第30話 リハーサル
「……お父さん、ショーが始まる前に一度ここに来るって言ってます」
白石さんのスマホの通知音が鳴り、彼女のお父さんからのメッセージが来た。どうやらあの人も、娘の本番前に禍根を残しておきたくはないと思っているみたいだ。
「でも、いいんでしょうか。学校の関係者でもないのに、
「部員の家族なら、ギリギリ関係者なんじゃないかな。それに、他に落ち着いて話せる場所なんてないだろう。もし後で何かあったら、適当に煙に巻いておくよ」
「え……大丈夫なんですか?」
「大丈夫。菜夏先生とアキオ先輩が許可したって言って、責任は全部押し付けておくから」
「あはは……容赦ないですね、先輩」
「この文化祭が終われば俺が部長になるわけだから。頼れるうちに頼っておこうかと思ってね」
いけしゃあしゃあと言ってのけるアオイの様子に、白石さんはつい笑みを零した。
ケンカしたお父さんとの話し合い。やはり不安は残っているようだが、少しは気が楽になってくれたようで良かった。どこかギクシャクした親子の関係を、少しでも改善できれば良いのだけれど……
「というか、わたしの制服、本番までに乾きませんよね……どうしよう」
雨に濡れてびしょ濡れになった白石さんの制服は、電気ストーブに当たっているくらいでは到底乾きそうになかった。そろそろ着替えてもらわないと風邪を引いてしまうな。
「それは心配しないで。ちゃんと代わりの衣装を手配してあるから、もうすぐ持って来てくれると思うよ?」
「代わりの衣装……ですか?」
白石さんが首を傾げたところで、ちょうどドアがノックされた。
「お待たせ、三柳くん。言われたものを持って来たわよ。入っても大丈夫?」
「ああ、開いてるよ。入ってくれ」
おずおずと部室に入ってきたのは、天文部を手伝ってくれているクラスメイトの遠藤さんだった。手には丁寧に畳まれたとある衣装が乗せられていた。
「ふうん。天文部ってこんな感じなんだ」
「……えっと……?」
まだ会って間もない遠藤さんに、白石さんは戸惑った様子を見せる。そういえば人見知りなんだった。最近はそういう場面をほとんど見ていなかったから忘れていた。
「はいこれ。サイズはたぶん大丈夫だと思うけれど」
「ありがとう。いきなり呼び出した上に、わざわざ借りてきてもらって悪いね」
「元々貸す気満々だったみたいだから、特に苦労は無かったわよ。あたしが着るわけでもないし。でもそうね、なら今度生徒会の手伝いをしてもらおうかしら。元クラス委員だから、要領は分かってるもんね?」
「抜け目ないな。まあ、出来る範囲でなら」
苦笑しつつ、彼女から衣装を受け取る。
「あの……それって、何の衣装なんですか?」
「ああ、これはね───」
そう言ってアオイは、遠藤さんから受け取ったそれを、白石さんに合わせるように広げてみせた。
「───うん、ちょうど良さそうだ」
それは、可愛らしいメイド服だった。スカートの端にはフリフリが付いているが、それほど派手な装飾はない落ち着いたタイプだ。
「こ、これを着てショーをやるんですかっ!?」
「この上に魔女のローブを着てね。エプロン部分を外せばほぼ単色だし、“魔女”の衣装としてはピッタリなんじゃないか?」
制服の上にローブを羽織っただけの簡易版ではなく、全身を
「そうね、悪くないんじゃない? 白石さん、髪も綺麗だから映えそうだもの。そんなびしょ濡れのままじゃ風邪引きそうだし、さっそく着替えちゃいましょうか」
「え、えっ、え……?」
「三柳くんは外ね。覗いちゃダメよ? いくら大事な先輩だからって、そう簡単に着替えを見せちゃいけないんだから」
「覗くかっ!!」
片目を瞑って
部屋の外に出て廊下で待っていると、ドアが開いて遠藤さんが顔を出した。
「もう良いわよ。待たせたわね」
「いいや別に。案外早かったね」
「あたしも一度着させてもらったことがあったから。ふふふ~、大切な先輩を待たせるわけにはいかないから、ね?」
「あ、あぅ……」
「はいはい、あまり揶揄わないでやっておくれよ」
白石さんを揶揄うのに余念がない遠藤さんを
「……うん、似合ってる。可愛い」
「っ……!? あ、ありがとうござい、ます……」
「うわ……直球で言っちゃうんだ。やっぱり二人って付き合ってるの?」
「いいや、残念ながらね。というか、前にその話はしただろう」
「それは1か月も前の話でしょ。あれから進展しててもおかしくないって思うじゃない。こうやって二人きりでいたりして、正直アヤしいと思ってる人は多いと思うわよ?」
「思ってても、それを実際に口にする人は少ないけどな。なんだよ遠藤さん、桂木さんのこととやかく言えないくらい、恋愛沙汰のこと突っついてくるじゃんか」
「ふふん、あたしは佳実ちゃんの味方だからね。態度のハッキリしない優柔不断な先輩には手加減しなくていいのよ」
「手厳しいなぁ……」
顔を赤くして縮こまる白石さんを守るようにしながら、遠藤さんはアオイにビシッと指をつきつける。
いつの間に仲良くなったのだろう。気が付けば名前で呼んでいるし。
勿論アオイとて、白石さんからどう思われているのかは薄々察している。周りからすればもどかしいのだろうが……
「まあいいわ。あたしはそろそろ交代の時間だし、戻るけど……」
「ああ、助かったよ。店の方も頼んだよ」
「ええ、また後でね。佳実ちゃん、本番楽しみにしてるから。……
「……はい!」
遠藤さんの発破を受けて、白石さんはコクリと頷いた。
彼女の様子を見て満足そうに頷き返すと、遠藤さんは部室を後にした。改めて白石さんと二人きりで取り残される。微妙にそれっぽい空気を作って逃げられてしまったので、どことなく気まずい。
「さ、さぁ~、服も無事に着替えられたし、俺もこの辺で……」
「……お父さんが来るの、一緒に待ってくれるんですよね?」
「……はい」
有無を言わさぬ態度に、アオイは大人しく従う他なかった。女の子はこういう時、強い。
「ふぅ……。遠藤先輩も変に気を回して……こうして二人になれるのは嬉しいんですけど、今はそれどころじゃないんですから」
「それはそうだねぇ……」
「先輩。その……今は他のことは一旦置いておいて、一緒にいてもらってもいいですか……?」
白石さんは再度不安そうにアオイを見つめる。
「ああ。何でも白石さんの望む通りに」
だいぶ緊張もほぐれたようだが、やはりお父さんと会うのが怖いのは変わらないんだろう。アオイも本気でここで逃げるようなつもりはなかった。
「……なら、もうひとつだけ。さっきみたいに、その……『佳実』って呼んでください」
「あー……」
さっきは雰囲気のままに名前で呼んだのだけれど、改まったこう求められてしまうと色々気恥ずかしい。
「ほら、他のみんなは名前かあだ名なのに、わたしだけ『白石さん』だと寂しいというか」
「それはそうかもしれないけど……はぁ。……
「はいっ、アオイ先輩! ……えへへ」
白石さん───佳実が、嬉しそうに顔をほころばせて名前を呼び返してくる。
「実は再会するずっと前から、心の中でこう呼んでたんです、アオイ先輩のこと」
「……そうか」
「ホントはみんなみたいに『アオ先輩』って呼ぶべきなのかもしれないんですけど、一度馴染んじゃったのがなかなか抜けなくて……」
「まあ、いいけどね」
肩をすくめながら、アオイは不思議な感慨を覚えていた。
「アオイ、か。そう呼ばれたのも何気に久しぶりだな。何故かみんな『アオ』呼びなんだよな。俺のことをそう呼んでたのは、両親以外だと……ひなたくらいかも」
「それって……」
「いや、別に深い意味はないんだけど……」
懐かしい呼び方に、あの頃を思い出させられたのも事実。その相手が同じ“魔女”だというのにも、どこか偶然とは思えない因縁を感じた。
「嬉しいです。少しはひなたさんと同じ立ち位置に立てた気がして」
慈しむような目で佳実が見つめてくる。その目は奇しくもアオイのことを見つめるひなたのものと同じ眼差しをしていた。
「その……先輩。お父さんと話し終わって、ショーの本番も終わったら、わたしの気持ちを伝えさせてください。単なる好きとか嫌いとか、そういうのじゃなくって……先輩とひなたさんのこととか、わたしがどれだけ先輩に感謝しているかってことを、全部」
佳実は、意を決してそう伝えてきた。
「それは……なんというか、半分以上もう言っちゃってるんじゃないか?」
「そっ、そんな簡単な話じゃないんですっ! わたしのこの気持ちは、恋とかそういう言葉じゃ到底語り尽くせないものでっ……!」
顔を真っ赤にしてぶちまける佳実。
不覚にも、可愛いと思ってしまった。そう思うくらいには、アオイとしても彼女のことを特別に思っているのだろう。
「わかったよ、佳実。その勇気に誓って、ちゃんと話を聞く。だからこれから、頑張って」
「はい。……2年ぶんのわたしの気持ちは、軽いものじゃないですよ?」
「知ってる。正直なところ、少し楽しみでもあるんだ」
出会ってからこのかた、驚かされたり意表を突かれてばかりのこの後輩が、どんな言葉を投げかけてくるのか。ひなたと同じ、もうひとりの“魔女”としての彼女に、特別な何かを期待している自分がいることに、アオイ自身が驚いていた。
「……っはぁ~~~。あー、緊張したぁっ……! 遠藤先輩に背中を押されなかったら言えなかったかもしれません」
「おいおい……本番はむしろこれから、というかその後なんじゃ?」
「いいんですっ! 本番で緊張しないために、予行演習だって全力でやらないといけないんです。リハーサルです!」
臆面もなく言ってのける小さな後輩。なんというか、これからも
前途多難な今後のことを思い、苦笑していると───
「───もしもし、白石ですが……入ってよろしいですか?」
「!」
ドアがノックされ、聞こえた声に佳実が身体を強張らせる。
「はい、どうぞ」
アオイは佳実の肩にそっと手を置いてから、部室の入口の扉を開けた。
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