、じゃあ、なんて呼べばいい?」

「“お兄ちゃん”でお願いできませんか?」

「お兄ちゃん…うん良いよ完璧な妹を演じてあげるよ!」

「ど、どうも…」

「ふふふ」



その時、両親の事でむしゃくしゃしていたさつきは、誰に何されようとどうでもよかった。駅でナイフを突きつけられたときさえ、『これで終われる…』そう思ったくらいだ。

しかし、お兄ちゃんは、度胸ないくせに、誘拐なんかして、不器用極まりない…とさつきは思っていた。


「ねぇ、お兄ちゃん、雨が降って来たよ!」

「あ、本当だ…」

「奇麗だよね…さつきあめ…ん?なんか他にもあったな。さつきあめの呼び方…ごがつあめじゃなくて…もっとしなやかな呼び方…」

「…さみだれ?」

「そう!それ!なんかいいよね、その呼び方…風情があるって言うか…」

「買い物行きませんか?夜ご飯、何も無いので…」

「うん!」



意気揚々と町へ繰り出した2人。



「お兄ちゃん、車じゃなくて、歩いて行かない?さみだれに打たれながら!」

「いいですね」

2人は傘をさして、並んで歩いて、これでもか!と言うほどさつきの両親への愚痴を、に浴びせていた。


そこに、少し強めの風が吹いた。


「お兄ちゃん!奇麗だね!さみだれ!」

と振り向いたさつきが、風に髪の毛を揺らし、さみだれの細かい丸い水玉が、それが余りに美し過ぎて、は、心を奪われた。


「これだ!!」

「へ?」


と、お兄ちゃんは、いつもより、少し大きな声でそう言い放った。


家に帰ると、お兄ちゃんは、すぐノートを取り出し、風に吹かれたさつきを描き始めた。

憶えているだけ、何とか細部も、瞳も、髪の毛一本一本も…。


そうして、記憶の中のさつきは完成した。


「じゃあ、明日から、モデル、お願いできるかな?」

「いいよ!奇麗に描いてね!」

「もちろん」


そう言うと、2人はご飯を食べ始めた。お兄ちゃん特製のオムライス。

「お兄ちゃん!おいしい!!」

「大袈裟ですよ」

「ううん!ママのオムライスが、ずーっと暫定1位だったの。でも、これは超えたね」

「あはは。ありがとう……怖く…ないの?」

「ん?何が?」

「こんな本当にストーカーだったりするかも知れないし、殺されるかもって…思ったりしないの?」

「…そう…だね…普通なら、怖いんだろうね…。でも、今のあたしに普通は関係ないんだよ。もう…」

「…」



さつきの悲しそうな顔を見て、聞いてはいけなかったかな?と、お兄ちゃんは思った。

それ以降、2人はもぐもぐと、何もなかったかのように、只々オムライスをほおばった。




次の日から、さつきのモデルのお仕事が始まった。


「少し、胸張って。いたずらっ子みたいな瞳でこっち見て。唇は口角あげ過ぎないように」


いつものお兄ちゃんとは思えないほど、今日のお兄ちゃんは、だった。

(ふーん…こんなに普段と画家としてのお兄ちゃんは性格違うんだ…)


少し、さつきは驚いた。


そして、3日が過ぎた。

随分気が合ったのだろう。

誘拐されて、このマンションに連れてこられて、でも怖いなんて思いもしなくて、本当に、このまま妹になりたかった。


けれど…。



「あぁあ…夏休みとか、いーっぱい時間があればなー…もっとお兄ちゃんと一緒に居られたのに…もう…帰らなきゃね…」

「うん。そうですね」

「あの絵はまだ出来上がらないの?」

「あれは油絵ですから、少し、時間がかかります。でも、きっと完成品をさつきさんも見ていただけると思います」

「そうなの?また、会えるって事?」

「はい。この絵と一緒に…」

「そっか。期待しないで待ってるよ」

「あはは。すみません。説得力の無い約束で…」

「ううん。信じてるよ…お兄ちゃん」


最後までモデルを続けられなかった事だけが、さつきの心残りだった。


そして、最後の日、1番遅い新幹線に乗る事にしたさつきは、駅についても、車から降りるタイミングが解らず、只、ぼーっと駅のホームを見つめていた。



「さつきさん?そろそろですよ?」

「うん…」

そう言うと、2人は車から降りた。

すると…ポタ…ポタ…と雨が降り出した。


「さみだれだ!」

さつきはさみだれに打たれ、その雫に隠れて、泣いた…。

「お兄ちゃん…」

優吾ゆうご西塚にしづか優吾です。僕の名前」

「優吾さん…。私を…もっと遠くへ連れて行ってください…。さみだれが止む前に…」




優吾は、そっとさつきを抱きしめて、




キスをした…。




そして、さみだれの恋は終わった―…。



新幹線を降りて、家に着くと、

「さつき!!」

今度は両親がさつきを抱きしめた。

「どこ行ってたの?おじいちゃんから駅の入り口でずっと待ってたけど、全然来ないって電話があって…」

「…ごめんなさい…ちょっと訳があって…」

「訳って?」

「ごめん。言えない」

「…解ったわ…でも、これで最後よ?こんな風に人に心配かけるのは」

「はい…。とりあえず…疲れたから寝て良い?」

「えぇ…」



窓の外に映る自分の顔。

そこに見える五月雨さみだれ…。


「優吾…さん…」

名前を口にしただけで、涙が止まらない。






その数年後、美人で、仕事が出来て、冗談も言えて、時には、後輩をたしなめるのが得意で…。


そんな、忙しい日常を過ごしていたさつきは、街のウインドーで、あの絵に出逢った。


それは、お兄ちゃん…いや、『ストーカーの誘拐犯さん』の絵だった。

もう滅多に泣くなんてことのなくなった大人なのに、こんな街中で、ポロポロ涙を流している。


「優吾さん…すごい画家さんだったんだね…。なんか、えらいフランクに振舞ってたけど、こんな素敵な絵を描く人だったんだ…」


すると、サー…と雨が降ってきた。


五月雨さみだれだ…」



この時、やっと、『五月雨さみだれの恋』が終わった。





これは、内緒。


誘拐犯さんとの5日間のほんの一瞬の恋。



内緒…。

この恋は…誰にも言わない。


五月雨さみだれの恋…。

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五月雨(さみだれ) @m-amiya

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