馬券の買い方
天皇賞の当日、俺は帰省していた。帰省と言っても実家と大学は同じ県内で、車で1時間半のところにあるが、交通の便が壊滅的で、実家から毎日通学するのは辛いので大学近くで一人暮らしをさせてもらっている。
帰省したところで地元に遊ぶ友達もいないので、朝から晩まで家業である牛飼いの手伝いをすることくらいしかないのだが、とにかく大学の空気から離れたかったのだ。
14時ごろ、世間と比べて遅い昼食をとりながらも俺たち
親父はスマホが使えない(というより、そのくらいの能力はあるのに使う気がない)ので、俺が買い目を代理で入力している。毎週土日はそのための電話(あるいはお袋のLINEでチラシの裏に書いた買い目の画像)への応対が俺の任務だ。10~15分おきにやってくる電話に対応するのは、特に負けているときなんかは面倒でたまらないこともあるのだが、拒絶する理由もなくていつも(お金が絡むというのもあって)真面目に対応している。毎週用事もなく競馬していることから、俺の交友関係の希薄さなんてものは親父にバレてしまっていることだろう。
駒興さんと一緒に見た皐月賞の時は、たまたま電話がなかった。自営業者なので日曜といえど休んでいられない時だってある。では、その時親父が何をしていたかと言うと、下痢で死にかけている子牛に点滴して治していたんだそうな。彼はただの畜産農家ではなく獣医師免許を持っているので、これは当然の行為である。自分の牛しか診ないので、他の獣医と縄張り争いをするでもなく、好きなように生きているようにも見えるが、その分苦労もしているのだ。
まあ、俺は親父の背中を見て育って、生き方もなぞろうとしているわけだ。
能力は足元にも及ばぬというのに。
東京の堅そうな少頭数のレースを見送ろうか悩んでいるところで、駒興さんからマークカードの写真が送られてきた。カードの傍らには競馬場で売っているような小さなぬいぐるみが座っている。黒のメンコとシャドーロールからして、これはアーモンドアイか。
「これから馬券買います! 初マークシートです笑」
「JRAの機械は色ペンだろうが読み取るから入試のやつより上等だよ笑」
と返す。
「応援馬券はこの塗り方でいいんですか?」
「『単+複』だからこれでOK」
「グローリーヴェイズか、穴馬だね」
これから9Rが発走時刻となる。買う馬が決まっているのならこれが正しい現地観戦の仕方だろう。コースとパドックの往復にくたびれ、締め切りに追われて馬券を買い、良い場所を逃しました、とあっては何しに現地まで来たのか分からないともいえる。まあ、こういう場の雰囲気を俺は楽しもうとしているのだが。
「いろいろ調べてたらメジロ牧場と関係のある馬が気になって」
「気が合うねえ 俺もメジロ牧場は好きだよ グローリーヴェイズは気になってる」
「そうなんですね~ 先輩はどの馬が本命ですか?」
「エタリオウかパフォーマプロミスか。ステイゴールド産駒が捨てがたいね」
「エタリオウって2着が多い馬でしたよね?」
「そうそう。でも、こういうジンクスって意識しだすと終わっちゃったりするもんだからねえ…」
こうして話を続けているところで、
「東京9、2から流そうと思うが
パドックで出走馬の序列をつけ終わったのだろう。親父がいつもの質問タイムに入るった。
俺はスマホの画面をLINEから競馬ラボの馬柱に切り替えた。連対率などの情報が出るので、このサイトを情報源にすることがほとんどだ。
「ステゴだな」
「前に行くか?」
「ちょっと待って」
老眼が進んだ、と言って最近はスポーツ紙の馬柱を見ることすら放棄しだしている。まあ、親父の場合「新聞を見て予想しても当たらない」というのは自他ともに認めるところではあるので、パドック予想に絞る、というのは立派な戦術であると言えよう。
「中団から差し、といったところかな」
「人気は?」
「1番人気だね。6とそんなに差がない」
ここで駒興さんからのLINE。「難しいですね……」と通知で読めたのはここまで。申し訳ないが今は親父への対応が先だ。
「そうか、なら馬連で、相手は4・6・1・8でどうだ?」
「……いいんじゃないか?」
入力は俺が代行するが親父が自分の責任で買う馬券なので、あまりこちらからとやかく言って俺の馬券にしてしまいたくない。そのためこういう返事になりがちなのだが、親父の相馬眼を高く評価しているから、という意味でもあるのだ。俺がどうしようもないときは親父の眼を参考にするし、逆に俺が親父の買い目に手を施して窮地を救ってやったこともある。
だが、今回は上位のオッズが拮抗した少頭数ということもあって、ピンポイントで当てられる自信がなく、興味をそそられるレースではなかった。
とりあえず様子見で、ということで言われた通りの買い目を入力した。
さて、駒興さんからのLINEを開封する。
「難しいですね…… それでもわたしはグローリーヴェイズを信じます!」
「応援馬券1点! その意気だ!」
もしこれで外したらすごく気まずいな、なんて思いながら、景気のいい返事をしてしまった。
それから天皇賞が終わるまで、駒興さんからLINEは来なかった。
*
『フィエールマンだ、ゴォールイン!』
どうして同じステイゴールド産駒でもパフォーマプロミスの方を買わなかったのか、ついでに駒興さんが推すグローリーヴェイズを買い目に組み込んでおけば……。そして、どうして俺はフィエールマンを信じなかったのか。
親父は穴狙いでワイドの4頭ボックスを買って外していた。パフォーマプロミスは入れていたのだが、グローリーヴェイズの父がディープインパクトであると聞いて、なぜか買い目から外してしまったのだ。まだマイル~中距離向きで長距離は……、というイメージを払拭できていなかったのだろう。俺もそのイメージがちらついていた。
ということで、俺の知る範囲での的中者は駒興さんただ一人だ。すぐに祝福しなければ。
「おめでとう! グローリーヴェイズ、2着来たね」
「ありがとうございます! 当たったけど1着ならもっと嬉しかったな~」
そりゃそうだろうな。複勝は3.2倍。黒字にはなるけどもうちょっと儲けが欲しくなるのは当然のこと。
「先輩はどんな買い方したんですか?」
「わたしだけ予想見せるの、不公平じゃないですか? 買い目見せてください」
予想大会やってた訳でもないから見せ合いする必要性もないと思うけど……、とはいえ隠す正当な理由もないので、
「エタリオウから馬連ではずれた」
その馬券のページのスクショを撮ってTL上に晒した。
すると、駒興さんは思わぬところに目をつけた。
「受付番号30って、いつもそんなに買ってるんですか?」
この子はもうビギナーの域を脱している。このままでは、ちょい負けかとんとん、などというごまかしがばれるかもしれん。最悪、もう疑いの目を向けられているだろう。
「同じレースでも買い方で分けてるからだよ」
あまりフォローになってない。レース数を絞っても、ひとレースで3種も4種も馬券を買うなんて余計に中毒味が増すというもの。いっそ親父の方の画面を俺のだったと言って……、いや、もう余計なことはするべきではない。
「そうなんですか〜」
ときて、間を置かずに
「きょうの収支、どうですか?」
急にどうした?
棘のような言葉が連続で襲ってくる。
「今は負けている。だが、確定していない。最終レースがあるからちょっと待ってて」
正直に答えつつ、いくらとも言わないではぐらかす。
「最終レースもするんですね」
返信する暇すら惜しい。
だったら事前に考察しておけって話でもある。考察も回顧も、時間も深度も足りないからこうなるのだ。
東京:ダ2100 1000万下
荒れそうだが俺はこのコースでのレースを予想することを苦としている。
京都:高瀬川S ダ1400 1600万下
何となく堅そうだが的は絞れるか? 東京の方が当たれば大きそうだ。しかし、当たらなければ意味がない。やるなら京都だろうか?
嘘をついてもしょうがないので、「やるよ。まずは東京だね」と打とうとしたところで、
「賭け事をする人に収支を聞くのは野暮ですよね、ごめんなさい」
「最終レース、がんばってください」
俺にはこのメッセージに対する最適解が分からなかった。
なので、既読だけつけて終わらせてしまった。
*
東京の最終レースが当たった。買い目は1,8,9,11のワイドボックス。このコースに良績のある馬、もしくはダートの長距離なので芝でも良さそうな血統の馬から、半ば破れかぶれでセレクトした4頭だ。また、いずれも親父の相馬眼によればこの中では上位ランクとなり、異なるアプローチながら見解が一致した俺たちは2人とも6000円近い払い戻しを得たのである。
さて、この的中を駒興さんに報告するべきなのだろうか。今の流れだと、都合の良いときだけ当たりをひけらかす不誠実な奴だと思われても仕方ない。馬券下手と思われる分には構わんが、これ以上競馬の話を続けるのはなんとなく怖い。
競馬以外だと話すことがない。そもそも雑談の始め方がわからない。
つまり、これって、俺と駒興さんの関係性はこれで終わりってことかね?
最終レース症候群 5等級 @BMS5
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