非開催日と現実

 ――学生生活を謳歌しようと思っているのなら3年生までにしておくか、せめてそれまでに地盤を固めておくのがいい。俺はもう諦めた。――


 そんな風に思っていました。駒興さんと競馬見るまでは。


 このイベントは、学生生活はおろか、人生のターニングポイントかもしれない。そう思いました。


 けれども、あれから3日、俺は彼女にLINEすることさえできていない。俺の性分はあたかも形状記憶合金の様で、学生生活はもとどおりになろうとしている。


           *


 俺は、講義の合間を縫ってネットサーフィンをすることが多い。そして専ら競馬の事ばかり調べている。コミュ障丸出しの情けない姿と嗤ってくれていい。


 だいたいTwitterか5chのまとめサイトからネタを拾ってくるのだが、最近、競馬板から引っ張ってきた記事よりなんJのネタが増えてきた気がする。専門板の人口減か、あるいは馬や関係者を貶す表現が目立つのを嫌ってなのか。掲示板に常駐しているわけでもレスするわけでもないROM専とも言い難いライトユーザーではあるがそんな風に考えている。


 目に留まった記事ではエタリオウの扱いをどうするかで盛り上がっている。やたら2着が多い馬だが、肝心な時(去年のダービー)で2着に来なくて、俺はワグネリアンからのワイドを取り損ねた。そんなトラウマに似た思い出もあり、あえてここは馬券から外してみたくなるが……、


 「来たらどうしよう」、こういう迷い方をするときは実に良くない。


          *


 獣医学科は6年制で、我が校の場合、研究室生活は4年生から始まる。同じ6年制の医学部と比べて学習量や実習量は落ちるが、その代わりに研究室で行う実験や卒論の割合が大きくなってくる。


 講義が終わっても研究室に顔を出さなければならない。しかもコアタイムが設定されているせいですぐには帰れない。また、下っ端は雑務を探してこなさねばならない。だが、今日は本当に何もすることがない。


 こんな生活が春休みから始まってようやく慣れてきたものの、研究室という存在は邪魔なことこの上ない。卒論だって書きたくない。実験がしたくてこの学科に来たんじゃない。そんな実験する暇があったら実習の時間を増やしてくれ。

 自分で実習に行け、という意見もあろうが、学生は時間的・金銭的に平等でない。強制されるか、援助が無ければ難しいところもあるのだ。そんな逆境を乗り越えてくる学生は相当優秀な奴だと思っていい。残念ながら俺はそんなにバイタリティがなかった。いま手に持っているハイテクな板をもっと有意義に使うべきではないのかと思いつつ、現実から目を背けるかの如く、知っている範囲のことを自分を落ち着かせるかのように反芻して、自分をさらに小さくしてしまっているのだ。


          *


 しょーもない時間をぶち破ってくれたのは、1学年上の学生だった。

「あっ、浅間センパイ、お疲れ様です」


 浅間優理あさまゆり、彼女は俺の1学年上で、この研究室に入る際に窓口となって色々と教えてくれた人だ。それまで接点があったわけではなく、実のところどんな顔だったかすら怪しかったのだが、そんな世の中をなめくさった後輩でも良くしてくださる御方である。


「ねえ、ツバキ君、――――」


 この人の俺に対しての呼び方は独特だ。たいてい北国みたいに下の名前で呼ばれるか、さもなければ「タマちゃん」などと呼ばれるのがほとんどなのに。


「――――日曜日、紫苑ちゃんと一緒じゃなかった?」

 住んでいるのは学生街。知人の目があるのは当然のことだから見つかるのは覚悟していた。

 声のトーンからして、そのことで俺を咎めようとか陥れようという意図はなく、単に事実確認かゴシップ的な好奇心からの質問なのは明らかである。


 けれども、獣医学科せけんは小さくて狭い。尾ひれがついて歩き回るような返答は避けたいところ。

「……はい」

 後から思うに、ぶっきらぼうとも何かに怯えているともとれるような声の調子だったと思う。 

 それに対し、センパイは目を丸くして言った。

「ツバキ君の部屋に入っていくのが見えたからびっくりしたよ。訊いてみたら『一緒に競馬見てた』なんて言うからさ。何やってんのって」

「本当に競馬見てただけですよ」

「ツバキ君が競馬見るのは知ってたけど、紫苑ちゃんまで競馬始めるなんて、意外だなー。

 良かったじゃん競馬友達ができて」

 我慢できなくなって、俺の口角が上がってしまう。


 けらけらわらっていたところから急に意味深なトーンで、

「で、さぁ。キミたち、本当に付き合ってないの?」

 目が笑っているから気のせいかもしれない。

「残念ですが違います」

 事実だからこういうしかない。


「それだけなんだ。……ウケる」


 「ウケる」と、よくこの人は口にする。笑いながらそう言ってくれるのを聞けるのが、実のところ俺にとって嬉しいというか安心できることなのだが、今回は嘲笑の色を帯びているのが判る。


「それでさ、連絡くらいしたの?」


 3日前に自室で競馬見てそれっきりだ。

「いえ、それっきり何も……」


「どうして?」

 冗談抜き、といった様子で俺の目をじっと見て問いかけてくる。


「ツバキ君、もうちょっと自信もっていいんじゃないかな。紫苑ちゃん、キミのこと嫌いじゃないと思うよ。っていうか、好き嫌いを断言できるほどキミのことなんか見てないし、知らないはず」


 真面目なトーンでセンパイは続ける。


「関心があるなら、自分から動かないと。別に恋仲になれって言ってるんじゃないよ。そうでもしないと、ツバキ君。キミはひとりぼっちになるよ」


「…………」


 ……わかっている。


 …………わかっているよ、そんなこと。


 どうして俺は、どうしようもない人間なんだろう。


            *


 呆れて物も言えぬといった様子か、或いは真面目な話をしてしまって疲れた、とでも言いたげにセンパイは学生部屋を後にした。


「あんな風に言われたら、ねえ」


 しかしながら今さらメッセージを送るのが気まずいのは事実であり、何を話すか、どうやって会話を維持したらいいか、などなど心配の種は尽きない。


         *


 きっかけとなる言葉を見つけられず悶々とし始めたところで、普段は鳴らないスマホの通知が鳴った。こういう書き方をしている時点で改めて書くのもくどいとは思うが、そのLINEを送ってきたのは駒興さんだった。


 神は俺を見放していない。そう思ったね。


 だが、悩まずに返事できるものであってほしいが……。既読をつけない形でメッセージを読む。


「お疲れ様です。」

「天皇賞を見に行くのでなにかアドバイスをくださ~い」


 答えやすい話でよかった。

 なにより競馬への関心が続いてくれてよかった。


 早口でまくしたてても詰め込めきれないくらい伝えたいことはあるが、こちらから事情聴取する感じで答えていくことにしよう。


 まずは、

「現地で見るの?」

 まあ、『見に行く』のだからそうだろう。いきなりWINSに行くとか言い出したら、俺だって腰を抜かすわ。


「はい」


 だろうね。

 さて、ここからどうするか。

 後から思うに、「YES」か「NO」で答える形にしてしまったせいで要らぬ思考にエネルギーを費やしてしまった。


「いいね。GIは人多いから、水分補給に気をつけた方がいいかも」


 俺の現地観戦歴はサトノダイヤモンドが勝った菊花賞(2016)とサトノクラウンが勝った宝塚記念(2017)だが、特に後者は湿度も気温も高く、自販機で茶を買うことすらままならなかった。


「ですよね💦 メインレースのちょっと前に現地入りしようと思います」


 俺だったら第1レースから競馬場入りして、新馬戦のちょっと前に昼飯、折を見てターフィーショップ(競馬場内の土産物店)でグッズを漁るのだが、そこまで提案してしまうと俺のスタイルを無理強いしているのではないかと思えてきて、


「それがいい。メインまでに歩き疲れないようにね」


 これに対して向こうから「はーい」というスタンプが来て、俺はメッセージのやりとりを終えた。

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