エピローグ もう一度、魔女に恋してみませんか?




 「はぁ~、緊張しましたっ!」


 文化祭の1日目を終えて、部室に戻って衣装からすっかり乾いた制服に着替え直したわたしは、その場でぐいーっと伸びをする。

 マジックショーの本番の後も、なし崩し的にあの衣装のまま接客に回ることになってしまっていた。恥ずかしい気持ちもあったけど……それ以上に衣装も演技も好評だったのは良かった。


 「おつかれさま。ショーもおかげさまで大成功だったね」

 「はいっ! 大した失敗もなくできて、安心しました」


 わたしが着替え終わるのを待っていた先輩は、入ってくると同時に労いの言葉を掛けてくれた。わたしは褒められたことに調子に乗って、得意げに胸を張ってみせる。


 「……たしか、大事なトリックをひとつ、すっぽかしてたような?」

 「先輩が上手くフォローして、良い感じで収めてくれたからいいんです! おかげで助かりました。やっぱり先輩は頼りになります」


 今回のマジックショーは得意なカードマジックの他にも、ペンやコインを消すマジック、果ては帽子から花を出すような王道のものまで、多種多様な“魔法”を披露した。

 ひとつミスして、コインをキャッチし損ねて落としたことがあったのだけど……それを拾った先輩が、即興でコインを消すマジックを披露して見せたことで、わたしのミスは「繋ぎの演出」みたいな感じになって誤魔化すことができた。


 「アドリブもスムーズでしたし、まさかわたしが失敗するのも折り込み済みだったんですか?」

 「いやまあ、万が一失敗した時のフォローの仕方を考えてたのは確かだけど、本当に実践する機会があるとはね。上手くいってよかった」


 やっぱりあのマジックも、“あの人”から教わったものなんだろうか? 少しだけ、胸の奥がキュッと軋む。

 ダメだなぁ。先輩にとってあの人が特別なのは分かっているはずなのに。

 そんなわたしの気持ちを察してか、先輩が自然な流れでわたしの頭を撫でた。


 「これも、佳実が堂々と立派に演技をしてたからこそ出来たこと。ありがとうな」


 そう言われてしまうと、わたしはもう何も言えなくなる。


 「……やっぱり先輩はズルいです」


 確実に、わたしの気持ちを分かった上で手玉に取られている。女の子慣れしている……というよりは、きっとあの人と過ごした時間の中で先輩が培ってきたものなのだろう。

 できればわたしは───そこに並びたい。そして、出来ることならば上回りたい。今度はわたしが、先輩をドキドキさせたい。




 「あ……」


 先を行かれてばかりなのがしゃくでそっぽを向いた先に、さっき差してもらった折り畳み傘があった。


 「あの傘……」

 「思えば、あの傘が全ての始まりだったんだね」


 先輩は感慨深そうにそう呟く。けれど……


 「……いえ。それは、違うんです」

 「え……?」


 不思議そうに先輩が首を傾げる。

 そうだ、言わなきゃ。今こそ、先輩に全てを打ち明けないと。わたしの想いを、わたしが今まで先輩にもらった気持ちを、全部。




 「───アオイ先輩」


 わたしは背筋を伸ばして先輩を見つめる。

 ショーは無事終わったけれど……わたしにとっての“本番”は、むしろここから。


 「約束通り、わたしの気持ちを聞いてもらってもいいですか?」


 お父さんとここで話をする前に、先輩と約束したこと。ショーの本番が終わったら、わたしの、先輩に対する想いを全部伝える。先輩と再会した1か月前、先輩と初めて出会った2年前から。ううん、それよりも“さらに前”から、わたしが先輩に抱いていた想いのすべてを。

 心臓がバクバク言っている。胸が張り裂けそうで、頭がお湯が沸いたように沸騰してる。何から言ったらいいのか……前もって考えていた言葉は全てどこかに消え去っていた。わたしは今、たぶん人生で一番、もう何もまともに考えることができないくらいに緊張してる。


 「……ああ。聞かせてもらうよ。俺も、佳実のことをもっと知りたいから」


 緊張しまくりのわたしを見かねたように、先輩はわたしを窓際に誘う。窓枠に手を添え、一緒になって空を見る。雨の上がった空は、優しく包み込むような明るい黄金色をしていた。

 その空を見ていた先輩が、促すようにチラリとわたしを見る。


 「聞かせてくれる?」

 「先輩……」


 ああ、やっぱりわたしは、この人のことが───

 だったら、今わたしが一番に伝えるべきことは。




 「───先輩。……その、もうとっくにバレちゃってると思いますけど……わたしは先輩のことが好きです。初めて会った時から、先輩が傘を差してくれたあの日から、わたしはずっとあなたのことが好きでした」


 伝えたいことはたくさんある。だけど、たったひと言だけを選ぶのなら、聞いてほしい言葉はただひとつ。わたしはずっとただひと言、先輩に「好き」って伝えたかった。お母さんの足跡を辿ってこの学校に来たというのも、結局はただの言い訳。ただもう一度先輩と会うためだけに、わたしはこの街に、この学校に、先輩の目の前にやって来たんだ。


 「佳実」


 先輩は微笑んだ顔のままわたしを呼んで、他には何も喋らない。ただ黙って、わたしの告白を聞いていた。


 「えっと、色々言いたいことはたくさんあるんですけど……言葉が出てこなくて」

 「ああ。ゆっくり待ってるから、聞かせて。佳実の気持ち、嬉しいよ」


 先輩はニコッと優しく笑って、またわたしの頭を撫でる。

 わたしはやっと安心して、肩の力が抜けるのを感じた。拒まれることなく、受け入れてくれているのが伝わる優しい手に、いつまでも甘えていたいと思った。



 わたしはもう緊張することなく、もう一度自分を奮い立たせる。


 「タネ明かしをするとですね……わたし、最初から先輩がこの学校にいることを知ってたんです。それで、絶対にもう一度先輩に会いたくて、この学校に転入したんです」

 「え?」


 先輩が目を丸くする。

 わたしには、先輩に秘密にしていたことがある。

 その秘密を告白した時、どう思われるか。今まではそれが怖くて言い出せなかったけれど……今は、手品のタネ明かしをする時みたいにちょっぴりワクワクもしている。

 先輩の心底驚いたような顔が、たまらなく愛おしかった。


 「で家族を亡くした人の、家族会みたいなネットワークがあるんです。大切な人との思い出を語り合って、支え合い、慰め合うっていう。わたしはそこで、ひなたさんのご両親とお会いしたことがあるんです」

 「……」

 「高校生になることなく、人生を終えたひなたさん。そんなあの人の残された最後の時間に出会い、そっと寄り添ってくれた恋人がいた。その話を聞いた時、ああ、なんて優しい素敵な人なんだろうって思いました。悩んで傷ついて、苦しむことは分かってるのに、それでもひなたさんの隣を選んだ。本当に強い、勇気ある人だと思いました」


 わたしは、尊敬するただひとりの先輩をまっすぐ見つめて言った。

 お母さんをうしなって途方に暮れていた時。そんな優しい人の話を聞いて、心が芯から慰められるような心地がしたのだ。



 わたしは、“魔女”は人を不幸にすると思っていた。わたしは学校でいじめを受け、お母さんは病気で亡くなり、お父さんはわたしのせいで前に進めず……

 そんなわたしたちでも、悲しくてつらい時に、寄り添ってくれる人がいるかもしれない。苦しくても隣にいて、手を差し伸べてくれる人がいるかもしれないと。

 その人に、会ってみたいと思った。


 「それからわたしも色々あって……何もかもが嫌になって、最後の最後に、すがるような気持ちでお母さんとの思い出の公園に行ったんです。そしたら───」


 ───その公園に、あなたがいた。

 あの時の胸の高鳴りを、わたしは一生忘れないだろう。


 「先輩の話を聞いて……間違いなくひなたさんの恋人のあの人だって気づいた時のわたしの気持ち、分かってもらえますか……? ひなたさんのことも、わたしの“魔女”のことも、全部が大切だと先輩が言ってくれたあの時、わたしはもうっ、もうっ……!」


 あの時の気持ちを思い出して、涙があふれる。

 運命というものは確かにあるのだと、あの時悟った。全てを投げ出して、家からもおばあちゃんの家に行くことからも逃げ出そうと思った最後の瞬間、神様はわたしを運命の相手と出会わせてくれた。先輩の言葉を聞いているうちに、寂しさとか不幸とか、消えてしまいたいような気持ちが全て噓みたいに溶け消えていった。

 涙を浮かべるわたしを見て先輩は、小さく「ようやく納得したよ」と呟いた。


 「あの時の佳実は、だからあんな風に……。初対面の相手にああやって自分のことばかり話して、馬鹿みたいだと我ながら呆れてたんだけど」

 「馬鹿みたいなんかじゃありません。あの時の先輩は、最高にカッコよかったです。今日、迎えに来てくれた時もカッコよかったですけど。あんな風に手を引いてくれて……やっぱり先輩は、わたしにとってただ一人の、最高の先輩です」


 雨の中から連れ出された時のことを思い出して、再び先輩の手を取る。

 ずっと触れたかった憧れの人の手に、わたしはようやく追いついたんだ。




 「あの日、先輩の連絡先とかを何も聞かなかったこと、めちゃくちゃ後悔してました」

 「意外と人見知りだもんね。無理もない」

 「むう……これでも、あれ以来人見知りも直そうと頑張ってきたんですよ?」


 元々初対面の人と話すのは得意じゃなかった上に人間関係でも色々あったから、どうしても苦手意識はなかなか消えてくれない。それなのに先輩に対してグイグイ行けていたのは……憧れの先輩を目の前にして、テンションがおかしかったとしか言えない。


 「それでも、あの傘が手元にありましたから。あのネームプレートを見て先輩の名前が分かって……すぐにひなたさんのご両親に聞いてみました。ひなたさんの恋人は、三柳アオイさんだったんじゃないかって。びっくりされてましたね」

 「そりゃまあそうだろう。しかし、あの人たちとはしばらく連絡を取ってなかったけど、そんなことがあったのなら話してくれててもよかったのに」

 「あの時はまだ、先輩とわたしはほとんど赤の他人でしたから……わたしに先輩のことを教えるのも迷ってたみたいですし。当たり前ですけど……」


 それでも、藁にもすがるような思いだったわたしの雰囲気と……ひなたさんのご両親も、先輩のことを心配していたから。

 下手に連絡を取ったら、辛いことを思い出させることになるかもしれない。でも、ひなたさんを喪って先輩が思い詰めているかもしれない。そんな葛藤の末に、あの人たちはわたしに託してくれた。

 わたしに先輩が1ことを教え、この学校に入学したという報せを受けるとわたしにも伝えてくれた。それを聞いてわたしはこの街へ先輩を探しに来たこともあった。調布駅の近くに住んでいると聞いていたから───結局あれはウソだったけど。この学校の入学説明会にも来たし、なんなら受験もした。塞ぎ込んでいた頃のことが足を引っ張って、不合格になってしまったけれど……


 「一度は落ちましたけど、結局はこっちに転校して来られました。前の学校でも色々あって、トドメにお父さんとこずえさんに新しく子供ができたことにヘソを曲げちゃったこともあって……」

 「波乱万丈すぎるね、佳実も」

 「あはは……」


 先輩と一緒に笑う。こんな風に、自分のことを無邪気に笑い飛ばせる日が来るなんて思ってもみなかった。


 「そうしてこっちに引っ越してきて、先輩と再会して。嬉しかったし、楽しかったけど……やっぱりダメですね、わたし。先輩が今もひなたさんのことを好きなのは分かってましたし、そのことを素敵だなぁと思ってるのも本当なんです。それでも……ひなたさんに嫉妬してました。わたしにも先輩の隣にいさせてほしいのにって」

 「……そうだね。きっとそうだと……思ってたよ」

 「先輩を振り向かせるためなら、スズちゃんとだって共同戦線を張る覚悟でした」

 「それで、やたらと俺とスズのことを煽ってたのか……」

 「はい。……結局、背中を押されちゃいましたけど」


 1日目の片付けが終わった後、明日に備えて真っ直ぐ帰りにつくみんなとは別に、先輩とわたしを二人だけでこの部室に行かせてくれたのはスズちゃんだった。「アオのこと、よろしくね」って、少しだけ羨ましそうで、それでも心から応援してくれているのが分かる、やわらかな笑顔で言いながら。

 わたしはスズちゃんに、先輩を託されたんだと思う。家族としても異性としても、スズちゃんが先輩のことを大好きなのは痛いほどよく知っている。だからわたしは、ちゃんと先輩を幸せにしないといけないんだ。

 だって、わたしは───




 「───先輩」

 「うん?」

 「わたしは、“魔女”です」

 「……うん、知ってる」

 「“魔女”は人を幸せにするんです」

 「そうだね。」

 「わたしはまだ、ひなたさんには勝てません。先輩がひなたさんのことを好きなのも分かってます。それでも、わたしは諦めません。いつか必ず追いついて……先輩にとっての一番になってみせます! だから───」


 わたしはまっすぐ、先輩の目を見て言った。


 「───好きです、アオイ先輩。わたしと……お付き合いしてください」


 先輩の手を胸元に抱き寄せ、万感の想いを込めて、祈るように頭を下げた。



 長い沈黙がわたしたちの間に流れた。

 先輩の手がわたしの手から離れ、わたしは不安に押しつぶされそうになりながら先輩を見上げる。


 「佳実」

 「はっ、はいっ!」


 先輩に名前を呼ばれて、過去最高にドキドキしながら先輩を見つめる。

 先輩は真剣な眼差しでわたしを見て、答えた。




 「───ありがとう、佳実。勇気を出して告白してくれて」


 先輩の口から最初に出たのは、感謝の言葉だった。


 「君が言ったとおり、俺はまだひなたのことを想ってる。あの子のために……他の誰とも付き合わない。そう、思ってた」

 「……っ……」


 二度目に先輩と一緒に帰った時、わたしは一度、遠回しにお付き合いはできないと断られている。あの頃はわたしも、ただ何となくそんな風になれたらいいなと漠然と思っていただけだったけれど……

 今度もまた、ダメだった、のかな。

 泣きそうになるわたしの頬を突然、先輩の手がそっと撫でた。


 「ごめん、泣かないで。前までは、そうだった。でも今は違うんだ」

 「え……?」

 「佳実が勇気を出して追いかけてきてくれて……この1か月一緒にいて、思ったことがある。君は“魔女”だ。ひなたと同じ。そして俺には“魔女”が必要なんだ。あの子は決して理想の人間でも、聖人でもない。ただ一生懸命に生きて、俺のことを知ろうとしてくれた……一緒に幸せになろうとしてくれた女の子だったんだ。俺もあの子のことを知りたいと思ったし、一緒に世界の色々なことを知りたいと思ったんだよ」


 先輩の言葉にハッとする。お母さんは───わたしの師匠せんせいである“魔女”は物知りな人だった。お母さんは好奇心が強く、いつもキラキラした目で世界を見ていた。そうやって世界のことを、相手のことを知ろうとして、みんなを輝かせることのできる人が───自分も他人も、みんなを幸せにする“魔女”なんだ。


 「俺は、佳実のことをもっと知りたい。佳実と一緒に、いろんなものを見ていきたい。俺はひなたのことを忘れることはできない。でも、俺には佳実が必要なんだ。だから」


 今度は先輩が背筋を正す。


 「俺からも───お願いします。白石佳実さん。俺の彼女になってください」




 先輩が深々と頭を下げる。

 ───本当に? 本当に先輩が、わたしに告白してくれたの?


 「こういうのは普通、男の方から言い出すものだっていう気がするし、情けなくはあるんだけど……」

 「……──────っ!!!」


 わたしはたまらず、先輩の胸に飛び込んだ。


 「……先輩っ! せんぱいっ、せんぱいっ!! いいんですね? わたし、本当に先輩の彼女になっていいんですねっ!?」

 「ああ。なってくれると嬉しい」

 「なりますっ……! もう絶対に離しません!! せんぱい、せんぱいっ、せんぱいっ……うわああぁん」


 わたしは先輩に抱きついたまま、わんわん泣いた。

 夢じゃないよね? ホントのホントに、先輩と付き合えるんだよね?


 「夢じゃないよ。ありがとう佳実。付き合ってくれて嬉しい」

 「先輩っ……大好きですっ……!」


 今日何度目か分からないくらい、先輩に頭を撫でられる。

 そこでやっと実感が沸いて、身体の底から喜びがこみ上げてきた。




 「先輩っ、せんぱい……っ……!」

 「っ、かさね……っ!?」


 わたしは思わず先輩の唇を奪う。触れ合った唇の感覚が、わたしの感情をいくらでも際限なく高ぶらせていく。

 先輩は一瞬驚いた様子を見せたけれど、やがて優しくわたしの肩を抱くと、愛おしそうに背中を撫でてくれた。


 「……っは……っ……せ、せんぱい……」

 「……情熱的だね、佳実」

 「だ、だってっ……」


 顔を離すと、一気に恥ずかしくなった。先輩とキスしてしまったことに、顔が燃えるように熱くなる。先輩のことになるとわたしはタガが外れてしまうみたいだ。

 対する先輩の方は、少しだけ頬を染めながらもまだまだ全然余裕がある様子。少し納得がいかない。


 「……ひなたさんと経験があるから平気ってことですか。そうですか」

 「ははは、どうかな。秘密だよ」

 「むうう……!」


 やっぱりまだまだ、わたしはあの人には勝てないみたいだ。


 「わたしだけドキドキしてるのは納得いかないです」

 「ドキドキならしてるよ。たぶん佳実が想像してる以上に」

 「そうですか? そうは見えません。わたしだけこんなに好きなのって、不公平です!」


 わたしは頬を膨らませる。

 いつか先輩にも、こんな風にわたしに夢中になってほしい。


 「まあ、そうだね。佳実の想いの強さは思い知ったから。でも、たしかに俺はまだひなたのことが好きかもしれないけど、佳実のことだって───」

 「───ダメです。そこから先はまだ言っちゃダメ! 先輩がわたしのことを大事に思ってくれてるのは分かりましたけど、まだわたしみたいに、先輩のことを考えたらいてもたってもいられなくなるくらいじゃないのは明らかです! そんなの、彼女としては認められません! だから先輩は、わたしのことをちゃんと好きになるまで……少なくとも、ひなたさんと同じくらいに想ってくれるまでは、軽率に『好き』とか言うのは禁止です!」

 「言いたいことは分からなくもないけど……付き合いたての彼氏に対して、当たりが強すぎやしないかい?」

 「いいんです。すぐに、先輩の一番になって見せますから!」


 先輩とお付き合いできると決まれば、もうわたしは無敵だった。自分でも不思議なくらい自信が湧いてくる。

 彼女にさえなってしまえたら、それ以上は無理に急ぐことはない。少しずつ、わたしのことも好きになってもらったらいいんだって。

 ……これ以上、ドキドキさせるようなことを言われたら、心臓がもたないからって理由もあるけど。


 「意外に負けず嫌いなんだから、この子は」

 「そう、わたしは負けず嫌いなんです。スズちゃんにも菜夏先生にも、ひなたさんにだって負けないんですから!」

 「って、なんで菜夏先生?」

 「だって、初めてこの部室に来たとき、先輩言ってましたから。『可愛くて距離感も近くて、話してたら割とグラつく』って!」

 「聞いてたのか……。あれは、一般論というかものの例えで……」

 「いーえっ、ちょっとでも先輩をときめかせる相手は敵です! ライバルです! 絶対に、ぜったいに負けませんっ!!」


 これからはわたしが先輩の彼女。わたしだけが先輩をときめかせる資格があるし、誰にもその座は譲らない。いつかはひなたさんにだって、負けないんだから。

 ちょっと重いかもしれないけど……付き合いたてなんだから、これくらいの嫉妬はしてもいいよね?


 「……まあいいや。だったら俺だって、佳実を離す気なんてないからな。これからもっと好きになってもらえるように、頑張るよ」

 「そっ、それは……手加減してください……」


 まさかの反撃に、わたしの鼓動が跳ねる。

 今日は何回先輩にときめかされるんだろう。これ以上先輩を好きになったら、もう色々と止められない気がする。


 「大丈夫だよ。むしろ、これから情けないところもたくさん見せると思う。ガッカリさせてしまうかもしれないけど……愛想を尽かさないでくれると嬉しい」

 「大丈夫です! これからも絶対、先輩のことは嫌いになったりしないって分かるんです。あの日のこと、今日のこと。わたしは絶対に忘れないと思いますから」


 わたしは先輩に救われた。あの日があるから今のわたしがあって、今日があるからわたしは先輩と一緒にいられる。これから先輩とはケンカすることだってあるかもしれないけれど、先輩との思い出はわたしを形づくる根幹だ。わたしは一生、先輩の側を離れないだろう。




 「……先輩。ちょっとだけ、かがんでもらってもいいですか?」

 「うん?」


 先輩が首を傾げながら、わたしと同じ高さまで顔を下げる。

 この身長差も……もうちょっとくらい、改善したいなぁ。


 「───先輩。いいこ、いいこ」


 わたしは先輩の頭を抱いて、やさしく頭を撫でた。


 「佳実……!?」

 「先輩。わたしは絶対に先輩の側からいなくなったりしません。健康にも気を付けますし、事故なんかにも遭わないように全力で注意します。だから、安心して?」

 「あ……」


 さっきから、先輩にしては弱気な物言いが気になっていた。

 きっと先輩は、ひなたさんがいなくなった時のことが忘れられないんだと思う。病気で亡くなったひなたさん。事故で歩けなくなったスズちゃん。そんな人たちと寄り添ってきて、先輩はずっと不安な気持ちを一人で抱えてきたんだろう。

 わたしには先輩がいた。だけど、先輩はひなたさんのことをスズちゃんにも話していなかった。ひなたさんの両親ともほとんど会っていなかったのなら、先輩は本当に、今までずっとひとりぼっちだったんだろう。これからはわたしが、決して先輩をひとりぼっちにはさせない。それが───彼女としての、役割だろうから。


 「……佳実……」


 先輩は、ただ戸惑ったような表情でわたしを見つめる。


 「たぶん、なんですけど。きっと先輩って、他の人にしてもらったことを、他の人にも同じようにしてるんじゃないかって思うんです。先輩はいつも優しくてまっすぐに接してくれますけど、それはひなたさんが先輩に対してそうだったからなんだって。その、今日なんて何度も何度も自然に頭を撫でてきますし……それって先輩自身がひなたさんからそうされてたからなのかなって思って。……違ってました?」


 先輩は目を丸くしてわたしを見ていたが、やがて顔を赤くしてそっぽを向くと、ぶっきらぼうに言った。


 「……さあ、どうだろ?」


 明後日の方向に目を泳がせながら頬をかくアオイ先輩。その横顔を、可愛いと思った。



 ───やっと。今、はじめて先輩の隣に立てた気がする。ずっと追いかけ続けたこの背中に、ようやく追いついて並ぶことができた。


 「はぁ、かなわないな。いつの間にこんなに頼もしく、手強くなったんだか」

 「ふふっ。これでもわたし、先輩の彼女ですから♪」


 これからはこの人と一緒に、互いに支え合って歩いていくんだ。


 「ああ、これからよろしく。……この分だと気持ちを伝えられるようになるのも、そう遠くない気がするよ」

 「っ……!? そ、それってっ……!」

 「さあて、どういう意味だろうね? ……ゆっくり、楽しみにしてて。俺の彼女さん」


 先輩はイタズラっぽく片目をつぶってわたしの眉間を人差し指で突っつく。

 やられた。今度は私が赤くなって俯く番だった。まだ好きって言われたわけじゃないのに、これじゃあ……わたしは一生、先輩に勝てる気がしない。

 本当、かなわないなぁ。




 「さ、帰ろうか」


 部室から出て、帰路に就こうとする先輩。先輩はそこでふと振り返り───わたしに手を差し出した。


 「あ……」

 「恋人だから、ね。スズに見せつけたくはないから、途中までだけど……どうかな?」


 手を繋ぐ。恋人としてはごく当たり前のことなのかもしれないけれど……

 今日は手も引いてもらったし、なんなら腕を組んで歩くこともした。それでも、正式に“お付き合い”してからのそれは、今までとはまるで意味の違う全く別の行為のように思えた。

 わたしは先輩と手を繋ぎ、歩き出す。




 「ね、先輩」

 「うん?」

 「先輩に好きになってもらえるように、これからも頑張りますね。だから───」


 わたしは大好きな先輩へ向けて、こう言った。






 「先輩。もう一度、魔女に恋してみませんか?」


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先輩。もう一度、魔女に恋してみませんか? 室太刀 @tambour

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