第4話 終わりのない最期
孫の環美さんを駅まで送って、持ち帰り餃子の店へ向かった。
餃子とカレーは週一のローテンションだ。二合の安酒のあてに毎週欠かさず観ている番組の余韻に浸って就寝。妻が亡くなって独り暮らしになってからのルーティンだ。
未だに現金で買っている実さんはポケットの小銭を指で数えながら歩いていた。
薬局から出て来た人が実さんの頭上に目線を向けた。その後ろの母子が悲鳴をあげながらしゃがみこんだ。
ガシャーンと音がしたのを実さんは微かに覚えている。サイレンの音が近づいてきた記憶も。
老朽化したビルの看板が落下して通行人を直撃。
視える孫なら別れ際に餃子屋に向かわないでねと言えたはずだ。
「運命は変えられない道だから視えた事は沈黙。破れば力は消える」
夢でひーばちゃんに何度も念を押されていた。
ほんの数秒ずれていたら、せめて1メートル内側を歩いていたら。
だけど運命だから決まっていた事だ。
私も一緒に無くなるはずだったのに、道で折れ曲がった実さんは即死できずに昏睡した。フッと消えかかったのに、また女性になっていた。
飲みかけのコーヒーに伸ばしたきれいな指のネールが欠けていた。
書き上げたPR報告書をプリント中に、イスに座ったまま一瞬落ちるって奴だ。
今度の誕生日で30になる中規模の映画配給会社の営業チーフでブラックに近い激務。独身で一人暮らし。長い事二人の男性と交際中。恋愛映画のヒロイン気分で楽しんでいるつもりらしいけど、就寝後の脳内を覗くとサスペンス映画の脇役だ。
部屋に一人でいる時は、ぶ厚いレンズのメガネにムンバイで買ったパジャマ姿だけど
誰かが遊びに来る時は、その人に合せて部屋の雰囲気を変えられる。料理が得意で、レシピに忠実。大学ではデザイン専攻だったので見た目を飾る事は得意だ。
汐留のテレビ局で情報番組のプロデューサーに来週公開の映画を渡した。
自分の局が製作した映画の公開日と重なっているけど没にはならない。約束だから。
いつものように、あのイタリアンレストランに誘われた。
「もうすぐ誕生日だろ、当日は予定もあるだろうから休みが取れる日にどこか島にでも、どうかな」
「はい。是非。先ほどお渡しした映画が公開されればいつでも休めます。うれしい」
もう関係も四年目。枕営業にのったテレビ局関係者はこの人だけでそのままずるずるの不倫関係になっている。常に営業口調で応対する事。それがかわいくもなく地味な私に要求されている唯一の条件だ。他の愛人にもそうしているのだろう。
ジェラートを食べ終わるまでに、30になった次の土曜日に八丈島に行くことが決まった。
これで誕生日の日は学生時代から付き合っている先輩の翔真を呼んでも大丈夫だ。
ポークチョップの下準備をして、観葉植物でベッドを隠す壁を作った。
毎年恒例になった自宅誕生日パーティーも今年で五回目。
お風呂で入念に磨きながら明日の事を考えた。
大学の先輩の翔真は製薬会社の研究員でイギリスと行ったり来たり。去年はマンチェスターで誕生日プレゼントを買ってきてくれた。今年は何かな、ひょっとしてプロポーズされちゃったりして、そうだ、ワインは用意したけどスパークリングも買っておこう。翔真と結婚をしてからも仕事は続けたいと思っている。佐々野さんとの関係も不倫がW不倫になるだけだからと罪悪感は皆無だ。
ひさしぶりの浴槽で睡魔に襲われた。
このまま沈めば、私はやっと消えられる。チャンスをありかとう。
咳込んで目が醒めた。
溺れて死にかけたのは二度目だ。前は翔真に叩き起こされたっけ。肺が痛い。
営業のチーフに昇格してから長かった髪を切った。大人っぽくなる予定が逆の印象で幻滅したけど、乾かす時間だけは得をした。
明日用に整えたベッドに入らずに床にヨガマットを敷いた。
横向きでひざを抱える体勢で目をつむってもなかなか寝付けなかった。
彼女と私が順番に脳を使う時間が長く続いた。
私はトレーラーの下を思い出した。あの時はひざの皿がむき出しだった。
それから実さんに移って、今度は29歳のこの人。思えば線路を敷くためにオハイオ州の原野を切り拓いていた時もあったっけ。もっともその前は五百年先の海溝都市の病院だった。そこで終わりたかったのに、未来は医学が進み過ぎた弊害で脳死が消えていた。すべてがリサイクル。あんな嫌な未来にだけは戻りたくない。
どうか今回で、彼女と一緒にフッと無くなれますように。
部下と呼べる九人を束ねるチーフとして会社の中枢で活躍する大人だと自覚していても、誕生日のワクワクは少女時代と変わらないものだ。
デスクにおめでとうございますと刺繍された大きい布。
めくるとぬいぐるみと目が合った。前髪をパッツンと切られたミーアキャット。
「ありがとうみんな」
プレゼントと一緒に部屋を見回すと、双子のようだと笑われた。
いつもよりサクサクと仕事が進んで六時になったので、打ち合わせに行った赤坂で買ったスパークリングを持って帰った。
あとはサラダを盛り付ければ準備完了。インターフォンのチャイムが鳴った。
モニターで来客を確認するべきだった。チャイムの音がエントランスからではなく玄関ドアの音だった。せめて時間を確かめれば、約束の時間をきっちり守る翔真がこんなに早く来るはずはないって分かったのに。
「今開けるね」
チェーンを外したら強い力で引っ張られた。
ドアノブを握ったまま裸足で踏み出した。知らない女の人とぶつかった。
いや、正面から体ごとぶつかってきた。
「あんたなんかに渡さない」
そう聞こえた。
風呂で溺れた昨日のように肺が痛かった。ぬめぬめと伝う温かい流れが足先から玄関に広がった。汚い色の血。知らない女の手にお寿司屋さんで見る包丁。
「だれ」
声が出ない。映画なら謎は解かれるのに。
遠のく意識の中で、翔真と過ごした日々が逆再生され始めた。
マンションの防犯カメラに残された四十代前後とおぼしき女の姿だけが手がかりで、三十歳の誕生日に殺された大分出身の独身女は、写真や同僚の証言からスキャンダラスな人生をねつ造されてネットの餌食になった。わずか数日だけど。
迷宮入りになった事件の犯人は、任意で二度聴取された佐々野さんの奥さんでも翔真さんを巡る恋のライバルでもない。姿のない私だけが知っている。
映画の権利で競り負かした会社の小川エリカだ。フリー契約者の彼女は職を失い逆恨みした。殺すつもりで後をつけたのがたまたま誕生日だっただけだ。
お借りした脳は翔真さんとの想い出で満たされ、そろそろ止まりそうだ。
これでやっと無くなれる。
体もないのにフワリと浮いた。パッとはじけたシャボン玉の中から刺された彼女が出たのをフッと無くなる私には見えた。
それが最期の溝になった。
死ねば分かるさ ジャックリーンあまの @hkn
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