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でも先輩はそんな俺の顔に手を伸ばし頬に触れた。
「そうだな。悪い」
俺の事など一切責めもせず、申し訳なさそうに微笑みながら優しさに包まれた声で静かに謝った。それが更に俺の胸へ言葉を深く刺し込む。
だからだろう。耐えかねるように俺が傷口から溢れ出した気持ちを口にしたのは。
「そういうところが……。そんなんだから。……今でも好きなんすよ」
「――ありがとう、莉来。でもやっぱりアタシは、その気持ちには応えられない」
分かっていた。あの頃も今も。そう言われるって。先輩はそういう人だって。
「あんた結婚とかしたいの?」
すると先輩は突然そんな質問をしてきた。
「まぁ。いずれは」
「なら子どもは?」
「出来るなら」
「だったらあんたには良い人が他にいるよ」
「でも俺――」
そんな俺の言葉を遮り先輩の後ろに回った手は、俺の顔を自分へと引き寄せた。
「悪いな」
また申し訳なさそうに微笑みでそう言う先輩。
俺はそんな先輩の横に顔を落とし情けなく泣き崩れてしまった。そのまま横に倒れた俺を先輩の腕が包み込む。子どもでも慰めるみたいに頭を撫でられた。でも面映さはあったが少し落ち着く。だから俺はされるがまま、溢れるがまま泣いた。
少しして泪は止まったがまだ濡れたままの目を開けるとすぐそこには先輩の顔があった。憧れて好きで惚れたその顔はどんな状態で見てもカッコ良い。でも俺は知ってるその顔が見せる笑みの可憐さを。
そんな先輩の顔を見ていると俺はつい吸い込まれるように顔を近づけようとしてしまった。でもすぐに先輩の手が口元に触れそれを止めた。
「今夜だけ」
その言葉の後、俺を止めていた手は離れた。どうしたところで俺の思い描くような関係にはなれない。
でもそれでもいいと思えた。抑えてた分、今日だけでも素直にならせてもらおうと。最初で最後の今回ぐらい受け止めてもらおうと。
「先輩。大好きです。あの頃からずっと」
何も答えてはくれなかったが先輩は受け止めてくれた。一回二回と様子を伺うように触れ合った後、濃密に触れ合う唇。それから俺は先輩と来るとは思ってもみなかった夜を過ごした。
ベッドの上で二人並んで寝る俺と先輩。疲労と嬉しさと冷めやらぬ興奮。だがどこか晴れない気持ちを感じながら俺は隣へ顔を転がすように向けた。
先輩の鎖骨近くの首筋に残った痕。それは独占欲というより羨望や嫉妬の類だったんだと思う。俺という男の痕跡を先輩の体に残したくなった。自分勝手でそれが何の意味もなさない事は分かっていたが(もしかしたら先輩に怒られるかもしれないとも)、そうせずにはいられなかった。単なる自己満足。
でもそれをしたところでむしろ虚しさが込み上げてくるだけだった。こうやって夜を過ごしたのに先輩との距離は縮まってない。そう思えて仕方なかったから。
先輩は結局、先輩。どれだけ憧れて、どれだけ好きになろうとも先輩はどこか遠いまま。誘いに乗ってくれたかと思えば、全く遊びに行ってくれなかったり。急に連絡が途絶えたかと思えば、突然目の前に現れたり。でも伸ばした手だけはいつも決まって届かない。触れそうになると避けるように行ってしまう。いや、距離はずっと同じままなのかも。これまでも、そしてこれからも。
でもそう分かっていても想いは止められない。だから俺は終わった直後、頭までどっぷりと薬物のような快楽に浸かりながらもどこか喪失感のようなものを感じていたのかもしれない。心の一部が欠けたような感覚に。
その感覚を感じながら俺はすっかりいつもと変わらぬ表情へ戻っていた先輩を見つめていた。あの頃と同じ感情を今でもはっきりと心の中に感じるのに、あの頃と同じで届かない。いや、むしろ今はあの頃とは違いもうどれだけ伸ばしても意味がない事が明確に分かってしまった。先輩の事は諦めるしかない、と。
俺は気が付けば泪を流していた。さっきから顔を覗かせていた感情がここぞとばかりに体へ広がっていた。みっともなくて情けないのは分かっているのに、止めたかったけど止まらない。
すると俺の漏らした声に先輩が顔をこっちへ向けた。
「泣いてんの?」
「すみません。でもこれで終わりって思ったら……。俺、やっぱり先輩の事が大好きです」
「――あぁ。アタシもあんたの事は大好きだよ」
同じ音で同じ言葉のはずなのに、それは俺のとは全く違ったものだった。どれだけその言葉を待ち望んだか。どれだけそう答えて欲しかったか。でも俺が求めていたのはその言葉じゃない。同音異義語のようにそれは全くの別物だ。
だけど分かってた。あの頃からこの人はその言葉を俺には口にしてくれないと。分かってた事だ。だから俺も言葉を口に出来ないでいた。いや、俺の場合はその他にも(先輩に言われたような)理由はあったが。
「先輩」
「ん?」
「また一緒に呑んでくださいね」
「いいよ」
「それと最後にもうひとついいっすか?」
「なに? もっかいシたいの?」
「その前に、最後にキスしてください」
「いいよ。ほら」
俺はその声に引き寄せられるように先輩へ近づいた。
先輩は俺の顔を近くで見た途端、零すように笑った。
「あんたほんと酷い顔してるよ?」
「すみせん」
そう謝る俺の泪を拭う先輩の指。そして軽く泪を拭った先輩は両手を首に回した。
「ほら。好きなだけしていいよ」
俺は目に焼き付けるように真っすぐ見つめながら顔を下げていき、先輩の柔らかな唇と触れ合うのを感じた。
―完―
先輩は猫だ 佐武ろく @satake_roku
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