第31話 父と娘




 「お邪魔します」


 丁寧なお辞儀とともに、佳実のお父さんがゆっくりと天文部の部室に足を踏み入れた。


 「……ここが、樹里のいた……」

 「そうか、奥さんもこの天文部の卒業生でしたね」

 「ええ。感慨深いです」


 お父さんは愛おしむように部屋の隅々を見回した。亡くなった奥さんの思い出の場所。思うことは色々あるのだろう。




 「……お父さん」

 「佳実」

 「その……さっきはごめんなさい」


 お父さんと対面した佳実は、まず最初に謝った。やはりこの子は、基本的に良い子なのだ。他に類を見ないほどに。


 「お父さんと先輩が話してるのを見て、なんだかどうしようもなく不安になって。お父さんとお母さんと……こずえさん───新しいお母さんのこととか。いろんなことで頭がいっぱいになって、あんな風に言っちゃったの。本当にごめんなさい」

 「いや……いいんだよ。しっかりと佳実に理解してもらえないままに結婚してしまった僕たちが悪かったんだから」

 「ううん。わたしはあの人のこともキライじゃない。ちゃんとわたしのことにも気を遣ってくれてるし、お母さんのことを話しても嫌な顔ひとつしないで聞いてくれて……」

 「樹里は、梢さんにとっても親友だったからね。僕たちは同級生だったんだ。僕は樹里と結婚したけど、二人の交友は続いていて……」

 「お母さんが亡くなったあと、お互いを支え合ってきたんだよね。今ならわかる。きっと、あの人もお父さんのことが好きだったんだって。たぶんお父さんとお母さんがお付き合いする前から、ずっと」


 思いを巡らせるように、佳実は優しい表情をして言った。

 この人たちの姿が、アオイたちの姿に重なって見える。アオイとひなたと、そして佳実と。


 「さっき先輩と話してて、気付いたの。わたし、お父さんがお母さんを忘れたんじゃないかって怒ってたわけじゃないの。むしろ、その逆……。なんでお母さんやわたしのことばかり気にして、あの人のことをもっと大事にしないんだって思ってたんだよ、わたしは」

 「佳実……」

 「だって、今の奥さんはあの人なのに! 10年以上前からずっと好きだった人とようやく結ばれたのに、ちゃんと自分のことを見てくれないなんて悲しすぎるもん。本当だったらちゃんと結婚式もして、新婚旅行だって行きたいかもしれない。わたしにだって、ちゃんとお祝いしてもらいたかったに決まってるよ」


 そうか。

 この子はお父さんや新しいお母さんに、ずっと引け目を感じていたのか。自分のせいで前に進んでいくことができない人たちの背中を押すために、過去に囚われている自分をなんとかしたいと思っていたのか。だからこそ、同じ気持ちを抱えているアオイのことを探し続けていた。大切な人を喪った痛みを乗り越えて、大切な人たちを祝福できる強さを持てることを確かめたかったから。そして今なお立ち止まり続けるアオイを見て、その想いが揺らいでしまった。

 あのとき、本当に叱責されていたのは、この人ではなく───

 アオイは左手のブレスレットの飾り玉───ひなたの形見を握りしめる。




 「お父さん。結婚おめでとう。素敵な人と一緒になれて、よかった。それと……わたしのために、たくさんのことを我慢してくれて、ありがとう。……大好き」

 「佳実っ……」


 父親と娘が抱きしめ合う。お互いのことを想いながら、不幸なすれ違いを続けていた親子。そんな二人のわだかまりが今、ようやく解けたのだろう。

 なんて良い子なんだろう。お母さんを喪い、孤独に苦しみ、それでも家族のために勇気を振り絞り、涙を流せる少女。それはまさしく、自分も他人も、みんなを幸せにすることができる、“魔女”───


 「本当に……本当に、立派な子に育ってくれたよ。さすがはお母さんの娘だ。僕たちの自慢の……何よりも大切な宝物だよ」

 「えへへ……。ねえお父さん? ようくんって、どんな子なの?」

 「ああ。よく泣いては僕らを困らせるやんちゃな子だよ。佳実は小さい頃から大人しい子だったからね。梢さんと二人で、四苦八苦しながら頑張ってるよ」


 そう言ってお父さんはスマホの写真フォルダを開いてみせる。そこには、佳実の弟───赤ん坊の葉くんの写真がたくさん写っていた。


 「……可愛い」


 まるで母親のように微笑む、年の離れた姉。

 家族とは、こんなにも眩しいものなんだ。




 「ね、お父さん。わたしね、好きな人がいるの。お母さんがいなくなってから、ずっとわたしの心の支えになってくれた大切な人。その人も大切な恋人を亡くして、それでも前に進もうと頑張ってる。わたしはまだ、その人の隣には立てないけれど……いつかわたしもその人と一緒に歩けるように、頑張る。だから、応援して?」

 「ああ……佳実も、素敵な人を見つけたんだね」

 「うん。何よりも大切な、わたしの宝物だよ」


 目の前で交わされる会話に、アオイは居たたまれない気持ちになる。その“誰か”とは誰のことか、目で見るよりも明らかだからだ。

 気が付くと、佳実とお父さんが揃ってこちらを見ていた。


 「えっと、その……」

 「先輩。アオイ先輩」


 佳実に呼ばれて、自然と背筋が伸びる。


 「その、アオイさん」

 「……三柳みやなぎアオイです。娘さんとは部活で親しくさせてもらっています」

 「ええ。白石しらいし隼人はやとと申します。娘を支えていただき、本当に、本当にありがとうございました。どうかこれからも、娘をよろしくお願いします」

 「え、ええっと……こちらこそ、よろしくお願いします?」


 アオイは焦っていた。まさか、付き合ってもいない後輩のお父さんに、こんな挨拶をする羽目になるとは。


 「じゃあ、お父さん。わたしは、このあとショーがあるから……」

 「うん。頑張って」

 「見に来てくれる?」

 「もちろん。録って梢さんと葉にも見せてあげるよ」

 「そ、それは恥ずかしいけど……頑張る!」


 佳実は握りこぶしを作って力強く頷いた。



 部屋を辞した佳実のお父さんを見送りながら、呟く。


 「本当にすごいね、君は」

 「……何がですか?」


 本当に分からないといった様子で、きょとんと首を傾げる佳実。


 「お父さんを想い、お母さんを想い、新しい家族を想いながら、誰よりもまっすぐ生きている。そのやさしさで、みんなを幸せにする“魔女”。ひなたを失ってから、二度と会えないと思っていた存在に……こうしてまた、会えるなんてね」

 「……っ!?」


 相好を崩し、佳実の頭を撫でる。打算も意図も何もなく、ただそうしたいと思ったから、彼女の髪を優しく梳いた。


 「~~~~~~っ!! ほっ、本番はこれからなんですから、緊張させないでくださいっ!!」

 「本番前だからこそ、全力で緊張しておくんだろう?」

 「う~~~っ、先輩イジワルです!!」

 「はははっ、意地悪な先輩はキライかい?」

 「それはっ、その……先輩のバカぁっ!!!」


 怒った佳実にポカポカと叩かれる。

 本当に楽しい。こんなやり取りを、これからもずっと続けていけるのなら。

 アオイは心の中にひとつ、新しい誓いを立てた。




 「さあ、行こうか。魔女装束も併せた衣装合わせもしないといけないし、みんな待ってるよ」

 「もう……。この格好で歩くの、恥ずかしいんですから。くっついて歩いてもいいですか?」

 「仕方ないな。本番前だから、特別にエスコートしてやる。行くよ」


 佳実に腕を絡められながら、部室を後にする。

 頬が熱くなるのを感じながら、アオイたちは天文部の面々が待つ教室までの道を急いだ。


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