第29話 家族




 白石さんを連れて、天文部の部室に入る。


 「とりあえず、はいこれ。まずは身体を拭いて、温めないと」


 店用に足りないこともあろうかと、予備のタオルを持ってきていたのは幸いだった。まだ使うには早い時期だが、部室の電気ストーブも点けて白石さんを当たらせる。なぜかドライヤーまであるのだから、この天文部室も大概謎だ。


 「あ、ありがとうございます……」

 「気にするな。……あの日を思い出すね。傘を貸した時も、そんな風に小さく畏まってたっけ」

 「そうだったかもしれません。あれから、わたしは少しは変われましたか?」

 「ああ、見違えたよ。少なくとも、俺なんかよりは、ずっと」


 あんなに不安げだった少女が、この学校まで追いかけてきて、みんなともすぐに仲良くなって。未だに立ち止まり続けていたアオイとは、まるで違う。何を隠そうアオイ自身が、彼女の勇気に助けられたのだから。



 それからしばらく無言の時間が流れたが、やがて白石さんがぽつりぽつりと語り始めた。


 「お父さん、再婚してるんです。2年くらい前に」

 「2年前というと、まさに出会ったあの頃か」

 「はい。あの頃は色々あって……学校を休んで、しばらく下北沢にあるおばあちゃんの家に行ってたんです。先輩と出会ったのは、ちょうどおばあちゃんの家に行く当日で」

 「そうか……。しかし、下北沢か。良い所に住んでたんだね」

 「といっても、2か月くらいですけどね。冬休み明けからは家に戻りましたから。新しい“お母さん”に最初は納得がいかなかったんですけど、良い人なのは本当なんです。優しいし、わたしのことも気を遣ってくれるし。だから、あれはただのわたしの意地みたいなもので……今となっては子供みたいな理由だって思うんですけど」

 「それはそう……というか、『みたい』も何もそのものズバリ子供なんだから、まだ。納得できなくて当たり前だと思うよ」


 話を聞くほどに、運命のイタズラのようなものを感じて不思議な気持ちになってくる。

 お母さんをうしなった白石さん。ひなたを喪ったアオイ。彼女は父親がお母さんを忘れてしまったかのようにすぐ再婚してしまったことに反発していて、そんな中で未だ亡くした恋人のことを引き摺り続けるアオイと出会った。あの時は、よく臆面もなく初めて会った相手に自分の事情を語ったものだと自分でも呆れたものだが、アオイと彼女が近しい境遇にあるという直感だけは間違っていなかったのだ。




 「お母さんという人がいながら、他の女の人と再婚したお父さん、か。娘にとっては複雑だよね」


 きっと、お父さん自身にも葛藤はあったのだろう。それでもあの人は、先に進むことを選択した。それは、勇気の要る決断だっただろうし、男手一つで娘を育てていく難しさもあって選んだ道だったのだろう。アオイとしてはその選択をしたあの人のことを尊敬するし、それを分かった上で支えてくれる相手がいることが羨ましいとも思う。

 しかし、娘である彼女にとっては簡単には受け入れがたいことだったのだろうな。


 「いいえ、そうじゃないんです。わたしはお父さんがお母さんを忘れたんだ、とか、そういうことで怒っているわけじゃなくって……」


 だが、白石さんはアオイの言葉を否定する。しばらく考えがまとまらない様子で黙り込んでいた彼女は、やがてゆっくりと言葉を探すように想いを口にし始める。


 「お父さんってね、わたしに甘いんです。わたしが学校を休みたいって言ったら、ロクに話も聞かずに『わかった。気が楽になるまでゆっくり休んだらいいよ』って言って休学させるし、こっちに来て一人暮らしをしたいって言っても、特に反対もしないで従姉のお姉ちゃんのアパートを紹介するし」

 「それは……たしかに、甘いというか、放任主義な感じがするね」


 母親を喪って心を休める期間が必要だったとはいえ、勉強のことを気にせず学校を休ませるというのは親として心配ではなかったのだろうか。ましてや女の子の一人暮らしなんて、男親としては反対するのが普通だろう。一切反対なしというのはあまりに無責任で、なんというか娘に対して腰が引けている気がする。


 「お父さんはたぶん、再婚したことに対してわたしが怒ってると思ってるんです。だからいつもわたしの顔色ばかり気にして……子供も生まれたのに、奥さんに任せっぱなしでわたしに会いに来たりしてっ……」


 白石さんの語尾が鋭くなる。思春期の少女の、父親に対する複雑な心境……というのも多分に含まれているのだろうが。それでも、父親の再婚相手に対して気遣い、怒れるというのは紛れもない彼女の優しさだろう。

 しかし、アオイはふと彼女の言葉の一部分が気になった。


 「子供……つまり、今の奥さんとの子供ってことか」

 「はい。わたしにとっては、半分だけ血の繋がった弟……ですね。まだ実際に会ったことはないんですけど」

 「そうなのか?」

 「はい。出産の少し前に、こっちに来てしまいましたから。写真もまだ見たことがなくて」

 「それは……いいのかい?」

 「その、どんな顔をして会ったらいいのか分からなくて……」


 様々な感情をにじませながら白石さんは俯く。

 半分だけ血の繋がった、白石さんの弟。その子は複雑な家庭の事情を抱える彼女の家の、象徴のような存在に思えた。




 「白石さんは、もう一度お父さんと会ったら、どうしたい?」

 「え?」


 白石さんは、きょとんとした顔でアオイを見た。まるで、もう一度会おうなどという考えが端から頭に無かったかのように。


 「あのお父さんがあのまま帰っちゃうなんてことは無いだろう。この後のショーのことも伝えてるんじゃないか?」

 「それは、そうですけど……」

 「なら、必ず来てくれるさ。お父さんのことが嫌いなわけじゃないんだろう? 会って話をした方がいいよ。今ならきっと、白石さんの気持ちも分かろうとしてくれるさ。たぶん、なんであんな風に怒られたんだろうって悩みに悩んでるはずだから」

 「そうでしょうか?」

 「そうだよ」


 白石さんのお父さんと直接会って、こうして話を聞いてみて、思った。あの人はアオイと似ている。大切な人を喪ったこともそうだが、性格や境遇、そしておそらく、好きになる相手のタイプなんかも。白石さんのお母さんについては、以前から話を聞いていてひなたと似ていると思っていたのだ。そんな人と夫婦になった人なら、その考え方や行動も、アオイには想像ができるような気がした。


 「……わかりました。会ってみます」

 「うん。それがいいよ」


 白石さんはしばらく考え込んでから、やがて決意を固めたようにゆっくりと頷いた。


 「でも、やっぱり不安だから……その、先輩?」

 「うん?」

 「一緒に、お父さんと会ってもらえますか……? わたしの隣で、見ていてほしいんです。さっきはなんであんな風に怒っちゃったのか、今でもわからなくて……。話すのは怖いけど、先輩がいてくれたら、きっと大丈夫だから……」


 不安に押しつぶされそうな様子の声で、彼女が懇願する。小さく震える肩が、健気に握られた両手で告げられた今の決意が、脆く儚いものであることを物語っていた。

 アオイは彼女の頭に手を置いて、答えた。


 「わかった、。一緒にお父さんと話そう。俺が、すぐ隣で見ているから」


 白石さんは撫でられたことに顔を赤くしたまま、黙って頷いた。


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